自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/07/13

Armaments don't give security


『武装は安全保障にならない』

このくには、膨大な量のプルトニウムを保有しながら
「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」
なんてよくぬかしたもんです。
再処理は核燃料を処分しやすくするためになんかやってない。
すべてはプルトニウムを取り出すため。
そんなに躍起になって取り出して、貯めて、何すんのかなぁ。
プルトニウムではいろんなものがつくれるみたいだから。

エネルギー問題は、実はおうちの電気だけでなく、
戦争と平和にも関係します。
イラク戦争も石油戦争と言われたっけ。
枯渇していく資源(ウラン、石油、石炭)には、
それをめぐっての争いが生まれます。
ごく一部のひとしか扱えないものには利権も生まれやすい。

本当の意味での Security ってなんだろう。
それはきっと自分の国でどれだけエネルギーをつくれるか。
年間に数十兆円を海外に払って、石油やウランなどを輸入している
日本のエネルギー自給率は約6%。
ウランを輸入しておいて原子力を「準」国産 と呼んだりね。

「自然エネルギーへのシフト」って聞き飽きたかもしれないけど、
原発反対とセットのただの流行りじゃない。
原子力は Yes , No あるかもしれない。
じゃあ、「平和な世界がいいよね?」と尋ねたなら?

2011/07/08

現代ビジネス・ダイジェスト

講談社「週刊現代」が出しているウェブマガジン「現代ビジネス」が最近アツイ。多少センセーショナル気味な見出しはあるし、インターネットメディアだからこそできる飛ばしようなのかもしれないけれど、腐ったテレビや大新聞に欠けているまっとうなジャーナリズムが少なくとも感じられるし、独自に検証する姿勢があって頼もしい。6/6 付けでリリースされた「捨てられた日本国民 - 政府は本当のことは教えない」にあたっては、6800も記事へリンクしたツィートがなされている。否定的な意見もあっての言及かもしれないけれど、多くは記事へのサポートを表す数と言っていいと思う。


以下、「現代ビジネス」のブックマーク(原発、被曝、放射線関連記事):

2011/07/05

わたしたちの罪

もうひと月ほど前の話になりますが、村上春樹氏がカタルーニャ賞受賞スピーチで、原発事故について、彼自身が脱原発をサポートするかたちで、触れたことが話題になりました。

彼が音楽以外で何かに対して(特に政治的な事柄で)スタンスを明確にするのは珍しく、結構な決断がいったのではと感じたけれど、これだけのことが起きていて、自身の「影響力」を国をマシな方向に導くために行使しない方がふざけている気がします。彼自身が負っていると感じたこれまでの電気に対する無責任さを、この大きな発言によって相殺しようとしたのかもしれない。だとしても、それをムシのいいことだとも思わないし、むしろこのエネルギー問題において、過去の罪をこれからの決断や行動で償っていく作業は、日本の大人全員が行うべきだと、個人的には思っているくらいです。

罪、といったけれど、この原発問題においての「わたしたちの罪」について、考えさせられる2つのスピーチを紹介します。

村上春樹さんのスピーチから抜粋(全文は上記のリンクより):
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(前略 ... )広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。私たちは被害者であると同時に、加害者でもあるということをそれは意味しています。核という圧倒的な力の脅威の前では、私たち全員が被害者ですし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、私たちはすべて加害者でもあります。

今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し自らの生活を破壊しているのです。どうしてそんなことになったのでしょう?戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

答えは簡単です。「効率」です。efficiencyです。

原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかったのです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません。
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「六ヶ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地球の回転」など原発問題をえぐったドキュメンタリー映画の監督である鎌仲ひとみさんが、今年4月に行った講演でのトークから抜粋:(ほぼ全文の書き起こしと動画は上記のリンクより)
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(前略 ... 森達也さんの)地下鉄サリン事件を扱った映画の中で、どうしても忘れられないシーンがある。 今回の福島の事件でもこのシーンを思い出した。 サリンを吸って階段で倒れたり苦しんだり、くの字になっている人たちを、次のサリンをまかれなかった電車が着いて、ばーっと降りてきたサラリーマンが、「ちっ」といって苦しんでいる人たちをまたいで、仕事に急いで行ってしまったんです。

