自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/12/21

しばし旅へ

一週間前に手に入れた NO NUKES の CD ... FROM THE MUSE CONCERTS FOR A NON-NUCLEAR FUTURE ... "MUSE" というのはMusician's United for Safe Energy の略。1979年のスリーマイル島の原発事故のあとに、NY の Madison Square Garden でミュージシャンたちが集い、開催された反原発のコンサート。LP で見かけてずっと探していたのだけど、あっさりCD であった。出演者や中身などはこちらのとある方のブログに詳しいです。やはりGil Scott-Heron がすさまじくかっこええ。我が家では追悼の意もあり、先月あたりに持っていなかった Gil のCD をディスクユニオンで見つけただけ買い占めて、ほぼ毎日フル回転で回っています。


で、何週間か Gil ばっかり聴きながら仕事の締め切りに追われたり、師走なだけにかなりバタバタと走り回って過ごしていました。うわさによるとあと今年もあと10日とか。いやはや。

311以降、わたしの中ではまったく違う世の中になりました。これから生きていくのに何が大切なのかを真っ正面から考えたり選択しなければならない状況になりました。福島の高線量下にお住まいの方々に比べたら、津波で大切な人を亡くされた方々に比べたら、本当に恵まれた環境だと感じない日はないけれど、311を境に、これまでにない望まない変化がもたらされたことは同じです。来年はどんな年になるでしょうか。日本にいないかな。そろそろ思いを馳せなくてはいけないけれど、そんな気にもなれない。

あの日以降、「放射能と原発」から1日足りとも離れた日はありませんでした。本当に1日も。よく気が狂わなかったと自分でも関心するけど、子どもが心配なだけで活動自体は別に嫌々ではないし、仕事もプライベートもベクトルが一緒なのでライフワークみたいなもの。今でも士気は高いままです。睡眠と貯金は減ったけれど、たくさんの調べもののおかげで知識は増えました。それに新しい仲間も(多くの新しい出会いが唯一ポジティブなことかも)。あと増えたのはなに?飛んだマイル数とシミと被曝量?やだなそれ。

最後に、その9ヶ月コンスタントに続いていた放射能と原発漬けのルーティンを覆して、1年を終わろうかと思います。わたしの家族が、おそらくその長々と続いた狂った日常からわたしを切り離してあげようと思ってくれての企画だと思うのだけど・・・2週間ほど旅に出ます。今あたまの中にある事柄から離れたい逃避ではなくて、抱えているものといっしょに仲よく行くつもり。がらっと状況が変わって何かまた新しい気持ちが芽生えるかな。追ってここでご報告ができればと思います。まだここに書こうと思っていて書けていないこともたくさんあるのだけど、来年に持ち越し。

毎度のことですが、あと数時間で空港に行かないといけないのにパッキングが終わっていない(Gil を聴きながらやるとどうも焦ることができない)・・・そろそろ焦ろうと思うのでこの辺で。みなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

2011/12/13

障害について

数日前に、目の不自由な方たちが放射性物質から身をまもるために「声で知らせる線量計」が開発されたというニュースを目にしました。そんなものもでてきたか、と思って読み進めるうちに、なんともいえない不快感が湧いてきました。線量計の価格は高額なものだし(何人の目の不自由な方たちが実際買えるだろう)、わたしが気がつかなかっただけかもしれないけれど、わたしが目にした「障害を持つ方に対応した放射能防護」に関するニュースは、放射能が撒き散らかされてから9ヶ月目にしてこれが初めてでした。どちらかというと普段わたしは障害を持つ方たちとは遠い存在です。友人に社会福祉士が数人いるくらいで、親族や知人にもいないので実際に触れあう機会はめったにありません。実状をよくしらない身で、偽善的な発言かもしれないけれど、こういう今みたいな有事に、やっぱり障害を持つ方のケアというのは後回しにされるんだな、と。安心な食べ物を選ぶ、居住地を選ぶ、それが容易にできない方たちがより被曝しやすくなる・・・こういうところに格差が出てくるとは前から思ってはいたけれど。

もう2ヶ月近く経ってしまったけど、10月の末にうちの近くで行われた山田真さん(「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表)の放射能の影響についてのお話会に参加しました。福島の子どもたちの健康相談なども行われている先生で、小児科医の視点からの分析は聞いたことがなかったので、ぜひ聞いてみたいと思って行きました。生意気だけど、ほとんどお話された内容はすでに知っている情報ばかり(これは、山田先生の知識がどうこうという話ではなくて、これまでどんだけ自分がリサーチ漬けで放射能対策マニアみたいになっているかに気づいたわけですが・・・)だった中で、ひとつだけ新しい気づきがありました。それが「障害」についての話でした。山田さんは長く障害を持った方と共に生きる取り組みをされてきた小児科医です。

質疑応答のとき、環境問題(原発の問題)は本当はやりたくないという気持ちがある、と言われた。なぜかというと環境問題には「障害は悪いもの」という感覚があり、障害をもっていてもいいじゃないかという考えから離れていくから、だと。「病気や障害が悪という意識をもつことは危険なこと。遺伝的な影響を言うと、病気や障害を差別することになる」と。確かに、チェルノブイリでも水俣でもその奇形の被害者などにスポットがあてられました。現在でも「放射能の影響で障害児が生まれる(た)」などというアラートが無神経に流れ、妊婦さんが赤ちゃんの中絶を考えている/若い女の子たちはどうせ健康な赤ちゃんが産めないと諦めているなどという文章をウェブで目にすると、とてもやるせなくなります。そんなリスクのある環境に実際直面している今に空しくなるのと、まさにこの山田先生が触れられたような「障害児だとだめなのか」ということに答えが出ずに(だって自分自身が当事者だったらと思うと、やっぱり「子どもは健康であって欲しい」と思ってしまうし「障害があってもそれは個性」と言い切れるだろうかと)最後まで考えきれずに諦めてしまうのです。

山田先生は言います「病気や障害をもった人は福島を動けません。こういう状況では世の中の差別があらわにみえてくるものです」。そう、これから障害を持った子どもたちが出てくるという可能性とは別に、この今にも障害を持った方たちが福島にいる。被災地の仮設住宅はまったくバリアフリーが考慮されていない、平時の社会がいかに弱者を軽んじていたものだったかが今わかる、という声も Twitter かどこかで見かけました。なかなか自分で答えが出せないことが多い問題だけれど、ひとつだけわかっているのは、健康被害や差別を生む不安定な環境をつくりだすものは要らない。放射能は要らない。原発は要らないってこと。大きなものに潰されそうになって、自分や自分の家族を守ることで精一杯だとしても(理想だけれど)周りにどんな人が声をあげているか、見わたす余裕は常に持ちたいと思うわけです。

関連:

2011/11/26

DRUMS OF FURY

デモが多様化する中で、おそらく一発目の高円寺サウンドデモの流れをくむと思われる「怒りのドラムデモ」というのがあります。とにかくノイズを!というやつ。今日は代々木公園から出発〜代々木公園へ戻る定番コースを回るってことで、前から行ってみたかったので、昔やってたラッパを引っ張りだし(もったいないことに Bach という結構いい楽器なのに 15年くらい眠っていた)、子どもにはハーモニカを支給し、しゅっぱーつ。

ちょっと出遅れたのと、隊列がひとつしかない規模のプチデモだったため、思った以上に早く進んでしまい、渋谷駅前の join ポイントを逃し、ゴール間際の数十メートルだけ合流して歩くという残念なことになってしまいました。連れ出したラッパはかろうじて音は出たものの、低いひょろひょろとした音しか出ず・・・ひとり肩を落とす。しかし、ドラマーさんたちはよい具合に力強い怒りのドラミングをされていて、ゴール後もケヤキ並木にしばらく響いていました。

Last 3 photos : © Sutton-Hibbert

穏やかデモもいいですが、こういった非常にストレートなデモの方が個人的には好きです。だって怒ってるわけだし、怒りの感情というのが一番アクションに結びつくモチベーションだと思う。怒ってるから、電車に乗ってまでデモに行く。怒っているから、休みの日も平日も関係ない。怒っているから、恥ずかしげもなく渋谷で吹けないラッパをならす。怒りの火が収まらない限り、アクションの火も消えない。

2011/11/24

暫定規制値あれこれ

暫定規制値について、いくつかメモです。規制値の正式な改訂が年内に行われると決められたようですが、もうそんなもん誰もあてにはしていません(個人の指標としてはあてにしていないんだが、それに従って学校給食がつくられたり食品の流通が行われていることが問題なんだな)。厚労省は、暫定基準で年間5ミリシーベルトとしている放射性セシウムの年間被曝限度を、新基準値では年間1ミリシーベルトに引き下げる方針を出して、乳児用食品の項目も加えるとのこと。ある程度は評価できるのかもしれませんが、大人の食べ物と同じ材料で離乳食はつくられるわけだし、「乳児」は考慮して「幼児」は無視(大人と同じ)なのは、現実の食生活のケースをきちんと想定しているのか?という印象です。また、この累計の被曝量(年間1ミリ限度)はそれぞれの外部被曝量や、汚染された土壌や枯れ葉の土ぼこり・粉塵を吸いこむなどの内部被曝量は含まれていないし、東日本ではこの「換算されていない分」の被曝はほとんどの人がしています。これを言ってはおしまいだけど、もともと基準自体も流通前の検査で厳しく守られていなければなんの意味もないものですよね。わたしはそこを疑っているので、規制値のニュースを聞いてもフワフワと浮いたどうでもいい話にしか聞こえないのです。

この食品の放射線量の規制値は、チェルノブイリ以降の汚染を被った国々でも当然設定された(されている)わけですが、ベラルーシの規制値をめぐることについて少しご紹介したいと思います。ベラルーシはチェルノブイリ原発事故で国土の23% が深刻に汚染されました。その中でどのように人々の健康を守っていくのか、ベラルーシでは様々なノウハウが蓄積されていくことになりました。政府も(現在の日本のごとく)当初対策がまったくなっていないばかりか、ひどいもので、その中で市民が立ち上がり、自分の身は自分で守るしかないと努力がなされてきたようです。

先日、ベラルーシから学ぶ食品の安全管理というような、とてもいいお役立ちコラム(NHK が放映したものの動画)があったのですが、youtube からは既に削除されていました・・・珍しく NHK が役立つこと言ったと思ったらこれだよ(残念)。覚えている限り、そこで NHK の石川解説委員が説明されていた、ベラルーシの食品の安全管理で特筆すべきなのは、検査体制と生産現場が太く結びついているために、汚染食品がどんどん減っていったということです。それは例えば、食肉で高いベクレル値が検査機関で出たなら、生産元と密に連携し、何が原因でそういう数値が出たのか、エサか?環境か?出元を徹底調査して対策をすると。そこのラインがしっかりと繋がり動くことで、汚染食品は結果減っていき、基準値もそこの状況と見合わせながら(汚染が減少されたと見なせるものは)低くされていった、という経緯があるということでした。日本のように適当に決めた値じゃないんですよね。ちなみにベラルーシでは、全国で公立・民間含めて 860カ所の食品放射能測定所があり、市民が普通に計測しながら食品を購入しているとのこと(その様子も映されていました)。

また、ベラルーシのベラルド放射能安全研究所の副所長、バベンコ氏も「25年前に不幸な事故に遭った国の人々の知恵に学ぶしかない」と、先月講演で伝えています(「自分と子どもを放射能から守るには」講演と一部文字起こし:規制値問題、食品の除染対策などにも触れています)。ベラルーシやウクライナなどのチェルノブイリ事故下の状況と今の東日本について、様々な比較がなされますが、特に食にまつわる状況と内部被曝については簡単に同じと思うべきではないなと、わたしは考えてきました。食文化(日常的に食べる物)や人種の体質、食品の調達先や経済水準とグローバリゼーション(ウクライナでは 1000Bq/L を越えた牛乳を日常的に何年も飲んでいたなど、地産地消の農村が非常に多かった − わたしたちが今している地方からのお取り寄せをネットでオーダー+輸入食材の豊富さもない)、溢れる出来合いの加工食品やレストランの数は逆に今の日本の方がリスクはあるでしょうが。そして、今のわたしたちには当たり前のウェブによるの情報入手・共有なども、当時のチェルノブイリ下の市民にはなかったことです。こういった差異で生まれるリスクもあれば、その逆も、ということを考えると、被曝の度合いなどは比べられない。ここで、チェルノブイリと同様に考えられないから大丈夫、なのではなくて、同じにはならないからこそ怖いのだと思う。そもそも違う事故なんだし(つーか、福島は MOX 入り複数基メルトスルーだかんね)。しかしながら、放射能がばらまかれて食べ物が汚染されたというケースは同じこと・・・言いたいのは、その中で人々が努力して培った対策についてはとことん知るべき、学ぶべきだということです。

脱線ですが、解説委員情報:(NHK の解説委員に注目するのは科学文化部の水野解説委員以来!)前出の石川解説委員は、ベラルーシをはじめ、ロシアのエキスパート。風貌も芸術家風で注目なのですが、最近除染や食の安全などについての的確な解説が増え「チェルノブイリ後にベラルーシ、ウクライナ、ロシアで蓄積された知見をどのように日本で活かしたらよいか、少しでも役に立ちたい」と発言されていて、今後期待です。

【 追記 11/26 】
先ほど、福島市内で収穫されたお米から最大 1270 Bq/kg という暫定基準値を飛び抜けて越えているセシウムが検出されたニュースが。5kg の米袋ならば 6350 Bq(放射性廃棄物かい・・・)。「市場には流通していない」とされていますが、絶対に絶対に流れていないことを祈ります。誰もそこんとこ保証してくれないのだけど。

2011/11/23

他人をまもるということ

3.11以降、放射能と原発についての情報や思考から一日たりとも離れたことのない自分からしてみると、普通に、なにも変わらずフルで回っている周囲の日常を見ると不思議な気持ちになることがあります。3.11 を境にまったく別世界になってしまったとすら感じているのに。福島でなく都下在住だけど、ここに住んでいて子どもを守りきれるかとすら毎日疑っているというのに。先日も最近都下に新築マンションを購入したというママの話を聞き(その人の人生だから自由なのだけど)この今に、迷うことなくこの都内に居住し続けるコミットメント(=住宅購入)をしたことについて本当に驚きました。妊婦なのに、焼き肉とお寿司を食べにいく強者の話も聞きました。

原発作業員の方々の中には(報道されないけれど)明らかに被曝起因の死者が既に出ているようです。しかし低線量被曝の実感というのは、からだに何らかの症状が現れてこない限り、真剣に考えないのだと思います。長期間の低線量被曝はじわじわと蝕まれるものであり、数年後に、ガンなど症状はひとつではなく、様々な症状として現れてきます。その症状も度合いも個人差があるため、被曝との因果関係が証明しにくく、それをいいことをいいことに、政府の被曝の健康被害の補償はうやむやです。補償をもらったとしても子どもの健康が取り戻せるわけではないでしょう。数年後に「あのとき、ああしておけば・・・」と思わないように、今、親がリスクを避けられるだけ避けさせるしかありません。そのリスクについての情報を単に知らないのか、知っていても認めたくないのか、状況を楽観視しているのか・・・わたしには、たとえ友人であっても、放射能汚染に関心を払わないひととの乖離を埋める時間と余裕はもうありません。ごめん。他人に忠告をしても、アクションを起こすまで付き添うことはできません。わたしがおかしくなって(入信?)離れていったと言う友人もいるかもしれないけれど。

先週、遅ればせながら鎌仲ひとみ監督の、上関原発に反対する祝島の住民とスウェーデンの自然エネルギー事情を映したドキュメンタリー「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会を見に行きました。子持ちの幼なじみの友人に声をかけたところ、平日にパパさんに休みを取ってもらって子守りをお願いしてまで見に来てくれました。原発事故以降、その友人は原発問題をはじめ放射能汚染の警告にも耳を傾けてくれて、幼い息子くんのために食材に気をつけています。わたしの助言だけによる行動ではないし、彼女との価値観が合ったのだと思うのだけど、大切な友人のひとりとその家族がわたしと同じ方向を向いてくれているということは嬉しい。友人たちの身を案じて言葉をかけても、どれだけ響くかはわかりません。提供した情報をどう処理してどう動くかはそのひと次第でコントロールはできないし、度が過ぎれば自分の考え方の押しつけと言われてしまうでしょう。それぞれの人生だ、それぞれの選択だ、と言われたらそれまでです。他人をまもることは、難しい。自分の言葉の非力なことよ。だれかを救えるなんてことは思い上がりにすぎない。だからこそ、その友人のアクションは本当に、本当に嬉しかったのです。ありがとう。

