自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/04/28

決心する人々

・福島県で有機農業を営まれている大河原さんのお話

「私は 26年間、家族とともに農業、化学肥料を一切使わない有機農業を営んできました。年間約 50種類の野菜や穀物を栽培し、和牛と鶏も飼っています。25年前、長女を出産した 2ヶ月後にチェルノブイリ原発事故が起き、8000km 離れた日本でも放射能が検出され、母乳を飲ませていた私は恐怖を感じました。家から東に約 40km にある福島第一原発。将来わが子を苦しめることになるのではないか - 私は原発について学習を始め、友人知人に原発の危険性について知らせ、講演会を開くなど活動を行ってきました。しかし、その後 5人の母となった私は、育児、畑仕事と忙しく動き回り、次第に反原発の運動から遠のいてしまいました。そして近年、農民は異常気象に苦しみ続け、原発が「温暖化防止によい」のであれば、必要悪なのかとさえ思い始めました。そして 3月11日 - 経験したことのない揺れ、目の前で道路が割れました。家族の無事を確認した瞬間、戦慄が走りました - 原発は大丈夫なのか?思わず東の方向を見ました。このあと何が起こるか、私は学習したはず。20年も前に何度もその怖さを知っていたはずなのに、私は何にもしなかった・・・。
3月26日現在、福島第一原発は放射能物質を空中に、海中に吐き続けています。国や東京電力の対応は、何を守ろうとしているのかわからないほど、期待とは程遠いものです。一滴の農薬も、一粒の化学肥料も使わずに耕してきた私たちの畑に今、放射能の塵が降っています。でも私はあきらめません。いつか必ず、再び豊かな農作物を収穫してみせます。そして、このあとの人生をかけて、この世界から原発をなくすための運動をします。故郷、福島で再び微笑みが戻るよう、一人の親として、一人の大人として、責任を果たしていこうと今、強く思っています。」(4/15 グリーンピース/ニュースレターより)

先日の野菜デモで訴えられていた農民の方が「放射性物質が降った土でも、廃棄されるとわかっていても、野菜を作らなければならない。そうしなければ補償が受けられない。これほど働く人間をバカにした話があるか」と叫ばれたのを聞いて、これは拷問以外の何ものでもないと思いました。穴を掘ったら埋めての繰り返しや、砂山をひとつの場所から別の場所へ運んで終わったらまた元の場所に戻せと命令される拷問方法が実在します。せっかく汗水垂らして達成したことは何にも生まない、それを知っていてもやらなければならない。体力的なものより精神的消耗が激しい拷問です。

それでも農家の方たちは、絶望の中でも、動いています。

もうひとつ、被災していないこっちが勇気をもらえてしまう、被災地に生きる方々の「決心」が見られる「復興の狼煙」というポートレイトを集めたプロジェクトをご紹介して、今日は寝ます。

2011/04/26

歩いて何が変わるのか

日曜日、代々木公園のアースデイ会場から出発 - 渋谷駅などを練り歩きエネルギーシフトを訴えた「エネルギーシフトパレード」は 5000人超の方々が集まりました。静岡の賛同者の方が摘んでくださった 1000本の菜の花(放射能物質を含んだ土壌を再生する働きがあるとのこと。自然ってすげーな。)が会場へ運ばれ、各々それを手にしたり、自作のプラカードを掲げて歩かれていました。この集いが目指すように、今までこういったパレード(デモ)に来たことがない層が多く集まっていたように思います。アースデイという場を借りたことも功を奏したか、明るい未来を求めるポジティブなパレードで、問題に関心を持っている人がそこからひとつ踏み込んで腰を上げた(よいっしょ)という「導入的」な役割は果たせて、それはとても意味があったと思います。でもお祭りだけで浅くならないように、これからより原発代替案(自然エネルギー+エネルギー効率アップ)のアピールを強めたり、立ち上がった人たちにこれだけの同志と何がいっしょにできるのかを共有したりするなど、いろいろと課題はあると感じました。これは「原発依存から自然エネルギーへ向かおう」というのがメインメッセージの集いでしたが、他の地域では、原発反対!東電の責任を追求するデモ、農家が牛を連れて野菜を積み上げ賠償請求をする怒りのデモ、地震が起きたら一番危険な浜岡原発をとにかく今すぐ止めろというデモetc... くくってしまえば「脱原発」だけれど、本当に様々な趣旨がそれぞれにあって、今日本各地で活発化しています(毎週末どこかで必ずやっています)。

デモやパレードで何が変わるのでしょうか。公に意思を表示する、たくさんの人が思っていることをまとめて形にすることの意味は、わたしはあると思っています。その動きは大規模だったり断続的に行なわれると、意思決定者も圧力として捉えるかもしれません。「民意に動かされた」ということばも幸い存在します。それもちょっとばかり期待しながら、それよりも同じ思いのひとが集まり、自分だけではないんだと信念を強めたり(確認したり)、情報交換をしたり、決起するスタートラインなのかなと今感じています。これからもデモは参加したいと思っていますが、ここ数日で若干思うところがありました。このエネパレに途中参加してくれた親戚の Mくんが、参加しながらも「日本人にはこれ(デモ/パレード)はハードルが高いっす」と言ったとき、普段なら「そだね、でも必要なことだよ。動かないと!」と言い返すところ、妙に納得してしまったのです。そうか、日本人だもんな(って今まで何人?)。ドイツのように 25万人規模のデモが日本でも起こればそれは素晴らしいことですが、日本には日本風の革命のやり方があるんだろうな、と。それはそれは静かな、だけどもしたたかに(バルト三国の革命のような)進行するものなのかもしれないな、と。日本人、みんな心の中では立ち上がっているのかもしれないな、と。だけど心に秘めてばかりでは何も起こらないのも事実です。どうにかそれを表さなければ。表したものを集約するアイデアを早く捻出しなければ・・・。

デモ参加をスタートとするならば、次のステップのおしらせです。河野太郎議員が、強力な「わたしたちにできること」の提案をされています(4/23 河野議員のブログ)。現職の議員の発言とは思えないほどすてきです。要約すると、自分の選挙区で選出された国会議員に電話したり、事務所に訪問して「こうしてください」を伝える、というアクションです。これまたハードルが高いと思われるかもしれませんが、その議員たちはわたしたちの一票で選んでやった代表者(だから「代」議士)で、次の選挙もかかっていますから(選ばなかったら失業者)、こちらが構えるよりもやさしく対応してくれるはずです。適切でない対応をしたら、それこそ今はネット上でネガティブキャンペーンをされてしまうと向こうは恐れているかもしれません。わたしも時間を見てやってみようと思います。

この「My 選挙区議員アタック」をやったり、会社の人は自然エネルギーからの電気を買ったり、
アンペアダウンしたり、注文の多い消費者になったりというアクションを、国民総動員でやったらどうでしょうか。デモのように特定の日時に特定の場所に行くというのは確かにマス・アクションとしては難しいところもあります。署名も大切だけれど、それも存在を知らなければ、紙でもオンラインでもアクセスがなければ機会を逃してしまいます。でもこれならば自分の好きな時間にいつでもできますね!(って結構勇気がいることではあるけれど)。ダイレクトなアクションは相手が嫌でも無視できないというのも強みです。

参政権というのは投票するだけじゃないんだ。議員になってほしい人を応援すること、議員になったあとも自分の意見を反映してもらうようにすることも含めて参政権なんだよ。」と知人が言っていました。まさしく!歴史上や他の国では参政権を求めて死んだ人たちもいます。今は当たり前のようにあるけれど、それを当たり前にしようと命をかけてくれたひとたちの上に、わたしたちが手に入れているものです。河野議員も前出のブログ投稿をこうしめています - 「(日本では)リビアと違って、政府軍が攻撃してくることはありません。北朝鮮みたいにそのままどこかに連れて行かれて行方不明になることもありません。声を上げますか、それとも泣き寝入りですか」。

「達成するまで、それは不可能に見える」
- Nelson Mandela

2011/04/24

お母さんのちから

文部科学省は20日に「福島県内の小中学校などで屋外活動を制限する放射線量の暫定基準を、年間20mSv(ミリシーベルト)に定めると記者発表を行ないました。年間 20mSv は国際的基準の中でも最も高く、原発の作業員の方々と同じレベルということで、「子どもの基準として適さず、根拠も不明」と市民団体が呼びかけて数値を撤回するよう交渉。その録画をわたしも見ましたが、問いつめられた文科省の役人と原子力安全委員会などの出席者は、20mSv が放射線管理区域よりはるかに上回るレベルであることなどを知らず、判断基準があいまいで、福島の現状をまったく理解していないことがわかりました。また、この 20mSv には食べ物や塵などによる内部被爆は含まれていないことも判明。法的整合性(放射線管理区域の線量レベルは年間 5 mSv で、労働基準法で 18歳以下が働いてはいけないなど)も認識していなかったという・・・出る言葉なし。抗議に上京されてきた福島のお母さん方は激怒で震えていました。この件についての決定撤回を求めるオンライン署名が行なわれています。また、2週間ほど前に比較的原発に近い福島県内の避難所に物資を届けた方から聞いた話ですが「現地では子どもたちへのマスク着用はまったく徹底されていなかった。現場の担当者が放射線量を計測していると言っていたが、地上から1m上くらいの空間線量で、子どもが動き回る高さに近い地面ではおそらく 10倍以上の数値が予想される(放射能は塵や土に蓄積されるため)」と言っていました。「放射性物質はまったく目に見えない、匂いもない、自分が被爆してもその徴候はすぐにはない・・・放射能の何が怖いかがわかった」とも。大人がこうなのです。子どもにそれを教えることはどんなに難しいか。

