自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/10/12

女たちよ!

女たちよ!(って伊丹十三の本がありましたね)伊丹さんは残念ながら関係ないんですけど、女性のパワーについてのおはなしです。


この『3000万の署名、大国を揺るがす 〜第五福竜丸が伝えた核の恐怖』(数年前に放映されたもの)は、昭和29年に起きた第五福竜丸の被ばくをきっかけに、食材や子育てに不安を感じた日本の女性たちが立ち上がり、翌年(昭和30年)の第一回原水爆禁止世界大会での成果へという反核運動の軌跡についてのドキュメンタリーです。「原爆マグロ」という言葉が広がり、魚が売れなくなり、食卓の危機が・・・ 食の汚染に直面している現在と同じ状況です。

今でこそウェブを介して同じ意見を持つ人々の繋がりは広がっていますが、当時はある女性の新聞の投書からネットワークが始まったといいます。
《「原爆の灰がいつ降ってくるかわからない世の中だもの。何が起きたって仕方がないよ」夫は新聞を読みながらそう言う。「原爆をつくることをやめれば」私がそう言うと、夫はあきれかえったように私を眺めていた。仕方がないといいながら何もしない夫の無力な諦めを、私は軽蔑した 》
《 私たちは貧しいなりに安心がほしい / お魚も食べられない、野菜も危険だ、うっかり水も飲めないというのでは、敗戦国とはいいながら、かわいそうすぎる / 雨が降っても魚を食べるのにもビクビクし、深呼吸さえ安心してできないのです / こんなことが度々繰り返されたのでは、私たち日本人は自然滅亡という道をたどるより仕方ないのではないか・・・》

立ち上がったごく普通の女性たちにより、原水爆禁止を求める署名運動が始まります。
「戦争が終わったとき、女に力がないことを後悔したが、今ならはっきりと声が出せる。再び後悔しないよう、正しい態度を取りたい」
・・・女性が参政権を得てから10年たらず、政治活動を行うことが初めての女性ばかりで始まった署名。「名前を書くのに何の意味があるのだ」と言われ、ある女性はこう答えました「黙っているよりははるかに効果があります。沈黙は賛成を意味するからです。」

特定の団体やリーダーが呼びかけたわけでなく、自然発生的に各地で広まっていった署名は、全国に繋がり、世界に広がっていきます。そして、1年後の原水爆禁止世界大会では、当時の日本人の成人人口の半数以上が署名したことになる 3150万筆(全世界では 6億筆)が集まり、核兵器開発競争に一定の制約がかけられることとなりました。(せっかちなアナタは 18:50 - 25:05(動画のタイムライン)の 6分だけでもいいから見てっ!)

ジェンダーを特定すると、一方が(この場合は男性が)排除されたように思うかもしれません。すねちゃったらごめん、男子。核問題を憂いている男性ももちろん多くおられると思います。しかし、このいまの問題に限って言えば、やはりこれまでの原発を推し進める中で男性より女性の不安の声が抑制されていたことや(だから電力会社の PR館は主に母子がターゲット)、原発国策が男性の舵取りだったことなどを思うと、人間として怒りを覚えると同時に女性としてもなにか矛盾を感じませんか。保安院や電力会社幹部に女の人いるんかなー とかね。 311 以前にそういった立場に置かれながらも、ポスト 311 で真っ先に各地で動き出したのが母親たちだったように思います。水爆実験のときのように、誰かが統率するでもなく全国各地で起こった、数多くの「こどもたちを放射能からまもる」目的の母親たちのグループ。振り回されながらも、このままおっさん主導ではいのちをまもれない!と声をあげる決断をした女性たち。この女性たちの動きが勢いづくか衰退していくかに脱原発のすべてがかかってきているような気すらします。男性はいつの間にやら長いものに巻かれてしまいがち。女性は男性よりも「根に持つ」傾向が強い(脳のつくりにそのような違いがあるとか)。こわいですよー。

「女性のあなた、女性の力を」と言われたとき、男性のそれとは異なる響きがします。現代でも社会の中で自らを過小評価しがちな女性たちに「あなたにもできる、あなたじゃないとできない」と奥底のパワーを引き出し、喚起して、それらを集結させる。それは現在の暗闇の中で見ることのできる、数少ない明るい希望のひかりのひとつだと、わたしは思います。

偶然にも、ここ一週間くらいで「女たち」のアクションが立て続けにラウンチされたので、最後にそのお知らせをさせてください。
 (キックオフ集会が 11/23 にあるようです。呼びかけ人が豪華!)
 (経産省前・座り込み決行!10/27 〜 29)
 (福島の女たちに連動して座り込み 10/30 〜 11/5 ...
  "経産省前女子会" はぶっ通し 10日間だそうです。行くかな。)
関西でも、おかんとおとんの座り込みがある模様。おか〜ん。
この秋、女たちの sit-in がアツイ!

関連リンク:
「制御されている私たち 原発推進の内なる空気」(作家 金原ひとみさん) "・・・多くの人が癌で死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。"

(おまけ写真:古文書。おそらく 70s のブックレット。念の込められたタイポグラフィーとキュビズム、誰もまねできないデザインに脱帽。)

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