自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/05/29

詩人の死


黒人解放運動や腐った政治に言葉で闘い続けたシンガー/詩人、Gil Scott Heron(ギル・スコット・ヘロン)が死んだ。彼はスリーマイル原発事故を受けて反原発コンサートを行っていたり、"We Almost Lost Detroit"(私たちは失うところだった、デトロイトを)という原発事故を受けてそれを問題提起する歌も歌っている。美しいメロディーにのせて。


有名なのは、"The Revolution Will Not Be Televised"(革命はテレビで放映されない)。そのままの意味で、市民運動はメディアには現れないということだと思っていたのだけど、今日いろいろと調べていたら、それが真の意味ではないことを学んだ(元の英文記事、所在不明です。ごめんなさい)。詩の含みは深く、表面的なものではなかったのだ(それが英語だからさらにわかりにくい)。「革命はテレビでは放映されない、再放送もされない、革命は生なのだ」と結んでいるこの詩が内包する意味は「革命はあなたの意識の中で、頭の中で起こる。必ずしも表面化されるものではない」、つまり、各々の中で何かに対する考え方が(わずかであっても)変化した瞬間が "革命" だということ。今に例えるならば、原発問題や国政に関心がなかった人が「このままは絶対にいやだ、変えたい」と感じたときのことだろう。立派な革命。やり遂げましょう。


リスペクト。彼の魂は受け継がせてもらう。
ゆっくり眠ってほしい。

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"We Almost Lost Detroit"より抜粋

That when it comes to people's safety money wins out every time.
「人々の安全よりもかならず金が勝つんだ。」
Almost lost Detroit that time. And how would we ever get over... Cause odds are , we gonna loose somewhere, one time. And how would we ever get over loosing our minds? /... Didn't all of the world know? Say didn't you know?
「わたしたちは失いかけたんだ、デトロイトを。どうやって立ち直ればいいんだ。可能性を言おう、わたしたちはいつか、どこかを失うだろう。そんな狂った状況からどう立ち直ればいいんだ。(略)世界が知らないとでも言うのか?あなたも知らないとでも言うのか?」

2011/05/28

続・食べものノート

今日仕入れた情報を。

日本共産党(都議)が独自に都内の環境放射線量を測り、まとめて報告してくれています。それによると、江東区から練馬区を結ぶ線以東の地域は、年間 1mSv 以上の放射線量となっている可能性があると。足立、葛飾、江戸川区などの東部や豊洲周辺に、比較的高線量率の地域が集中しているらしい(マップにもなっています)。別団体が行った都内の公園をメインにした測定結果でも東東京は高めでした。乳幼児、妊婦さんは特に注意した方がよさそうです。シニアの方はいいけど(差別ではなくて、成長期でない人は影響を受けにくいのは確かなので)。。個人的には、福島であれば自身も防護しますが、都内であれば子どもはきちんと気をつけるけれど大人(自分)は多少後回しでもいいという構えかな、今のところ・・・。そう、まだ今は累積(とにかくこれまでの被曝の積算量!)で足し算・引き算ができる期間だと勝手に思っているので、例えば《福島へ数日行った分、数週間九州に行く》とか《空間放射線量が高く風の強い日に屋外に一日中いた分、数日屋内で過ごす》とか《出所不明の野菜を外食で立て続けに食べた分、今週はきちんとした食事を家でする》とか・・・調整をいつも念頭において、焦らないように。「今すぐ影響はない」は東電や政府が言うと憎悪が湧く言葉ですが、間違ってはいないのです。気休めかもしれない、あくまで適当な換算にはなるけれど、とにかく累積の自己管理です。

昨日の繰り返しになりますが、日本全国(特に東日本在住の方は)食べ物に関してはウォッチすべきです。気をつけなかったら何が起こる(かもしれない)のか、放射能が何をもたらす(のかもしれない)のか、イマジネーションと情報の欠如が行動に至らせていないのだと思います(プラス、一番怖い同調性バイアス)。心配し過ぎ、という人もいるでしょう。交通事故などの確率の問題を引き合いに出す人もいますが、誤っているのは、放射性物質の体内蓄積で障害や発病(ガン/白血病)が出てくるかどうかは 0 or 100(100人に1人が運が悪くて起きて、あと99人はセーフ)という問題ではないということ。100人中すべての人が体にダメージを受けてはいるが、障害や発病という形で表れるのが 1人ということで「何 mSv まで浴びなければ安全」なんていうしきい値はない。そしてその身体に表れる問題は簡単に完治するような病ではないということ。わたしはそんなハイリスクな日常で子どもを無防備のままにできない。何があっても悔いがないように究極に気をつけるなら移住でしょうが、どこまで気をつけるかの線引きは自分でしながらも、今は東京でできる限りのケアをしたいと思っています。
牛乳に関しては前投稿にありますが、牛の移動(汚染地域の家畜が日本各地に分散されて、出身地は消え、「移動先」産として売られる)が始まっているようなので、注意です。って注意できなくなってきた。北関東産を避けていても、追手に追いつかれて(?)しまった感が。トレースができないと困りますね。そこまでしないと食っていけない事情も畜産農家さんにもあるのかもしれませんが・・・これは問題。とにかく東電の補償が早く確実に行なわれるように、消費者も自身のこととして声をあげていくべきだと思います。