善なるもの、会社員として会社に遅刻してはいけない、ということが、そこに倒れている人に「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と声をかけることより優先する、そんな社会に自分は生きていて、これは恐ろしいことだな、と思いました。

今回よく、テレビに出てくる原子力保安院の人たちとも「六ケ所村ラプソディ-」をつくる中で密接にお付き合いがありました。 みんなとてもいい人たち。良いお父さんなんだろうと思う。

(略 ... 原子力にまつわる様々な現実を)見て見ぬふりをする人たちがたくさんいて、原子力は絶対すすめる、原子力は絶対安全・・・という土台、テーブルの上でしかものを言えないということが横行してきたんですね。それを一生懸命進めている人たちは、倒れている人たちをまたいでいく、仕事熱心で、まじめな、自分の家族のために一生懸命稼いで働く、そんな人たちなんですね。 それは、私だ、と。

わたしは「六ヶ所村ラプソディー」を作ったときに、この劣化ウラン弾を生み出してきたのは、私が日本で電気を使う暮らしだったと気がついたときに、イラクの子どもたちを殺しているのはだれだ・・・私だった。私がそこに加担していたのだと気づいたときに、私が私自身を撃たなければいけない、と。それはすごく難しいことなんですね。

今たくさんの人が、「放射能がこんなに出ても安全だ」と、本気で信じているとは思えないんですけど、そう信じたほうが、今までの暮らしをあきらめなくていいから、ただ、だまされたふりをしているだけなのかも、しれない。でも、私たちは、メディアリテラシー、エネルギーリテラシー、メディアを読み解く力、エネルギーについて学ばないと自分のいのちを守れないと、思うんですね。
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「わたしたち」と言うな、日本政府や東電や推進派のせいでこんなことになっていると言われる方もいるかもしれません。でもこの国は、わたしたちでできている。罪がないのはそんな大人のつくった社会に暮らさざるをえない子どもや動物だけです。311 以前と以降では確実に世界は違うのに、一見普通にまわっている日常の風景が危機感を鈍らせ、問題の所在をくすませています。「忘れちゃダメだ、あんたにも責任あるんだよ」なんて言い続けてたら、友だちをなくしてしまう気もしてきた。「道徳の授業かよ」と引かれる気もしてきた。

なんでもいいけど、わたしは、誰かを責める前に、自分が行動しようと思う。

2011/07/04

原発なくてもいけまっせ情報


原発事故直前に、cabin8design がデザインと構成に携わらせてもらい制作しました、環境 NGO グリーンピース発行のエネルギー問題についてのリーフレット「でんきのほんと・でんきのこれから」の続編をつくりました(って、ひと月たってるんですが)。その名も「でんきのほんと・でんきのこれから Q&A」。内容は、ひとことで言えば「原発なくてもいけまっせ」のファクトを Q&A スタイルでわかりやすく説明したリーフです。
こちらから → ダウンロードできます。
現物をご所望の方は Twitter かコメントでお知らせください。グリーンピースにリクエストしてももらえます。

【追記 7/13】
サポート info:原発震災・原発を止めても大丈夫(全国編)
【追記 7/18】

2011/06/28

反「反原発」とみぎひだり

「環境保護」といったとき、それは原生林伐採であったり、有害物質であったり、核・原子力から地球温暖化、様々な問題があります。サステイナブル(持続可能)に地球であるために、という一本ですべては繋がっていると思うのだけど、切り口(特化した問題)によって人々の賛同が得にくいものと、比較的誰にでも賛同が得やすいものと、あります。以前、NGO に勤めていたときに、海洋生態系の保護については、国内でセンシティブな捕鯨やマグロの問題を含んでいたために日本で正確な理解を得にくい状況が続きました。10年 20年前に比べたら、今は少し理解が進んできたと思いますが、この問題はとても複雑で、日本がターゲットになることが多いイシューだったために「欧米の環境保護団体がジャパン・バッシングをしている」などと問題の本質をすり替えられ、単に感情的に欧米の倫理(鯨食べるなんてひどいとか)の押しつけをして非科学的なことを言うでない!という流れを、水産庁と関連団体、国内メディアは作りだしました。その上、日本の文化に文句つけんな!ということで右寄りの方々がお怒りになったり、様々な問題の真相(既得権益や、調査捕鯨は膨大な税金投入のムダな公共事業であることなど)は議論にあがらず抑え込まれました。NGO 側としてもそんな感情的な浅い理由で問題視しているわけではなかったし、食文化にも伝統的沿岸捕鯨にも反対していないから食べたいなら食べてください、という感じだったのですが。

