自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/04/19

テレビが演出してくれる日常生活にて

やっと原発事故終息に向けての工程表が東電から発表されました。これまで具体的見通しというものが何もなかったので、やっと出たか、という感じですが、甘すぎるのでは(東電会長自身も「不確定要素が多い」と注をつけての発表)と早速批評されています。確かに、作業に支障をもたらす余震や高い放射線量など外的要因をあまりふまえていない「すべてうまく運んだ場合」のもので、そういったアクシデントがあったケースをシュミレーションしているのかというのを教えてもらえるとちょっと安心できるんだけどなー・・・悪い方に運んだら「想定外」なのかなー。

東京では、放射能の飛散の懸念もピークを過ぎ、あの地震も原発事故も夢だったのではと一瞬錯覚するフツウさが戻りつつあります。節電で薄暗い街角を見たり、余震を感じたり、スーパーで欠品がある棚を見て、現状を再確認します。被災地でなくても、この現状がつらすぎて精神的に耐えられず、わざとネガティブな情報をシャットアウトしている人もいるし、日々通常通り働くことで平静を保っている人も多くいることを考えると「通常通り」が大切なのもよくわかります。でも、これが続くとまた何ごともなかったかのように、直されるべきことが直されず、もとの震災・原発事故前に戻ってしまうのではというのを恐れています。なんだか「喉元過ぎれば・・・」の影が既に忍び寄っているような。強い余震の可能性は10年というスパンで警戒しないといけないとのこと。余震がないにこしたことはないけど、忘れるべきでないことを思い出させてくれるリマインダーとしては役割もあるのかな、と思ったり。

テレビはあまり見ないし、何も期待していないのだけど、テレビを見ると特に現実逃避感を感じます。バラエティ番組にも役割はあるはあるけど、日本のテレビは完全に娯楽メインであって、残念ながら信頼できるニュースソースや教育的役割を持つものではないようです。佐藤優さんも仰っていましたが、東電をはじめ電力会社10社と電気事業連合会が費やす広告宣伝費はすさまじい額で(あえて言わずとも普通にテレビや新聞雑誌を見ているだけで「よく見るな」と気づくくらいですが)その支出はトヨタも抜くほどだと言います。事故を詫びる CM や新聞一面広告を数千万、数億かけて打つくらいならその金で福島を助けろ!と言いたいですが、ともあれ、電力会社がスポンサーの地位についている限りは不都合な情報はテレビ、ラジオ、新聞雑誌からは出にくいということ。

芸能人の支援活動なども震災直後から話題によくのぼります。現場に行っての支援や、義援金寄付やチャリティー、歌を歌って励ますのも大切なことなのかもしれないけど、影響力のあるポジションだからこそ、未来のためにもっとエネルギー問題や政治に突っ込んだ発言をしてもらって、国をいい方向に動かしていく手伝いをしてもらえんのかな(逆に弊害もあるかもしれませんが)。ムリなんでしょうけど。一方、海外の俳優や歌手は環境問題へのスタンスや支持政党を明確に表明して、キャンペーンを行ったりします。日本の芸能人にあまりその傾向が見られないのは、意識が高い人があまりいないというより、そういった事務所やスポンサーのしがらみが大きいため、社会問題に下手に関わると仕事の存続に関わるようです。俳優の山本太郎さんはかなりのアウトローっぷりで「原発問題に触れると芸能界で干されるって知ってました?でも言ったる!」といった主旨のことを Twitter で叫んだ(たぶんつぶやかないで叫んだ)あと、高円寺のデモに参加して、その骨太の言動が讃えられていました。清志郎の時代には反体制ソングを発売したら即中止をくらっていましたが、先週だか斉藤和義さんが「ずっとウソだった」(自分の曲を反原発ソングにセルフカバーした)をネット配信して(マスメディア以外で)話題になっていたり。そんな理不尽な制裁を恐れずに声をあげる人、リスペクトです。

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