また、水産庁の海洋汚染調査結果が新たに発表されたようですが、環境 NGO グリーンピースも海洋調査の結果を昨日発表しました。比べるといいと思います。どちらが正しいというより、NGO(特にグリーンピースのような政府や企業から資金援助を受けていない団体)や独立機関から、判断材料としてのセカンドオピニオンが出てくることは本当に大切だと思います。オルタナティブ情報が与えられる限り日本はまだ大丈夫だな、って少し思う。政治的発言するだけで投獄されるような国に比べたら、の話ですが。ああ、ともあれ太平洋側の魚はちょっと厳しいな。江戸前の寿司、もう食べられないのかな・・・。思いっきり三陸沖で漁獲されたものでも出所が水揚げ漁港名(例えば九州)となる場合もあるなど、これもトレースできない問題をはらんでいます。

あれが危ないらしい、という忌避情報の他に、ポジティブに「これがいい/効く」と言い切れるものはないのだけど、いろいろ読んでいて共通しているのは免疫力、「バランスのとれた食事」「洋食より和食」「白米より玄米」とか、そういうどんな病気予防にも共通する、ごく基本が放射能からダメージを受けにくい体をつくってくれるということです。傷を修復してくれるビタミンC も(ダメージを受けた細胞を直してくれるという意味で)効果はあるだろう、とか。小難しいことではなく実はものすごくベーシックなんだな、とひとりで結論づけていた矢先に、生協のお知らせの中にいいまとめがあったので引用しておきます:

【ミネラル豊富な食生活を】原発事故後2ヶ月近く過ぎて、放射性ヨウ素の影響は小さくなっているので、セシウムとストロンチウムについて消費者ができる対応をお応えします。セシウムはカリウムに、ストロンチウムはカルシウムに、それぞ化学的性質がよく似た元素です。カリウムやカルシウムが欠乏していると、セシウムやストロンチウムの吸収率が高まるので、日頃から海草類などミネラルを多く含む、栄養バランスのよい食生活をすることをおすすめします。放射線の害として、一番気になるのは発がん性です。しかし、私たちの身体には、傷ついた細胞を修復したり、がん細胞を微細な段階で排除する免疫機能が備わっています。日常生活で免疫力を高めれば、放射線の害を減らせると期待されます。栄養バランスのとれた食生活、適度な運動、十分な休息、ストレスの発散、禁煙などを心がけましょう。

また、多少かぶりますが、心ある厚生労働医系技官の方のブログからの引用です:

(前略)確実に言えることは、セシウム137 やストロンチウム90 などの放射性物質の影響をもっとも大きく受けるのは子どもたち(特に 5歳未満の小さなこども)です。
 子どもは外で活動します。家の中でじっとしていることはおかしいです。そうなれば、大気中に漂う、あるいは土壌から舞い上がるセシウム137 を吸い込む可能性が、大人に比べて高いと言えます。
 また、子どもは体内の水分比率が大人より大ですから、身体の水分に溶け込むセシウムの割合も、必然的に大人より高くなります。
 また、子どもは、大人より、牛乳をのむ機会が多いのが一般的です。となれば、ストロンチウム90 の内部被ばくにさらされる機会も多い、と考えられます。
 しかしながら、放射線は遺伝子であるDNAを傷つけることが分かっています。傷つけられたDNAが正常に修復されない場合、異常な細胞が産生されてゆきます。こうして生じるのが「がん化」です。
 ヨード131 を除いて、ある特定の核種が、特定のがんを特異的に引き起こす事が多い、と言うことは証明されていません。しかし、放射線の一般的な特性を考えれば、どの核種による被ばくにおいても、将来のがん発生の可能性を考えることは、当然のことと言えます。
 がん化には、10年から20年以上が必要だといわれます。子どもたちは成長の過程にありますから、それだけDNA複製も活発に行われます。つまり、放射線の影響を受ける機会も大人より多いわけです。また、平均余命を考えれば、将来、子どもたちが、がんに罹る確率も高くなります。(後略)

ストイックな食のルールに聞こえるかもしれませんが、大人は多少は緩くていいと思っています(「もう俺は好きな酒飲んで死ねればいいんだバカヤロー」みたいなおっさん糖尿病患者みたいに、好きなもの食って被曝したって歳の数が多ければ多いほどいいんです)。でも子どもはね、大人が気をつけてあげてください。今一番無防備でありながら、これからいっぱい生きるんだから・・・。

*セイピースプロジェクトというNPO が「放射線被爆から子どもを守るために」というブックレットをPDF で配布しています。厚生省が出したムナクソ悪いやつより数倍きちんとした情報がまとめられています。今日はこれをご紹介して終わりにします。

【 5/29 追記 】
ご参考まで。小売店情報「被曝食材を避ける・危ないスーパーの見分け方」。仕入れのラインナップでスーパーのスタンスって結構分かりやすいと思う。うちの近所では西友に軍配。主婦の目はごまかせないぞよ。