昨日にも、茨城県や千葉県に住む女性の母乳からごく微量の放射性ヨウ素が検出されたと市民団体の調査結果がでたニュースが流れ、厚生労働省は実態調査を行なう方向だとか。大人の決めたことで、まったく罪のない子どもたちが苦しむことになるのは本当に腹がたつ。こんな理不尽なことはありません。「子どもを守らなければ」というのは、誰もがその通り!と思う事項だと思っていましたが、官僚はそんなことは思いつきもしないようです。一方で、今わたしは「母親たちの力」について可能性を感じています。


明日、アースデイに合わせてその会場(東京・代々木公園)から出発する「エネルギーシフトパレード」があります。パレードっつっても「デモでしょ?」と思われるかもしれませんが、楽しみながら「自然エネルギーがある未来の方がいい!」と世の中に主張する新しいイベントだと思っています。ほんの少しだけ運営に関わらせてもらっていて、わたしも子連れで行きます(参加したい!という方はゼヒごいっしょに!)。裏話ではありませんが、企画する側として「誰もが参加できる/反対を叫ばない/「次」の提案をする」集いにしたいというのがあり、もちろん脱原発なのですが、自然エネルギーという代替案へのシフトがメインメッセージなわけです(それだと極端に言えば原発維持派のひとも参加できるわけです、いないと思うけど)。原発の問題点と自然エネルギーのメリットは表裏一体。あえて原発の問題をあげつらわなくても、みんなが自然エネルギーについて正しく知れば、おのずと転換の動きになる。なので、ハードコアなプロテストデモとは毛色が違います(どっちがいい悪いはありません。どっちも必要だし、個人的にはどちらもアリです)。この方向性が決まったときに、運営側の方の中でマザーテレサの言葉を引用された方がいました・・・(マザーテレサが反戦運動への参加を求められて)「わたしは反戦運動には参加しません。しかし平和運動には参加します。」ー 特化したことに反対を叫ぶと対立を生み、問題の根本的解決が難しいという意味だと思います。既得権益が絡んでいない一般の方でも、現在盛り上がりつつある反原発運動を毛嫌いしたり、意味のない自己満足のお祭りだとしらける方々はいます。そうでなくても、デモに引いてしまったり「運動」に抵抗感を覚えて関わることに踏み出せない(でも状況をなんとかしたいとは思っている)方も多くいます(これは日本人の宗教に対する考えが関わっていると思いますがそれは置いといて)。こんなときに、みんな普通の人々なのに「活動家」と「活動家でない人」という分け方をして「わたしは活動家ではないから」と構えるのはどうかと思ってしまいますが、それはわたしが活動家側に近いところにいるからかもしれず、逆からはその一線がはっきり見えるようです。その線をとっぱらおうというのが、このエネパレが達成したいことのひとつで(前置きが長くなりましたが)わたしはそこで「母親」といういかなるセクションも越えるユニバーサルな存在が、いろんなギャップを埋める役割を担えるのではと思っています。どこの出身でも、若くても年配でも、お金持ちでもそうでなくても、活動家でも活動家でなくても、子どもを守りたいという母親共通の強い想い。そして子どもたちが今危険にさらされているという現実。お母さんたちによって「運動」の雰囲気がやわらかくなって、彼女らの存在や言動が今まで動かなかった層も導けるのではないかと思っています。それに、子どもたちにも参加してもらいたい。大人より子どもたちの方が未来の当事者なのに、今の大人の決断で振り回されるのは彼らだし、きっと子どもだって怒っている!それに市民が行動することの重要性を今のうちに子どもたちが体験することが、日本の未来をより明るいものにしてくれると信じています。

と、いうことで明日(もう今日になっちった)の「エネルギーシフトパレード」は代々木公園から2時スタート!いくつかのグループに分かれての出発になります。その最初の隊列が子連れのグループ!(子どもは集合から出発まで長いこと待てないという配慮から)その他様々なグループがあってどこに参加するも自由!楽しくなりそうです。

最後に、母強しの話をもひとつだけ。昔、ラアーグ再処理工場(フランス)の近くに暮らす「怒れる母たちの会」というグループを招いて、六ヶ所再処理工場の危険性を訴える講演の催しに関わったことがありました。「子どもの健康が原子力産業によって侵されることは耐え難い!」と、学校教育や教師の間で原子力問題の議論を喚起したり、政府に働きかけたり、積極的に活動をされている普通のお母さんたちの集まりで、とてもパワフルでした。その名のとおり、母たちは怒っているのです。日本でも。自分が母親になって初めてわかりましたが、子どもの寿命が削られるなら自分のを削ってあてがいたいというくらい、子どもの健康を守りたいと強く思っている。日本でだって母親たちは意思を持ち、怒っているけど、うまい解決方法や意思表示の手段を見つけることができていないのだと思います。その層が動き始めたら本当に強いと思う。それにその層が無理なく活動/意思表示できるようなアイデアも必要です。まだリサーチ不足でオフィシャルな団体として立ち上がっている母の会はあまり確認できていないのですが、日本でも
「5年後、10年後こどもが健やかに育つ会」という関東圏の普通のお母さんたちの繋がりができたらしく、行政などに働きかけを行なっているそうです。歴史としても昔から母の会は多くありました。今ももっと存在するはず。 この放射能汚染によって、母や妊婦さんに限らず、これから子どもを産みたいという女性たちにとっても安心して産めない環境になってしまいました。
エネルギー問題は国の少子化にも関わるばかりか、何よりそういった個人の人生の選択にも影響を与えてしまっていると思います。母のみならずすべての女性たち、もっと怒ってよいのです。

「女性の直感は、しばしば男性の高慢な知識の自負を凌ぐ」
- Gandhi

2011/04/23

「スイミー」にまなぶ

(『スイミー』レオ・レオニ/訳 , 谷川俊太郎 より抜粋)


そのとき いわかげに スイミーはみつけた。
スイミーのと そっくりの ちいさな さかなの きょうだいたち。
「でてこいよ みんなであそぼう。おもしろいものが
いっぱいだよ!」
「だめだよ。」ちいさな あかい さかなたちは こたえた。
「おおきな さかなに たべられて しまうよ。」
「だけど いつまでも そこに じっとしてるわけにはいかないよ。
なんとか かんがえなくっちゃ。」

スイミーはかんがえた。いろいろかんがえた。うんとかんがえた。
それから とつぜん スイミーはさけんだ。「そうだ!」
「みんな いっしょに およぐんだ。
うみでいちばん おおきな さかなのふりして!」

スイミーはおしえた。けっして はなればなれに ならないこと。
みんな もちばを まもること。

みんなが いっぴきの おおきな さかなみたいに
およげるようになったとき スイミーはいった。
「ぼくが めに なろう。」

あさの つめたい みずのなかを
ひるの かがやく ひかりのなかを
みんなは およぎ、おおきなさかなを おいだした。

起きて立ち上がれ、生きる権利のために

先日の読売新聞の世論調査で「現状(の基数)を維持すべきだ」が46% という結果が報じられていました。質問のアタマには「現在、日本の電力の3割近くは原子力発電によるものです」という前ふりがあり、また、被災した福島・岩手・宮城3県が調査対象から外されていたというウラがあったようですが(これ出して多数論証で「やっぱりそっちが正しいのか」と思わせるつもりなんでしょうか)。それにしても「うわー」です。約5割の衝撃。周りにエネルギー問題に積極的に動いているひとたちが多くいるので、ムーブメントの膨らみを感じていたのに、わたしは井の中の蛙だったのでしょうか。この大事故で public awareness campaign(国民意識をあげる、問題点を知ってもらう「きっかけ」をつくる運動)はもうスキップして次のレベルにきたと少し甘く見ていたかもしれません。 また、Twitter で企画されている原発の推進/廃止のオンライン国民投票は、今現在 9300人くらいが縮小・全廃を支持で、470人くらいが維持・推進なのだけど、推進の方々のコメントを見るとギャグ(?)なんかな、と思ってしまう。何に関しても相反する意見は存在するものだけども。