地震も北関東のみならず、中国地方で、日本全国で明らかに活発になってきています。地震自体よりもそれに伴って起こりうることの方が怖い。地震で、いまだに危うい(年内に冷温停止なんて到底ムリ!)福島第一になにかあったら or もうひとつふたつ新たに原発事故が起こったら、日本には食べるものも住むところもなくなってしまう。どこで地震が起こっても、日本全国にくまなく原発や核関連施設があります。年始までに首都圏の地震が起きる可能性もあるというし(予知はあくまで予知だけれど)・・・落ち着きません。とりあえず被曝回避+原発をとめるべし!は変わらずに。

内部被曝についてのおさらいをしようと思ったのに、少し違う話しになってしまいました。それは次回とします。

【 追記 11/27 】
言ってしまえば、子どもも他人です。うちの子は小さいけれど、もし10代くらいだったら、親の「あなたをまもるため」の様々な抑制や行動の指示を聞いてくれているだろうか。子どもも手を離れて一緒にいない時間が多くなれば、食生活や行動をコントロールできないし、厳しく管理したいと考えるべきではないでしょう。でも今、側にいる限りは、わたしの知る限りの知識で、まもろうと思っているからね。

2011/11/07

集うこと

先週末にふたつのイベントに行きました。ひとつは前にもここで紹介した経産省前「女たちの座り込み」。ひとつはうちの住いに近いエリアで行われた「パパママぼくの脱原発ウォーク」

座り込みは、10月の末までの数日、最初に「福島の女たち」があり、「全国の女たち」へバトンを渡し、11/5が最終日でした。「全国〜」の方は毎日 200人近くの来訪者があり(福島の女たちの時はさらなる盛り上がりだったようです)、ほんの少しだけ運営サイドのテントでお手伝いさせてもらったのですが、運営されている方々のエネルギーが力強いだけでなく、来られる方々のサポートも暖かくて、よい雰囲気でした。差し入れの食べ物が溢れていて、子どもと2人ですっかりまかなってもらっちゃいました・・・ごっそうさんでした。
(【写真上】本部テント前。この角から左右に広がる道の、経産省の門への道ばたに参加者さんが続いて座っている。向かって右のテントは今回の座り込み拠点とは別で、「経産省前テントひろば」として9月から(なんと)原発をとめるまで、24時間体制で張っているそうです。【写真中】道ゆく車にゆらゆらとメッセージボード「安全大ウソ・原発を全部止めろ」を掲げて踊るおばぁ(古参アクティビストとお見受けしました)。【写真下】うちのチビ・アーティストが現場で作成した応援旗。)

実はこの全国の女たちの座り込みの呼びかけ人の友人から、チラシが味気ないのでイラストを提供してくれと言われ、適当に描きなぐって(すんません)出した絵が、カンパをいただいた方へ差し上げる布バックになったと聞いて、それも楽しみに伺ったのでした。ステッカーもつくられていて、いつの間にやらグッズ化が進行!(・・・もうちょっとちゃんと描けばよかった)。そんな絵ですが「女たちの意気込みが伝わってくると好評です!」とお礼をいただいてしまい。あんなに大活用していただいて、こちらこそありがとうございました。バッグは紺とオレンジの2色!

やはり女性主導の抗議スタイルが、現場の強くも暖かい雰囲気を生んでいるんだなとつくづく思いました。座り込み中編み物を編んだり縫い物をしたり(それをプロテストに使ったり)甘いものをつまんだり、歌ったり踊ったり・・・とてもピースフルに、断続的につむがれる抗議。その声を横に、経産省の役人は無視を決め込んでタバコをふかしたり、右翼の街宣車は煽りに来たり。男たちは何をやっているんでしょうか・・・対話すらできないことが空しすぎます。あるブログでは、女たちのプロテストについて「参加者たちは、100人いればそれこそ100通りの方法で様々に反原発をアピールした。すべてを自分たちで話し合いながら一から手作りで築き上げ、何ものをも恐れず、言ったことは必ず最後までやり通すという有言実行で信頼と共感と前進を勝ち取った。男性主導の運動にありがちな日和見主義や、やるといっておいてやらない「有言不実行のマニフェスト詐欺」や「お前は○○派だろう、あっちに行け」などという見苦しい足の引っ張り合いなどみじんもなかった」と評価しています。

デモのような一過性のものもいいけれど、好きなときにビジターの都合で訪れて集えるホームベースを皆求めてたのかな、と思いました。女たちのテントは話を聞いてくれるお母さんのいる場所のようでもありました。同じ志を持つ人たちが語り、下がり気味の士気のレベルを少しあげてくれる場所でもありました。この場所が新宿だかそこらのビルの一角の部屋にあってもこうはなりません。まさに敵陣の目の前に対峙する場所であるからこそ、人々が全国から足を運び続けた(る)のだと思います。先月6日、小さな共和国のようになった NY のウォール街の占拠 Occupy Wall Street で、ナオミ・クライン(半グローバリズムの代表的論客)は、ひとつの場所に腰を下ろした運動の本質をこう定義したそうです《 あなたたちが居続けるその間だけ、あなたたちは根をのばすことができるのです ... あまりに多くの運動が美しい花々のように咲き、すぐに絶えていくのが情報化時代の現実です。なぜならそれらは土地に根をはっていないからです 》。

外に出ること。実際に動くこと。話して繋がること。

一方、デモでも座り込みでも講演会でも、どこかに集うことは、集った結果の人数や盛り上がりよりも、それぞれが、いろいろと思いながら、各自の家から集う現場へ向かう行程に意味があるようにも思います。バスの中で、銀座線の中で、東横線の中で、それぞれの胸の内ある気持ち。行こうと思っていて行けなかった人々も含めて、その集いに向けて1日の中で思う数分。

集って歩くことも、集って座り込み話すことも、意味のないただのお祭り騒ぎと思いますか?霞が関に行ったことがない方、一度テントひろばを見ておいてもいいかもしれません。そこに迫害されてもテントがずっとあり続けることを知るだけでもいい。デモを沿道から見る専門だった方、一度勇気を持って中に入ってみるといいかもしれません。どんな方たちが参加しているのか、少し知るだけでもいい。きっとあなたの友だちのような普通の人間です。傍観者だったとしても、とりあえず声をあげる場へ足を運ぼうかなと少しでも思いを馳せた時点で、そのイベントに特別な意味が加わります。それぞれの中でも新しい何かが生まれる。経産省勤務の方がひとりそっと脱原発テントにカンパしたというような逸話は(そのようなことがあったようです)本当に大事で、そういう個人の小さな革命の「点」を繋いで線にして、そして面にして広げていかないといけないのだと思います。

(写真:おまけ・・・井の頭公園から出発した、日曜日の脱原発ウォーク。)
雨にもマケズ、700-800人の参加があったそうです。ファミリーがいっぱいのソフトなデモでした。子どもにも配慮して短めのコース。よく知る街を歩くのは、なんだかおかしな気分でした。

2011/10/21

食べ物ノート・なう

だれが読むでもない、低線量内部被曝から身をまもるための「食べ物ノート」シリーズ。続きです(過去の投稿は FOOD のカテゴリキーワードで一覧できます)。

以前にも食べ物における放射能除去の方法などのサイトをリンクしていますが、アップデイト&放射能に負けない体をつくる集約版を見つけました。また、以前の資料に比べたら簡易なダイジェスト版にはなるのだけれど、その放射能除去の復習になるようなブログポストを見つけて読んでいたところ、「食品の暫定規制値はどう決められているか」というところでつい止まってしまいました。分かっていたつもりだったけれど、食品安全委員会が「一年間に被曝しても問題ない」とした値から年間の上限を決めて、品目ごとに割り当てられたものだったんですよね。大人と子どもの許容値が別に設定されているものもあるけれど、そんなの大人の(高い数値)の方でくぐり抜けて流通しているわけだから、子どもの口に入る食卓の間際で測定する術を持たない個々の家庭で、どうしろというのでしょうか。流通している食品は食べ続けても絶対に安全と信じろと?先ほど、グリーンピースがスーパーマーケットの店頭に売られていた魚 60サンプルを検査したところ、基準越えはなかったものの半数以上からセシウムが検出されました。日本に暮らして幅広く食べ物を食べたいのであれば、ベストは尽くして避けるけれども、ゼロリスク(0ベクレルを望む)の理想は捨てないといけないと思います。検査機の検出限界値もあるわけだし。

このゆるゆるの「暫定我慢値」について、しばらく前から「いつまで "暫定" なんだ?」という疑問がいつもひっかかっていたため、厚労省の基準審査課というところに昨日電話して聞いてみました。結果、現在見直しのプロセスの最中で、8月に集めたパブリックコメントを受けて、食品安全委員会が国内の新規制値をつくっているところだと。それが出てき次第、厚労省でとりまとめてできるだけ早く平常時(ん?平常時?)の規制値に戻したいとのこと。目下、経済活動が滞ることを何よりも恐れて、安全より流通を優先させながら街は動いています。そのように平常時を一番装いたいのは国。でもよく考えれば「平常」なわりにはこの食品規制値だけが緊急時のままってのは不都合なはず。はよせんかい!という感じですが、3000件のパブコメの整理に時間がかかっていて、食品安全委員会からなかなか返事が出てこないんだと。パブコメをそんなによーく2ヶ月も読み込んでいただいて結構なんですが、随分悠長ですこと。見直し中であるのに時期的な見通しは分からない(年内か、半年後かも)そうです。核種についても、現在ヨウ素、セシウム、プルトニウム、ウランだけだけど、新基準では他の核種に対しても規制値が設けられるのか?の問いには「検討中」と。結局クリアな返答は何も貰えなかったわけですが。(関連:食品の基準は厳しく見直すと厚労省 / 現在の国の暫定基準値 500Bq/kg は全面核戦争時に餓死を避けるためにやむをえず口にする食物の汚染上限

先日、横浜で高い値のストロンチウムが発見されて話題になっていましたが、散乱している核種がヨウ素とセシウムだけでないのはもう随分前から周知のこと。今回放出された放射性物質は全部で 31種類だそうで(MOX 燃料入りということがチェルノブイリとの差異でもあり、一番怖いところです・・・)。あとは程度の問題。セシウムが結構な値であればストロンチウムもそれなりに含まれていると考えていいようです(ちなみにチェルノブイリときに放出されたストロンチウムの割合はセシウムの1割程度)。一般に普及しているガイガーカウンターではガンマ線核種のみ(セシウム)を拾うものがメジャーですが、ベータ線(ストロンチウム)やアルファ線(プルトニウム)を出す他核種を拾わなくても、セシウムである程度は足跡がたどれると考えていいのだと思います。半減期の長い強い核種は、地面に吹きだまったものが舞い上がって、吸い込んでしまう被ばくも怖いですが(一度地面に降下し、風で舞い上がった放射性物質を取り込んだ場合の内部被曝量は、大気から直接吸入するのに比べて約10倍:時事通信)空間線量が高い場所というのは、市民測定のおかげである程度は目星がつくので、近づかないという対策がとれます。なので、やはり毎日の食べ物経由の内部被曝が一番怖いし、流通させてしまっているから東日本に限った問題ではなく、被曝の危険性は全国に潜んでいます。基準値もその高い設定が問題ではあるのですが、それ以下は市場に出さないようにとわざわざ決めてんだから、まずはそのルールを守ってくれよ、と言いたい。

きのこなんかクレイジーなことになってますが・・・たまに半端なく高い値が出てまさに毒きのこ(マリオが 1機死にます)。食べ物で何に気をつけたらいいか、10秒で友人に伝えないといけない場合、最初にあげるのがおそらくきのこでしょう(続いてたけのこ、ベリー類と補食魚、摂取量の多い米かな・・・)。きのこは東北の露地栽培のものだけでなく、東北産の菌床(おがくず)を使って育てた徳島県のきのこから高い放射性物質が検出されたケースが最近あったし、関東各地でもこの収穫期になって続々と検出されています。腐葉土や瓦礫もそうですが、とにかく放射性物質を人の手で遠くまで移動させんのやめてもらいたい(怒)。

少し戻って、ストロンチウムの内部被曝対策について。アルギン酸を摂るとその体内残留量は 1/8 程度になるそうです。アルギン酸を摂取するベストな方法はもずく(うちの子の大好物ですが)と、知人情報。汚染されていない地域でもずくの名産地といえば沖縄。沖縄産もずくにはアルギン酸がたっぷりだとか。玄米のフィチン酸の成分もストロンチウムと結合して体内に吸収されることなく外に出してしまうとも聞きました(しかしフィチン酸の摂り過ぎによるミネラル欠乏症には要注意)。梅干しとともに食べると、そのクエン酸やアミグダリンという成分の働きも加わり、排泄を促してくれると(フィチン酸以降のくだり by「家庭でできる自然療法」東条百合子著)。体内の酸化ダメージを減らすという、"放射能につよい体をつくる" のに定番の効能があるようです。

最近食べ物の話題を何気なく知り合いと話す中で、気をつけていない人の多さに改めて驚きました。「内部被曝」ももう定着した言葉になってきたけれど、わたしはこれから「低線量内部被曝」と意識して呼ぼうかと。今一番気をつけねばならないこと・・・それはメディアが飛びつく局地的マイクロホットスポットの空間線量ではなく、毎日の食事に潜む「少しずつ」のリスクです(改めて)。

関連・参考リンク:
・【おすすめ】低線量内部被ばくから子どもを守るために PDF(Say Peace Project 発行、崎山比早子氏 監修のブックレット)
・【おすすめ】在日フランス人向け公報 IRSN「食品の汚染に注意」(フランス放射線防護原子力安全研究が発表した、東日本の食品汚染の状況や勧告)

ちなみに「なう」はもう古いんだってさ(と、20代の男子に指摘された)。

2011/10/12

女たちよ!

女たちよ!(って伊丹十三の本がありましたね)伊丹さんは残念ながら関係ないんですけど、女性のパワーについてのおはなしです。


この『3000万の署名、大国を揺るがす 〜第五福竜丸が伝えた核の恐怖』(数年前に放映されたもの)は、昭和29年に起きた第五福竜丸の被ばくをきっかけに、食材や子育てに不安を感じた日本の女性たちが立ち上がり、翌年(昭和30年)の第一回原水爆禁止世界大会での成果へという反核運動の軌跡についてのドキュメンタリーです。「原爆マグロ」という言葉が広がり、魚が売れなくなり、食卓の危機が・・・ 食の汚染に直面している現在と同じ状況です。

今でこそウェブを介して同じ意見を持つ人々の繋がりは広がっていますが、当時はある女性の新聞の投書からネットワークが始まったといいます。
《「原爆の灰がいつ降ってくるかわからない世の中だもの。何が起きたって仕方がないよ」夫は新聞を読みながらそう言う。「原爆をつくることをやめれば」私がそう言うと、夫はあきれかえったように私を眺めていた。仕方がないといいながら何もしない夫の無力な諦めを、私は軽蔑した 》
《 私たちは貧しいなりに安心がほしい / お魚も食べられない、野菜も危険だ、うっかり水も飲めないというのでは、敗戦国とはいいながら、かわいそうすぎる / 雨が降っても魚を食べるのにもビクビクし、深呼吸さえ安心してできないのです / こんなことが度々繰り返されたのでは、私たち日本人は自然滅亡という道をたどるより仕方ないのではないか・・・》

立ち上がったごく普通の女性たちにより、原水爆禁止を求める署名運動が始まります。
「戦争が終わったとき、女に力がないことを後悔したが、今ならはっきりと声が出せる。再び後悔しないよう、正しい態度を取りたい」
・・・女性が参政権を得てから10年たらず、政治活動を行うことが初めての女性ばかりで始まった署名。「名前を書くのに何の意味があるのだ」と言われ、ある女性はこう答えました「黙っているよりははるかに効果があります。沈黙は賛成を意味するからです。」

特定の団体やリーダーが呼びかけたわけでなく、自然発生的に各地で広まっていった署名は、全国に繋がり、世界に広がっていきます。そして、1年後の原水爆禁止世界大会では、当時の日本人の成人人口の半数以上が署名したことになる 3150万筆(全世界では 6億筆)が集まり、核兵器開発競争に一定の制約がかけられることとなりました。(せっかちなアナタは 18:50 - 25:05(動画のタイムライン)の 6分だけでもいいから見てっ!)