2011/05/25

日々是被ばく(食べもの)

エネルギーシフト(原発から自然エネルギーへ)を推す活動に先月は力を注いでいたけれど、今そこから一歩離れている自分に気づきました。それも大事だけれど、今は子どもの健康と命に関わる問題が第一。福島の学校 20mSv のことや、すでに被曝の症状がからだに現れている子(目の下のクマや下痢、アレルギー症状の悪化など)が福島や茨城で出てきているとか、北関東では福島産の牛乳や野菜を使った給食を食べさせられている(学校が親の申し入れを聞かず避けられない)という話を聞くと、福島は本当に深刻で東京での憂慮とは比べ物にならない・・・と申し訳なく思う一方、もちろん自分の子どもや地域も心配なわけです。行政や学校に任せていては子どもたちの低線量被曝がじわじわと進んでしまう − 子どもを守るために、福島のみならず、日本各地で一部のお母さんたちが積極的に動き始めました。うちの住まいの近く(東京武蔵野エリア周辺)でも、意識の高いお母さんたちが個人やグループで小学校や幼稚園、保育園へ土壌(校庭、園庭や砂場)の放射線量調査及び改良や、給食の原材料について要請をする動きが出ています。ガイガーカウンターを購入している一般の親たちもいます。

福島では大気の空間放射線量、土壌へ積もっている量、農作物の汚染とすべて高い放射線数値ですが、首都圏(いくつかあるとされるホットスポットを除く)での主な心配は内部被曝です。空間放射線量はうちの周辺では 0.1uSv 弱が最近の平均値なので、風向きを見て北からの風が来る日は少し注視しますが、個人的にはあまり気にしていません(今後新たな爆発がなければ都内で劇的に高くなることはないはずです)。要の内部被曝は主に食べ物からと、土に積もっている土壌の放射性物質から。特に子どもは土いじり・砂遊びが好きなので、洗わない手を口に持っていって(やるんですよねー)体内に入る、あるいは背が低いので地面から舞う土ぼこりも吸うという経路もあります(放射線量のモニタリングポストは地上 1メートル以上に設置されている場合がほとんどなので、行動している親たちは子どもに近い地表の放射線の数値を求めています)。学校や幼稚園の庭の土壌の表面入れ換えが行われる/行われたという話は結構聞くようになってきました。内部被曝については、毎日必ず食べる食べ物や水の方が注意が必要だと思います。

原発事故後、国内の食品は WHO基準の何十倍もゆるい基準となっていて、それが「基準を下回り安全」といわれて流通しています。学校の給食の原材料もこの基準です。外食もそう思うと何が使われているかわかりません。かふぇでラテひとつ頼んだって「このミルク、どこ産だろ・・・」ああ、こんな小さな幸せまで原発に奪われてたまるかいっ!(怒)。といっても、わたしもそんなに細かく気にしているわけでなく、自分ルールをこれでも緩く設けているつもりです(今始まったばかりの汚染であって、これから食物連鎖で何年も何十年も続くわけで、長期戦なので、こちらも長く続けられるようにと)。これから数十年単位で放射能と共存しなければならないんですよ、日本は。しかしながら今、食品の選択肢は、さすが飽食日本、贅沢なほどあります。避けようと思えばいくらでも避けられるけれど、チェルノブイリ事故時のウクライナはとても貧しく、汚染されているとわかっていても近隣の食べ物を食べなくてはならなかった・・・その結果たくさんの子どもがのちに発ガンしたりしたのです。ネットショッピングで西日本の食品も買える今の日本。今日、カルディ(輸入食品を扱う店)の狭苦しい通路で、当時のチェルノブイリや福島のことを思って立ち尽くす・・・申し訳ない。こんな近所に、こんなにたくさん、世界の食べ物が安価であるってことが。グローバリゼーションをこんな形でありがたく思う日が来るとは。

少なくとも家での食事では自分で購入する限りは気をつけようがあります。Twitter のおかげで本当に驚くほど多くの食べ物の放射能汚染に関する情報、各食品メーカーのスタンスなどを知ることができました。精査が必要だとも思っているので、自分でまとめようと思ったのですが、時間がなく(できれば早めにやりたい)・・・参考サイトのリンク列記しますが、あくまで「参考」にして自分で判断するという構えで見ることをおすすめします。

 *結果のみならず、「情報の読み方」についても学べます。必読。
 *さすが大地。
 *よい図。キャベツについてはやや誤りがあるようです。
 *かなり質の高い情報です。


ここで;食べ物はそれぞれ基準値が異なるわけですが、その数値と注を書き出しておきます。(ベクレル= Bq)

【 水の基準値(日本と他の比較)】リットルあたり
 日本の暫定基準値 . . . 300 Bq(乳幼児は 100 Bq)
 WHO基準 . . . 10 Bq(ヨウ素131 , セシウム137 とも)
 ドイツガス水道協会 . . . 0.5 Bq
 アメリカの法令基準 . . . 0.111 Bq