これをうけて、あまりに日本での活動が問題解決に向けて進む兆しが見えず、むしろこの問題を扱うことによって支持者が増えないダメージも受けている状態だったために、コミュニケーション戦略としてこの問題に国内でいかに取り組むべきかを外部にコンサルテーションを依頼したり、綿密な調査を行いました。その結果、日本の世の中には「反「反捕鯨」の人たちが多い」ということがわかりました。実際に捕鯨をゴリゴリに「推進」している人たちなんてわずかで、実際「どうでもいい」と思っている人たちが大半な中、問題自体よりも「反対反対!と声をあげているひとたち」に嫌悪感を持っている。問題自体はほんの表面的なことしか知らない、ただ反対運動が鼻につくから、あえて(そんな連中の言う)問題点は知ろうと思わない。この層は実は「賛成派」より厄介で、動かしにくいのです。賛成派も対極なだけで、問題に「興味がある」わけなので、無関心層よりも何かの拍子に反対派に転じることすらあります。しらけている層を動かすことが一番難しい。

とにかく、この問題についてはあまり語りたくないのですが、何を言いたいかというと、今の原発にもこの流れが起きているのではないか、ということです。そう、反「反原発」。ここまでのことが起きていても、斜に構えているのか、楽観視しているだけなのか、反「反原発」。放射能の影響を懸念する層に対しても、「騒ぎ過ぎでうるさい」と、これに似た反応が存在します(放射能自体の危険性どうこうよりも、反「放射能を気にしすぎる人々」みたいな・・・ま、これについてはちょっと置いとくとして)。ここまでの事故が起きたら中立という立場はあり得ないと個人的には思っていますが、「反対運動ってイデオロギーまみれだからなー、そうじゃなければ自分も参加するんだけどなー」あるいは「そんな運動のやり方では成功しない」など(でも優れた代替案があるわけでもないくせに)、高見の見物がてら、わけのわからんスタンスで批評して、動かない理由を人のせいにしているのが反「反原発」の基本姿勢のようです。また「感情的で、原発に代わるエネルギー代替案もなくて反対ばかり言ったって」という指摘もあるようですが、エネルギー政策に専門的に取り組み、代替案を提示しながら脱原発を唱えている団体は数多くあるし、彼らのセオリーは非現実的なものではない。本当に一部のメディアから「反原発」の動きをちょこっと見て、とりあえず流れに逆らうことがクールとでも思っているような幼稚な反応にしか見えません。

日本を原発列島に造り上げてきた自民党の石原伸晃幹事長は、14日の記者会見で「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と発言して、批判を浴びていましたが、さらには「脱原発運動はアナーキーで、6/11の脱原発デモではバックに革マル派などがいる。そういう(極左の)人たちがいるのに普通の人が多く集まっている」という発言もあったようです(もう腹立つより「伸晃さん大丈夫?」と心配)。左翼のイデオロギー色を「反原発運動」にくっつけて、市民が参加しにくいものにしようとしているようです。よっぽど民衆が結束するのが怖いみたい、自民党。確かに強いイデオロギーの元に反原発の意思表示をされている方々もいるし、そういったグループと一緒にデモに参加したくないと思う方もいるのだと思います。でも今この状況下で「反原発は左翼臭い」とすら感じていない「イデオロギー無意識派」や、こんな切迫した事態にそんなこと関係ない「生命の問題に右左もない」派が大半なのではないかと思っています。この期に及んで、そういったこれまで何の政治的運動に関わったことがないけど 3.11以降に立ち上がったフツウの人たちを、「リベラル左派」が云々と(例文:「小出裕章氏の発言を鵜呑みにするリベラル左派との乖離がすごくて」など)わざわざ分類する文をウェブ上で見かけました。ここまでして左や右に「分けたがる」行為って一体・・・。「そんなことにこだわってる間に子どもが被曝が進むんじゃいっ!起きてー!」と肩を揺さぶってあげたくなります。ちなみに右派でも(自民党のように中途半端な保守ではなく)結構ファンダメンタルな方たちは、彼らの考え方に基づいて「反原発」を唱えていたりするようです。本当に国と生命を思えば、どう考えてもそうでしょうに。