ジェンダーを特定すると、一方が(この場合は男性が)排除されたように思うかもしれません。すねちゃったらごめん、男子。核問題を憂いている男性ももちろん多くおられると思います。しかし、このいまの問題に限って言えば、やはりこれまでの原発を推し進める中で男性より女性の不安の声が抑制されていたことや(だから電力会社の PR館は主に母子がターゲット)、原発国策が男性の舵取りだったことなどを思うと、人間として怒りを覚えると同時に女性としてもなにか矛盾を感じませんか。保安院や電力会社幹部に女の人いるんかなー とかね。 311 以前にそういった立場に置かれながらも、ポスト 311 で真っ先に各地で動き出したのが母親たちだったように思います。水爆実験のときのように、誰かが統率するでもなく全国各地で起こった、数多くの「こどもたちを放射能からまもる」目的の母親たちのグループ。振り回されながらも、このままおっさん主導ではいのちをまもれない!と声をあげる決断をした女性たち。この女性たちの動きが勢いづくか衰退していくかに脱原発のすべてがかかってきているような気すらします。男性はいつの間にやら長いものに巻かれてしまいがち。女性は男性よりも「根に持つ」傾向が強い(脳のつくりにそのような違いがあるとか)。こわいですよー。

「女性のあなた、女性の力を」と言われたとき、男性のそれとは異なる響きがします。現代でも社会の中で自らを過小評価しがちな女性たちに「あなたにもできる、あなたじゃないとできない」と奥底のパワーを引き出し、喚起して、それらを集結させる。それは現在の暗闇の中で見ることのできる、数少ない明るい希望のひかりのひとつだと、わたしは思います。

偶然にも、ここ一週間くらいで「女たち」のアクションが立て続けにラウンチされたので、最後にそのお知らせをさせてください。
 (キックオフ集会が 11/23 にあるようです。呼びかけ人が豪華!)
 (経産省前・座り込み決行!10/27 〜 29)
 (福島の女たちに連動して座り込み 10/30 〜 11/5 ...
  "経産省前女子会" はぶっ通し 10日間だそうです。行くかな。)
関西でも、おかんとおとんの座り込みがある模様。おか〜ん。
この秋、女たちの sit-in がアツイ!

関連リンク:
「制御されている私たち 原発推進の内なる空気」(作家 金原ひとみさん) "・・・多くの人が癌で死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。"

(おまけ写真:古文書。おそらく 70s のブックレット。念の込められたタイポグラフィーとキュビズム、誰もまねできないデザインに脱帽。)

2011/10/10

ニュークリア・レイシズム

自分自身への戒めも含めて言っていますが、人の無関心や沈黙が人を殺しているということについて(主に自分への備忘録です)。


今日「ニュークリア・レイシズム」(直訳:原子力によって生まれる差別)という言葉を初めて見ました。上記の記事にも書かれているように、ウランの採掘、核実験、さらに核廃棄物を捨てるところにも先住民の土地が選ばれ、世界各地で先住民族が差別的に被害を与えられているという話です。ウラン採掘による労働者の被ばくはよく知られたところですが、もしご存知のない方がおられたら、是非知ってほしいと思います。原発の燃料であるウランは、主にオーストラリアやカナダなどからの輸入で、遠く離れた外国で、わたしたちの使う電気のために採掘の段階で被ばくしている人々がいます。今回の事故で原発で働く作業員の方々の被ばくがやっと知られるようになりましたが、原発を動かすために、様々な場所で、様々な工程で、ヒバクシャが生まれています。事故が起きて、わたしたちも今被ばくしてしまっているけれど、事故が起きなくてもヒバクシャは生まれていた。この今でも生まれているし、わたしたちが原発を使う限り、ずっと増え続ける。ヒバクシャをつくりだしてきたユーザー(わたしたち)がヒバクシャになってしまったことは、因果応報なのかもしれません。

あまり知られていない繋がりでは、先のイラク戦争で大量に使われた劣化ウラン弾。原発の核燃料を生産する過程で多く劣化ウランが出て、それを用いてつくられます。そのウラン弾でイラクでは本当に凄惨な子どもや赤ちゃんの被害が出ました(本当は写真をリンクすべきなのだけど、自分が悲惨すぎて目を当てられない)。この事実は、わたしも恥ずかしながら最近になってドキュメンタリー映画監督の鎌仲ひとみさんが仰っていて知りました(参考:「ヒバクシャ - 世界の終わりに」)。これも日本の、わたしたちが電気を享受してきた原発の副産物です。

危険な原発を地方に押しつけ、都心が電力を消費する・・・これもニュークリア・レイシズムのひとつだと思います。誰かも言っていたけれど、たかが電気にこんな理不尽で悲惨な背景があって、いいわけないでしょうが!たかが電気。たかが水蒸気でタービン回すだけ。しかも効率悪い発電方法(発電効率 30%)。もういや。

2011/10/04

木を見て森を見ず・その2

前回書いた「ひとつのリスク回避が導いてしまう他のリスク」の続き。

放射能対策に有効だというふれこみで様々な情報があります。その数はどんどん増え(最近は下火になってきた感もありますが)あきらかに疑わしいものや詐欺まがいのものも含まれていることから、少し前に注意を喚起するサイトやツィートも頻繁に見かけました。ウェブ上だけでなく、雑誌や本などでも、今や「放射能対策」はよく見かけるキーワードです。両派(●●は効く、効かない)が対立して小競り合いが始まったりしていて、なんだかなぁという感じでイヤな気分になるのですが、情報リテラシーの問題でもあり、重要なので、記しておくことにします。

まず「●●は効く、効かない」ということが話されるとき、どちらの側にせよ断定的な物言いを見ると気になってしまいます(「放射能汚染は危険なレベルだ or それほどではない」の議論にも通じます)。これだけ複雑であらゆる可能性が明確でない問題の答えを、とくに学者が、断定して特定の方向へ誘導するような発言をされていると、どうなのだろうと。あまりに固執して柔軟でない場合、バックに誰かいんの?と勘ぐってしまいます。学者なら小難しいデータなりを知識のないひとにも読めるように噛み砕いて提示して、可能性の検証なりを教えてくれると嬉しいのですが、あまりに肯定・否定の決めつけ度がすぎると、それは学者の範疇ではないのではと思います。これでは「パニックになるから」と市民の判断能力を見下して、提供する情報を操作した政府と同じ。一般市民は間違った判断をしちゃうから、代わりに判断してやるという感じなのでしょうか。特定の学者の発言や説を妄信する人々も然りで「あなたは本当のことをわかっていない」的な態度になる人もいます。

「放射能に効く"エセ科学"(あるいは "トンデモ科学" や "ニセ科学")」と物議をかもしているものには、米のとぎ汁乳酸菌、EM菌、マクロビ、スピルリナ、ホメオパシー、特定の音楽の周波数(?)などなど。もっと他にもあるんだろうけど。とある生物学に詳しい方による「これらは非常にあやしい」との反論を以前にもリンクしました(参考:同筆者による「デマのできかたと不安につけ込む業者たち」)。それを読んだとき、情報をきちんと見極めるために様々な意見をきちんと見て精査していかないとなーと思ったわけですが、同時に、科学的論拠どうこうというのとは別のところで、なんとなく「決めつけられている感じ」が腑に落ちませんでした。試してみないとわからないよな(藁をもすがる気持ち?)という気持ちも。放射能防護に関しては、放射能のからだへの悪影響が時間が経たないとわからないのと同様に、防護の効果もすぐにはわからないと思うのです。自分のような科学のバックグラウンドまったくなしの人間がのたまうのもなんですが、いずれにせよこういった効く・効かない問題はみんな違う体質なんだから個人差もあるだろうなと。なので、モノにもよるけれど、わたしならエセと決めつける前に自分の体には効きにくかった or やり方が悪かったのかな、といつも思います。こう書くとやっぱりスピリチュアル系と思われるかもしれないけど、わたしはどうも物事すべてが科学で解析できるというのは人間のおごりのような気がするし、個々の人間の差というのを軽視しているように思えるんですよね。いつも効能のある何かを他人に勧めるときは「わたしには効いたけど」という言い方をすることにしています。

新しく出てきた民間療法的な放射能への対策法を「あやしい!無意味!」と激しく反対する方は、自分や家族がその代替医療のようなもので痛い目にあったのでしょうか。確かに極端に信仰してしまった場合、健康に悪影響が生じるケースもあるようです。そうなればまさに木を見て森を見ず・・・放射能に気をつけてたら別の害が生じちまったということに。しかし、被害を被った立場でもなく、実際試したこともない
(直接尋ねてはいませんが)ご様子の科学者さんだったり、一般の方たちだったりの声により、膨らみすぎている感のあるこの議論。この方たちは「この不安に乗じて人を騙す奴らが許せない!」というシンプルな正義感から反対意見をぶつけているのでしょうか。なぜだか素直にそうも思えないのです。 少し前に『エセ科学批判が、ネット上でのいじめにつながっていないかの検証が必要だ。なぜエセ科学の唱道者でなく「変わった」一般市民へのバッシングにつながりやすいのかの検証。ニセ科学サイドは、科学リテラシーの衣を着た警察気取りなのではないか?』というツィートを見かけて、ふむふむ、と思いました。人を騙す行為はわたしも怒りを覚えるし、パトロールする気概も賛同しますが、単にこのカルト的動きが鼻につくという方々のご意見もあるのかもしれません。

そう、この一連の動き(●●が効く/効かない問題 and 放射能は危険/そうでもない問題)の両極の一部がカルト化していることが確かに問題でもあります。「あっちの世界に行ってしまったから連れ戻せない」とか「こっちの世界に戻ってきてよかったね」とかいうコメントもどこかで見たな・・・。効く/効かない問題にいたっては、特定の食べ物の薬効が自分の体にぴったりきて効いている例も存在するわけで(たとえプラセボであったとしても)・・・その人たちには効いていんだからいいんじゃないかと思うのですが、本当にそのあたり宗教を取り巻くものに似ていて、宗教にアレルギーを持ちがちな日本人の間ではイシューの扱いが微妙です。


前出のホメオパシー(レメディ)は放射能云々の前からよく非難の的になっていて、賛否両論ある代替医療です。わたしも常用者ではありませんが、以前に少し使ったことがあります。感想としては「よくわからない」。確かにおまじない的なところはあるのだろうなと思うけれど、否定はしません。問題視するほどでもないと思うのだけど、問題があるとすれば医療忌避に結びつく(一般の近代的治療や薬の代わりとしたがる)場合があるということ。新薬と併用しても問題なく、やはり極端に走るとよくないということです。今回も放射能に効くレメディとやらが出てきたので非難が再燃したようです(わたしもこれはちょっとどうなの、と思うけど)
スピルリナも何かと思ったけれど、藻類からできた健康食品/サプリメントのようで(あやしいわけではない)普通に販売されています。イギリスのオーガニックショップでも Defence Boost として朝鮮人参+スピルリナ入りナッツバーが売られていたので食べてみたことがあります(別に腹も痛くならなかったけど、即元気100倍!にもならなかった)。免疫力アップにいいようなので、それで今回も放射能対策に駆り出されてきたものと思われます。
米のとぎ汁、これもうちでつくってみたけれど、これは「どの状態で成功とするのか」が判別しにくく、きちんとしたプロセスや環境で正確な知識のある人によってつくられれば効果的に利用できるものなのかもしれないけれど、臭覚と味覚を伴わないレクチャー(ウェブの文面のみ)からの見よう見まねだと、反対派の方が指摘されているような衛生問題からマイナスな結果が生まれてしまう可能性はあると感じました(ので、うちでは難しいな、と判断したのでやめました)(参考:「米のとぎ汁発酵物が放射能を除去するという説について」ウィキペディア)。関連して、ある種の微生物を用いることで土壌の放射能汚染の低減が期待されるとして、実用に向けて研究されているようなことも耳にしました。
マクロビだってただの玄米菜食なんだから、体に悪いことはないだろうし、免疫向上という意味では有効なのだと思います。ちょっとそんなに叩かんでも、という感じ(参考:「"玄米と味噌で放射性物質除去が可能"説とその反応」)。

「デマ」「エセ科学」と言っても、科学的に研究が進められている途上のものもあれば、だれかが金儲けのために適当にこねくり混ぜた薬もある、単に体にいいと昔から伝承されている食べ物もある。様々なレベルや効能の幅があるだろうに、可能性を潰して一束に否定するのはどうかと思うのです。で、その可能性を潰してしまうかどうかというのは、それらをバッシングしている人たちの声によるのではなく、庶民の科学リテラシーの高低でもなく、わたしたちの情報を判断するバランス感覚にすべてはかかっているのだと思います。

もちろん効能を発信する側の説明の仕方にも非はあると感じています。個人的な理解ですが、「放射能を無害化する」なんてのはすでに「無害化」てのがあやしいけれど、「放射能に負けない体づくり(免疫の強化)」というのは必要で、有効だと思うのです。今回放射能対策で話題にされたもの(特に食べ物)の中で、発酵食品類は腸内の環境を整えて免疫力をあげるのに効くということは確かだと思うし、傷つけられたDNA 修復のために大量のビタミンや抗酸性物質が消費されるので、抗酸化物質を取り入れよ、というのは、わたしは頷いているんだけどなぁ・・・ここまでだったらアリだけど、これ以上進んで「これが効く」はデモ吹聴?難しとこですな。発信する側も、受信する側もバランス バランスと言うことで・・・今日はこんなところです ©筑紫哲也。

関連リンク:
 (放射能対策にいそしんでいる人たちは「放射能に克つ近道」
 を探しているわけではないし、少しでも子どもの被曝量を減ら
 そうと必死な親だったりするのだけど、その反対派の意見の一
 部には「こういうのに騙されているのは無知な主婦」的な失礼
 なステレオタイプも見え隠れすることがあるようです)
 (が、おかしいぞ、というご意見)

【 追記 10/10 】
参考記事:「SNS」でお宝情報を手に入れる人、デマに踊らされる人(プレジデント・オンライン)

2011/09/29

木を見て森を見ず・その1

疎開の意味もあって国外にいた先月に、放射能フリーの食材(ヨーロッパではまだチェルノブイリの影響を受けている食材も存在するので、そうとも言い切れないのだけど)に囲まれ、いくらか食材選び格闘の日々から解放されたこともあり and 和食が少なくなってバランスのいい食事をきちんとつくる努力を怠っていたため、子どもが喉の感染症にかかってしばらく高熱が続くということがありました。気候の違いなど、もちろん他の要因もあったのだと思うのだけど、すぐに思ったのは「ろくなもん食わしてなかったな」と。めったに具合が悪くならない子なので(ますます)なんとなく自分のせいだと反省していたのですが、このことでつくづく実感したのが「1つのリスク回避に集中しすぎると、他のリスクを見落としてしまって総合的にリスクを高めてしまう」ということです。こういうと自分や子育てに厳しい人のようだけど(まったく逆の性格のくせによく言いきれるなぁ、自分)いやはや、ベクレルからの開放感でスナック菓子食べさせ放題でなかったかと。

西日本の食材はまだ汚染されていないからとにかく西のものを!という自分を含む放射能コンシャスの母親たちの動きがある中で「九州は黄砂(放射性物質を含んでいる)の影響が強いの知ってる?」と水を差してくれたお母さんがいて「んじゃ、どこのものを食やーいいんだ」という話になりました。ナイス水差しです。そう、ゼロリスクは幻想なり。チェルノブイリ以後設定された輸入食品向けの基準値 370Bq をすり抜けている海外食材も然り(しかも今、国内の暫定基準値と輸入食品の基準値が違ってしまっているから、というおかしな理由で都が輸入食品の放射能検査を中断中!)、輸入食品でも安全とは言い切れず・・・ こういった情報を与して、とにかく「安全圏と思われる産地内でローテーションして、特定の地域(及びメーカー)のものを食べ続けない」ことがリスク回避だというシャッフル論が確立されたのでした(わたしの中で)。イヤな言い方だけれど完璧に安全なものを探求するのではなく、どれだけ毒を分散させるか、ということです。

