日曜日、代々木公園のアースデイ会場から出発 - 渋谷駅などを練り歩きエネルギーシフトを訴えた「エネルギーシフトパレード」は 5000人超の方々が集まりました。静岡の賛同者の方が摘んでくださった 1000本の菜の花(放射能物質を含んだ土壌を再生する働きがあるとのこと。自然ってすげーな。)が会場へ運ばれ、各々それを手にしたり、自作のプラカードを掲げて歩かれていました。この集いが目指すように、今までこういったパレード(デモ)に来たことがない層が多く集まっていたように思います。アースデイという場を借りたことも功を奏したか、明るい未来を求めるポジティブなパレードで、問題に関心を持っている人がそこからひとつ踏み込んで腰を上げた(よいっしょ)という「導入的」な役割は果たせて、それはとても意味があったと思います。でもお祭りだけで浅くならないように、これからより原発代替案(自然エネルギー+エネルギー効率アップ)のアピールを強めたり、立ち上がった人たちにこれだけの同志と何がいっしょにできるのかを共有したりするなど、いろいろと課題はあると感じました。これは「原発依存から自然エネルギーへ向かおう」というのがメインメッセージの集いでしたが、他の地域では、原発反対!東電の責任を追求するデモ、農家が牛を連れて野菜を積み上げ賠償請求をする怒りのデモ、地震が起きたら一番危険な浜岡原発をとにかく今すぐ止めろというデモetc... くくってしまえば「脱原発」だけれど、本当に様々な趣旨がそれぞれにあって、今日本各地で活発化しています(毎週末どこかで必ずやっています)。
デモやパレードで何が変わるのでしょうか。公に意思を表示する、たくさんの人が思っていることをまとめて形にすることの意味は、わたしはあると思っています。その動きは大規模だったり断続的に行なわれると、意思決定者も圧力として捉えるかもしれません。「民意に動かされた」ということばも幸い存在します。それもちょっとばかり期待しながら、それよりも同じ思いのひとが集まり、自分だけではないんだと信念を強めたり(確認したり)、情報交換をしたり、決起するスタートラインなのかなと今感じています。これからもデモは参加したいと思っていますが、ここ数日で若干思うところがありました。このエネパレに途中参加してくれた親戚の Mくんが、参加しながらも「日本人にはこれ(デモ/パレード)はハードルが高いっす」と言ったとき、普段なら「そだね、でも必要なことだよ。動かないと!」と言い返すところ、妙に納得してしまったのです。そうか、日本人だもんな(って今まで何人?)。ドイツのように 25万人規模のデモが日本でも起こればそれは素晴らしいことですが、日本には日本風の革命のやり方があるんだろうな、と。それはそれは静かな、だけどもしたたかに(バルト三国の革命のような)進行するものなのかもしれないな、と。日本人、みんな心の中では立ち上がっているのかもしれないな、と。だけど心に秘めてばかりでは何も起こらないのも事実です。どうにかそれを表さなければ。表したものを集約するアイデアを早く捻出しなければ・・・。
デモ参加をスタートとするならば、次のステップのおしらせです。河野太郎議員が、強力な「わたしたちにできること」の提案をされています
(4/23 河野議員のブログ)。現職の議員の発言とは思えないほどすてきです。要約すると、自分の選挙区で選出された国会議員に電話したり、事務所に訪問して「こうしてください」を伝える、というアクションです。これまたハードルが高いと思われるかもしれませんが、その議員たちはわたしたちの一票で選んでやった代表者(だから「代」議士)で、次の選挙もかかっていますから(選ばなかったら失業者)、こちらが構えるよりもやさしく対応してくれるはずです。適切でない対応をしたら、それこそ今はネット上でネガティブキャンペーンをされてしまうと向こうは恐れているかもしれません。わたしも時間を見てやってみようと思います。
この「My 選挙区議員アタック」をやったり、会社の人は自然エネルギーからの電気を買ったり、アンペアダウンしたり、注文の多い消費者になったりというアクションを、国民総動員でやったらどうでしょうか。デモのように特定の日時に特定の場所に行くというのは確かにマス・アクションとしては難しいところもあります。署名も大切だけれど、それも存在を知らなければ、紙でもオンラインでもアクセスがなければ機会を逃してしまいます。でもこれならば自分の好きな時間にいつでもできますね!(って結構勇気がいることではあるけれど)。ダイレクトなアクションは相手が嫌でも無視できないというのも強みです。
「参政権というのは投票するだけじゃないんだ。議員になってほしい人を応援すること、議員になったあとも自分の意見を反映してもらうようにすることも含めて参政権なんだよ。」と知人が言っていました。まさしく!歴史上や他の国では参政権を求めて死んだ人たちもいます。今は当たり前のようにあるけれど、それを当たり前にしようと命をかけてくれたひとたちの上に、わたしたちが手に入れているものです。河野議員も前出のブログ投稿をこうしめています - 「(日本では)リビアと違って、政府軍が攻撃してくることはありません。北朝鮮みたいにそのままどこかに連れて行かれて行方不明になることもありません。声を上げますか、それとも泣き寝入りですか」。
「達成するまで、それは不可能に見える」
- Nelson Mandela
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