自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/05/24

人間性なき科学

前々回の投稿で触れた小出裕章先生の参議院行政監視委員会での話が、アップされています。ライブで聞けなかったのでこちらで見られてよかった。短い動画なので、ゼヒご覧を。内容が凝縮された静かな物言いの中に、怒りがありました。でもそれが感情的なかたちでなく(そこが科学者さんです)表されているところに相変わらず太い説得力を感じましたが、議員もそう感じてくれたことを願います。

最後に、と、小出先生が引用された「ガンジーが説いた7つの社会的罪」を書き出しておきます。

1. 理念なき政治
2. 労働なき富
3. 良心なき快楽
4. 人格なき知識
5. 道徳なき商業
6. 人間性なき科学
7. 献身なき崇拝

「道徳なき商業」とは東電のことであり、「人間性なき科学」とは原子力アカデミズムだと小出先生は加えました。崇拝ではないけれど、小出先生のような謙虚な人格者が、科学者として存在してくれてよかった・・・。本当に、これらはすべて罪だと思う(自分だってクリーンに生きられるわけではないけれど)。

参院のあとの院内集会でも、子どもたちに 20 mSv を強要している問題について「子どもたちには原子力を許した責任は一切ない。大人は責任があるが、子どもたちは守りたい。みんなの知恵と力を合わせながら、子どもをどうやって守れるか、考えていきたい」と発言されていました(この 20mSv 問題については今日動きがあったので、明日またまとめたいです)。

小出先生のマネをして、わたしも最後に、非暴力のアクションを説いたガンジーの言葉を:
「怒りは酸のようなもので、注ぐものにも増して、その器に大きな害を与える」
「握りこぶしと握手はできない」

科学者のみならず、アクティビストも、対話に重きを置いて解決策を探る冷静さが大切だと、改めて確認です。怒りと闘志を内に秘めながらも。

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