国内の放射能汚染に関しては汚染瓦礫の焼却を日本全国各都道府県で受け入れる動きがあるため、今後遠く離れた西日本でも放射性物質が各地域に散らばる可能性もあります。もちろん被災地のために瓦礫処理に協力すべきだとは思うけれど、東北には汚染されていない瓦礫もあれば汚染されている瓦礫もある。汚染状況はきちんと事前に正確に検証され、判断されるべきです。瓦礫のみならず、汚染されたものすべては一定のエリア内から外に出さない、汚染地域を広げないということが鉄則中の鉄則であるはずなのに、現状は真逆です。

ちょっと脱線しましたが、食べ物のリスクといえば、わたしが実感した栄養の偏りによって免疫が落ちてしまうことだけでなく、遺伝子組み換え食品、添加物、農薬、食中毒、アレルゲン・・・と気にしだせばキリがないし、今この状況の中では多少農薬にまみれていても放射能汚染がわずかであろう九州産を取る!とリスクの選択をしなければならないこともあると思います。汚染食品から身を守るときの線引きは、それぞれの価値観が関わるリスク管理なので、何が正解というのはありません。その中で、他のリスクも世の中には存在するということを忘れず大局的に見ることは大事ですよね。「小さな木」と言うには、放射能の影響はやや巨木な気もしますが・・・。

2011/09/23

コンセントの向こう側

9月19日、東京でふたつのデモが行われました。明治公園の集会から出発した「さよなら原発5万人集会」は、結果的に 6万人を越える(主催者発表)最大規模のデモとなり、警察により隊列が分断されたので 2時に始まったデモは夜まで連なっていたようです。子連れなこともあって、ルートの途中からこのデモに参加しました。久々の古典デモ(のぼり旗シュプレヒコール系)は、なんだか航海しなれた大型船に乗っているような安定感(?)がありました。6万の動員は、さようなら原発1000万人アクションが母体となり古参グループたちが全国を繋いでまとめあげたイベントに、新しい世代のネットワーキングがいっしょに働いて生まれた結果だと思います。大江健三郎さんなどが参加されたことのバリューもありました。福島からたくさんの方々が団体で来られていて、登壇された方々の中では、福島のハイロアクションの武藤類子さんのスピーチが響くものだったので一部を抜粋します。


「(前略)原発事故を境に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被ばく者となりました。大混乱の中で、私たちには様ざまなことが起こりました。すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。
 毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。様ざまな苦渋の選択がありました。
 そしていま、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、事故は未だに終わらないのだ、福島県民は核の実験材料にされるのだ、莫大な放射能のゴミは残るのだ、大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ、私たちは捨てられたのだ・・・ 私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
 でも口をついてくる言葉は、私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな・・・です。福島県民はいま、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親が、父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが。自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。大量の被爆に晒されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者たちが。土地を汚された絶望の中から、農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が。一人一人の市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと、声を上げています。
 私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地に留まり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに、注目してください。政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、原発と放射能についての学び。そしてどこにでも出かけて、福島を語ります。きょうは、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りの、あらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
 もう一つ、お話したいことがあります。それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。私たちは何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いをはせなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。
(中略)
 できうることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
 私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
 私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。」

福島の生の声。どれだけわたしたちは福島の声をリアルに知っているでしょうか。聞いたことがあるでしょうか。先日、わたしが今住んでいる東京西部の市へ福島から避難されてきた方がいると人づてに聞いたとき、ここが「避難先」であることを初めて意識して、考えさせられました。ここも安全圏ではないと、わたしや一部のお母さんたちは日々悩んでいるというのに・・・。都内は福島よりも比べ物にならないほどマシであることは理屈ではわかっていましたが、福島の苦悩は想像を絶する - わたしたちがわかろうと思ってわかるスケールではないのだと思います。きれいごとですが、しかしながら、わからないからといって寄り添おうという気持ちは放棄してはいけない。コンセントの向こう側を、わたしたちはもう知ってしまったのだから。

【 余談 】
代々木公園から出発したもうひとつのデモも、かなりの盛り上がりを見せた様子。頼もしいパワーです。継続あるのみ。明治公園が埋め尽くされた俯瞰写真を見たときには「レボリューションの兆しや・・・やっと海外のデモみたいになってきた」と涙目になった反面、これは始まりにすぎないぞ、気を引き締めていかなあかん!と。とりあえず「ヘリ飛ばしてくれてサンクス!」と毎日新聞にお礼ツイート。マスコミのねじ曲がった姿勢も、わたしらで褒めて叱って正していくしかないのですぞ。

2011/09/17

ふたたび・食べ物ノート

食べ物の放射能汚染の影響を気にしているかどうか?というと、気にしているという層の方が多いようなことをどこかで聞いたけれど、いまだ放射能の話はタブーなところがある気がします。まったくおかしな話だけれど。気にしていない人が必ずしも原発推進派というようなことはないし、様々な理由があるのだろうけど、ここで原発反対/推進の二極の構図のように、「気にしている人/いない人」で相容れないままパラレルで進むのも不毛なことだと思います。これには「科学的/非科学的」な対立も関わってくるのですが(これに関しては多く書くことがあるので)近いうち投稿するとして、ここでは、最近の食べ物と汚染の情報についてまとめます。

海外では日本からの輸入品は厳しい放射線量の規制値が設けられ、国内に入らないようにはじかれているそうです。半年経ったいまも、呆れるほど高い暫定基準値はまだあのまま。いつまで「暫定」なんでしょうか(参考:「まったく安全ではない食品の暫定基準値と内部被曝」)。未検出が多いのはいいことだけれど、検査システムはもちろんサンプル調査であって全量調査ではないわけで、行政の検査体制は疑問が残ります(参考:検出・不検出のしくみ市民調査団体で検出続出、福島県発表は不検出)。加えて、たまに後出しで公表されてくる「こんなに入っちゃってましたー。給食にも混ざっちゃってましたー。」は、ああそうでしたか、で済まされる話ではありません。セシウムで牛肉が一気に注目されましたが、牛肉だけであるはずがなく、最近では新米の流通が始まった米や、野菜などに比べて検査がザルである魚介類、放射性物質を多く取り込みやすいキノコ(主に野生の)などが、とりわけ注意すべきと言われています。米に関しては、汚染度の高い米とそうでない米がブレンドされて出荷されたり、福島や宮城産の米を他県産の米袋へ詰め替えて売られているとかいないとか。魚についても、パッケージの産地記載があいまいにされていたり、(漁獲地ではない)水揚げ港表記の場合があったり、生体濃縮(食物連鎖の影響で魚の体内で放射性物質が蓄積・濃縮される)の問題もあります。あと、わたしが素人ながらに思うのが、チェルノブイリは内陸だったので淡水魚の汚染の資料はあるけれど、これだけ大量に広範囲に空から(フォールアウト)陸から(汚染水海洋投棄)放射性物質が海に注いだことは例がないので、本当に前代未聞。海流がどうの希釈(薄まる)がどうのと読んでみたところでつまりは「こんなこと起きたことないからわかんない!」わけで・・・そこがこわいですよね。ああ、寿司がはるか彼方に行ってしまいました(遠い目)。また、核種もはたしてセシウムだけなのかという懸念もあります。

ま、そういうわけで、引き続き食べ物は「念のため」警戒モードだと思うのです。サバイバルのための食材調達情報は:
OK フードまとめ(汚染の少ないと考えられる食品リスト)
セーフ・フードマーケット(産地の原発からの距離や空間線量がわかる)
 * 含有するベクレルではない
製造所固有番号調べ(生産された工場がわかる)
その他 関連情報:

また、一部の生協(パルシステムなど)や大地を守る会といった宅配業者が頑張って自主検査の項目数を増やしたり、西日本の食材を積極的に集めてくれたりと、意識の高さが見受けられて頼もしいのですが、小売店では独自のポリシーを打ち出すことは難しいようです。わたしの住まいの近くでは、成城石井や紀伊国屋、ナチュラルハウスといったややお高めのスーパーだと、食材の産地が意識されて関西以西になっている傾向があったり、元々輸入食材やオーガニックフードの品揃えを誇っている小売店でもあるので、助かっています。九州や四国のアンテナショップを利用することも増えましたが、比較的割高です。これを考えるといつも、そのうち、消費者の「被曝格差」が所得によって出てきてしまうのではと心配になります。所得の高い家庭はより安全な食材を選べるために内部被曝が避けられ、所得の低い家庭は汚染の懸念がある安価な食材を買わざるをえない、というように。うちもエンゲル係数が記録的に跳ね上がって、厳しい状況ですが、こればかりは出し惜しむわけにはいかないと思っています。このかさむ出費を東電に請求したい・・・くそー。

企業の CSR(社会的責任)という観点を考えれば、卸しも小売りも安全な食品を責任を持って仕入れ、販売することは当たり前なわけで、そこを「当然のことしろ!」と消費者がもっとつついていいのだと思います。食品企業、外食産業、小売店の放射能対策についてのある調査では、多くの企業が政府まかせで後ろ向きの情報公開姿勢であったと。でも、厳密な値まで測れる放射能測定器を購入したり、原料の産地を変えたりと、やっているところはやっている。議員の選挙と同じで、こういった各姿勢を消費者がよく覚えておいて、ダメな企業は注文をつけるなり、意見するなり、ボイコットするなりして、動いてもらえるようにすべきです。そしてよい企業にも、褒めて感謝の声を届ける。消費者の声が一番の圧力だと思います。
食品企業の放射能対策、主要 35社アンケート(東洋経済オンラインより/p.5 に食品企業、p.6 に小売店一覧が掲載)

先日、3.11 から半年の節目に思い出したことばがありました。出典を忘れてしまったのだけど、どこかで読んだチェルノブイリを振り返るヨーロッパの女性の発言を最後に紹介します。
「はじめのうちは汚染された食べ物は摂らないように一生懸命気をつけていたのです。でも半年後、1年後、汚染度がますます激しくなったにも関わらず、それを口にしてしまう・・・放射能汚染の恐ろしさは、人間の注意力や忍耐の限度を超えたところにある。」
これは「放射能」自体との長期戦なのではなく、自分自身のメンタルとの闘いでもあるのだと痛感したのでした。負担にならないように緊張感を継続させるというのはひとりでは難しい。だれか同じ価値観を共有できる家族や仲間といっしょに、目標(子どもをまもり抜く!など)を堅く持って進むことが、突破のキーかもしれません。

【 追記 9/19 】
★ 必読 ★ 毎日外食するとどうなるか? たまに汚染食品を食べても大丈夫か? ND レベルの汚染食品を毎日食べ続けるとどうなるか? などのシュミレーション:「放射線衛生研究」。蓄積の意味がわかります。放射線を研究している方によるもので「暫定基準値の甘さをバンダジェフスキー博士の研究におけるセシウムの毒性に照らし合わせ、非常にリアルに計算している」と識者からも RT されていましたので、参考にできるかと思います。気が引き締まるな・・・。

2011/09/05

8月、矢の如し

ご無沙汰です(だれに?)。

ここにまったく何も綴らない間、空白の8月、ずっと国外にいたのですが、ゆっくり休暇なんて言えたならどんだけいいか・・・単に環境が違うだけで、休む間もなく仕事の締め切りに追われていました。なにやら特訓合宿のようでした(涙)。毎日リサーチをして「放射能・原発」から一日たりとも離れることはなく・・・気候が涼しいのと、外気や食料に関して心配がないというのだけは助かったけど。やれやれ。

さて、この間に、進展・後退、いろいろありました。自分の記録としてのまとめに過ぎませんが(活動家ワールドだけのトピックかもしれないけれど); 7月末に東大アイソトープ総合センター長の児玉教授の怒りの質疑@厚生労働委員会が話題となり、例年と少し違うヒロシマとナガサキの日があり、北海道の泊原発をこの期に及んで動かすことになり、菅首相が辞め、まだ国が非常事態だというのに悠長に新しい内閣が発足しました。なにか見落としてる(?)偏っているでしょうが、そんなところです。夏休みが終わっても、福島の除染や人々の避難はあまり進まず、福島のこどもたちはガラスバッチ(線量計)をつけながらの新学期が始まりました。ガラスバッチはどれだけの外部被曝量なのか自分で知ることもできないうえに、3ヶ月首に下げてから回収され「調査」されるとのこと。そんなものをつけさせながら子どもを登校させ、強制避難区域並みの線量下に留まらせ続ける国は他にはありません。低線量被曝の人体実験が福島で行われているという声もあります。

食の安全に関してのアップデイトとひと月分のまとめもあるのですが・・・それは次回にするとして、とりあえず近々のこと。来る 9月11日は、NY の 9.11 から 10年目の日でもあり、3.11 から半年の日でもあります。各地でデモがあります。ぜひアクションを!

先日、知人のイギリス人の記者に短いインタビューをさせてくれと頼まれて受けたのですが、質問のひとつに「この原発関連の一件で、一番恐れていることは何か」というのがありました。「もちろん家族の健康に危害が及ぶことだけれども、それを除くならば、日本人がこの原発事故で表面化したすべてのことを忘れて、何ごともなかったかのように 311 以前の考え方や生活に戻ってしまうこと、これだけの犠牲のうえに結局何も変わらないことが一番怖い」と答えました。「正しく怖がる」という言葉をよく聞くけれど、難しいものです。怖がりすぎることも体によくないけれど、向き合いたくない暗い難題に向き合わなければ、もっと恐ろしいことが待っています。わたしたちが、あの桜の咲く前に全身で感じた恐怖や悲しみや怒りを、継続してもたないと、なにもかも元に戻ってしまう。「みんなはやく忘れないかな〜」とそれを虎視眈々と待っているワルイ人たちもたくさんいます。

いま、3.11 をきっかけに動き始めた人たちに、疲れが出はじめているような気がします。古参の活動家さんたちはさすがにあまり浮き沈みはないのだけど、はじめにガーッと走っちゃうと、やはり疲れは出ます。そういうときは休んだ方がいい。休み休みでいいから、とにかく長期的に続けることの方が大事。忘れないことが、とにかく大事。

久々の投稿に寄せて and 9.11 に向けて:
「息の長い(脱原発)運動のために/バーンアウトを回避するためのヒント集」・・・バーンアウトとは、燃え尽きてしまうこと。「運動疲れ」は今始まったことではなく、運動にはつきものなのです。* ここでいう運動はエクササイズのことではなく、市民運動のことです(念のため・・・)。
Sustainable Activism and Avoiding Burnout (英語オリジナル PDF)
日本語訳版オリジナル by フェミニスト+クィア ユニット

2011/07/16

また又・食べ物ノート

「個人的見解」だとしたって、国策を覆す「原発に頼らない社会へ」発言が日本の内閣総理大臣からあるなんて!と感慨深くなる一方、こんだけのことが起きたんだから当然のことではあるわけです。フクシマを受けて、日本より先に国外の原発が止まったり、脱原発の法案が通ってるんだもん。なんにせよ、首相が、真意はどうあれ「やる!」っつってんだから、国民がサポートしていかないと実現しません(とくに今、首相は四面楚歌だし、支えないとまた元に戻っちゃう可能性も十分にある)。

そんな中で、セシウム牛肉が出回ってしまったりと(ありえない・・・)現在の国内の食については、検査体制をとっても高い暫定基準をとっても、自らが積極的に防衛しなければ容易に内部被曝させられてしまう状況からは何ひとつ進展していません。

これまでの投稿(*food のラベルですべての食の安全関連記事を引き出せます)に加えて、食の安全についての有益なサイトのご紹介します。と同時に、先週の火曜 (7/12) に参加した「チェルノブイリへのかけはし」の野呂美加さんの講演会と、今日 (7/16) の肥田舜太郎先生の内部被曝に関する講演会を聴いて得たことを加えて記しておきます。