★ 日本は飲料の放射線量基準値がなく、3/16まではWHO の基準相当を守っていた。
★ 水の基準は 300 Bq ということは市販の水を使った清涼飲料水、お茶はすべてこの基準で生産されている。

【 食品の基準値(日本の暫定基準値 3/17 以降)】キロあたり
 牛乳、乳製品 . . . 300 Bq
 根菜やイモ類を除く野菜類 . . . 2000 Bq(ヨウ素)
                200 Bq(セシウム)
 穀類、肉類、卵、その他野菜類 . . . 500 Bq
 魚介類 . . . 2000 Bq(ヨウ素)500 Bq(セシウム)

★ 原子力安全委員会「飲食物の摂取制限に関する指標」(=厚生省規制値)より。魚介類のヨウ素規制値は 4/5 に追加発表された。
★ 1年間の内部被曝の許容量をセシウムが 5mSv、ヨウ素が甲状腺に対し 50mSv とするもので、これから年間飲食量を逆算して基準値を決定。


その基準とやらの何倍、何十倍もの放射線量を持つ野菜や魚が見つかっています。原子力安全委員会がつくった基準というだけで、個人的にはもう信用できない感じだし、どのように検査されてパスされているかのフローが不透明・・・。スーパーの野菜にそれが正しく何ベクレルか記載されて消費者が選べるなんてのは夢のような話でしょう。この不透明感がまさに「風評被害」を生んでいる・・・本当は買いたいよ、福島産。・・・ということで、わたしは自分の決めたルールを優先しています。「基準」が暫定=高めで、よくわからない上に、「基準以下」とされていても 500 の基準であるなら 490でパスしたものか、20 でパスしたものかもわからない。それが同じにされているわけです。福島の農家だってほとんどが良心的な方々で(「百姓の誇り」と仰っていた方もいるけれど)、泣く泣くつくられた野菜を廃棄して、東電の賠償を待っているんだと思います(絶対きちんとやれよ!東電!)。余った野菜を自分たちで食べられているという話も聞きました・・・。いつも福島産、茨城産を避ける度に心中で「ごめんなさい」と言う。地震・津波だけだったなら、被災地の野菜を進んで買うだろうに・・・。申し訳なく思いながらも、うちでは北関東の野菜と牛乳、乳製品、魚介、きのこは避けているのが現状です。牛乳は九州のものを選ぶか取り寄せ、入手できないときは豆乳にしています。水は濾過式の浄水ポットとミネラルウォーターを半々くらい。

心配しすぎといわれようと「予防原則」を通します。少なくとも子どもには。このスタンスを外で主張しすぎると(意識をあまりされていないお母さんも多いわけで)変に思われたり、「運動」となると引かれたりするので、小社会を巻き込もうと思うと一筋縄ではいきません。他の子だって守りたいが、とりあえずは自分の子だと。今回この原発事故以降からこの問題に声をあげ始めた方は、さっそくその「無関心層と自分」「マイノリティは変人扱い」の壁にぶつかっているようですが・・・(今まで放射能は危ないとずっと言い続けて無下にされてきた人たちは、今さら痛くもかゆくもないわけです。わたしも含め)。浮いてばかりもいられないし、対・無関心層にしろ対・学校にしろとにかく対話だ(敵対でなく)、と導き出されたお母さんもいました。そう、すべてはそうです。牛乳がマストな給食問題は結構大変なようですが、お弁当持参という「特例」を勝ち取ったお母さんも多く、学校としては一部の希望を出してきた家庭への例外は比較的簡単に許せるが、全体のルーティンは崩さない(牛乳は出す、福島産であっても)という感じ・・・そう、それが学校。それが文科省。厚生省。私立はやはり柔軟なようですが。あと、まだ都道府県レベルで規制として動いていないわけなので、自治体(市や区)が判断を求められているところもあって、市区によって理解があったり、突っぱねたり、結構対応が異なるのも、なんというか・・・対応が悪い区はみんなで一生覚えておきましょう。

残留農薬の摂取量の基準値は、通常1日摂取許容量の 1/100以下だそうです。放射線量の基準値が健康被害が確認される値の 1/5 って・・・。やはりわたしらは疫学研究の「サンプル」ですかね?

原子炉が3つ(!!)メルトダウンしてたって、しれっとニュースは伝えただけ。子どもが被爆したってたいしたことない昨今なのかな。この国は少子化対策とかいって大臣まで設けていたはず。明らかに子どもが健やかに暮らせず、赤ちゃんも安心して産めない国で、子どもを育てようなんて誰が思うだろう。大人の判断や決断で、子どもたちの未来がどうかこれ以上潰されませんように。

2011/05/24

日々是被ばく(サンプル市民)

昨日 5/23 、福島のお母さん、お父さん、子どもたち(100人近く)と彼らを応援する人々(300人近く)が文科省前に集合し、福島の子どもたちの年間 20mSv(ミリシーベルト)の許容値の撤回を求めました。自然界や医療で年間に受ける放射線量(大体 2-3mSv)を除いて、一般人が人工的に受けてOKとされるのは年間 1mSv。20mSv 以下ならば日本では学校に行かされてしまうけれど、チェルノブイリでは年間 5mSv で強制移住。大人よりも放射線の影響を受けやすい子どもの被ばくを最小限に抑えたいというのは誰しもが思うこと。そんな当然の、そして悲痛な訴えに対して、高木文科相と政務三役が交渉に出てくることはありませんでした。