世の中には様々な問題を扱っている NGO や市民団体があります。営利団体でない場合は運動をサポートする個人や(時に企業)の寄付で成り立っていたり、小さい団体ならそれこそ活動する人の懐から活動費を工面しています。今回の原発問題にしても前にもお話したとおり、数多くの様々な団体があり、微妙に異なる立場やメッセージで活動していますが、願うところはひとつ「原子力のない日本(世界)」です。いま、それらの団体がそれぞれの得意分野を活かして役割分担をして、ゴールに向けていっしょに動くことが近道にもなり、そのうえ次のあり方(自然エネルギーベースの電力供給)まで進める唯一の方法。実際現在そのような動きになりつつあります。市民の声を集約する場所をつくり、とりまとめる団体もいれば、政策提言や議員向けセミナーを開いたりという団体もいる。前者の方がわたしたち個人が関わりやすい部分。ひとりひとりが毎日の暮らしの中でできる限りのことをやり、やり方がわからないときはやり方がわかるひとに教わればいいし、みんなが集まってやれば心強い。今は様々な有識者がネットでフィルターなしの発信をしているので、マス(メディア)に頼らず、そこからの情報を精査して、自分に合った市民団体の活動に乗っかれるときは一緒にやる。新しい団体やプラットホームもここ数週間でいくつも立ち上がってきていて、自然エネルギーへのシフトについての講演会やイベント(デモ/パレード)なども多く催されています。乗っかる場所が増えたということです。

これまでに出た良質な記事 and マストなサイトの一部をリンクします:
(国内メディアではあまり見ない被災地の様子が記録されています)

4番目の衆議院議員・
河野太郎さんの話も興味深し。彼は自民党にいながらエネルギー政策の転換をずっと訴えてきて、原発事故後も脱原発路線のアドボカシーを積極的にされています。とても貴重な存在。彼のTwitter のフォローやブログのアクセス数ものすごい勢いで増えているとのこと。対談の中でも言われていた「自民党内にも政策転換に向かおうとする動き(議員)はある」というような個所で思い出したのですが、原子力ムラ内にも経産省内にも、そして東京電力内にも「原子力依存、原子力大優遇の政策の動きを変えたい」という改革派が存在するというのを様々なところから聞きました。反原発を内に秘め「自分があっち(政府機関側)に入らなかったらもっと大変なことになる」と、あえて相対する側に務めているという研究者さんがいるという話も聞きました。その人たちも、今どんなに悔しいか。どうにか内側からの改革が進むように手伝えないものか

わたしは一日の中で一度は自分の非力さに沈むことがあるし、原発事故が起きてしばらくはおののくと同時にできることが見えずに「どうしよう、何かしないと、でも何をすればいいんだ!」と、鼻息荒く大慌てでアドレナリンもムダに大放出でした。友人で活動家の
かずえさんが「整理すれば焦りはへるよ」とわざわざつくってくれた 8 steps を書き出してみたり、このブログで考えをまとめてみたり、自分が得意な分野で行動する(デザインでできること - 難しいことを易しく伝える)のを具体化したりして、
今はだいぶ自分の役割が段々わかってきて、落ち着いてきた気がします。

 「なんかせなあかん!」と焦ったときの 8 steps
 1. 大目標を立てる
 (例:日本のエネルギー政策の自然エネルギーへのシフト)
 2. 大目標につながる小目標をたてる
 (例:自分の自治体を自然エネルギー王国に)
 3. やりたいことを一行づつ書く
 4. やりたいことのうち、小目標達成にあまり関係ないものはよける
 (でも削除はせず)
 5. やりたいことのうち、小目標達成に繋がる強さが強い順に並べる
 6. やりたいことのうち、自分でできないものはよける
 (でも削除はせず)
 7. 自分でできるものが残るから、その中で自分がやりたいと強く
  思うもの、自分ならこれは得意だなと思うものを実行する
 8. やりたいし、目標達成にも強く繋がるのに、自分ではできない
  ものを他の人にふる。
 (Twitter などでまったくの他人にふるのも可)

あの、あの今もっとも頼もしくてすてきな孫正義さんですら「己の非力さが歯がゆい」とツィートしたとか。孫さんが非力ならわたしはどんだけ無力かとも思うけれど、みんなそれぞれのレベルで悩みながら立ち上がっているんですよね。わたしも結局いろいろと巡っては「自分が動くことでしか不安は解消されない」と、終いにはポジティブに戻る毎日です。


「起きて立ち上がれ、生きる権利のために
 起きて立ち上がれ、たたかいをあきらめるな」
- Bob Marley "Get up Stand up"

2011/04/19

テレビが演出してくれる日常生活にて

やっと原発事故終息に向けての工程表が東電から発表されました。これまで具体的見通しというものが何もなかったので、やっと出たか、という感じですが、甘すぎるのでは(東電会長自身も「不確定要素が多い」と注をつけての発表)と早速批評されています。確かに、作業に支障をもたらす余震や高い放射線量など外的要因をあまりふまえていない「すべてうまく運んだ場合」のもので、そういったアクシデントがあったケースをシュミレーションしているのかというのを教えてもらえるとちょっと安心できるんだけどなー・・・悪い方に運んだら「想定外」なのかなー。

東京では、放射能の飛散の懸念もピークを過ぎ、あの地震も原発事故も夢だったのではと一瞬錯覚するフツウさが戻りつつあります。節電で薄暗い街角を見たり、余震を感じたり、スーパーで欠品がある棚を見て、現状を再確認します。被災地でなくても、この現状がつらすぎて精神的に耐えられず、わざとネガティブな情報をシャットアウトしている人もいるし、日々通常通り働くことで平静を保っている人も多くいることを考えると「通常通り」が大切なのもよくわかります。でも、これが続くとまた何ごともなかったかのように、直されるべきことが直されず、もとの震災・原発事故前に戻ってしまうのではというのを恐れています。なんだか「喉元過ぎれば・・・」の影が既に忍び寄っているような。強い余震の可能性は10年というスパンで警戒しないといけないとのこと。余震がないにこしたことはないけど、忘れるべきでないことを思い出させてくれるリマインダーとしては役割もあるのかな、と思ったり。

テレビはあまり見ないし、何も期待していないのだけど、テレビを見ると特に現実逃避感を感じます。バラエティ番組にも役割はあるはあるけど、日本のテレビは完全に娯楽メインであって、残念ながら信頼できるニュースソースや教育的役割を持つものではないようです。佐藤優さんも仰っていましたが、東電をはじめ電力会社10社と電気事業連合会が費やす広告宣伝費はすさまじい額で(あえて言わずとも普通にテレビや新聞雑誌を見ているだけで「よく見るな」と気づくくらいですが)その支出はトヨタも抜くほどだと言います。事故を詫びる CM や新聞一面広告を数千万、数億かけて打つくらいならその金で福島を助けろ!と言いたいですが、ともあれ、電力会社がスポンサーの地位についている限りは不都合な情報はテレビ、ラジオ、新聞雑誌からは出にくいということ。

芸能人の支援活動なども震災直後から話題によくのぼります。現場に行っての支援や、義援金寄付やチャリティー、歌を歌って励ますのも大切なことなのかもしれないけど、影響力のあるポジションだからこそ、未来のためにもっとエネルギー問題や政治に突っ込んだ発言をしてもらって、国をいい方向に動かしていく手伝いをしてもらえんのかな(逆に弊害もあるかもしれませんが)。ムリなんでしょうけど。一方、海外の俳優や歌手は環境問題へのスタンスや支持政党を明確に表明して、キャンペーンを行ったりします。日本の芸能人にあまりその傾向が見られないのは、意識が高い人があまりいないというより、そういった事務所やスポンサーのしがらみが大きいため、社会問題に下手に関わると仕事の存続に関わるようです。俳優の山本太郎さんはかなりのアウトローっぷりで「原発問題に触れると芸能界で干されるって知ってました?でも言ったる!」といった主旨のことを Twitter で叫んだ(たぶんつぶやかないで叫んだ)あと、高円寺のデモに参加して、その骨太の言動が讃えられていました。清志郎の時代には反体制ソングを発売したら即中止をくらっていましたが、先週だか斉藤和義さんが「ずっとウソだった」(自分の曲を反原発ソングにセルフカバーした)をネット配信して(マスメディア以外で)話題になっていたり。そんな理不尽な制裁を恐れずに声をあげる人、リスペクトです。

2011/04/17

3大ブレーン

社民党のウェブサイトに、わたしが勝手に「今の日本を救う民間3大ブレーン」と名づけているお三方、田中優さん(未来バンク理事長)と飯田哲也さん(ISEP所長)西尾漠さん(原子力資料情報室 共同代表)が党首の福島みずほさんと対談されている動画がアップされています。原発に頼らない社会、自然エネルギーへの転換に向けての具体的なお話をしていて、比較的わかりやすい情報源です。ついでに福島みずほさんが花粉症に悩まされているということもわかります。