・おいしいたのしいくらし(必読のまとめ!)
 といった食べ物の対策のまとめや、
 生活全般(掃除や洗濯など)についての対策も集約されています。
 ソースのリンクもすべて列記されています。すごい。
 しかも誤報があれば訂正し、日々アップデイトされ続けています。

・イラストで見る

1つ目のサイトをまとめられた metok さんが仰っていて、共感するのは「ネットベースの情報が多くてすべてがすべて論文やら科学者の唱えている情報ではないけれども、科学的根拠がクリアでなければ動かないとなれば、内部被曝についての対策は、はっきりいって何もできない・・・民間療法の世界になってしまうかもしれないが、とにかくできることはやる」という姿勢。肥田先生も仰っていたけれど、現在の医学は放射線による体への害を防いだり治したりできるところまで発展していないと。野呂さんのされているチェルノブイリの子どもたちを北海道で転地療養させるプロジェクトも、最初は確証のない試験的な部分も多く、放射線障害がそんなことで軽減されるわけがないと批判があったが、ひと月の療養で体内の放射線量が3割減するケースがあったことは、やってみてわかった結果であり、「(被曝した身体への対策は)医学や科学があとから追いついてくる部分がある」と。民間療法といってもあやしいもの(手をかざしたら腹から針が出てくるとかね)ではなく、汚染食物を避けられるだけ避けた上で、免疫をあげるべく、食べ物の効能を知りながらきちんと食事をしていくといった本当にベーシックなことなのです。わたしも調べれば調べるほど「そんなことだったのか/そんなことでいいのか/そんなことしかできないのか」と発見の連続です。

野呂さんは様々なところで講演をされていて、動画配信もされているのでご覧になった方もいるかもしれませんが、お話の内容は ①「かけはし」の活動(チェルノブイリの子どもたちの転地療養での成果について)② 福島の線量の高さと現状(ベラルーシとの比較)③ 福島や関東の子どもたちに現れている低線量被曝の初期症状 ④ 食べ物で放射能に強い体をつくること(予防、療養)、免疫アップ・・・いつもこれらが大体の柱になっているようです。一方、肥田先生(自らも広島で被爆され、原爆投下直後から今に至るまで被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けられている医師)のお話も、ご自身の広島での壮絶な体験を治療にあたった医師の視点から語られる部分が大半でしたが、野呂さんの ③ ④ と重なる内容も含まれていたので、主にその2点について、お二人のお話からまとめます。

*現在の子どもたちに見られる症状について
(お二人のところに)福島、関東の多くのお母さんからの子どもの健康相談が相次いでいる。下痢、鼻血、目の下のクマ、口内炎、あざ、喉(粘膜系)のトラブル、老化のような現象(関節の痛みなど)、これらは初期の被曝症状(軽い急性症状)と言っていい。こういったことは広島でも軽度の患者に見られた。アレルギー体質の人は比較的敏感に症状が出る。これらが出たからといって、すぐに何かが起こるわけではなく、療養などで改善できる余地はある。外部(高い空間線量)内部(土壌から舞う土ぼこりの吸入、汚染食物)の被曝を避けられる環境に移ること。その症状が慢性化して、ずっと倦怠感が続くぶらぶら病に進展してしまわなければ心配はいらない。これから数年後に出てくる放射線障害(晩発性の影響)については、白血病や甲状腺がんなどがよく言われるが、ほかに本当に様々な症状・病気が抵抗力が落ちることによって現れる。

*食べ物ができること
まずは汚染された食べ物を極力食べないこと(ごく微量でも体に入ってはいけない!)だが、どんなに気をつけていても入るだろう。体内に入ってしまうことは覚悟して、自己の免疫で闘うしかない。食べ物で強い体をつくること。どの食べ物がいいか、ではなく、どう食べるか。食べ物の栄養を体が吸収するには、とにかく噛む。咀嚼の作業は噛み砕くことが重要なのではなく、唾液による酵素を含ませること。酵素は数千種類あり、食べ物でいえばリンゴ、バナナ、桃、柑橘類に含まれるペクチンはセシウムの排出を促す(参考:研究報告のまとめ/「放射性核種の除去する」ペクチンに関するレポート和訳)。お腹が空いているときに摂取すると吸収がいい。揚げ物やスナック菓子は身体を酸化させるので避ける。被曝によって壊された体内の DNA が酵素によって修復される。リンゴで酵素ジュースをつくるのがおすすめ。放射性物質は腸内細菌にダメージを与えるので、善玉菌を増やして腸内環境を整えるとよい(野呂さんは EM菌を推奨していましたが(これについてはやや?)、米のとぎ汁でつくる乳酸菌(資料その1その2その3)などもその類いで、いま我が家でも試しに実験中です。もちろん乳酸菌を含むぬか漬け、たくあん、甘酒、みそといった発酵食品もよいとされています。ヨーグルトは生きている乳酸菌が多く入っている種類のものを)。とにかく酵素の力を借りる!

今「酵素・発酵・乳酸菌」といったキーワードと「免疫」や「放射能」で検索すると、かなりの情報が出てきます。中には便乗ビジネスもあるようなので注意。わたしは食べ物に薬効・効能があると思っていますが、先にも述べたように、実験的な部分がある情報であることには変わりなく(とりわけ EM菌や米のとぎ汁乳酸菌については賛否両論あるようです)、すべてを鵜呑みに信じきっているわけでもなく、疑うところは疑いながらも模索していっている状況です。効果には個体差(合う合わない)もあると思うので、あくまでご参考まで。あとは当然のことですが、自己責任で、自分の経験・知識の蓄積と動物的な勘で判断するしかないんかな。

肥田先生の言われた「どんなに気をつけていても、汚染された食べ物を食べることは防ぎきれるものではない」というのは本当にその通りだと思っていて、自分自身もいくらか入れてしまっている意識はあります。そういっても被曝に効く薬はないわけで、最後は人間の自然治癒力、免疫の高さで闘うしかない。だからこそ体に入った毒はできる限り排出するべく、デトックスを意識するしかない。というのは納得しています。でも、たばこはダメ、規則正しい生活習慣を、バランスのよい食事を家族いっしょに、ストレスをため過ぎないように、きちんとした睡眠、排便を、などなど・・・あまりの正しさに学校の先生に怒られているような気になりますね。わたしだって脂っこいものは食べるし、外食もするし、運動はしないし、夜更かしするし酒は飲むわで何も自慢できるような生活はしていません。子どものため、というのは子ども自身を守ることもそうだけれど、「お母さんが倒れたら誰が子どもを守るんでしょう」と誰かも言っていたし、自分も気をつけていかないと、と思う今日この頃なのであります。

【 追記 7/20 】
「あやしい放射能対策」マクロビオティック、EM菌、米のとぎ汁乳酸菌、ホメオパシー、ペクチン、スピルリナ・・・の効果は疑わしいとのご意見。学会論文や科学的論拠がすべてではないと思うし、その逆に位置するのがすべて不安商法や精神論、宗教信仰ってわけでもない。微妙なことを判断するときには賛否両論、両方きちんと知って考えないとね。「なにごともバランス」と、改めて思う。

2011/07/14

げんぱつ広告批評

マドラ出版の「広告批評」が休刊になったのはいつだっただろう。2009年か。随分前の気がしていたけどそんな経ってないんだ。広告ジャーナリズム、クリエイター向け雑誌とされていたけど、カルチャー全般を鋭く切っていて粋でした。バックナンバーがいくつか捨てられずに本棚にあります。その「広告批評」の編集長といえば、天野祐吉さん。天野さんの広告批評はまだ終わってなかった!うれしい!しかもつっこむ切れ味衰えず!

・ブログ:天野祐吉のあんころじい

天野さんを久々に見て(会ってませんけどね)あー、ご健在でよかったー、と思ったのでした。この文脈でこんなこというのもほんと失礼なのだけど、先週、週刊現代かなにかの中刷りで「あの人が生きていたら、この今をなんというか」みたいな特集を見かけて、「筑紫哲也、忌野清志郎、高木仁三郎・・・」までは自分の想いと合致したんで覚えてるけど、あとは覚えてない(あと個人的には伊丹十三と井上ひさしと、灰谷健次郎と司馬遼太郎も入れてほしいところ)。亡き人たちが残したものは大きいけれど、死んじゃうとちょっとばかし美化されて、同じ発言でも受け取られ方が生きてるときと死んでからでは違ったりするし、当たり前だけど「今現在」については生の意見を聞くことはできない。自分の中に蓄積された彼らのメッセージやソウルを自分自身で引き出して、消化して、指針にしていかないといけない。それに比べて、今生きてる人から学ぶことの方が受動的にできるから、ちょっと甘えちゃうわけですが。数はいないけど、「ヒントをもらいたい」と思える、そんな人が健在であることが幸い。

2011/07/13

Armaments don't give security


『武装は安全保障にならない』

このくには、膨大な量のプルトニウムを保有しながら
「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」
なんてよくぬかしたもんです。
再処理は核燃料を処分しやすくするためになんかやってない。
すべてはプルトニウムを取り出すため。
そんなに躍起になって取り出して、貯めて、何すんのかなぁ。
プルトニウムではいろんなものがつくれるみたいだから。

エネルギー問題は、実はおうちの電気だけでなく、
戦争と平和にも関係します。
イラク戦争も石油戦争と言われたっけ。
枯渇していく資源(ウラン、石油、石炭)には、
それをめぐっての争いが生まれます。
ごく一部のひとしか扱えないものには利権も生まれやすい。

本当の意味での Security ってなんだろう。
それはきっと自分の国でどれだけエネルギーをつくれるか。
年間に数十兆円を海外に払って、石油やウランなどを輸入している
日本のエネルギー自給率は約6%。
ウランを輸入しておいて原子力を「準」国産 と呼んだりね。

「自然エネルギーへのシフト」って聞き飽きたかもしれないけど、
原発反対とセットのただの流行りじゃない。
原子力は Yes , No あるかもしれない。
じゃあ、「平和な世界がいいよね?」と尋ねたなら?

2011/07/08

現代ビジネス・ダイジェスト

講談社「週刊現代」が出しているウェブマガジン「現代ビジネス」が最近アツイ。多少センセーショナル気味な見出しはあるし、インターネットメディアだからこそできる飛ばしようなのかもしれないけれど、腐ったテレビや大新聞に欠けているまっとうなジャーナリズムが少なくとも感じられるし、独自に検証する姿勢があって頼もしい。6/6 付けでリリースされた「捨てられた日本国民 - 政府は本当のことは教えない」にあたっては、6800も記事へリンクしたツィートがなされている。否定的な意見もあっての言及かもしれないけれど、多くは記事へのサポートを表す数と言っていいと思う。


以下、「現代ビジネス」のブックマーク(原発、被曝、放射線関連記事):

2011/07/05

わたしたちの罪

もうひと月ほど前の話になりますが、村上春樹氏がカタルーニャ賞受賞スピーチで、原発事故について、彼自身が脱原発をサポートするかたちで、触れたことが話題になりました。

彼が音楽以外で何かに対して(特に政治的な事柄で)スタンスを明確にするのは珍しく、結構な決断がいったのではと感じたけれど、これだけのことが起きていて、自身の「影響力」を国をマシな方向に導くために行使しない方がふざけている気がします。彼自身が負っていると感じたこれまでの電気に対する無責任さを、この大きな発言によって相殺しようとしたのかもしれない。だとしても、それをムシのいいことだとも思わないし、むしろこのエネルギー問題において、過去の罪をこれからの決断や行動で償っていく作業は、日本の大人全員が行うべきだと、個人的には思っているくらいです。

罪、といったけれど、この原発問題においての「わたしたちの罪」について、考えさせられる2つのスピーチを紹介します。

村上春樹さんのスピーチから抜粋(全文は上記のリンクより):
- - - - -
(前略 ... )広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。私たちは被害者であると同時に、加害者でもあるということをそれは意味しています。核という圧倒的な力の脅威の前では、私たち全員が被害者ですし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、私たちはすべて加害者でもあります。

今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し自らの生活を破壊しているのです。どうしてそんなことになったのでしょう?戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

答えは簡単です。「効率」です。efficiencyです。

原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかったのです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません。
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「六ヶ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地球の回転」など原発問題をえぐったドキュメンタリー映画の監督である鎌仲ひとみさんが、今年4月に行った講演でのトークから抜粋:(ほぼ全文の書き起こしと動画は上記のリンクより)
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(前略 ... 森達也さんの)地下鉄サリン事件を扱った映画の中で、どうしても忘れられないシーンがある。 今回の福島の事件でもこのシーンを思い出した。 サリンを吸って階段で倒れたり苦しんだり、くの字になっている人たちを、次のサリンをまかれなかった電車が着いて、ばーっと降りてきたサラリーマンが、「ちっ」といって苦しんでいる人たちをまたいで、仕事に急いで行ってしまったんです。

善なるもの、会社員として会社に遅刻してはいけない、ということが、そこに倒れている人に「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と声をかけることより優先する、そんな社会に自分は生きていて、これは恐ろしいことだな、と思いました。

今回よく、テレビに出てくる原子力保安院の人たちとも「六ケ所村ラプソディ-」をつくる中で密接にお付き合いがありました。 みんなとてもいい人たち。良いお父さんなんだろうと思う。

(略 ... 原子力にまつわる様々な現実を)見て見ぬふりをする人たちがたくさんいて、原子力は絶対すすめる、原子力は絶対安全・・・という土台、テーブルの上でしかものを言えないということが横行してきたんですね。それを一生懸命進めている人たちは、倒れている人たちをまたいでいく、仕事熱心で、まじめな、自分の家族のために一生懸命稼いで働く、そんな人たちなんですね。 それは、私だ、と。

わたしは「六ヶ所村ラプソディー」を作ったときに、この劣化ウラン弾を生み出してきたのは、私が日本で電気を使う暮らしだったと気がついたときに、イラクの子どもたちを殺しているのはだれだ・・・私だった。私がそこに加担していたのだと気づいたときに、私が私自身を撃たなければいけない、と。それはすごく難しいことなんですね。

今たくさんの人が、「放射能がこんなに出ても安全だ」と、本気で信じているとは思えないんですけど、そう信じたほうが、今までの暮らしをあきらめなくていいから、ただ、だまされたふりをしているだけなのかも、しれない。でも、私たちは、メディアリテラシー、エネルギーリテラシー、メディアを読み解く力、エネルギーについて学ばないと自分のいのちを守れないと、思うんですね。
- - - - -

「わたしたち」と言うな、日本政府や東電や推進派のせいでこんなことになっていると言われる方もいるかもしれません。でもこの国は、わたしたちでできている。罪がないのはそんな大人のつくった社会に暮らさざるをえない子どもや動物だけです。311 以前と以降では確実に世界は違うのに、一見普通にまわっている日常の風景が危機感を鈍らせ、問題の所在をくすませています。「忘れちゃダメだ、あんたにも責任あるんだよ」なんて言い続けてたら、友だちをなくしてしまう気もしてきた。「道徳の授業かよ」と引かれる気もしてきた。

なんでもいいけど、わたしは、誰かを責める前に、自分が行動しようと思う。

2011/07/04

原発なくてもいけまっせ情報


原発事故直前に、cabin8design がデザインと構成に携わらせてもらい制作しました、環境 NGO グリーンピース発行のエネルギー問題についてのリーフレット「でんきのほんと・でんきのこれから」の続編をつくりました(って、ひと月たってるんですが)。その名も「でんきのほんと・でんきのこれから Q&A」。内容は、ひとことで言えば「原発なくてもいけまっせ」のファクトを Q&A スタイルでわかりやすく説明したリーフです。
こちらから → ダウンロードできます。
現物をご所望の方は Twitter かコメントでお知らせください。グリーンピースにリクエストしてももらえます。