詳しくは:

毎時 3.8uSv(マイクロシーベルト)というのが出てきたのでメモとして:原子力委員会が示した考え方に基づいて(ここがすでにあやしい)8時間を屋外で、16時間を屋内で過ごすことを想定しての被曝許容基準 per 1時間。これで 365日計算をした場合は 20mSv を下回るが、いずれにせよ 10mSv 前後となり、これでも高め。また、3.8uSv/hour にしても 20mSv/year にしても食べ物からの内部被曝は含まれていない。厚生省が「この暫定基準値に基づけば、飲料水と食品の摂取だけで、1年間で 17mSvの被爆(実効線量)になると認めた」との情報もある。

高木文科相は「ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に基づいたもの。年間 20mSv はあくまで上限で、1mSv を目指して線量の軽減を図っている」と言っていたけど、その 20 という線量限度の数字によって校庭(除染されていない)での利用のあり方が決められてしまったりしていて、しかもそれを大人も子どもも一緒にされてしまっているというのが問題とされています。そしてこの ICRP (こいつがどのくらい中立で信頼おける機関かもまずチェックした方がいい気もするけれど、それはちょっとおいといて)ですら、なにも 20mSv にせよと言っておらず「1〜20間(復旧期/平常時より線量が高く汚染状況下での基準数値)でできる限り低いレベルで」、それに「妊婦や子どもには特段の配慮を」、と言っているらしい。1〜20 のわざわざマックス上限をとっているのは日本政府なのです。しかも ICRP は内部被曝を積算していない。

オーストリアでは原発が違憲だそうです。日本でも原発は憲法 25条に反するという意見もある(第25条;すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)。うん、今の福島を考えると憲法違反。そう、普段の 20倍の放射線量まで強要されるのは人権的、人道的にどうなんだろうか。小佐古内閣参与がこの政府の決定を受けて「ヒューマニズムに反する」として辞任したのも人として当然というか・・・。それに福島大学の教員グループが「低線量被曝リスクについて」という文書を発表していて、その中で「我々は誰しも "サンプル" にされない権利を有しているはずです」と言っているのが胸に刺さりました。直球に言うならば「福島県民は被曝実験のモルモットではない」ということです。そんなこと、絶対に許されてたまるか。

先ほど、河野太郎議員が「昨年の文科省調査によると年間 20mSv は危ない」という貴重なブログポストもされていますね。

文科省が 4月に「放射能を正しく理解するために - 教育現場の皆様へ」なるものを配布しています。文書の半分が「放射能を心配し過ぎて起こるストレス障害について」書かれていて、苦笑するしかない感じ。おーい。文科省がストレス増大させてんスけどー。暴走がとまりません。

放射能の影響は確定的でない部分もあるけれど、浴びるか浴びないかならば浴びない方がいいわけで、それについて予防原則的措置をとるのは、特に影響を受けやすい発達途中の細胞を持つ子どもには、当たり前だと思います(この可能性は高いが確定的影響がクリアでないという中での「予防原則」を!というのは遺伝子組み換え作物の問題などにも言えます。ちょっと脱線)。もうね、とにかく予防原則なんだってば。チェルノブイリという前例があり、それと同レベル(原発の基数で言えば「チェルノ x 4 + 始末の悪いMOX燃料 + だらだらと放射能垂れ流し終息の兆しナシ」を考えると、たぶんチェルノ以上。史上最悪)な中、様々なことが予測できるのに、国民を守るために何も講じない政府。そしてここまでのことが起きていて、進行中にもかかわらず存在する膨大な無関心層。様々な事情を抱えて動けない人もいるだろう(でもそんな何らかの差し迫った状況にいる人はわずかだと思う)。十年後、身の周りで何が起きていようと、今何もしなかったなら文句を垂れる資格はないんだよ。

「この世界を危険に導くのは、悪事を働く人たちよりも悪事を見過ごす人たちである」
- Albert Einstein

【 追記 5/26 】
あと、前出の文科省が出した「放射能を正しく理解するために」にあまりに間違いが多いため赤を入れた(添削した)版をつくってくれた人がいます。赤ペン先生っ。

【 追記 5/27 】
福島の子どもたち 2omSv 問題に進展!高木大臣が会見で「年間 1mSv以下を目指し、できるだけ減らしていく」と。でもまだ 20mSv は見直されていないので、手放しに喜べないようだけれど、とにかく前進。

人間性なき科学

前々回の投稿で触れた小出裕章先生の参議院行政監視委員会での話が、アップされています。ライブで聞けなかったのでこちらで見られてよかった。短い動画なので、ゼヒご覧を。内容が凝縮された静かな物言いの中に、怒りがありました。でもそれが感情的なかたちでなく(そこが科学者さんです)表されているところに相変わらず太い説得力を感じましたが、議員もそう感じてくれたことを願います。

