・福島県で有機農業を営まれている大河原さんのお話
「私は 26年間、家族とともに農業、化学肥料を一切使わない有機農業を営んできました。年間約 50種類の野菜や穀物を栽培し、和牛と鶏も飼っています。25年前、長女を出産した 2ヶ月後にチェルノブイリ原発事故が起き、8000km 離れた日本でも放射能が検出され、母乳を飲ませていた私は恐怖を感じました。家から東に約 40km にある福島第一原発。将来わが子を苦しめることになるのではないか - 私は原発について学習を始め、友人知人に原発の危険性について知らせ、講演会を開くなど活動を行ってきました。しかし、その後 5人の母となった私は、育児、畑仕事と忙しく動き回り、次第に反原発の運動から遠のいてしまいました。そして近年、農民は異常気象に苦しみ続け、原発が「温暖化防止によい」のであれば、必要悪なのかとさえ思い始めました。そして 3月11日 - 経験したことのない揺れ、目の前で道路が割れました。家族の無事を確認した瞬間、戦慄が走りました - 原発は大丈夫なのか?思わず東の方向を見ました。このあと何が起こるか、私は学習したはず。20年も前に何度もその怖さを知っていたはずなのに、私は何にもしなかった・・・。
3月26日現在、福島第一原発は放射能物質を空中に、海中に吐き続けています。国や東京電力の対応は、何を守ろうとしているのかわからないほど、期待とは程遠いものです。一滴の農薬も、一粒の化学肥料も使わずに耕してきた私たちの畑に今、放射能の塵が降っています。でも私はあきらめません。いつか必ず、再び豊かな農作物を収穫してみせます。そして、このあとの人生をかけて、この世界から原発をなくすための運動をします。故郷、福島で再び微笑みが戻るよう、一人の親として、一人の大人として、責任を果たしていこうと今、強く思っています。」(4/15 グリーンピース/ニュースレターより)
先日の野菜デモで訴えられていた農民の方が「放射性物質が降った土でも、廃棄されるとわかっていても、野菜を作らなければならない。そうしなければ補償が受けられない。これほど働く人間をバカにした話があるか」と叫ばれたのを聞いて、これは拷問以外の何ものでもないと思いました。穴を掘ったら埋めての繰り返しや、砂山をひとつの場所から別の場所へ運んで終わったらまた元の場所に戻せと命令される拷問方法が実在します。せっかく汗水垂らして達成したことは何にも生まない、それを知っていてもやらなければならない。体力的なものより精神的消耗が激しい拷問です。
それでも農家の方たちは、絶望の中でも、動いています。
もうひとつ、被災していないこっちが勇気をもらえてしまう、被災地に生きる方々の「決心」が見られる「復興の狼煙」というポートレイトを集めたプロジェクトをご紹介して、今日は寝ます。
0 コメント:
コメントを投稿