この対談の中ではあまり西尾さんのお話が引き出せていなかったのがちょっと残念でした。原発事故のひと月くらい前に、たまたま西尾さんの『エネルギーと環境の話をしよう』(七つ森書館)という本を読む機会があり、おかげで日本のエネルギーの何が問題でこれからどうあるべきかが改めてクリアになり、ひとりでスッキリしていました。2008年に出された本ですが、原発の問題点や日本が選ぶべきエネルギーの未来は今示されているものと変わりありません。10年, 20年前に出た本であったとしても、問題点については大事故が起きた今と前で大きく変わっていないと思います(それほど問題点が明らかにあるのに、それを正直に指摘する言動がどれだけ長い間(今でも)強い力で押さえつけられていたか、ということです)。本の帯には「これからは、低エネルギーの暮らしがあってよいのではないでしょうか」「自然エネルギーが活用されれば省エネルギーにつながり、省エネルギーが進めば自然エネルギーの活躍の場が大きくなります。互いに加速し合って、自然エネルギーを中心とした、エネルギーをあまりつかわない社会をつくっていけるでしょう。自然エネルギーの普及も省エネルギーの推進も、一人ひとりの力を抜きにして成り立たない、と私は思います。(本書より)」とあります。

それぞれの対談でお話されている内容や、西尾さんの本でお話されている内容などをさらにかみくだいた優しいことばで短くまとめたものをつくりたい(書きたい)と数週間前から思案しているのですが、時間がなくてなかなかできず。悔しい・・・。誰が見るでもないが早くつくりたい・・・。西尾さんの本にしても決して難しい言葉で書かれている専門書ではないですが、おすすめしたところで一冊読まれる方は少ないだろうし、こういった題材の内容はできるだけ簡素に削り込んでソフトな切り口のツールに落とし込まないと人は目を通してくれないものです。ここでデザインの力が貢献できるところだと思うのです。重要な情報を幅広く伝えるために。誰がみるでもないが・・・早くつくろう。

社民党といえば(ちなみにちなみにですが)ウェブサイト内に支援物資送付先(都内の対策本部宛て)を見つけたので、一昨日、きれいめの子ども服や新品の衣類、寝具、食器などをまとめて対策本部宛に送りました。役立たない厄介な荷物にならないか、ニーズにあった場所に配布されるのか気になったので本部に電話で尋ねると、山形の現地対策本部にまとめて送られてからそこで開封して中身を確認して仕分けされ、ニーズに合わせて適切な避難所や町に届ける配慮はされるフローになっているとのことでした。支援物資を集約してきちんとした仕組みにのせて送ってくれるところは他にも多くあると思いますが、社民党の場合は 4/20 まで都内の対策本部で支援物資の受付を行なっているようです。

2011/04/13

KEEP CALM AND CARRY ON

昨日、福島第一原発での事故がチェルノブイリと同じ「レベル7」に引き上げられたというニュースが国内外に流れました。もうこうなったらこのくらいではあんまり驚きませんけど。強い余震もここ数日多いので、余震自体に加えて、その影響で原発への注水に支障が起きないかということが一番怖いですね。ではここで、NHK の水野解説委員の『最悪の評価「レベル7」とは?』の解説を見てみんなで少し落ち着きましょう。

KEEP CALM AND CARRY ON:直訳「落ち着いて、今自分のすべきことをしよう」意訳「困難にめげることなく頑張ろう」。第二次大戦中にイギリス情報省によって作られたプロパガンダのポスターのメッセージ。今の日本にあてはまる気がします。今でもイギリスでは人を勇気づけるフレーズとして、とても有名です。皇室の王冠とタイポグラフィーだけの力強くシンプルなデザインも特筆すべきところ。こういった戦時中の環境下の物事が引き合いにだされることが多いのは(最初の方の投稿でも書きましたが)やはりそれだけ戦中と似通った状況なのでしょう。興味深し。あともうひとつの YOUR COURAGE, YOUR CHEERFULNESS, YOUR RESOLUTION WILL BRING US VICTORY もこのシリーズのひとつ。「あなたの勇気、あなたの明るさ、あなたの断固とした困難を解決する姿勢が、国に勝利をもたらす」。AC の CM より士気があがりますね。

余震が続き「ゆれくる」(緊急地震速報)鳴りっぱなしの中、正常性バイアスに気をつけつつ KEEP CALM AND CARRY ON というところですかな。

デモのおはなし:高円寺 ROCKS!

高円寺、すてきすぎます。前からすてきだとは思っていたけど。4/10 に高円寺で行なわれたデモでは主催者発表およそ 15000人(現地に行きましたが確実に 1万は越えたと思う)、芝公園の方はおよそ 2000人だったそうです。比較的大規模なデモといえますが、大手メディアはがっちり故意にスルー。もうね、こんだけ個人メディアが広がりを見せていたらマスメディアは無視でも全然平気。期待していないけど、相当運動がでかくなってからきっとひょこひょこ取り上げてくるだろうから、そのときは「取り上げさせてやるよ」というスタンスで。「Twitter 時代のデモは違う・・・」と以前から市民運動に関わっていた友人は言いました。確かに。大きな NGO が呼びかけたとかいうわけでもない、怒れる一個人とその近所の住民が呼びかけて、これです。参加者層も若い人が多くて、学生、子連れ、外国人、車いすの方もいました。プラカードや衣装(もう完全に欽ちゃんの仮装大賞状態)もそれぞれにすごくクリエティブで、あまりに多くの普通の(これまでの市民運動系でない)人たちがアピールするアイテムを自分で作って用意されていたり、叫んでくれていたり(ちなみに、多くの方が持っていた太陽のシンボルは過去の世界的な反核の運動のときに使われていたものの再来みたいです)。それを見て思わず涙腺が緩み、そのあと列のチンドン屋さんが「アメージンググレース」を演奏しだしたところで涙腺決壊。ひとりで沿道で泣く女。この熱さと勢いに励まされた方も多いと思います。「はじめてのデモ how to」なども書かれていたイルコモンズさん(グループ?かなり気になっているんですが、この方)のブログ「イルコモンズのふた」で高円寺デモがしっかり記録されている動画が見られます。

このデモは高円寺式のストレートな呼びかけだったため、原発の代替案も示さずお祭り騒ぎだけして反対反対言うな!というような批判や、「反対」という言葉に違和感のある人も存在するようでした。確かに反省点もあると思いますが、あれだけの市民が集うような意思表示の場をつくったことに意味は十分あります。これからいろいろな脱原発系のデモやイベントが開催されていってムーブメントとして大きくなってくると思います。エネルギーシフトという「次のエネルギーのかたちへ」というような代替案込みのアピールをするデモも企画されているようなので、自分に合った心地のいい種類の意思表示(参加)を選んでみてください。NGO によるオンライン署名なども行なわれています。政府や電力会社のご意見フォームに意見するもよし。新聞に意見を投書するもよし、まだこれからある選挙ももちろんです。デモに参加したかったけど、できなかったという方もとても多かったと思うのですが、それはそれでいいというか、デモでなくても参加できる何らかの意思表示の機会やタイミングが合致したときにゼヒ行動してみてください。一番大事なのは継続して「原発絶対やだなー」という気持ちを長く持ち続けること。これは長期戦なので、絶対今の不安感や怒りを忘れないでください。忘れたころにつけこんで間違った方向に向かわせようという動きは必ずあると思うので、戦争と同じで、学んだことや犠牲を風化させないことが重要かと。

「原発はいずれ止まるよ。事故か運動かで。事故で、とならないように運動をしているんだよ」脱原発の運動を長年している知人が言っていた言葉です。予言でもなんでもなく、原発の事故はそれだけ必然だったということ。残念ながら、大きな事故で原発の時代の終わりがやっと見えてきたというシナリオになってしまったけど、わたしは子どもが大きくなったとき「事故があって、そのあとみんなが立ち上がって大きな運動が起こって、世の中が今みたいに変わったんだよ」って言いたい。事故があり、古くなったりして、使えなくなったから仕方なく廃炉になるのを待つのではなく、日本のデモクラシーの歴史として後世に残したい。それが子どもたちの国土の一部を使えなくしてしまったダメな大人たちができる、せめてもの償いだと思います。

追記:高円寺・原発やめろデモ!!!の公式ページでも様々な動画(同日に行なわれた他の地域や海外のデモの様子のものも)のリンクが張られていました。

デモのおはなし:私的ドイツ

ドイツは福島原発の事故を受けて、数日後には国内の原発のうち1980年以前に稼働した7基すべての稼働を3ヶ月間一時停止することを早々に決断しました。ドイツや他国の原発事情をこの事故をきっかけに知った方も多いと思います。日本がいかに狂った状況かも。