最後に、と、小出先生が引用された「ガンジーが説いた7つの社会的罪」を書き出しておきます。

1. 理念なき政治
2. 労働なき富
3. 良心なき快楽
4. 人格なき知識
5. 道徳なき商業
6. 人間性なき科学
7. 献身なき崇拝

「道徳なき商業」とは東電のことであり、「人間性なき科学」とは原子力アカデミズムだと小出先生は加えました。崇拝ではないけれど、小出先生のような謙虚な人格者が、科学者として存在してくれてよかった・・・。本当に、これらはすべて罪だと思う(自分だってクリーンに生きられるわけではないけれど)。

参院のあとの院内集会でも、子どもたちに 20 mSv を強要している問題について「子どもたちには原子力を許した責任は一切ない。大人は責任があるが、子どもたちは守りたい。みんなの知恵と力を合わせながら、子どもをどうやって守れるか、考えていきたい」と発言されていました(この 20mSv 問題については今日動きがあったので、明日またまとめたいです)。

小出先生のマネをして、わたしも最後に、非暴力のアクションを説いたガンジーの言葉を:
「怒りは酸のようなもので、注ぐものにも増して、その器に大きな害を与える」
「握りこぶしと握手はできない」

科学者のみならず、アクティビストも、対話に重きを置いて解決策を探る冷静さが大切だと、改めて確認です。怒りと闘志を内に秘めながらも。

2011/05/20

「風が吹くとき」にまなぶ

原発事故直後、友人からの短いメール「『風が吹くとき』になっちゃうのかなぁ」。

ブラック・コメディーの傑作と評された『風が吹くとき』。確かにコミカルな面もありますが、今のわたしたちにとっては「ブラックやなぁ」と心の底から笑えません。核爆弾と原発事故という違いはあるし、程度の差はあれど、わたしたちの今の生活にある一コマと似たコマがところどころにあり、その間のジョークすら生々しい(たあいないバカげた会話が非常時にも交わされるというリアリティー)。

「『風が吹くとき』を読んでもまったく笑えなかったよね」と、笑える日が早くきますように。

(『風が吹くとき』レイモンド・ブリッッグズ 作 , さくまゆみこ 訳)

「「食べ物が体をつくる」とか「健康第一」とかって言うだろう」
「核戦争も、健康な者だけが生きのびることができるんだよ」
「豆もからだにいいらしいな」
「でもおならが出るわ。豆はよしてくださいよ、ジム」

「日本では原爆のずっと後でも死者が出ている・・・なぜだった
 かな」
「用心が足りなかったのね、きっと」
「そう、正しい策をとらなかったのさ。それに、あのころは科学
 がまだ幼稚だった。進歩した現代科学のおかげで、今は対応が
 きちんとできるはずだよ」

「何も見えないし、何も感じないんだから、
 べつに害はないんじゃないの?」

2011/05/19

個性の優れる方面において、各々止むなき表現をなせ

「個性の優れる方面において、各々止むなき表現をなせ」

宮澤賢治のことばです。

数週間前に、調べものをしていて(最近調べものばっかりだ・・・)とあるブログで知り、今この状況に暮らす日本人すべてに投げかけられた言葉のように思えて、ずしんときました。そして即拡散 via Twitter 。座右の銘の勢いです。前出のブログ内に掲載されている講演録で、この言葉を引用されていたのは、小出裕章さんという京都大学原子炉実験所の教授をされている方で、今となれば有名(?)ですが、40年近くも原子力を止めるために原子工学者の立場から訴えを続けている、筋の通った先生*です。

小出先生は来る 5/23 の参院行政監視委員会で招かれていて(孫正義さんも)、ご本人も「国会で言いたい放題言ってきます」と仰っているようです。たのしみー。原子力に真っ向から反対されてきた小出先生が国会に立つことなど誰も(ご本人も)予想されていなかったと思います。このご時世でずっと主張されてきたことがやっとこさ注目されて・・・複雑な思いもあるかと。以前から紹介している小林武史さんとの対談(この企画はほんと、分かりやすくて人選もよく good です)も数日前にアップされていました。上記に張っているリンク、すべて必読です!

「個性の優れる方面において、各々止むなき表現をなせ」は小出先生だからきちんと引用できるんだな。「表現」よりも大切なのは「止むなき」です。すごくありきたりなのだけど、継続して諦めずに、揺るがずに、何かを訴え続けることは簡単ではない。尊敬に値することです。わたしもできるだけやるよ、止むなき表現!

