東京を住まいとしている私や周囲のほとんどの人間は、東北の方々のように壮絶な被災をしていません。しかしあの日、未体験の怖い思いはしましたし、それぞれに忘れることのできないドラマがあったはずです。2011/3/11 を境に、以前・以後で確実に人々の中で「何か」が変わりました。その後、放射能汚染の恐怖やエネルギー供給の危機などが出口が見えないまま今なお続き、戦時下のような非日常的な深刻な状況が日常化してきてしまっています。
「私たちの生活スタイルを見直さないといけないときが来たのだと思う」と、私の周囲の友人も口々に言いました。多少落ち着いてきたとはいえ、日々この「非日常的日常」を生き抜くために追われ、または冷静さを保つために(あえて深く考えるのを避けて)いつも通り働きに出て仕事に励んでいるために、何をどう見直せばいいのか、糸口も見つけられないというのが普通なのではないでしょうか。すべては「エネルギー問題」に集約されます。・・・かなり大きなくくり方をしてしまったので、私も今何から言い始めていいかわからなくなってしまいました。以前、環境保護団体に関わっていた手前、原発の問題が身近でした。私はエネルギー問題のエキスパートでも学者でもありませんが、だからこそできる「間」の役割もあると思っています。知る限り・信じる限りのところで(私のフィルターがかかっている視点になりますが)「今回の事故ではじめて原発の問題に気づいた」友人に私がぐだぐだ説明する、というレベルで、いろいろなことを書き留めていきます。
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