【追記 7/13】
サポート info:原発震災・原発を止めても大丈夫(全国編)
【追記 7/18】

2011/06/28

反「反原発」とみぎひだり

「環境保護」といったとき、それは原生林伐採であったり、有害物質であったり、核・原子力から地球温暖化、様々な問題があります。サステイナブル(持続可能)に地球であるために、という一本ですべては繋がっていると思うのだけど、切り口(特化した問題)によって人々の賛同が得にくいものと、比較的誰にでも賛同が得やすいものと、あります。以前、NGO に勤めていたときに、海洋生態系の保護については、国内でセンシティブな捕鯨やマグロの問題を含んでいたために日本で正確な理解を得にくい状況が続きました。10年 20年前に比べたら、今は少し理解が進んできたと思いますが、この問題はとても複雑で、日本がターゲットになることが多いイシューだったために「欧米の環境保護団体がジャパン・バッシングをしている」などと問題の本質をすり替えられ、単に感情的に欧米の倫理(鯨食べるなんてひどいとか)の押しつけをして非科学的なことを言うでない!という流れを、水産庁と関連団体、国内メディアは作りだしました。その上、日本の文化に文句つけんな!ということで右寄りの方々がお怒りになったり、様々な問題の真相(既得権益や、調査捕鯨は膨大な税金投入のムダな公共事業であることなど)は議論にあがらず抑え込まれました。NGO 側としてもそんな感情的な浅い理由で問題視しているわけではなかったし、食文化にも伝統的沿岸捕鯨にも反対していないから食べたいなら食べてください、という感じだったのですが。

これをうけて、あまりに日本での活動が問題解決に向けて進む兆しが見えず、むしろこの問題を扱うことによって支持者が増えないダメージも受けている状態だったために、コミュニケーション戦略としてこの問題に国内でいかに取り組むべきかを外部にコンサルテーションを依頼したり、綿密な調査を行いました。その結果、日本の世の中には「反「反捕鯨」の人たちが多い」ということがわかりました。実際に捕鯨をゴリゴリに「推進」している人たちなんてわずかで、実際「どうでもいい」と思っている人たちが大半な中、問題自体よりも「反対反対!と声をあげているひとたち」に嫌悪感を持っている。問題自体はほんの表面的なことしか知らない、ただ反対運動が鼻につくから、あえて(そんな連中の言う)問題点は知ろうと思わない。この層は実は「賛成派」より厄介で、動かしにくいのです。賛成派も対極なだけで、問題に「興味がある」わけなので、無関心層よりも何かの拍子に反対派に転じることすらあります。しらけている層を動かすことが一番難しい。

とにかく、この問題についてはあまり語りたくないのですが、何を言いたいかというと、今の原発にもこの流れが起きているのではないか、ということです。そう、反「反原発」。ここまでのことが起きていても、斜に構えているのか、楽観視しているだけなのか、反「反原発」。放射能の影響を懸念する層に対しても、「騒ぎ過ぎでうるさい」と、これに似た反応が存在します(放射能自体の危険性どうこうよりも、反「放射能を気にしすぎる人々」みたいな・・・ま、これについてはちょっと置いとくとして)。ここまでの事故が起きたら中立という立場はあり得ないと個人的には思っていますが、「反対運動ってイデオロギーまみれだからなー、そうじゃなければ自分も参加するんだけどなー」あるいは「そんな運動のやり方では成功しない」など(でも優れた代替案があるわけでもないくせに)、高見の見物がてら、わけのわからんスタンスで批評して、動かない理由を人のせいにしているのが反「反原発」の基本姿勢のようです。また「感情的で、原発に代わるエネルギー代替案もなくて反対ばかり言ったって」という指摘もあるようですが、エネルギー政策に専門的に取り組み、代替案を提示しながら脱原発を唱えている団体は数多くあるし、彼らのセオリーは非現実的なものではない。本当に一部のメディアから「反原発」の動きをちょこっと見て、とりあえず流れに逆らうことがクールとでも思っているような幼稚な反応にしか見えません。

日本を原発列島に造り上げてきた自民党の石原伸晃幹事長は、14日の記者会見で「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と発言して、批判を浴びていましたが、さらには「脱原発運動はアナーキーで、6/11の脱原発デモではバックに革マル派などがいる。そういう(極左の)人たちがいるのに普通の人が多く集まっている」という発言もあったようです(もう腹立つより「伸晃さん大丈夫?」と心配)。左翼のイデオロギー色を「反原発運動」にくっつけて、市民が参加しにくいものにしようとしているようです。よっぽど民衆が結束するのが怖いみたい、自民党。確かに強いイデオロギーの元に反原発の意思表示をされている方々もいるし、そういったグループと一緒にデモに参加したくないと思う方もいるのだと思います。でも今この状況下で「反原発は左翼臭い」とすら感じていない「イデオロギー無意識派」や、こんな切迫した事態にそんなこと関係ない「生命の問題に右左もない」派が大半なのではないかと思っています。この期に及んで、そういったこれまで何の政治的運動に関わったことがないけど 3.11以降に立ち上がったフツウの人たちを、「リベラル左派」が云々と(例文:「小出裕章氏の発言を鵜呑みにするリベラル左派との乖離がすごくて」など)わざわざ分類する文をウェブ上で見かけました。ここまでして左や右に「分けたがる」行為って一体・・・。「そんなことにこだわってる間に子どもが被曝が進むんじゃいっ!起きてー!」と肩を揺さぶってあげたくなります。ちなみに右派でも(自民党のように中途半端な保守ではなく)結構ファンダメンタルな方たちは、彼らの考え方に基づいて「反原発」を唱えていたりするようです。本当に国と生命を思えば、どう考えてもそうでしょうに。

この今、そんな風に何かの意図のもとに左や右に仕分けして運動の拡大を妨げたり、簡単なジャッジで反「反原発」的無責任なスタンスをとり傍観者になることは罪です。とにかく、一部の人々には何か大きな目的(社会主義にしたいとかね)が今の「反原発」の奥にあるのかもしれないし、斜に構えないと生きられないような個人的問題も抱えてるのかもしれないけど、今はそれどころじゃないんです。それどころじゃ。小さな何かに属する者としてでなく、人間として、意思表示をすることが最重要な気がするのです。

【 追記 】
関連して「無関心層」には心が弱い方たち(現実を受け入れたくない、忘れたいから関わりたくない)もいるだろうな、と思っていたところ、精神科医の香山リカさんが、心と今の状況との間にシールドを設けてしまう(原発について考えたくない・現実のできごとと思わないことにしたい)「解離」という心の防衛メカニズムについて記事を書いていた。もうひとつ:「起きてしまった現実を「なかったこと」にして乗り越えられるのか」

【 追記 7/7 】
今日、Twitter で見かけたある男性のつぶやき「今回、脱原発が果たせるとしたら、子を持つ母親の力だろう。男はどうしても世間のしがらみから離れられないし、右だの左だの理屈が多すぎる。もうゴタクはたくさんだ。言葉を費やすよりも行動だ。」

【 追記 9/19 】
鈴木邦男さん(一水会顧問)が「脱原発運動で「右」と「左」の共闘を考える」という記事を書かれていて「〜何を主張するか、よりも、ときに右や左といったイデオロギーの方が優先されてきた日本。でも、穏やかな暮らしを営みたい、子どもたちに未来をつなぎたいという想いに、右も左もあるはずがありません」とも述べられています。右から考える脱原発、興味深し。

2011/06/25

『原発と放射線』

はじめて電子書籍というものを読みました。

電子書籍だと他サイトや動画へのリンクも貼れるし、あたらしいなぁ。
と、関心しているのは、中山幹夫氏(メディアリテラシーや物理などを専門とされる神田外国大学の教授)がまとめられた『原発と放射線 - 真実を知り自分の身は自分で守るしかない』という電子書籍(無料)。多岐にわたって、イシューのビギナー向けにいいまとめです。後半の国や自治体やメディア、御用学者の批判では、基本ごもっともなのですが「ん?」なところも。前半放射線についてせっかくわかりやすく説明してくださっているので、後半に関してはもう少しニュートラルで冷静なプロ的な文句のつけ方をしてもらって、もっとソースがあれば、他の部分の説得力も一段と増す気もしましたが・・・(仰っていること自体は賛成なんだけど)。

短いので 20分くらいで全部読めますが、この『原発と放射線』より、いくつか「改めて肝に銘ずべし」な点を、抜粋させていただきます。

p.21「放射線は長期間ですこしずつ浴びることと、短期間でまとめて浴びることは同じではありません。例えば1時間に1回、腕を叩き続けて1年間で1万回になっても大丈夫ですが、1万回連続で叩いたらケガをします。これと同じことなのです。ダメージの間隔が長ければ自然治癒されるのに対して、連続でダメージを受けると修復する暇がないからです。もう一つ大事なことがあります。細胞に含まれている DNA は2本のペアでできていますので、1本だけの損傷なら修復できる可能性は大きいのです。しかし、短期間での強い放射線は2本の DNA を同時に損傷させることがあり、この場合は修復が困難になるのです。 1ミリシーベルトでも短期間で一気に浴びれば、1時間 0.1マイクロシーベルトの割合で年間合計 1ミリシーベルト浴びることと比較にならないほど DNA が傷つきます。」

p.32「これからは自分たちの食べるものの安全性は自分たちで判断するしかないのです。なお内部被曝の健康被害はまだ不明なことも多いですし、大気や地面からの外部被曝や吸い込んだ粉塵による内部被曝もありますので、大人には心配のない量でも子どもの食べ物にはできるだけ気をつけてください。そして子ども自身は安心して育つことが大切なので、大変なことですが、できることなら親はそっとさりげなく気を使うようにしてください。」

p.35「自然界の放射線は1~2ミリシーベルトなので、自然界から以外の放射線が年間1ミリシーベルト以内なら自然界の放射線と足しても合計で2~3ミリ程度で大差ないことから、今の法律では一般国民の放射線の基準値を年間1ミリシーベルトとしています。これは法律であり、たとえ原発事故があっても、自然界から以外の放射線で一般国民に対して1ミリを超える被曝をさせてはいけないのです。(略)すなわち、自然界以外でも一般国民の放射線の安全基準値は、放射能汚染された大地、大気、食べ物すべての影響の合計で、年間1ミリシーベルト以下と決まっているのです。」

p.36「政府の基準は経済的・社会的影響を優先して決めた暫定基準であり、安全基準ではないことに注意が必要です。」

p.63「放射性物質を含んだ食べ物をできるだけ食べない方がいいというのは風評ではありません。被災地を経済的に助けることは大切ですが、それとは別問題なのです。あえて、みんなで放射性物質を食べてこれ以上被曝することはないのです。ただし問題は放射線を浴びる総量ですので、あまりにも微量な場合や時々の外食まで過剰に心配することはありません。正しい情報で冷静に判断することが必要なのです。」

p.95「私たちが手にしたネットメディアは、もう実質的にはマスメディアと政府を凌いでいます。網の目上の膨大な人のつながりだからこそ見えてくる真実があるのです。マスコミの報道は周りの流れが変わると後追いで転身しますが、その源流をつくるは私たちが手にしたネットメディアなのです。」

2011/06/19

続々・食べ物ノート

小出裕章先生のコメントがやっと民放で流れるようになりました。原子力の専門家でも脱原発側の学者の警告はとりあげてこなかったマスメディアが徐々にその姿勢を変えてくるのも、事態の深刻度のバロメーターでしょうか。

(テレビ朝日・モーニングバードより 19分の動画)
このインタビューで小出先生は、炉心の水はなく、まともに冷やすこともできていない状態で、解け落ちた燃料が地面を溶かしながら下へ下へと進んでいっているのではないかと言っています。そうなるとドロドロの核燃料が地下水に触れ、水脈が汚染されることに繋がります。それが起こっているのではないかというサインが、2号機周辺の地下水からストロンチウム90 が国の基準の170倍も検出されたこと(保安院は3号機の水素爆発によって出たストロンチウムと報告)。どこかで読んだのですが、地下水脈というのはどのように全国に広がっているのか完全に把握ができていないそうで、原発真下の地下水が汚染されて流れ広がったとして、どこかで食い止めることができなければ、海に流出するだけでなく、広範囲にわたって日本の水が汚染されてしまう可能性もなきにしもあらずなのです。それはもう始まっているかもしれない。この危機感をどのくらいの人が持っているでしょうか。

チェルノブイリのあと、オーストリア政府の調べでは圧倒的に大きな被曝 (80%) が食品からのものだったそうです。次に重要なのは地面の汚染に起因する外部被曝 (15%) 。「このデータは地域によって多少異なるだろうが、汚染食品の重要さは変わらない」(「食卓にあがった放射能」高木仁三郎・渡辺美紀子 著)。今日は食べ物に関して集めた情報を紹介します。

依然、高い暫定基準値は変えられていません。そして汚染の測定も、きちんと測って流通しているのは野菜の 0.1% に過ぎないとか。1000本のキュウリのうち 1本しか検査されていないことになります。結果は発表されているようですが、検査プロセスなど確かに不透明。全量調査ができないのは分かりますが、現状では「どれが基準をパスしたもので、どれがしていないか」わからない状態で市場に出ていて、しかもその暫定基準が異様に高いときている。いずれにせよ、検査を経てパスしていたって危険な可能性が高いのです。福島産でも、本当に検出されなかったものがあるなら、それを買いたいのに(どこよりも被災地のものを本当は食べて支援したいのに)、今のシステムでは「食べて支援」は危険を伴います。また、今は畑の表面が汚染されている状態で、洗っても落ちる(実際よく洗って「基準値以下」となり、市場に出ているものもある)。問題は来年以降は洗っただけでは落ちないものが出荷されるということ。雨で土壌の表面にあった放射性物質が土中に浸透する、その汚染土の養分を取り込んで野菜が育つ(汚染エリアの作付けについてや 99.9%の野菜が未検査な件のソースなど、上記のリンクで言及されています)。関連して、「食品の調理・加工による放射性核種の除去率」(原子力環境整備センター)というちょっとマニアックな論文調の読み物を発見したのですが、カタくて読み込めていません。ご参考まで。

1週間ほど前に表参道のクレヨンハウスであった勉強会「食べものと放射線のはなし」を、覚え書きとしてまとめてくださった方がいます(まとめの Togetter)。はじめて学ぶ方にはわかりやすく、ちょっと詳しくなっている方には要点をとらえたおさらいになっていて、おすすめです。上記のおさらいと同様に「放射能汚染からの自己防衛の食事」というまとめも非常に参考になります。ふたつとも、食生活のキーポイントとして「取り込みを防ぐこと」「排泄を促して蓄積させないこと」、さらには「体質を丈夫にして免疫機能を強くすること」をあげています。排泄を促進する食べ物としてりんごや柑橘類に多い「ペクチン」(ジャムなどにも入っているやつですね)は放射性物質を絡みつけて排出する働きがある、などなど、具体的な情報が詰まっています。

その他、いくつか情報サイトを列記します。
・魚に関する汚染の情報
(年齢別というところが新しい・・・って、なんかちょっとマニアっぽくなってきて自分でも今ちょっと引いた)

6/8 に出された在日フランス人向け公報 IRSNは「福島県周辺地域における土壌と食品の汚染、続く」として、以下のような勧告を出したそうです(以下、一部)。
- - - - -
【一般のフランス人への勧告】
・ 生産地や放射線濃度が分からない生鮮食品(特に葉野菜、キノコ類、魚類)については長期間の摂取を控える。福島原発事故の後で生産された茶葉についても同様。
・ 同様に、福島、栃木、茨城、宮城、群馬、埼玉、東京、神奈川、千葉の各県で穫れたタケノコやクサソテツを摂取しないこと。
・ 福島、宮城の両県で生産された生乳や、生産地・放射線濃度が分からない生乳を長期間子どもに与えないこと。
【宮城、茨城、栃木、福島に暮らすフランス人への勧告】
・ 乳児および幼い子どもの食事にはボトル入りミネラルウォーターを使用すること。
・ 自宅の家庭菜園から収穫した野菜や、家庭で飼っている家畜動物を食用に用いるのを最大限に控える。
・ 野菜や果物を食べる前に注意してよく洗うこと。外部から建物の内部に汚染物質を持ち込まないよう、家庭での衛生状態を良好に保つようつとめること。特に、下記に注意する。
・ 雨の日は靴を家の中に持ち込まない。
・ 濡れた雑巾で床を定期的に拭く。
・ 家具、カーペット、敷物の表面に定期的に掃除機をかける。掃除機の中袋を定期的に交換する。
・ 無意識に手が口に触れて汚染が起きないよう、ポンプ式容器に入った液体石けんで手を定期的に洗う。
・ 幼い子どもが遊んでいて戸外の土や砂を口にいれないよう、常に見張っていること。
- - - - -
なんで日本人が在日フランス人向け公報を頼りにせなあかんのだ、と思いますが。

