自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/04/24

お母さんのちから

文部科学省は20日に「福島県内の小中学校などで屋外活動を制限する放射線量の暫定基準を、年間20mSv(ミリシーベルト)に定めると記者発表を行ないました。年間 20mSv は国際的基準の中でも最も高く、原発の作業員の方々と同じレベルということで、「子どもの基準として適さず、根拠も不明」と市民団体が呼びかけて数値を撤回するよう交渉。その録画をわたしも見ましたが、問いつめられた文科省の役人と原子力安全委員会などの出席者は、20mSv が放射線管理区域よりはるかに上回るレベルであることなどを知らず、判断基準があいまいで、福島の現状をまったく理解していないことがわかりました。また、この 20mSv には食べ物や塵などによる内部被爆は含まれていないことも判明。法的整合性(放射線管理区域の線量レベルは年間 5 mSv で、労働基準法で 18歳以下が働いてはいけないなど)も認識していなかったという・・・出る言葉なし。抗議に上京されてきた福島のお母さん方は激怒で震えていました。この件についての決定撤回を求めるオンライン署名が行なわれています。また、2週間ほど前に比較的原発に近い福島県内の避難所に物資を届けた方から聞いた話ですが「現地では子どもたちへのマスク着用はまったく徹底されていなかった。現場の担当者が放射線量を計測していると言っていたが、地上から1m上くらいの空間線量で、子どもが動き回る高さに近い地面ではおそらく 10倍以上の数値が予想される(放射能は塵や土に蓄積されるため)」と言っていました。「放射性物質はまったく目に見えない、匂いもない、自分が被爆してもその徴候はすぐにはない・・・放射能の何が怖いかがわかった」とも。大人がこうなのです。子どもにそれを教えることはどんなに難しいか。

昨日にも、茨城県や千葉県に住む女性の母乳からごく微量の放射性ヨウ素が検出されたと市民団体の調査結果がでたニュースが流れ、厚生労働省は実態調査を行なう方向だとか。大人の決めたことで、まったく罪のない子どもたちが苦しむことになるのは本当に腹がたつ。こんな理不尽なことはありません。「子どもを守らなければ」というのは、誰もがその通り!と思う事項だと思っていましたが、官僚はそんなことは思いつきもしないようです。一方で、今わたしは「母親たちの力」について可能性を感じています。


明日、アースデイに合わせてその会場(東京・代々木公園)から出発する「エネルギーシフトパレード」があります。パレードっつっても「デモでしょ?」と思われるかもしれませんが、楽しみながら「自然エネルギーがある未来の方がいい!」と世の中に主張する新しいイベントだと思っています。ほんの少しだけ運営に関わらせてもらっていて、わたしも子連れで行きます(参加したい!という方はゼヒごいっしょに!)。裏話ではありませんが、企画する側として「誰もが参加できる/反対を叫ばない/「次」の提案をする」集いにしたいというのがあり、もちろん脱原発なのですが、自然エネルギーという代替案へのシフトがメインメッセージなわけです(それだと極端に言えば原発維持派のひとも参加できるわけです、いないと思うけど)。原発の問題点と自然エネルギーのメリットは表裏一体。あえて原発の問題をあげつらわなくても、みんなが自然エネルギーについて正しく知れば、おのずと転換の動きになる。なので、ハードコアなプロテストデモとは毛色が違います(どっちがいい悪いはありません。どっちも必要だし、個人的にはどちらもアリです)。この方向性が決まったときに、運営側の方の中でマザーテレサの言葉を引用された方がいました・・・(マザーテレサが反戦運動への参加を求められて)「わたしは反戦運動には参加しません。しかし平和運動には参加します。」ー 特化したことに反対を叫ぶと対立を生み、問題の根本的解決が難しいという意味だと思います。既得権益が絡んでいない一般の方でも、現在盛り上がりつつある反原発運動を毛嫌いしたり、意味のない自己満足のお祭りだとしらける方々はいます。そうでなくても、デモに引いてしまったり「運動」に抵抗感を覚えて関わることに踏み出せない(でも状況をなんとかしたいとは思っている)方も多くいます(これは日本人の宗教に対する考えが関わっていると思いますがそれは置いといて)。こんなときに、みんな普通の人々なのに「活動家」と「活動家でない人」という分け方をして「わたしは活動家ではないから」と構えるのはどうかと思ってしまいますが、それはわたしが活動家側に近いところにいるからかもしれず、逆からはその一線がはっきり見えるようです。その線をとっぱらおうというのが、このエネパレが達成したいことのひとつで(前置きが長くなりましたが)わたしはそこで「母親」といういかなるセクションも越えるユニバーサルな存在が、いろんなギャップを埋める役割を担えるのではと思っています。どこの出身でも、若くても年配でも、お金持ちでもそうでなくても、活動家でも活動家でなくても、子どもを守りたいという母親共通の強い想い。そして子どもたちが今危険にさらされているという現実。お母さんたちによって「運動」の雰囲気がやわらかくなって、彼女らの存在や言動が今まで動かなかった層も導けるのではないかと思っています。それに、子どもたちにも参加してもらいたい。大人より子どもたちの方が未来の当事者なのに、今の大人の決断で振り回されるのは彼らだし、きっと子どもだって怒っている!それに市民が行動することの重要性を今のうちに子どもたちが体験することが、日本の未来をより明るいものにしてくれると信じています。

と、いうことで明日(もう今日になっちった)の「エネルギーシフトパレード」は代々木公園から2時スタート!いくつかのグループに分かれての出発になります。その最初の隊列が子連れのグループ!(子どもは集合から出発まで長いこと待てないという配慮から)その他様々なグループがあってどこに参加するも自由!楽しくなりそうです。

最後に、母強しの話をもひとつだけ。昔、ラアーグ再処理工場(フランス)の近くに暮らす「怒れる母たちの会」というグループを招いて、六ヶ所再処理工場の危険性を訴える講演の催しに関わったことがありました。「子どもの健康が原子力産業によって侵されることは耐え難い!」と、学校教育や教師の間で原子力問題の議論を喚起したり、政府に働きかけたり、積極的に活動をされている普通のお母さんたちの集まりで、とてもパワフルでした。その名のとおり、母たちは怒っているのです。日本でも。自分が母親になって初めてわかりましたが、子どもの寿命が削られるなら自分のを削ってあてがいたいというくらい、子どもの健康を守りたいと強く思っている。日本でだって母親たちは意思を持ち、怒っているけど、うまい解決方法や意思表示の手段を見つけることができていないのだと思います。その層が動き始めたら本当に強いと思う。それにその層が無理なく活動/意思表示できるようなアイデアも必要です。まだリサーチ不足でオフィシャルな団体として立ち上がっている母の会はあまり確認できていないのですが、日本でも
「5年後、10年後こどもが健やかに育つ会」という関東圏の普通のお母さんたちの繋がりができたらしく、行政などに働きかけを行なっているそうです。歴史としても昔から母の会は多くありました。今ももっと存在するはず。 この放射能汚染によって、母や妊婦さんに限らず、これから子どもを産みたいという女性たちにとっても安心して産めない環境になってしまいました。
エネルギー問題は国の少子化にも関わるばかりか、何よりそういった個人の人生の選択にも影響を与えてしまっていると思います。母のみならずすべての女性たち、もっと怒ってよいのです。

「女性の直感は、しばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐ」
- Gandhi

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