原発事故の一週間後くらいに、ドイツの脱原発事情を調べていて、昨年に書かれた在ドイツ日本人の方のブログを読んでいました(今はもう埋もれて見つからず)。日本に比べて自然エネルギーへの転換も脱原発への動きも進展がかなりあるドイツでも、脱原発先送りの動きもあったからか、ほぼ毎月のように脱原発のデモや集会が各地であるようで「昨年は 10万人超の規模」というのを見ていいなーと思っていた矢先、気味が悪いくらい偶然に、原子力問題の専門家で脱原発運動をしているイギリス人の知人 S から電話があり「今週の土曜 (3/26) にベルリンでデモがあるので日本人アクティビストとしてスピーチをして来てくれないか」と依頼がありました。日本からのスピーカーの都合がつかなく、実はそのとき私はイギリスにいたので、ドイツから近場に(たまたま)いる日本人で多少反対運動にかかわったことがある人としてお声がかかったのでした。でもわたしは運動の前線でやってきたわけでもないし、そんな民衆の前の壇上でスピーチなんかできないと思い、かなり戸惑いましたが、これは日本でのエネルギーシフトの運動のためにもなる!と思って引き受けました。結局オチから言うと、この話は主催者がスピーチの時間の調整ができないということで前日にキャンセルとなって、かなり脱力したのですが、後からこれがあの 25万人規模のデモ(でもこの数字はたぶんベルリン一カ所でなく複数の各地区のデモでの参加者の合計)だと知って心拍数が上昇(ほっ)。

実は徹夜をしてこの叶わなかったスピーチのドラフトを書いていて、別に大した内容ではないのだけど、お蔵入りさせておくよりここに出しておこうと思います(英文)。主な内容としては「まったく罪のない子どもがスクリーニング検査を受けている映像を見て涙がでたこと。復興のために地元のビジネス再起が重要になるのに農家や漁業にすでに風評被害がでていて、彼らの生活の糧は原発に奪われたということ。人間の手で制御できないもの(原子力)は手をつけてはいけないこと。原発を押しつけられた町と原発のない都市の差別、被ばくの危険がある仕事とない仕事の差別、不公平の上に原発の電気はつくられていること。ドイツでは津波はないだろうけど、原発事故と同時に複数の事故が起きたときには原発が最優先されるであろうこと(原発のせいで救える命を救えないこと)。私はただ水道の水が使いたくて、国産の野菜や魚が食べたくて、外で子どもを遊ばせたくて、洗濯物を外に干したくて、普通の生活がしたいだけのこと。日本の市民もドイツの市民のように声をあげてほしいこと。ドイツの活発な市民運動で日本でも市民の力で変えられる!と勇気づけてほしいこと・・・」などです。

Unfortunately, the situation in Fukushima nuclear power plant has not drastically improved, it is still very serious. I am deeply sorry and worry about the people in Fukushima, who suffered terrible damage by earthquake and tsunami, plus now severe radiation. In evacuation camps, and in their houses, they are worrying about this moment and the tough future living within a radioactive hometown. I cried when I saw a baby undergoing a radiation screening check on TV. Nothing is their fault. Also, Fukushima people will need to work on their local business to bring their town back to normal, but there is already the harmful news that you shouldn’t eat vegetables and fish from Fukushima. I can say, people’s life in Fukushima was ruined by this one nuclear accident.
Any nuclear power plant accidents are human-made disasters Tokyo electric company said, “The accident of Fukushima was beyond our assumption,” yes, it was the biggest scale of natural disaster, but it is not acceptable to have “beyond assumption” when discussing dangerous nuclear power plant. We really shouldn’t utilize something that is impossible to control well by human being. People who live in the towns which have nuclear plants are persuaded “Nuclear plants are safe,” but that real meaning is “It should be safe, but you may get radiation in such cases when we cannot control it”… The areas which have nuclear plants are always remote, poor small towns. Now, people in Tokyo and other cities where don’t have nuclear plants finally realized – we subjected others to a danger whilst we casually used the energy everyday. I felt that this is so unfair way of creating energy, humanely and environmentally. People in Tokyo and surrounding areas are now paying the price for it through the inconvenience of power black-outs since the Fukushima nuclear plant stopped working. I believe that if there had been no nuclear reactor emergency and a rapidly focused rescue had taken place for earthquake/tsunami sufferers then many lives may have been saved in the North of Japan. Germany probably will not suffer from an earthquake or tsunami, but I just can tell you this – If several serious accidents happened at the same time within a nuclear plant, then all other casualties will be taken care of later and the dealing with the nuclear danger becomes the priority.
A few days ago, Japanese authorities warned that infants in Tokyo and the surrounding areas should not drink the tap water because a slight amount of radioactive iodine was had been detected in the Tokyo water supply. People’s anxiety caused panic buying of bottled waters. All the people in Japan are now living with invisible terror of radiation, even though they have been told it is a slight amount. Our lives were totally different before and after the earthquake day.
I just want my normal life to be back.
I just simply want to use tap water and eat vegetables grown in Japan.
I just want to breath fresh air deeply.
I just want my child to play outside in the park.
An accident at a nuclear plant takes those simple things from you...
I always admire and respect Germany as an advanced country on ecological thinking. I know now that was created by strong public voices, nothing else. I really hope that the Japanese public will overcome this disaster, and use this toughest time as a chance to finish nuclear energy and move to renewable energy. Japan lags behind in terms of ecological policy. I really hope that the Japanese public stands up for it just like the public in Germany. I want the German public to lead the right way on nuclear issues and to encourage the Japanese public’s power, that would be such an inspiration and hope in our future. Thank you.
March, 26, 2011

* This message of mine has been written for a speech to public in Germany at Anti-Nukes rally on last month in Berlin, was supposed to happen but wasn't unfortunately :( ... so let me release it here.

2011/04/09

私たちにできること

被災地の救済のために、寄付をする、支援物資を送る、ボランティアに行く、個人的に避難家族を家庭で受け入れる、あとは買い控えなど、遠く離れていても個人的にできることの具体的なアクションが想像できます。それに比べて「原発をとめる」と言っても何から手をつけていいかわからなく、悶々としている人が大勢いると思います。原発事故以降、もちろん現在の事態の終息が第一ですが、それを待つことなく(待っててもいつになるやら)大混乱の中で原発推進/廃止の議論が巻き起こっています。「感情論になってはいけない」とご批判もあるようですが、これだけの恐怖感にさらされて将来を憂い、原発イヤだなと言う感情はヒステリックで非論理的でしょうか?原発 Yes or No のどちらに舵を切るかタイミングはまさに今で、今まで舵取りに関わることもできなかった私たちが初めて、緊急事態だからとナビの役を任されていると思います。こっち!と今叫ばないと、とんでもない方向に進んでしまう可能性もあります。政府や東電(の幹部、現場作業員さんたちでなく)を攻め潰したい怒りもよく理解できますが、原発主体から自然エネルギー主体へのシフトを段階的(原発をフェイドアウトしながら自然エネルギーがフェイドインしてぐんぐん増えていくイメージ)に行なってもらうように、私たちが政府と電力会社を導いてあげればいいんだと思います。だってよくわかってないみたいだから、「代替案はあるよ」と教えてあげないと、ねぇ。

今日、髪を切りに行った先で美容師さんと雑談していたら「原発怖いけど、なかったら困るしね」と言われたので、これだけ結構な数の一般人が今「プチ原発博士」化していて、平気でベクレルとかセシウムとか言い出してても、重要な情報は伝わっていないのだなと実感しました。なので「原発なしでもいけるんですよ」というと「そうなの?じゃあ要らないよ」と。日本の自然エネルギーポテンシャルなどについて伝えて、この情報お客さんにに広めて!とお願いしたのでした。ブログや Twitter などのウェブツールによる拡散ももちろん効果的だけど、例えば今日のように美容師さんやタクシー運転手さんなど不特定多数の方に接してしばらく話すことができる業種の方に拡散をお願いしたり、友だちや親に話したりする原始的口コミも手です。様々なレベルで、日本を原発に頼らなくさせるために「できること」があると思います。これからの投稿で思いつく限り提案をしていきます。自然エネルギーについても追って詳しく。

明日、全国各地で原発 NO のデモがあるようです。イラク戦争のときも結構な規模の反戦デモがたくさんあって、老若男女いろいろな人が参加されていて、日本人もやれるやん!と思った記憶があります。核(原発)も戦争同様、世界と地球の問題、モラルの問題でもあるし、何より直に自分自身や身近な人、自分や大切な人が住む場所、暮らし全てにダメージを与えるこの国の問題です。デモなどのイベントに積極的に参加したり、今様々な NGO や団体が行っている政府への嘆願書や署名に協力したりすることは、立派な意思表示、「できること」のひとつです。ひとりが動かないと何も始まらない。少し前にある人に「今の日本で原発の恐ろしさがデモの動きにそのままシフトしていくかは正直言って疑問。あきらめムードというか、そんなやるせない空気が街全体に漂っていてデモする元気なんてないですよ、今の日本には」と言われたり、ネット上に「これまでの日本の市民運動や学生運動はことごとく潰されてきて何の成果があった?」といった書き込みを目にしてへこみましたが、そうなのでしょうか?それらは永遠に変えられないものでしょうか?明日催される高円寺の原発反対のデモのオフィシャルページにメッセージを書き込む場所があり(初めて個々の意見を載せられるきちんとしたプラットフォームだったためか)多くの一般の人(今まで市民運動に関わったことがない方々)が立ち上がっていて、勇気づけられました。ひとに自分の価値観で意見を押しつけてはいけないと思ってきましたが、今だけは自分と子どもの命がかかってるから押しつけさせてもうことにしました。原発はやめていく、そして、これに関しては絶対にあきらめるべきでない。

