3.11以降、放射能と原発についての情報や思考から一日たりとも離れたことのない自分からしてみると、普通に、なにも変わらずフルで回っている周囲の日常を見ると不思議な気持ちになることがあります。3.11 を境にまったく別世界になってしまったとすら感じているのに。福島でなく都下在住だけど、ここに住んでいて子どもを守りきれるかとすら毎日疑っているというのに。先日も最近都下に新築マンションを購入したというママの話を聞き(その人の人生だから自由なのだけど)この今に、迷うことなくこの都内に居住し続けるコミットメント(=住宅購入)をしたことについて本当に驚きました。妊婦なのに、焼き肉とお寿司を食べにいく強者の話も聞きました。
原発作業員の方々の中には(報道されないけれど)明らかに被曝起因の死者が既に出ているようです。しかし低線量被曝の実感というのは、からだに何らかの症状が現れてこない限り、真剣に考えないのだと思います。長期間の低線量被曝はじわじわと蝕まれるものであり、数年後に、ガンなど症状はひとつではなく、様々な症状として現れてきます。その症状も度合いも個人差があるため、被曝との因果関係が証明しにくく、それをいいことをいいことに、政府の被曝の健康被害の補償はうやむやです。補償をもらったとしても子どもの健康が取り戻せるわけではないでしょう。数年後に「あのとき、ああしておけば・・・」と思わないように、今、親がリスクを避けられるだけ避けさせるしかありません。そのリスクについての情報を単に知らないのか、知っていても認めたくないのか、状況を楽観視しているのか・・・わたしには、たとえ友人であっても、放射能汚染に関心を払わないひととの乖離を埋める時間と余裕はもうありません。ごめん。他人に忠告をしても、アクションを起こすまで付き添うことはできません。わたしがおかしくなって(入信?)離れていったと言う友人もいるかもしれないけれど。
先週、遅ればせながら鎌仲ひとみ監督の、上関原発に反対する祝島の住民とスウェーデンの自然エネルギー事情を映したドキュメンタリー「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会を見に行きました。子持ちの幼なじみの友人に声をかけたところ、平日にパパさんに休みを取ってもらって子守りをお願いしてまで見に来てくれました。原発事故以降、その友人は原発問題をはじめ放射能汚染の警告にも耳を傾けてくれて、幼い息子くんのために食材に気をつけています。わたしの助言だけによる行動ではないし、彼女との価値観が合ったのだと思うのだけど、大切な友人のひとりとその家族がわたしと同じ方向を向いてくれているということは嬉しい。友人たちの身を案じて言葉をかけても、どれだけ響くかはわかりません。提供した情報をどう処理してどう動くかはそのひと次第でコントロールはできないし、度が過ぎれば自分の考え方の押しつけと言われてしまうでしょう。それぞれの人生だ、それぞれの選択だ、と言われたらそれまでです。他人をまもることは、難しい。自分の言葉の非力なことよ。だれかを救えるなんてことは思い上がりにすぎない。だからこそ、その友人のアクションは本当に、本当に嬉しかったのです。ありがとう。
地震も北関東のみならず、中国地方で、日本全国で明らかに活発になってきています。地震自体よりもそれに伴って起こりうることの方が怖い。地震で、いまだに危うい(年内に冷温停止なんて到底ムリ!)福島第一になにかあったら or もうひとつふたつ新たに原発事故が起こったら、日本には食べるものも住むところもなくなってしまう。どこで地震が起こっても、日本全国にくまなく原発や核関連施設があります。年始までに首都圏の地震が起きる可能性もあるというし(予知はあくまで予知だけれど)・・・落ち着きません。とりあえず被曝回避+原発をとめるべし!は変わらずに。
内部被曝についてのおさらいをしようと思ったのに、少し違う話しになってしまいました。それは次回とします。
【 追記 11/27 】
言ってしまえば、子どもも他人です。うちの子は小さいけれど、もし10代くらいだったら、親の「あなたをまもるため」の様々な抑制や行動の指示を聞いてくれているだろうか。子どもも手を離れて一緒にいない時間が多くなれば、食生活や行動をコントロールできないし、厳しく管理したいと考えるべきではないでしょう。でも今、側にいる限りは、わたしの知る限りの知識で、まもろうと思っているからね。
 
 
 
 
 
 
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