今回の投稿の他に、以前書いた「日々是被ばく(食べもの)」「続・食べ物ノート」にも放射能汚染と食品についてまとめてあるので、そちらもよかったらご参照ください。

【 追記 6/21 】
横浜のお母さんお父さんの市民グループが、食べ物関連をはじめ、しっかりとしたまとめサイトをつくられています。
横浜パパママ放射線だより(横浜の子供たちを放射能から守る会)

2011/06/13

埋もれてはいけない

以前から何度も「協調性バイアス/正常性バイアス」について言及してきました。簡単に言うと、なんらかの緊急事態が発生したとき、ひとりで遭遇した場合は逃げたり対処をしたりするのに、大人数で、しかも対処に消極的な人々に囲まれるて遭遇すると、何も行動を起こさないという心理状態。それに似たことで、先日ある雑記で「社会的証明の原理」という言葉を知りました。その原理は「他人が何を正しいと考えているかに基づき、物事が正しいかどうかを判断する」というもの。そしてそれは「状況が不確かであるとき」に機能し、他者の行動を手がかりにするとき、その他者が自分と似ていると思う場合にとりわけ模倣しがちなのだとか。このことは今の現状に多く当てはまる気がします。

原発事故が史上最悪のメルトスルーまでいった上に、状況がずっと不確かであるという恐怖の中でも、例えば「放射能は大したことない」というスタンスの人ばかりが周りにいれば「そうだよな、まだ平気だろう」と危機感を薄める人が大半であり、逆に「放射能は危険」と情報集めに熱心な人は、Twitter のタイムラインには放射線量と内部被曝の情報がずらっと並び、毎日意識の高いひとたち同士で情報交換をして、安全な食材や疎開候補地を探すのが日課なわけです。不安な中で、どんなスタンスのひとも確実性を求めて(でも確実なものは探しても存在せず)「そうだよね?これでいいんだよね?」の社会的証明を強めることしかできていない。原発の賛否もある意味そうです。

前出の雑記を書かれた方は、これは心理的な影響の話であって、何が正しいということではなく、こういう影響があることをわかっておけば、自分と相反する主張をするひととぶつかってもやり取りが建設的になるかもしれない、と結んでいました。これはとても大事なこと。大きな流れに声をあげられないひとの弱いところや習性を認めてあげて、話し合う。だけど、今の現実に当てはめたとき(放射能への懸念の問題にしても原発の問題にしても)「危機感を持っている側の人間(わたし自身)」としては、他人の心理状態まで考慮する余裕はなくなってきています。それは、呑気に「社会的証明」やら「協調性バイアス」に埋もれてしまったならば、結果、犠牲になるものが子どもの命や健康だったりするから。ちんたらしてたら被曝する!というのもあります。時間があるなら別だけれど。

自分の家族や友人以外の人たちだって本当は助けたい。そこを目指すのであれば、まさにこの「社会的証明」を使って、マジョリティを「脱原発派」「放射能は危険と認識する派」にさせるしかないわけです。安全 / 危険は水掛け論なところもあるので、その判断を強要するのではなく、やはりニュートラルな情報を多く提供していくということがひとつ(それなりに情報を得たらフツウは原発も放射能も No なはずなんだが・・・)、そしてポツポツと「私も実は心配だった」と立ったひとたちを繋げてネットワークを広げていく。隣の友人から、自治体、県、そして国の規模へ。「大丈夫、こっちの道であってる」と励まし合いながら。あと、その最初の立ち上がる前の段階で「他者が自分と似ていると思う場合にとりわけ模倣しがち」という特徴を考えると、プロ市民とか左寄りの方々でなく、フツウのお母さんや学生などが「動いている」ことを知らせることがより多くの同様の層を動かすことになります。で、その声をあげていることを可視化するためには、ネット上で声をあげるのもいいけど、やはりデモとかリアルでのアピールも必要なのかなと思い直すわけです。

311 から 3ヶ月目のおととい土曜日、全国各地で原発反対のデモやアクションがありました。わたしは子連れで代々木のエネルギーシフトパレードに行ってから、夜、新宿東口の集結場所に行きました。代々木はピースフルな感じだったけど、新宿はその土地柄のカラーもあってか、熱くストレートで泥臭いモノクロ写真な感じでした。おそらく数千人単位のものすごい人数でした。警官の配備が尋常でない数で(ここにこんだけ投入するなら凶悪犯罪者検挙しろと思ったけど)それに反応してか、学生運動の夜を思い出しちゃった風のアドレナリン出てるおっさんあり、歌い踊る若者あり、古参アクティビストあり、右あり左あり、欽ちゃんの仮装大賞かと見まがう大規模コスプレあり、音や叫びも乱れ飛び、なんでもありのるつぼと化していました。新宿だけでもかなりの盛り上がりと人数だったし、お母さんたちが地元でオーガナイズしたような集まりお散歩会みたいのもあったみたいです。意味は必ずある。全国でも集約すればものすごい同時多発アクションだったはずなのだけど、やはりマスメディアの反応は冷ややかなものでした。

そう、余談ですが、その新宿の喧騒の中でテレビ朝日のインタビューを受けた件。「デモ参加は何回目ですか?」「今日はお子さんとご一緒ですかぁ」などとしょーもない質問をしたあと、最後に「街がいつもと違って、騒がしくて、警察なんかも多くて、混乱してる感じはどう思われます〜?」と誘導質問があった。「うるさいしちょっと迷惑ですよね」の回答を期待したと思われる。思いっきり STOP PLUTONIUM TERROR と書かれた Tシャツきてるやつ(わたし)に聞いてんだもん、期待されても困る。こんなときに浅いジャーナリズムやってんなよ、と本当に腹が立ったけれど、とりあえず「もっとやればいいと思いますけど。日本人おとなしすぎると思うんですよね、もっとこういった動きがあって当然かと。その辺は警察の方にも協力してもらって・・・」などと答える。帰りの電車で、デモを過激なものと印象づけようとするマスコミや警察を皮肉ったことを言ってやればよかったと激しく後悔。「わかってたけれど、テレビの浅さを体験+確信した」とツィート報告したら「それオンエアされませんね」と誰かに返される・・・オンエアされたら驚き。下請けの制作会社だろうけど、あんなテレビ通販の売り子みたいな愛想を振りまく安いインタビュアーが報道の一部を担ってるんだね、それにも驚き。

2011/06/09

土と水

「きれいな水と土では、腐海の木も毒を出さないとわかったの・・・汚れているのは土なんです。」(「風の谷のナウシカ」宮崎駿 より)


ですね。
汚れちまって、誰がもとに戻してくれるんでしょうね。人間がやってしまったことだから、人間がもとに戻していくしかないんだな。誰もやってくれないし、わたしたちは土と水が必要だから。
知りましょう。

放射能で「汚れた土」がこれからしでかすこと/汚染地域 800平方km 以上、もとに戻すには 100年以上かかる(現代ビジネス)

*原発事故の放射性物質 食品への影響、止まらず/ 7都県 41品目で規制値超、「付着」から「吸収」へ(毎日新聞)

*どこまでが毎時 0.25 マイクロシーベルト(年間 2ミリシーベルトを超える)エリアか、地図上の区切り(北関東広域、東京東部にかかる)※ 0.25 μSv/h はチェルノブイリから 30km の立入り禁止区域(現在)と同レベル

*空気中に広がった放射能が下水に流れ込み、下水処理場で水を処理する過程で生まれた汚泥にすさまじい量の放射性物質が濃縮されている。その汚染された汚泥をセメントで再利用したり、処理のため焼却する場合、放射能汚染・拡散の二次被害が起こる。

2011/06/07

原発に賛成の反対なのだ

(科学の夢と危機シリーズ1『ニャロメの原子力大研究』赤塚不二夫 より抜粋)
© 赤塚不二夫/廣済堂

2011/06/06

「何がほんとかわかった頃にはすでに遅い」とチェルノブイリから学ぼう

福島第一原発から 50km 離れた田んぼからプルトニウム検出(非公式)、原発正門から 1.7km の土壌で微量のプルトニウム検出(毎日新聞)というニュース・・・アメリカ西海岸で既に太平洋を横断したと思われるプルトニウムが結構前に検出されていたそうだから、そりゃ降っただろうとは思っていたけれど、さすがにプルトニウムとなると背筋が凍る。プルトニウムは物質として重いから遠くには飛ばないなんてウワサもありましたが、目に見える砂粒の黄砂(明らかに核物質より重い)が中国内陸からはるばる飛んでくるんだもんね。

「わからない」がこれだけ多い中、いつになったら「わかってくる」んだろうと思っていたところ、このような記述を見つけました。以前もリンクしたことのある「チェルノブイリのかけはし」(チェルノブイリで被災した子どもたちを日本に招待し、きれいな空気と食べ物で療養させる活動を行っている民間団体)代表の野呂美加さんのお話をふたつ。

*「チェルノブイリで深刻な被害を受けたベラルーシの放射能汚染地図は、事故後3年経ってから発表された。原発付近ではなく遠く離れた土地にもランダムに見つかるホットスポットは、子どもたちの体調が悪くなって、そこがホットスポットだとわかる。子どもの体を放射線量カウンター替わりにして、ガンを発症した子どもたちによって、数年後に判明する。」... 親たちが動かず、行政に基準値や食品汚染の対応を丸投げしていたらこれは日本でも起こります。この講演を一部文字起こししたもの/講演動画リンクはこちらから。

* 野呂さんのされているプロジェクト、チェルノブイリからの "転地療養" では「被曝をしてしまった体も保養として一ヶ月安全な場所に疎開すると、体に放射線量が計測されないまでになる」と、これまでの 25年の経験でわかっていると。人の体と免疫ってすごいな。放射線に傷つけられた DNA もきれいな環境によって修復されていくんだ。正常に修復されない場合(ずっと汚染地帯に住み続けた場合)に異常な細胞(ガン)が生まれるということですね。経済的な壁はみんなあるでしょうが、移住できなくとも、今年の夏休みは子どものために、長めに疎開/旅行/帰省した方がいいのかもしれません。前の投稿でも体が受ける被曝は「足し算・引き算」の話をしましたが、これは今大人気(?)の中部大学の武田邦彦教授も言っていました。このチェルノブイリの子どもたちの免疫、発症(症状)についての野呂さんの講演をまとめられたブログがあります。対策や食品についてのまとめも書かれているので、参考になります。

上記の個人の方のブログの他投稿で、食品(体内の傷ついた細胞を直したり解毒したりする酵素、免疫強化、放射性物質から身を守る/影響を受けやすい食べ物、調理方法など)について非常に詳しく書かれています。必読!(放射能対策★食生活編)今まで見た中で一番の情報量のまとめです。そこからもリンクされていますが、チェルノブイリ被爆者団体「ジュノーの会」も放射性物質の排毒について具体的な食品情報を配信しています。

また、首都圏で鼻血や喉の痛み、頭痛、腹痛など、以前はあまり起こしたことにない不調を訴える子どもが増えているという話も。福島の高い放射線量下よりも首都圏のような低線量被曝下の方が、初期症状がでやすい(前出の野呂さんと、ジャーナリストの木下黄太さん談)という認識もあるようで、体内に入った異物を取り除きたい!と体の免疫システムが不調を表に出しているのでは ...とも(わたしは一理あると同意します)。だとしたら、それは病状というよりもサインですよね。この情報と同時に「転地療養」の話を知っていると、パニックにならずに整理がつきます。やはり疎開を真剣に検討すべきときが来ているのかもしれません。参考:低レベルの放射能でも危険はある(ベラルーシの部屋のブログ)。

いつも言うことが同じになってしまうけれど、チェルノブイリという前例があるのだからそれを参考にしながらも、わからないことがこれだけ多い中では、慎重に考えるのが当然。とくに子どもを守るには。それを「心配しすぎ」だの「煽るな」だの言う人もいるかもしれない(幸いまだ直接言われたことはないけれど、ネット上ではよく見かけます)。もしもそう言ってくるひとがいるなら、言い返す言葉は決めている「それがデマや煽りや心配しすぎだったら、どんなにいいだろうね」。何がほんとか、わかったところでもう遅い。わかったとき、つまり大事な人が発病したとき、自分が何も手を打たなかったと後悔したくない。今日も、すべてが「心配しすぎ」であることを願いながら、備えをしようと思うのです。

【 追記 】
Save Child(放射能、汚染、被曝、食品関連の総合情報サイト);多少精査が必要なものもありますが、かなりの量の情報が網羅、まとめられていて参考になります。

【 追記 6/16 】
子どもたちに不調が起き始めているという話は、ネット上ではよく見かけた話で、デマ扱いする人も多かったのですが(わたしもデマとは思っていませんでしたが、アレルギーのある子/ない子のように個人差で、化学物質などに敏感に反応してしまう一部の子に症状がでてしまっているのかな、と理解していました)、今日東京新聞が「原発から 50km 郡山の子ども、大量の鼻血・下痢・倦怠感」と報じました。郡山は避難区域ではないですが、NGO の調査などでかなり深刻な放射線量であることがわかっています。

2011/05/29

詩人の死


黒人解放運動や腐った政治に言葉で闘い続けたシンガー/詩人、Gil Scott Heron(ギル・スコット・ヘロン)が死んだ。彼はスリーマイル原発事故を受けて反原発コンサートを行っていたり、"We Almost Lost Detroit"(私たちは失うところだった、デトロイトを)という原発事故を受けてそれを問題提起する歌も歌っている。美しいメロディーにのせて。


有名なのは、"The Revolution Will Not Be Televised"(革命はテレビで放映されない)。そのままの意味で、市民運動はメディアには現れないということだと思っていたのだけど、今日いろいろと調べていたら、それが真の意味ではないことを学んだ(元の英文記事、所在不明です。ごめんなさい)。詩の含みは深く、表面的なものではなかったのだ(それが英語だからさらにわかりにくい)。「革命はテレビでは放映されない、再放送もされない、革命は生なのだ」と結んでいるこの詩が内包する意味は「革命はあなたの意識の中で、頭の中で起こる。必ずしも表面化されるものではない」、つまり、各々の中で何かに対する考え方が(わずかであっても)変化した瞬間が "革命" だということ。今に例えるならば、原発問題や国政に関心がなかった人が「このままは絶対にいやだ、変えたい」と感じたときのことだろう。立派な革命。やり遂げましょう。


リスペクト。彼の魂は受け継がせてもらう。
ゆっくり眠ってほしい。

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"We Almost Lost Detroit"より抜粋

That when it comes to people's safety money wins out every time.
「人々の安全よりもかならず金が勝つんだ。」
Almost lost Detroit that time. And how would we ever get over... Cause odds are , we gonna loose somewhere, one time. And how would we ever get over loosing our minds? /... Didn't all of the world know? Say didn't you know?
「わたしたちは失いかけたんだ、デトロイトを。どうやって立ち直ればいいんだ。可能性を言おう、わたしたちはいつか、どこかを失うだろう。そんな狂った状況からどう立ち直ればいいんだ。(略)世界が知らないとでも言うのか?あなたも知らないとでも言うのか?」

2011/05/28

続・食べものノート

今日仕入れた情報を。

日本共産党(都議)が独自に都内の環境放射線量を測り、まとめて報告してくれています。それによると、江東区から練馬区を結ぶ線以東の地域は、年間 1mSv 以上の放射線量となっている可能性があると。足立、葛飾、江戸川区などの東部や豊洲周辺に、比較的高線量率の地域が集中しているらしい(マップにもなっています)。別団体が行った都内の公園をメインにした測定結果でも東東京は高めでした。乳幼児、妊婦さんは特に注意した方がよさそうです。シニアの方はいいけど(差別ではなくて、成長期でない人は影響を受けにくいのは確かなので)。。個人的には、福島であれば自身も防護しますが、都内であれば子どもはきちんと気をつけるけれど大人(自分)は多少後回しでもいいという構えかな、今のところ・・・。そう、まだ今は累積(とにかくこれまでの被曝の積算量!)で足し算・引き算ができる期間だと勝手に思っているので、例えば《福島へ数日行った分、数週間九州に行く》とか《空間放射線量が高く風の強い日に屋外に一日中いた分、数日屋内で過ごす》とか《出所不明の野菜を外食で立て続けに食べた分、今週はきちんとした食事を家でする》とか・・・調整をいつも念頭において、焦らないように。「今すぐ影響はない」は東電や政府が言うと憎悪が湧く言葉ですが、間違ってはいないのです。気休めかもしれない、あくまで適当な換算にはなるけれど、とにかく累積の自己管理です。