明日の日本各地/世界各地のデモの開催場所・詳細は上記の高円寺デモのページで見られます。東京では杉並区の高円寺と港区の芝公園。高円寺の方はさすがリベラル中央線の杉並エリアという感じで、勢いありあまってます。その名も「原発やめろデモ!!!」もう原発やめやめ!あぶねぇ!恐ろしい!とか言ってて極めてストレート。呼びかけ団体も「素人の乱」(その名も)で、ほんと商店街の普通の方々が怒って企画しちゃったんだな、っていうすてきなイベントです。高円寺デモのサイトからダウンロードできるプラカードのデザインのひとつも、バンクシーみたいで粋。高円寺といえば売れない(失礼)反骨ミュージシャンの巣を想像しますが、実際当日ロックフェスもやるみたい・・・どうなっちゃうの。清志郎の臭いがしますね。一方、芝公園の方はデモコースも経産省や中電、東電本社前を通り、呼びかけや主催も浜岡原発の反対運動をされている団体からなる玄人コースです。多用な層を巻き込めればいいから、様々なレベルのデモがあっていいんですよね。どっちにしよ。これを逃してもデモはまだこれから多く企画されると思います(でもメディアは市民運動を報道しない姿勢のようなので、情報はウェブから拾ってください)。このブログでもブログでもフォローします。

最後に、ロイター通信が「政府のエネルギー計画では2030年までに14基以上の原発増設を目指していますが、あなたの望む政策は?」というオンライン調査をしていて、原発廃止に 33000票(4/10現在:約半数)、計画を見直し原発を減らすが 19900票で約3割、残りの約2割が増設支持です。まだ vote できるみたい。

2011/04/07

でんきのほんと・でんきのこれから

ビジュアルメッセージの話でもうひとつ(あまりに自分に近い話ですっかり忘れてた・・・)震災のひと月くらい前に環境NGOグリーンピースのエネルギー問題のリーフレット「でんきのほんと・でんきのこれから」の制作をしました。ひとことで内容を言うと「石炭火力は地球温暖化によくないね、でも原発はクリーンエネルギーで CO2を出さないとか大宣伝されているけど本当は温暖化抑止にならないし、コストもかかるし危ないから段階的に廃止しようね、自然エネルギーとエネルギー効率化(ムダを減らす)を進めたら原発なしでも電気をまかなえるから、エネルギー政策をそっちに変えるように声をあげましょー」というもの。原発事故の数日前に刷り上がり、あまりのタイミングにぞくっとしました。以前の仕事で青森県六ヶ所村の再処理工場に調査に行ったり、MOX燃料が海上輸送されて来たときに福井県の敦賀や高浜の原発に行ったり、現場に赴いて問題を知る機会がありました。世界に、日本に、様々な環境問題があって優先順位をつけられるものではないけれど、いろいろと関わった中で個人的にはエネルギー(原発)の問題が一番ゆゆしき事態だと感じていました。デザインの仕事を始めたのも「問題を解決するために、多くの人に一歩踏み込んで知ってもらって、立ち上がってもらうにはデザインの力を借りるしかない!自分でアプローチを探っていこ」というのが根幹にありました。一昨年、エナジーオセロというポジティブエネルギー(白い石に自然エネルギー)とネガティブエネルギー(黒い石に火力や原発)をテーマにした作品をパーソナルなプロジェクトとしてつくって展示させてもらったりしていましたが、NGO と一緒に仕事をするのは数年ブランクがありました。今年に入り、久々にコンテンツから携わるリーフレット制作の話が突然来て、つくって、やっぱ原発あかんなーと頷いていたとこにこれ(原発事故)です・・・短絡的かもしれませんが、こりゃ運命かな、と。この問題を解決させるために、ハチドリと言われようと、再び積極的に運動に関わり、できる限りのことをやろうと決めました(原発事故後、ハチドリが以前より増殖していて頼もしいです)。

この「でんきのほんと・でんきのこれから」リーフレットと同時に、もうひとつ「でんきをえらぶ・選挙でえらぶ」という往復はがき仕様のキャンペーンはがきもつくりました(現物をご希望の方は送付できます)。これは来る 4/10, 24 の統一地方選挙に向けて、候補者に「あなたのエネルギー政策についての考えは?」と3択で尋ねて答えを返送してもらい、投票の参考にするはがきです。原発事故の後、他でも同様のキャンペーンが所々でスタートして、エネルギー政策が選挙の争点になりました。結果を一覧にまとめているサイトも発見。地方から変化が見られてくることを期待します(そのためにみなさま、絶対選挙に行ってください!)。国が一気に変わらなくても、ひとりが変わり、地域が変わり、地方が変われば国が変わります。このキャンペーンはがきもリーフレットも嬉しいかな悲しいかな反響が大きく、もちろんこんなことが起こると思っていなかったため、事故前刷ったものはすぐにはけて、至急大増刷を行ったようです。


Dark Spring

一応デザインを生業としている身として、ブログも多彩なビジュアルを散りばめたいと思っていたのに、自分でも引く勢いで字だらけです。本題(原発問題)から離れ切れないあまり明るくない内容ですが、ここでちっと一息、アート注入。The New Yorker(アメリカの老舗カルチャー雑誌。政治から芸術、時事問題のルポタージュ、社会派だけどコミックもあり、記事もデザインも評価が高い)の二週間ほど前のカバーをご紹介します。日本を励ましてくれるメッセージでも何でもなく、単にデザインとして極めてシンプルに、2011年の日本の春を象徴しています。悲しいかな。"Dark Spring" designed by Christoph Niemann for the New Yorker, Mach 28, 2011.

2011/04/06

「だから言ったのに!!」を封印する

まだ被災地では過酷な状況が続く中で、放射能日本大拡散の危機の中で、「それらが落ち着いたあとの次のこと」と思われるかもしれませんが、今から国民総動員でやらないといけないことがあるので、原発とエネルギーの話を中心にすすめています。

地震は天災、原発事故は避けることのできた人災、と多くの人が言います。今回の事故で、原発の様々な問題点を国民がやっと知ることになりました。その中でも原発のコスト、環境負荷、安全性など発電に関わる問題点もあげればキリがないですが、今回露呈した電力会社の管理面のずさんさ、重なる嘘(データ隠しや改ざん)や既得権益などの組織の体質はかなり悪質です。"原子力村"(原子力産業界、電力会社、原子力官庁など)の数十年にわたる大暴走も誰にも止められず、とうとうここまできてしまいました。国策とあってか、原発に様々な問題があることがわかっていても、掘り下げて報道されることはありませんでした。

原発のある町は原発城下町、原発銀座と言われたりします。安全だからと念をおされ、雇用や補助金と引き換えに、貧しい地方の町は原発と共にそれなりに栄えます。町に原発はできてしまっても、原発に反対する地元の方々は存在します。誘致から反対を掲げて闘って破れてもずっと、子どもたちの未来のために声をあげ続けるとても強い方々です。反原発の集会に行くと、そういった草の根団体から国際NGO、核廃絶と平和運動という大きな枠で反核を訴える原水禁のような古株からオーガニック系(?)ヒッピーな若者たちまで、本当に様々な団体が存在します。(メモ:反原発でなく「脱原発」と呼ばれることがあるのは、原発依存から「脱」の意で、代替エネルギーの提唱も含まれたりします。自然エネルギーの普及や政策提言をすすめる団体も、切り口が違うだけで、原発をなくしていくための活動だったりします)。原発事故はこれまでも所々で頻発していたので、その都度にデモがあったり、政府や知事や電力会社宛ての署名活動を行って原発停止の申し入れをしたり、活動はそれこそ 3-40年くらい前から止むことなく続けられていました。メディアに無視され、左派マイノリティーのように扱われつつ、ひとしれず、ずっとずっと危険を訴えていました。チェルノブイリやスリーマイルを機会に原発反対の声は膨らんだり縮んだり、近年国内で柏崎刈羽原発の火災があっても一部の人を除いて国民は無関心でした。そして今回の事故・・・。上に述べたような人生の一部を反原発に捧げているような方たちに比べたら、私は片足(膝くらいまで)しか突っ込んでいなかったような関わり方だったので、こんなことを言えた義理でもないですが、福島の事故に対して表現しようのない怒りを感じていました。「だからあんなに言ったじゃん!!」と。以前勤めていた環境保護団体の同僚だった原子力問題に詳しい友人は、事故発表後すぐに「できるだけ西に逃げた方がいい」と電話をくれ、しばらくやりとりしたあと、一週間後くらいに「やはり娘がいるから連れて西に逃げるわ」と言って疎開しました。その友人との会話の中で、彼女が「・・・ニュースで双葉町とか町の名前聞くとさ、一緒に(脱原発で)闘った仲間がいるんだよね、あの辺・・・」と漏らしたのを聞いてふと思いました ー 私がこんなに怒り狂っているなら、福島で、地元を愛して地元に留まりながら危険を訴えてきて被災した方はどんな心境だろう、反原発運動を生活の一部としてずっとずっとやってきた人たちはどんな思いでいるだろう、そして同じ「地元のために」という想いから原発に賛成して被ばくの危険に直面している人はどんなに悔いているだろう・・・。人づてに聞いたのですが、先週くらいに反原発デモがあったとき、今回の事故がきっかけで初めてデモに参加したという男性が「長年反対運動をされている人たちの中に今頃自分が入っていって申し訳ない気がしたんですが、皆さん逆に『自分たちの力が足りなくて原発を止めることができなくて(福島の事故が起きて)本当に悔しい』って言われるんです」と語っていたそうです。 そんな自責の念まで達しているのはもう聖職者の域としか思えませんが(私の怒りもそこで冷めて思わず拝みました)、それとは少し違うけれど、怒りのトーンでないという意味で、長年一貫した反対運動をされている方ほど「(政府や原子力村と)柔軟な対話を」という姿勢が見られます。さすがや。私(と日本が)今一番頼りにしている ISEP(環境エネルギー政策研究所)の飯田哲也さんもずっと前から具体的な代替案と対話で解決策を導こうと活動されている方のひとりです(エネルギー政策の具体的な行方に興味のある方はゼヒ飯田さんからの情報を Twitter や Youtubeなどで追ってみてください。安眠できます)。こんな危機的状況なら向こう側もやっと一緒に話してくれそうです。やっとだよ・・・。

