まだ被災地では過酷な状況が続く中で、放射能日本大拡散の危機の中で、「それらが落ち着いたあとの次のこと」と思われるかもしれませんが、今から国民総動員でやらないといけないことがあるので、原発とエネルギーの話を中心にすすめています。
地震は天災、原発事故は避けることのできた人災、と多くの人が言います。今回の事故で、原発の様々な問題点を国民がやっと知ることになりました。その中でも原発のコスト、環境負荷、安全性など発電に関わる問題点もあげればキリがないですが、今回露呈した電力会社の管理面のずさんさ、重なる嘘(データ隠しや改ざん)や既得権益などの組織の体質はかなり悪質です。"原子力村"(原子力産業界、電力会社、原子力官庁など)の数十年にわたる大暴走も誰にも止められず、とうとうここまできてしまいました。国策とあってか、原発に様々な問題があることがわかっていても、掘り下げて報道されることはありませんでした。
原発のある町は原発城下町、原発銀座と言われたりします。安全だからと念をおされ、雇用や補助金と引き換えに、貧しい地方の町は原発と共にそれなりに栄えます。町に原発はできてしまっても、原発に反対する地元の方々は存在します。誘致から反対を掲げて闘って破れてもずっと、子どもたちの未来のために声をあげ続けるとても強い方々です。反原発の集会に行くと、そういった草の根団体から国際NGO、核廃絶と平和運動という大きな枠で反核を訴える原水禁のような古株からオーガニック系(?)ヒッピーな若者たちまで、本当に様々な団体が存在します。(メモ:反原発でなく「脱原発」と呼ばれることがあるのは、原発依存から「脱」の意で、代替エネルギーの提唱も含まれたりします。自然エネルギーの普及や政策提言をすすめる団体も、切り口が違うだけで、原発をなくしていくための活動だったりします)。原発事故はこれまでも所々で頻発していたので、その都度にデモがあったり、政府や知事や電力会社宛ての署名活動を行って原発停止の申し入れをしたり、活動はそれこそ 3-40年くらい前から止むことなく続けられていました。メディアに無視され、左派マイノリティーのように扱われつつ、ひとしれず、ずっとずっと危険を訴えていました。チェルノブイリやスリーマイルを機会に原発反対の声は膨らんだり縮んだり、近年国内で柏崎刈羽原発の火災があっても一部の人を除いて国民は無関心でした。そして今回の事故・・・。上に述べたような人生の一部を反原発に捧げているような方たちに比べたら、私は片足(膝くらいまで)しか突っ込んでいなかったような関わり方だったので、こんなことを言えた義理でもないですが、福島の事故に対して表現しようのない怒りを感じていました。「だからあんなに言ったじゃん!!」と。以前勤めていた環境保護団体の同僚だった原子力問題に詳しい友人は、事故発表後すぐに「できるだけ西に逃げた方がいい」と電話をくれ、しばらくやりとりしたあと、一週間後くらいに「やはり娘がいるから連れて西に逃げるわ」と言って疎開しました。その友人との会話の中で、彼女が「・・・ニュースで双葉町とか町の名前聞くとさ、一緒に(脱原発で)闘った仲間がいるんだよね、あの辺・・・」と漏らしたのを聞いてふと思いました ー 私がこんなに怒り狂っているなら、福島で、地元を愛して地元に留まりながら危険を訴えてきて被災した方はどんな心境だろう、反原発運動を生活の一部としてずっとずっとやってきた人たちはどんな思いでいるだろう、そして同じ「地元のために」という想いから原発に賛成して被ばくの危険に直面している人はどんなに悔いているだろう・・・。人づてに聞いたのですが、先週くらいに反原発デモがあったとき、今回の事故がきっかけで初めてデモに参加したという男性が「長年反対運動をされている人たちの中に今頃自分が入っていって申し訳ない気がしたんですが、皆さん逆に『自分たちの力が足りなくて原発を止めることができなくて(福島の事故が起きて)本当に悔しい』って言われるんです」と語っていたそうです。 そんな自責の念まで達しているのはもう聖職者の域としか思えませんが(私の怒りもそこで冷めて思わず拝みました)、それとは少し違うけれど、怒りのトーンでないという意味で、長年一貫した反対運動をされている方ほど「(政府や原子力村と)柔軟な対話を」という姿勢が見られます。さすがや。私(と日本が)今一番頼りにしている ISEP(環境エネルギー政策研究所)の飯田哲也さんもずっと前から具体的な代替案と対話で解決策を導こうと活動されている方のひとりです(エネルギー政策の具体的な行方に興味のある方はゼヒ飯田さんからの情報を Twitter や Youtubeなどで追ってみてください。安眠できます)。こんな危機的状況なら向こう側もやっと一緒に話してくれそうです。やっとだよ・・・。
「ストップ(原発)」や「チェンジ」ではなく「シフト」だ、ということがいろんなところで言われています。原発から自然エネルギー主体のクリーンなエネルギー政策へシフト、そして経済成長ありきからそうでない社会へのシフト。これだけの世界的に最悪のスケールの犠牲がなければ、このシフトの機会が得られなかったというのは、とても悲しくて悔しいことです。だけど、犠牲をムダにしないためにも、これを最大のチャンスとして私たちが国を建て直していくしかありません。「原発の電気を使って便利な生活させてもらってきたし、結果(放射能漏れ)からだけ逃げられないから、ここ(東京)で暮らすよ」と力ないメールを送ってきた友人がいました。さっきの「初めてのデモでこれまでの無関心を負い目に感じていた人」と似ていますが、今まで何もしないで原発の電気を呑気に享受してきたことは罪ではないけれど、問題の存在をうっすら知りながら放置していたことには確かにわずかな非はあるかもしれません。その非をちょっぴり感じている素直な人こそ、今、原発からのシフトがうまくいくように動いてほしい。今からでもまったく構わないから(というか今こそ)ぜひ一緒に。みんなと、自分のために。
なげーな、この文。
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