*思いっきり余談ですが、弁護士、政治家、医者、教師、「先生」と呼ばれる職業数あれど、本当に違和感なく「先生」と呼べる対象はどれくらい存在するでしょうか。わたしがひねくれているのかもしれないけど、大抵本来の意味を込めずに呼んでるよなぁ。でも小出先生は「先生」な気がする。あと、わたしの知人が議員にロビーをするときに意識的に「先生」と呼ぶのを拒んで本当に嫌悪感あらわにしていたのだけど、何かの文脈でフツウに「赤塚不二夫先生」と言っててかなりうけました。正しいけどね。

【 追記 5/22 】
(動画をダイジェスト版に書き起こしてブログに上げてくれた方がいます)。
・小出先生が引用されている 3月の高崎観測所の高濃度放射性物質を検出についての詳細。

2011/05/11

リサーチ and アクションの時間ですよ

あれだけ始めるのに躊躇していた Twitter なのに、始めてしまえば中毒のような日も。140字の制限もその切り詰める編集作業がだんだん楽しくなってきました。とにかく入ってくる情報が知りたいカテゴリに絞られる上、量が多く、タイムリーで便利です。今はことさら原発とエネルギー問題関連のみですが。それに加えて仕事が超多忙になってきたせいで、まったくブログがアップデイトできず・・・。あー。

連休中にデモもたくさんあったし、菅首相の浜岡原発停止要請や昨日 (5/10) の原発依存政策見直しの発表など動きについてもいろいろと書きたいのですが、時間がない・・・。あー。

今日は、共有が急がれる Twitter で仕入れた情報のリンクを貼るのみとします。

放射能と食べ物について:
起こりうる産地偽装をどのように見分けるかについても書かれています。
(上記のコンテンツの出典となったブログ「ベラルーシの部屋」にも「自分と子どもを放射能から守るには」という主に食品の安全に関しての情報が多く掲載されています。ベラルーシは言わずとしれたチェルノブイリ原発事故の際に甚大な被害があったエリア(今は国)で、そこに在住されている日本人の方が書かれています。牛乳、乳製品とストロンチウムについては必読だと思います。)
海産物も気になるところ。ひとつの地域に留まらない回遊魚なら比較的安全、というような話も聞きますが、上記のリンクを見る限り、福島や茨城沖のイカナゴが群を抜いている(これはさすがに話題になっていましたね)のと、シラス、シラウオ、ヒラメやカレイなどあまり動かない系の(?)魚から若干の検出があったようです。あまり動かない系に影響が出るとなると、貝やカニとかも心配ですね。情報がまだ全然足りないな。

食品による内部被爆について:
外部被爆よりもこれからは食べ物からの内部被爆がとても深刻になってきます。特に成長途中の子どもの DNA は影響を受けやすい。

子どもを守ろうという動きはかなり活発化しています。政府は守ってくれません。日本全国、お母さんたちが情報を積極的に集めて、自分がコントロールできる限り子どもを守ってあげてください。あと、教育機関(幼稚園、小中学校)の教諭たちが低線量被爆について詳しく学び、積極的に独自の対策をとってください。省庁からの規制などの支持を待っている間に子どもたちはどんどん被爆します。福島県内ではそういった独自の動きが始まっているようですが、まだ足りないし、関東でも千葉などでホットスポット(原発から離れていても気候や地形などの関係で累積放射線量が高くなっているエリア)が確認されているため、首都圏でも対策が必要だと思います。放射能はこれ以下なら安全と言える量はないのです。個人差もあるし、わかっていない部分も多いからこその予防原則。

みなさま。お忙しいでしょうが、とにかく調べる!知る!そして行動できるところで行動です!

2011/05/04

バンクシー的アクションの来日


「岡本太郎氏の壁画にいたずら=福島原発?の絵貼り付け-警視庁が捜査、東京・渋谷駅」

「JR渋谷駅構内に展示されている芸術家の故・岡本太郎氏の壁画「明日の神話」に、何者かが福島第1原発事故を模したとみられる絵を付け加えていたことが2日、警視庁渋谷署への取材で分かった。同署は悪質ないたずらとみて、軽犯罪法違反などの疑いで捜査している。同署によると、1日午後9時半ごろ、「ツイッターで見た」と女性から通報があり、同署員が駆け付けたところ、縦5.5メートル、幅30メートルの壁画の右下部分に、四つの原子炉建屋を描いたとみられる絵が貼り付けられていた。骨組みだけになった建屋もあり、事故をイメージしたとみられる。絵は縦80センチ、横2メートルのベニヤ板のようなものに描かれており、壁に両面テープで貼り付けられていた。壁画に破損はなく、同署は絵を撤去し調べている。」(時事通信 2011/5/2)

祝。粋なバンクシーが日本にもいた。なんだかうれしい。誰も傷つけていないのに「悪質ないたずら?」。あまりに事実すぎてこれも「不謹慎?」。太郎さんは「よくやった」と言う気がする。「明日の神話」のテーマは説明するでもなく「原爆炸裂の瞬間」。これを行なったアクティビストを捜査するよりも、東電幹部を捜査してください・・・。

この記事の「参考」として(イルコモンズ先生のブログより拝借):「現代美術が持ってきた否定の真理は、これまで常に、それをとりまく社会への正当な否定であってきた。一九三七年にパリで、ナチの大使オットー・アベックが、絵画『ゲルニカ』の前で、ピカソに "これを作ったのはあなたですか" と尋ねたとき、ピカソはまったく正当にこう答えた。"いえ、それは、あなたです" と。」(ギー・ドゥボール)