「ストップ(原発)」や「チェンジ」ではなく「シフト」だ、ということがいろんなところで言われています。原発から自然エネルギー主体のクリーンなエネルギー政策へシフト、そして経済成長ありきからそうでない社会へのシフト。これだけの世界的に最悪のスケールの犠牲がなければ、このシフトの機会が得られなかったというのは、とても悲しくて悔しいことです。だけど、犠牲をムダにしないためにも、これを最大のチャンスとして私たちが国を建て直していくしかありません。「原発の電気を使って便利な生活させてもらってきたし、結果(放射能漏れ)からだけ逃げられないから、ここ(東京)で暮らすよ」と力ないメールを送ってきた友人がいました。さっきの「初めてのデモでこれまでの無関心を負い目に感じていた人」と似ていますが、今まで何もしないで原発の電気を呑気に享受してきたことは罪ではないけれど、問題の存在をうっすら知りながら放置していたことには
確かにわずかな非はあるかもしれません。その非をちょっぴり感じている素直な人こそ、今、原発からのシフトがうまくいくように動いてほしい。今からでもまったく構わないから(というか今こそ)ぜひ一緒に。みんなと、自分のために。

なげーな、この文。

2011/04/05

田中優さん

あー、書きたいことがあり過ぎてまとめられず(誰か読むのかなこれ)。私の長ったらしい理屈より、先にシェアしたい情報をあげていくことにしました。このままだといつになっても出せそうにないので。いろいろとこれから説明しようと思っていたことと順番が逆になりますが、エネルギー問題の今までとこれからについて、とてもわかりやすい田中優さんの対談を見つけたのでリンクしておきます。田中優さんは脱原発運動を長年されてきた方で、その筋ではとても有名な活動家です。

緊急会議(1)「今だからできる話がある」

緊急会議(2)「新しいエネルギーの未来」

最後の方で、日本の原発代替エネルギーの潜在量(スマートグリッド、自然エネルギー、蓄電バッテリー、電気自動車、IT )や自然エネルギー主体の政策で生まれる雇用のことなどに触れられていて、希望の光が見える内容です。日本では電力会社が発電・送電・配電を牛耳る独占システムで、電力の自由化(自然エネルギーの導入)が阻まれていることなど説明していこうと思っていたのですが、優さんが全部言ってくれてます・・・。あと今こそ東電をたたくんじゃなくて、もうヨレヨレだから誘導してあげればいいんだな、というのに気づかされました(東電の負債を国が送電線を担保に取り上げて自由化する etc)ー これを書いているときにタイムリーに「東電:発電と送電の分離案 政府、大手と統合検討」のニュースが!これが自然エネルギーの広がりにつながる発送電分離になればいいのですが。

ほんとの情報ってなんだっけ 2

今回の原発事故では、被災後しばらく「正しい情報が出ていない」というより、政府も関係機関も「確かな情報が掴めていない」状況でした。憶測に過ぎない情報もある中で、不正確なままでも迅速に発表するか、ある程度クリアになるまで待って発表するかは難しい判断です。福島第一原発に関して、政府にすら確かな情報が何もあがってこないから、自分で確かめるために菅首相は福島第一原発へ直接行ったし(東電の隠蔽体質もおそらく知ってのことだと思います)、東電に怒鳴ったし(当たり前)、一番最初の 20km圏の避難指示は比較的早かったと私は思いました(その後、現行の作業中に起こりうる突発的な事故を見込んだ範囲の見直しが積極的に行われていない気はしますが)。これが原発を今まで数十年にわたって疑念もなく建て続けてきた自民党政権だったらと思うと背筋が凍ります。恐ろしいことに、とにかく誰もよくわからなかった。わからないからといっても、リスクを想定して動くべきことはもちろん多くある(あった)し、事前と現行の事故対策の責任はそれぞれ(政府、東電や保安院や保安委員会など関係機関)にたっぷりあります。どうにかしろよ!と怒り心頭の隅で、これらの責任云々、対策云々を奥の奥までつきつめて考えると、わからないなら仕方ない、じゃあそんなわかんなくなるもん使うの止めようね、と諭したくなります。原子力の場合はやはり「暴走したときに人間の手でコントロールができないものは欲に任せて使ってはいけないんだな」ということに行き着く気もします(このことについてはまた別の項で)。

事故直後から「わからない」状況が長く続く中で(今もどうしていいかわかっていないようですけど)伝える情報が出ず、難解で専門的な分野であったために、教授や研究者はテレビにひっぱりだこ。元々テレビは教授が大好きで、彼らの言うことはほぼ間違いないという「裏づけ」に使われる存在として重宝されています。もう周知のこととなりましたが、彼らの中にも「御用学者」と呼ばれる政府に仕える原発推進派と、そうでない派がいるわけで、同じ専門家でも各氏が「信じるところ」が微妙に違います(余談メモ:今回の事故を受け、以前御用学者だった研究者のグループが手のひらを返して原発推進を陳謝したという記事(読売オンライン)が数日前にあり、事の深刻さを物語ってます)。それぞれ個人の信念に触るような発言は控えていたようですが、この期に及んで「この危機を乗り越えれば、日本の原発がすばらしいということを世界に証明できます!」とのたまるやつや、ここぞとばかりに自分の分析は絶対正しいと大興奮で説明する勘違い野郎など、クセのある方々もおられました。ネット上では御用学者一覧がつくられ、既に吊るし上げが開始されています・・・(気持ちはわかる)。テレビ局はどんな基準でその学者を選んだのか?スケジュールの問題などももちろんあるでしょうが、ここでもテレビ局(新聞同様)の性格が専門家のチョイスに出ていた気がします。TBS は
原子力資料情報室という脱原発系NPOの代表の伴さんをよく呼んでいたので、私は主に TBSのニュースを選んで見ていました(筑紫哲也さんが生きてたら何と言うやら・・・涙)。東電の経済的な地位(影響力)が落ちた今は、メディアも恐れずブームに乗って東電をたたき始め、今となってはどこも大差ないようですが、毎日新聞系(TBS)は中道左派の論調と言われるだけあり、以前から原発に関して疑問を呈する姿勢が多少ありました。全般的にテレビでは、特に流出する放射線量の影響ついて正しく読みにくい説明も多く、国民をパニックにさせまいという「配慮」のもと「心配ない」連発の専門家だらけで、最悪のシナリオの冷静な分析を誰も教えてくれませんでした。全国ネットは「東京が中心」の姿勢が隠せず、被災者の方々の悲劇を見せ物のように伝えた民放もあったりと、テレビに対して懐疑的な意見が増えているようですが、やはりテレビはアクセスが楽な受動的なメディアなので、幅を利かせています。