昨日の繰り返しになりますが、日本全国(特に東日本在住の方は)食べ物に関してはウォッチすべきです。気をつけなかったら何が起こる(かもしれない)のか、放射能が何をもたらす(のかもしれない)のか、イマジネーションと情報の欠如が行動に至らせていないのだと思います(プラス、一番怖い同調性バイアス)。心配し過ぎ、という人もいるでしょう。交通事故などの確率の問題を引き合いに出す人もいますが、誤っているのは、放射性物質の体内蓄積で障害や発病(ガン/白血病)が出てくるかどうかは 0 or 100(100人に1人が運が悪くて起きて、あと99人はセーフ)という問題ではないということ。100人中すべての人が体にダメージを受けてはいるが、障害や発病という形で表れるのが 1人ということで「何 mSv まで浴びなければ安全」なんていうしきい値はない。そしてその身体に表れる問題は簡単に完治するような病ではないということ。わたしはそんなハイリスクな日常で子どもを無防備のままにできない。何があっても悔いがないように究極に気をつけるなら移住でしょうが、どこまで気をつけるかの線引きは自分でしながらも、今は東京でできる限りのケアをしたいと思っています。
牛乳に関しては前投稿にありますが、牛の移動(汚染地域の家畜が日本各地に分散されて、出身地は消え、「移動先」産として売られる)が始まっているようなので、注意です。って注意できなくなってきた。北関東産を避けていても、追手に追いつかれて(?)しまった感が。トレースができないと困りますね。そこまでしないと食っていけない事情も畜産農家さんにもあるのかもしれませんが・・・これは問題。とにかく東電の補償が早く確実に行なわれるように、消費者も自身のこととして声をあげていくべきだと思います。

また、水産庁の海洋汚染調査結果が新たに発表されたようですが、環境 NGO グリーンピースも海洋調査の結果を昨日発表しました。比べるといいと思います。どちらが正しいというより、NGO(特にグリーンピースのような政府や企業から資金援助を受けていない団体)や独立機関から、判断材料としてのセカンドオピニオンが出てくることは本当に大切だと思います。オルタナティブ情報が与えられる限り日本はまだ大丈夫だな、って少し思う。政治的発言するだけで投獄されるような国に比べたら、の話ですが。ああ、ともあれ太平洋側の魚はちょっと厳しいな。江戸前の寿司、もう食べられないのかな・・・。思いっきり三陸沖で漁獲されたものでも出所が水揚げ漁港名(例えば九州)となる場合もあるなど、これもトレースできない問題をはらんでいます。

あれが危ないらしい、という忌避情報の他に、ポジティブに「これがいい/効く」と言い切れるものはないのだけど、いろいろ読んでいて共通しているのは免疫力、「バランスのとれた食事」「洋食より和食」「白米より玄米」とか、そういうどんな病気予防にも共通する、ごく基本が放射能からダメージを受けにくい体をつくってくれるということです。傷を修復してくれるビタミンC も(ダメージを受けた細胞を直してくれるという意味で)効果はあるだろう、とか。小難しいことではなく実はものすごくベーシックなんだな、とひとりで結論づけていた矢先に、生協のお知らせの中にいいまとめがあったので引用しておきます:

【ミネラル豊富な食生活を】原発事故後2ヶ月近く過ぎて、放射性ヨウ素の影響は小さくなっているので、セシウムとストロンチウムについて消費者ができる対応をお応えします。セシウムはカリウムに、ストロンチウムはカルシウムに、それぞ化学的性質がよく似た元素です。カリウムやカルシウムが欠乏していると、セシウムやストロンチウムの吸収率が高まるので、日頃から海草類などミネラルを多く含む、栄養バランスのよい食生活をすることをおすすめします。放射線の害として、一番気になるのは発がん性です。しかし、私たちの身体には、傷ついた細胞を修復したり、がん細胞を微細な段階で排除する免疫機能が備わっています。日常生活で免疫力を高めれば、放射線の害を減らせると期待されます。栄養バランスのとれた食生活、適度な運動、十分な休息、ストレスの発散、禁煙などを心がけましょう。

また、多少かぶりますが、心ある厚生労働医系技官の方のブログからの引用です:

(前略)確実に言えることは、セシウム137 やストロンチウム90 などの放射性物質の影響をもっとも大きく受けるのは子どもたち(特に 5歳未満の小さなこども)です。
 子どもは外で活動します。家の中でじっとしていることはおかしいです。そうなれば、大気中に漂う、あるいは土壌から舞い上がるセシウム137 を吸い込む可能性が、大人に比べて高いと言えます。
 また、子どもは体内の水分比率が大人より大ですから、身体の水分に溶け込むセシウムの割合も、必然的に大人より高くなります。
 また、子どもは、大人より、牛乳をのむ機会が多いのが一般的です。となれば、ストロンチウム90 の内部被ばくにさらされる機会も多い、と考えられます。
 しかしながら、放射線は遺伝子であるDNAを傷つけることが分かっています。傷つけられたDNAが正常に修復されない場合、異常な細胞が産生されてゆきます。こうして生じるのが「がん化」です。
 ヨード131 を除いて、ある特定の核種が、特定のがんを特異的に引き起こす事が多い、と言うことは証明されていません。しかし、放射線の一般的な特性を考えれば、どの核種による被ばくにおいても、将来のがん発生の可能性を考えることは、当然のことと言えます。
 がん化には、10年から20年以上が必要だといわれます。子どもたちは成長の過程にありますから、それだけDNA複製も活発に行われます。つまり、放射線の影響を受ける機会も大人より多いわけです。また、平均余命を考えれば、将来、子どもたちが、がんに罹る確率も高くなります。(後略)

ストイックな食のルールに聞こえるかもしれませんが、大人は多少は緩くていいと思っています(「もう俺は好きな酒飲んで死ねればいいんだバカヤロー」みたいなおっさん糖尿病患者みたいに、好きなもの食って被曝したって歳の数が多ければ多いほどいいんです)。でも子どもはね、大人が気をつけてあげてください。今一番無防備でありながら、これからいっぱい生きるんだから・・・。

*セイピースプロジェクトというNPO が「放射線被爆から子どもを守るために」というブックレットをPDF で配布しています。厚生省が出したムナクソ悪いやつより数倍きちんとした情報がまとめられています。今日はこれをご紹介して終わりにします。

【 5/29 追記 】
ご参考まで。小売店情報「被曝食材を避ける・危ないスーパーの見分け方」。仕入れのラインナップでスーパーのスタンスって結構分かりやすいと思う。うちの近所では西友に軍配。主婦の目はごまかせないぞよ。

2011/05/25

日々是被ばく(食べもの)

エネルギーシフト(原発から自然エネルギーへ)を推す活動に先月は力を注いでいたけれど、今そこから一歩離れている自分に気づきました。それも大事だけれど、今は子どもの健康と命に関わる問題が第一。福島の学校 20mSv のことや、すでに被曝の症状がからだに現れている子(目の下のクマや下痢、アレルギー症状の悪化など)が福島や茨城で出てきているとか、北関東では福島産の牛乳や野菜を使った給食を食べさせられている(学校が親の申し入れを聞かず避けられない)という話を聞くと、福島は本当に深刻で東京での憂慮とは比べ物にならない・・・と申し訳なく思う一方、もちろん自分の子どもや地域も心配なわけです。行政や学校に任せていては子どもたちの低線量被曝がじわじわと進んでしまう − 子どもを守るために、福島のみならず、日本各地で一部のお母さんたちが積極的に動き始めました。うちの住まいの近く(東京武蔵野エリア周辺)でも、意識の高いお母さんたちが個人やグループで小学校や幼稚園、保育園へ土壌(校庭、園庭や砂場)の放射線量調査及び改良や、給食の原材料について要請をする動きが出ています。ガイガーカウンターを購入している一般の親たちもいます。

福島では大気の空間放射線量、土壌へ積もっている量、農作物の汚染とすべて高い放射線数値ですが、首都圏(いくつかあるとされるホットスポットを除く)での主な心配は内部被曝です。空間放射線量はうちの周辺では 0.1uSv 弱が最近の平均値なので、風向きを見て北からの風が来る日は少し注視しますが、個人的にはあまり気にしていません(今後新たな爆発がなければ都内で劇的に高くなることはないはずです)。要の内部被曝は主に食べ物からと、土に積もっている土壌の放射性物質から。特に子どもは土いじり・砂遊びが好きなので、洗わない手を口に持っていって(やるんですよねー)体内に入る、あるいは背が低いので地面から舞う土ぼこりも吸うという経路もあります(放射線量のモニタリングポストは地上 1メートル以上に設置されている場合がほとんどなので、行動している親たちは子どもに近い地表の放射線の数値を求めています)。学校や幼稚園の庭の土壌の表面入れ換えが行われる/行われたという話は結構聞くようになってきました。内部被曝については、毎日必ず食べる食べ物や水の方が注意が必要だと思います。

原発事故後、国内の食品は WHO基準の何十倍もゆるい基準となっていて、それが「基準を下回り安全」といわれて流通しています。学校の給食の原材料もこの基準です。外食もそう思うと何が使われているかわかりません。かふぇでラテひとつ頼んだって「このミルク、どこ産だろ・・・」ああ、こんな小さな幸せまで原発に奪われてたまるかいっ!(怒)。といっても、わたしもそんなに細かく気にしているわけでなく、自分ルールをこれでも緩く設けているつもりです(今始まったばかりの汚染であって、これから食物連鎖で何年も何十年も続くわけで、長期戦なので、こちらも長く続けられるようにと)。これから数十年単位で放射能と共存しなければならないんですよ、日本は。しかしながら今、食品の選択肢は、さすが飽食日本、贅沢なほどあります。避けようと思えばいくらでも避けられるけれど、チェルノブイリ事故時のウクライナはとても貧しく、汚染されているとわかっていても近隣の食べ物を食べなくてはならなかった・・・その結果たくさんの子どもがのちに発ガンしたりしたのです。ネットショッピングで西日本の食品も買える今の日本。今日、カルディ(輸入食品を扱う店)の狭苦しい通路で、当時のチェルノブイリや福島のことを思って立ち尽くす・・・申し訳ない。こんな近所に、こんなにたくさん、世界の食べ物が安価であるってことが。グローバリゼーションをこんな形でありがたく思う日が来るとは。

少なくとも家での食事では自分で購入する限りは気をつけようがあります。Twitter のおかげで本当に驚くほど多くの食べ物の放射能汚染に関する情報、各食品メーカーのスタンスなどを知ることができました。精査が必要だとも思っているので、自分でまとめようと思ったのですが、時間がなく(できれば早めにやりたい)・・・参考サイトのリンク列記しますが、あくまで「参考」にして自分で判断するという構えで見ることをおすすめします。

 *結果のみならず、「情報の読み方」についても学べます。必読。
 *さすが大地。
 *よい図。キャベツについてはやや誤りがあるようです。
 *かなり質の高い情報です。


ここで;食べ物はそれぞれ基準値が異なるわけですが、その数値と注を書き出しておきます。(ベクレル= Bq)

【 水の基準値(日本と他の比較)】リットルあたり
 日本の暫定基準値 . . . 300 Bq(乳幼児は 100 Bq)
 WHO基準 . . . 10 Bq(ヨウ素131 , セシウム137 とも)
 ドイツガス水道協会 . . . 0.5 Bq
 アメリカの法令基準 . . . 0.111 Bq

★ 日本は飲料の放射線量基準値がなく、3/16まではWHO の基準相当を守っていた。
★ 水の基準は 300 Bq ということは市販の水を使った清涼飲料水、お茶はすべてこの基準で生産されている。

【 食品の基準値(日本の暫定基準値 3/17 以降)】キロあたり
 牛乳、乳製品 . . . 300 Bq
 根菜やイモ類を除く野菜類 . . . 2000 Bq(ヨウ素)
                200 Bq(セシウム)
 穀類、肉類、卵、その他野菜類 . . . 500 Bq
 魚介類 . . . 2000 Bq(ヨウ素)500 Bq(セシウム)

★ 原子力安全委員会「飲食物の摂取制限に関する指標」(=厚生省規制値)より。魚介類のヨウ素規制値は 4/5 に追加発表された。
★ 1年間の内部被曝の許容量をセシウムが 5mSv、ヨウ素が甲状腺に対し 50mSv とするもので、これから年間飲食量を逆算して基準値を決定。


その基準とやらの何倍、何十倍もの放射線量を持つ野菜や魚が見つかっています。原子力安全委員会がつくった基準というだけで、個人的にはもう信用できない感じだし、どのように検査されてパスされているかのフローが不透明・・・。スーパーの野菜にそれが正しく何ベクレルか記載されて消費者が選べるなんてのは夢のような話でしょう。この不透明感がまさに「風評被害」を生んでいる・・・本当は買いたいよ、福島産。・・・ということで、わたしは自分の決めたルールを優先しています。「基準」が暫定=高めで、よくわからない上に、「基準以下」とされていても 500 の基準であるなら 490でパスしたものか、20 でパスしたものかもわからない。それが同じにされているわけです。福島の農家だってほとんどが良心的な方々で(「百姓の誇り」と仰っていた方もいるけれど)、泣く泣くつくられた野菜を廃棄して、東電の賠償を待っているんだと思います(絶対きちんとやれよ!東電!)。余った野菜を自分たちで食べられているという話も聞きました・・・。いつも福島産、茨城産を避ける度に心中で「ごめんなさい」と言う。地震・津波だけだったなら、被災地の野菜を進んで買うだろうに・・・。申し訳なく思いながらも、うちでは北関東の野菜と牛乳、乳製品、魚介、きのこは避けているのが現状です。牛乳は九州のものを選ぶか取り寄せ、入手できないときは豆乳にしています。水は濾過式の浄水ポットとミネラルウォーターを半々くらい。

心配しすぎといわれようと「予防原則」を通します。少なくとも子どもには。このスタンスを外で主張しすぎると(意識をあまりされていないお母さんも多いわけで)変に思われたり、「運動」となると引かれたりするので、小社会を巻き込もうと思うと一筋縄ではいきません。他の子だって守りたいが、とりあえずは自分の子だと。今回この原発事故以降からこの問題に声をあげ始めた方は、さっそくその「無関心層と自分」「マイノリティは変人扱い」の壁にぶつかっているようですが・・・(今まで放射能は危ないとずっと言い続けて無下にされてきた人たちは、今さら痛くもかゆくもないわけです。わたしも含め)。浮いてばかりもいられないし、対・無関心層にしろ対・学校にしろとにかく対話だ(敵対でなく)、と導き出されたお母さんもいました。そう、すべてはそうです。牛乳がマストな給食問題は結構大変なようですが、お弁当持参という「特例」を勝ち取ったお母さんも多く、学校としては一部の希望を出してきた家庭への例外は比較的簡単に許せるが、全体のルーティンは崩さない(牛乳は出す、福島産であっても)という感じ・・・そう、それが学校。それが文科省。厚生省。私立はやはり柔軟なようですが。あと、まだ都道府県レベルで規制として動いていないわけなので、自治体(市や区)が判断を求められているところもあって、市区によって理解があったり、突っぱねたり、結構対応が異なるのも、なんというか・・・対応が悪い区はみんなで一生覚えておきましょう。

残留農薬の摂取量の基準値は、通常1日摂取許容量の 1/100以下だそうです。放射線量の基準値が健康被害が確認される値の 1/5 って・・・。やはりわたしらは疫学研究の「サンプル」ですかね?

原子炉が3つ(!!)メルトダウンしてたって、しれっとニュースは伝えただけ。子どもが被爆したってたいしたことない昨今なのかな。この国は少子化対策とかいって大臣まで設けていたはず。明らかに子どもが健やかに暮らせず、赤ちゃんも安心して産めない国で、子どもを育てようなんて誰が思うだろう。大人の判断や決断で、子どもたちの未来がどうかこれ以上潰されませんように。