自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/09/23

コンセントの向こう側

9月19日、東京でふたつのデモが行われました。明治公園の集会から出発した「さよなら原発5万人集会」は、結果的に 6万人を越える(主催者発表)最大規模のデモとなり、警察により隊列が分断されたので 2時に始まったデモは夜まで連なっていたようです。子連れなこともあって、ルートの途中からこのデモに参加しました。久々の古典デモ(のぼり旗シュプレヒコール系)は、なんだか航海しなれた大型船に乗っているような安定感(?)がありました。6万の動員は、さようなら原発1000万人アクションが母体となり古参グループたちが全国を繋いでまとめあげたイベントに、新しい世代のネットワーキングがいっしょに働いて生まれた結果だと思います。大江健三郎さんなどが参加されたことのバリューもありました。福島からたくさんの方々が団体で来られていて、登壇された方々の中では、福島のハイロアクションの武藤類子さんのスピーチが響くものだったので一部を抜粋します。


「(前略)原発事故を境に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被ばく者となりました。大混乱の中で、私たちには様ざまなことが起こりました。すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。
 毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。様ざまな苦渋の選択がありました。
 そしていま、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、事故は未だに終わらないのだ、福島県民は核の実験材料にされるのだ、莫大な放射能のゴミは残るのだ、大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ、私たちは捨てられたのだ・・・ 私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
 でも口をついてくる言葉は、私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな・・・です。福島県民はいま、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親が、父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが。自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。大量の被爆に晒されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者たちが。土地を汚された絶望の中から、農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が。一人一人の市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと、声を上げています。
 私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地に留まり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに、注目してください。政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、原発と放射能についての学び。そしてどこにでも出かけて、福島を語ります。きょうは、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りの、あらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
 もう一つ、お話したいことがあります。それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。私たちは何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いをはせなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。
(中略)
 できうることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
 私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
 私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。」

福島の生の声。どれだけわたしたちは福島の声をリアルに知っているでしょうか。聞いたことがあるでしょうか。先日、わたしが今住んでいる東京西部の市へ福島から避難されてきた方がいると人づてに聞いたとき、ここが「避難先」であることを初めて意識して、考えさせられました。ここも安全圏ではないと、わたしや一部のお母さんたちは日々悩んでいるというのに・・・。都内は福島よりも比べ物にならないほどマシであることは理屈ではわかっていましたが、福島の苦悩は想像を絶する - わたしたちがわかろうと思ってわかるスケールではないのだと思います。きれいごとですが、しかしながら、わからないからといって寄り添おうという気持ちは放棄してはいけない。コンセントの向こう側を、わたしたちはもう知ってしまったのだから。

【 余談 】
代々木公園から出発したもうひとつのデモも、かなりの盛り上がりを見せた様子。頼もしいパワーです。継続あるのみ。明治公園が埋め尽くされた俯瞰写真を見たときには「レボリューションの兆しや・・・やっと海外のデモみたいになってきた」と涙目になった反面、これは始まりにすぎないぞ、気を引き締めていかなあかん!と。とりあえず「ヘリ飛ばしてくれてサンクス!」と毎日新聞にお礼ツイート。マスコミのねじ曲がった姿勢も、わたしらで褒めて叱って正していくしかないのですぞ。

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