原子炉内部の状況や講じている対策、それを受けた見通しなどは大本営から出る情報しかありませんが、放射線量などの情報や予測、そしてこれからのエネルギー政策をどうするか(このことについて一番言いたくてこれ書いてるのになかなかそこに辿り着けない・・・)などは、オルタナティブの情報ソースからの発信も増えてきました。そこからまた正確そうなものを探して考えるのは、お勤め人にそんな余力はなく、難しいことかもしれません。海外メディアや NGO(できれば政府や企業と繋がりのない独立団体)、自分と「信じるところ」の近いジャーナリスト、独立調査機関など、ウェブを渡り歩かなくても参照する先を決めておけるといいと思います。それぞれ必ずと言っていいほど Twitterなどで配信をこまめにしているので、こちらが能動的にならずとも情報が得られます。海外のソースについては、よくデータの出典として出ている IAEA も、原子力の平和利用を監視する役割がありますが、原発は「平和利用」という位置づけで推進の立場の機関なので、データや発言がバイアスがゼロとは言えません(今日 IAEAの事務局長は「原子力懸念への対応が必要」と。撤廃すれば懸念も無くなるだろうに・・・)。こと原発事故に関しては海外と日本のメディアの論調には違いがあり、海外メディアはセンセーショナルだと日本メディアも反応し、その後政府も同様のコメントをしました。海外メディアは日本の大本営直下(記者クラブなど)の情報が日本メディアと同様にわたらなかったりするので、外国人記者クラブに比較的中立な立場の専門家を招いて話を聞いたりと独自路線でリサーチをして記事を書くので、異なった視点からの意見が見られます。「意見」というだけあって、それぞれのジャーナリストの私見が濃く入っていたりします。日本のメディアは多少それぞれの味付けをしながらも「事実」を客観的に伝えようというのが第一なので「危ない」とか主観的な表現はあまり見られません。あと「安全ありき」が海外メディアの基本姿勢、あと日本国民をパニックにさせまいという配慮も不必要なので、煽るような論調と言われました。その「度が過ぎる」予測報道に事実が追いついて、本当のことにならないことを祈ります。

様々な情報といえば、今回の地震を「人工地震テロ」と唱えるひとたちも出てきたようで、もうやりたい放題です。9.11のときも多くの陰謀説が出たし、こういうときには恒例です。
今年は 9.11から丁度10年なので、想像力豊かな方々が既に喜んで今回との関連陰謀説をご披露されているようですけど、そのイマジネーションを何か人の役立つことにつかってほしいなぁ。話を元に戻すと、9.11 の時にはアメリカ人(ですら)も事実を求めて CNN より BBC などの他国のメディア情報を集めるひとが多かったといいます。英語圏の人は読める国のニュースが多くていいですよね。ここ一週間ほど、日本のメディアは前より原発張りつきで状況をアナウンスしていないのが気になります。細野首相補佐官が2日程前に「放射性物質放出が止められる見通しが数ヶ月後」and「危機的状況は脱した」発言したようですが、そんな相反する見解(危機的状況脱してないやん!)が並ぶうちは、やはり他の情報ソースも見ておきましょうね。

2011/04/02

ほんとの情報ってなんだっけ 1

菅首相は今回の震災と原発事故を「戦後以来の最大の危機」と発言しました。今や身近になってしまった「被爆」という言葉に広島・長崎のことを思ったり、津波で壊滅した街を「空襲後の焼け野原」と例えるひともいたり、現在の「いつ何時抗えないもの(余震や放射能)に襲われるかわからない」という不安は空襲を恐れるそれではなかったか想像したり、何かと戦争と重なります。あとは外出する家族を玄関先で見送った後「無事に帰宅するだろうか」という思いが一瞬よぎったとき、私ですらこんななら、福島第一原発の現場労働者や自衛隊員、消防隊員などを家族に持つ方々にとっては、それこそ夫の出勤は出兵を見送る気持ちだろうなと思ったり(実際戦争を体験した方々に言わせれば、比べ物にならない話で、失礼にあたるかもしれませんが)。メンタルなことではなく、被災地の("マス"メディアでは報道されない部分で)「子どもが餓死寸前」「死体があふれて葬れない」というような現場は、きっと戦場と同じ凄まじさだと思います。もちろん戦時中と同じではないことの方が多いし、比べたりするのは不毛かもしれませんが、ひとつ、とても大きく異なることとして触れたいのは「情報量」です。国の検閲などが入って厳しく情報がコントロールされ、言論の自由もなかった時代と比べて、今は自分で情報を選択(発信も)できる時代だということです。

インターネットの情報過多で不安になったり、デマメールが来たり、テレビや雑誌の見出しに煽られたり、どれを信じていいかわからなくなるデメリットもありますが、そこはあえて戦時中と比較して言うと贅沢な文句かもしれません。日本史を置いておいて今現在の他の国と比べたとしても、日本はこれでも自由な方に入ると思います。せっかく選び放題なのだから、今のようなときこそ特に、自分で情報を集めて選び、考えて行動することが求められる気がします。そのためには情報発信者(マスメディアでも団体でも個人でも)がどういうスタンスや基本的考え方を持つ人たちかを、多少なりとも理解してから読み聞きをし、鵜呑みにせず、論調のベースを鑑みながら「おそらくこの辺がホントなのだろうな」という落としどころを自分で見つけなければいけません。政府に対しても同じです。批判的になったり斜に構えて冷笑的になるのとも違います。そりゃ面倒。メディアが正直で中立公正なら(そうしていると本人たちは思っているのかもしれないけど)そんな面倒なことしなくていいし、惑わされる人々も少なくなるんだろうけど、メディアも営利企業なのでまったく中立公正なわけにはいかないのだと思います。メディアリテラシーは日本人は低そうに見えるけれど、具体的行動に表れていないだけで、結構高いのではないかと思っています(そう信じたい)。

結果、とても大きな話になりますが「自分の信じるところがどこにあるか」「何が大切か」ということも関わってくるし、これまで人生の様々な経験が、情報の消化の仕方の判断基準になるのかもしれません。感覚的なものもあると思います。先日、テレビの原発関連ニュースを日中ザッピングしていた友人(主婦)が「NHKとTBS の論説委員はなかなか正しいと思うね」と評価をくだしていました(同意。特に NHK の水野解説委員は「NHK の良心」と密かに人気沸騰中)。比べてます。ひとつの情報源や表面的な情報に左右されて動揺したり、簡単に何かをあきらめてしまうのは残念なことです。ぶっちゃけ何でも自分で体験したことより推測や他人の判断(情報)に基づいて信じている事柄の方が多いわけなので、何でもホントのホントのところはわからない。だからこそ、自分の中の経験値や知識量に応じて多少それが流動的になってもいいから「オリジナルの判断基準」を常に持つ。それを軸に答えを求めようとする姿勢は「ホントのところはわからない」世の中を生き抜くために、とても大切だと感じています。特に原発の問題のように賛否のある事柄は、ちょっと注視しないとホントのところが見えにくいです。次以降の投稿で今回(今)のプレイヤーたちを出して私見を書いてみます。

2011/04/01

東京を住まいとしている私や周囲のほとんどの人間は、東北の方々のように壮絶な被災をしていません。しかしあの日、未体験の怖い思いはしましたし、それぞれに忘れることのできないドラマがあったはずです。2011/3/11 を境に、以前・以後で確実に人々の中で「何か」が変わりました。その後、放射能汚染の恐怖やエネルギー供給の危機などが出口が見えないまま今なお続き、戦時下のような非日常的な深刻な状況が日常化してきてしまっています。

「私たちの生活スタイルを見直さないといけないときが来たのだと思う」と、私の周囲の友人も口々に言いました。多少落ち着いてきたとはいえ、日々この「非日常的日常」を生き抜くために追われ、または冷静さを保つために(あえて深く考えるのを避けて)いつも通り働きに出て仕事に励んでいるために、何をどう見直せばいいのか、糸口も見つけられないというのが普通なのではないでしょうか。すべては「エネルギー問題」に集約されます。・・・かなり大きなくくり方をしてしまったので、私も今何から言い始めていいかわからなくなってしまいました。以前、環境保護団体に関わっていた手前、原発の問題が身近でした。私はエネルギー問題のエキスパートでも学者でもありませんが、だからこそできる「間」の役割もあると思っています。知る限り・信じる限りのところで(私のフィルターがかかっている視点になりますが)「今回の事故ではじめて原発の問題に気づいた」友人に私がぐだぐだ説明する、というレベルで、いろいろなことを書き留めていきます。

所信表明

ブログをやろうとネタをぽつぽつとメモし始めたのは5年前、このページの枠とイントロをつくったのが1年前、そして今日、メインページ初投稿です。何やってたんだ、自分。今や Twitter や Facebook と他にも発言を伝播するツールはありますが、理屈をこねてしまうため Twitter では尺が足りず、自分の記録のためと、誰でも気軽に覗いたり戻ってきたりしてもらえるように(もらえるかな?)あえて今頃ブログです。

何より、20日前に起きた東北太平洋沖地震と原発事故が、重い腰をあげさせたのでした。元々どうでもいいふざけたエッセイを垂れ流し、自分の趣味を勝手にひけらかす場にしようと思っていましたが、それはもう少し平穏になるまでおいておくとします。しばらくは、日本がいい方向に向かってもらうために、他の方にも知ってもらいたい情報を記します。今の自分の決意や思いも忘れないために。そして、読後に「(日本をそりゃいい方向に向かわせたいけども)自分ひとりに何ができるんだろう」とあきらめかけている人が、もしも「あ、できんのね」とほんの少しでもポジティブな気持ちになることができたなら、一番の目標達成です。