【 追記 5/20 】昨日、アーティスト集団 Chim↑Pom が自分たちの仕業であったと表明し、セッティングの動画も公開。夜の全国ネットのニュースでもちらっと流れていました(その扱いには驚きだけど)。ま、仕業自体のみならず、表明した事に対しても賛否両論あるようですが。でも元々隠れて騒ぎを陰で喜ぶような浅い考えでやってないからねぇ、対して隠すつもりもなかっただろうに。

命のコストは無限大

福島も終息していないというのに、福井の敦賀原発でも放射能物質が上昇というニュースが。・・・もう、いいからとにかくやめて。なにを悠長にやっとんねん!と関西弁で突っ込みたくなって思い出しましたが、関電の原発を止める会がつくった「天災は止められへん。けど、原発は止められる」というすてきな PDF(印刷すると12p の超大作)があります。なにわのマダム2人の対談形式になっていて、おばちゃんたちが「ひゃー。どこが安全やねん」とかいいながら、被爆、行き場のない核廃棄物、六ヶ所ともんじゅ、コスト、被爆労働者、代替案・・・問題のほぼすべてを網羅して喋りまくる傑作です。関西弁のすごい効力で、長いのだけどすらすらと読めてしまう。ゆるキャラのおばちゃんたちなのに、内容はしっかりしていて秀逸です。ぜひ。

田中優さんの5/2の三軒茶屋での講演会「こどもたちの未来のために・今わたしたちができること/原発・放射能を正しく知るために」に行きたかったのだけど、夜だから行けず、仕方なく Ustream で見たけどそれで十分でした。というか、Ust ありがとう。優さんは変わらず正論を説いていて、かつ、事実に近いと感じられる情報に溜め息が出つつも希望が少し見いだすことができる。怒りと怯えを闘う力に変えなければならないと、改めて思わせてくれるので多くの方に聴いて欲しいです(前記の講演だけでなく、毎日のようにどこかで講演をされていて、それらの動画がどこかしらにアップされています)。あと、改めて肝に命じたのは、やはり自分で随時情報収集をして、自分や家族は自らが守っていかないといけないということ。夜中にいろいろ調べて、放射線量や風向き、水産物汚染などについてのソースをいくつか見つけたので(遅いですが)ここにメモしておきます:

 個人の方のブログですが下の方にスクロールしたところに各国
 の風・気象予報一覧。同ブログ内の他の記事も情報が詰まって
 います。
 チェルノブイリ直後から発足した市民による放射線監視ネット
 ワーク

魚介好きな方、サーファーの方のみならず、必読。

また、ハイロ(廃炉)アクション (福島原発40年を廃炉の年にしようと結成された福島県内の有志団体)やフクロウの会(福島老朽原発を考える会)など福島県内各地でアクティブに活動されている団体があります。放射性物質がどこよりも舞う中での活動と思うと・・・ことばが出ません。フクロウの会のブログに福島のお母さんからこんな投稿があったそうです。シェアさせてください。
「(前略)パニックになって逃げて行った人たちをあいつは逃げた・・・と恨みつつ、でも子どもを持つ親は自分も子供を連れて非難したいとみんな思っているのです。学童疎開、無理なら授業停止でもいい、なにか職場に対して公然と非難の理由となるものがほしいのです。みんなきっかけを待っているのです。」
単に同調バイアスでも割りきれない、人間の念やしがらみの中の目に見えない束縛、そこにそこに身を置かないとわからない問題だと痛感です。内閣は今を戦中同様と例えたのに、戦時中は学童疎開しましたよね?子ども、避難させましたよね?それに幸いチェルノブイリという学べる前例があるというのに。子どもたちに 5年、10年後にどのようなことが起きたか、基づいて推測できるものがあるというのに。

学校カリキュラムも、食べ物もそうだけど「制約がありすぎると生活ができない」とか聞きますが、もうひとがまともに「生活できない」暮らし、始まっちゃってます。本来暮らせないところで、どうにか暮らすために、その工夫やルールを官民/公私で考えていかないといけないのに。全体的に通常時の概念、いい加減取り払ってほしい。いま、非常時だからね!!!通常の決まりを破るとこは破らないと、子どもや弱者から順に命が危ないです。

今日の投稿、内容がバラバラでまとまりないな・・・さて(落ち着いて)、インターネットやこういったオルタナティブメディアが、現在もしここまで発達していなかったらと思うと、ぞっとします。リサーチしていると、本当にたくさんの普通の市民によってネット上に情報が提供されているということが心強くもあります。Twitter も然り(わたしも情報収集・共有のためについに Twitter デビウしてしまいましたが、今のネットワーキングは本当にすごいなと実感しています)。同志が全国にいるのだな、と確認しています。最後に、なにわのマダムのひと言から(なにわ度 100%なやつ)「電気使うてるなら、原発に反対すなとかいう人もおるけど、これには反論しておきたいわ。消費者が生産者の欠陥商品を批判するのは当たり前や」。そや!(同意)。そして「お金払ってやりなおせる話やったらまだいいやん。命のコストは無限大」。国会議事堂が永田町じゃなくて通天閣(か御堂筋)にあったら世論にグイグイ押されて世の中変わってるかもね。おばちゃんに学んで元気出していこ。