この今、そんな風に何かの意図のもとに左や右に仕分けして運動の拡大を妨げたり、簡単なジャッジで反「反原発」的無責任なスタンスをとり傍観者になることは罪です。とにかく、一部の人々には何か大きな目的(社会主義にしたいとかね)が今の「反原発」の奥にあるのかもしれないし、斜に構えないと生きられないような個人的問題も抱えてるのかもしれないけど、今はそれどころじゃないんです。それどころじゃ。小さな何かに属する者としてでなく、人間として、意思表示をすることが最重要な気がするのです。

【 追記 】
関連して「無関心層」には心が弱い方たち(現実を受け入れたくない、忘れたいから関わりたくない)もいるだろうな、と思っていたところ、精神科医の香山リカさんが、心と今の状況との間にシールドを設けてしまう(原発について考えたくない・現実のできごとと思わないことにしたい)「解離」という心の防衛メカニズムについて記事を書いていた。もうひとつ:「起きてしまった現実を「なかったこと」にして乗り越えられるのか」

【 追記 7/7 】
今日、Twitter で見かけたある男性のつぶやき「今回、脱原発が果たせるとしたら、子を持つ母親の力だろう。男はどうしても世間のしがらみから離れられないし、右だの左だの理屈が多すぎる。もうゴタクはたくさんだ。言葉を費やすよりも行動だ。」

【 追記 9/19 】
鈴木邦男さん(一水会顧問)が「脱原発運動で「右」と「左」の共闘を考える」という記事を書かれていて「〜何を主張するか、よりも、ときに右や左といったイデオロギーの方が優先されてきた日本。でも、穏やかな暮らしを営みたい、子どもたちに未来をつなぎたいという想いに、右も左もあるはずがありません」とも述べられています。右から考える脱原発、興味深し。

2011/06/25

『原発と放射線』

はじめて電子書籍というものを読みました。

電子書籍だと他サイトや動画へのリンクも貼れるし、あたらしいなぁ。
と、関心しているのは、中山幹夫氏(メディアリテラシーや物理などを専門とされる神田外国大学の教授)がまとめられた『原発と放射線 - 真実を知り自分の身は自分で守るしかない』という電子書籍(無料)。多岐にわたって、イシューのビギナー向けにいいまとめです。後半の国や自治体やメディア、御用学者の批判では、基本ごもっともなのですが「ん?」なところも。前半放射線についてせっかくわかりやすく説明してくださっているので、後半に関してはもう少しニュートラルで冷静なプロ的な文句のつけ方をしてもらって、もっとソースがあれば、他の部分の説得力も一段と増す気もしましたが・・・(仰っていること自体は賛成なんだけど)。

短いので 20分くらいで全部読めますが、この『原発と放射線』より、いくつか「改めて肝に銘ずべし」な点を、抜粋させていただきます。

p.21「放射線は長期間ですこしずつ浴びることと、短期間でまとめて浴びることは同じではありません。例えば1時間に1回、腕を叩き続けて1年間で1万回になっても大丈夫ですが、1万回連続で叩いたらケガをします。これと同じことなのです。ダメージの間隔が長ければ自然治癒されるのに対して、連続でダメージを受けると修復する暇がないからです。もう一つ大事なことがあります。細胞に含まれている DNA は2本のペアでできていますので、1本だけの損傷なら修復できる可能性は大きいのです。しかし、短期間での強い放射線は2本の DNA を同時に損傷させることがあり、この場合は修復が困難になるのです。 1ミリシーベルトでも短期間で一気に浴びれば、1時間 0.1マイクロシーベルトの割合で年間合計 1ミリシーベルト浴びることと比較にならないほど DNA が傷つきます。」

p.32「これからは自分たちの食べるものの安全性は自分たちで判断するしかないのです。なお内部被曝の健康被害はまだ不明なことも多いですし、大気や地面からの外部被曝や吸い込んだ粉塵による内部被曝もありますので、大人には心配のない量でも子どもの食べ物にはできるだけ気をつけてください。そして子ども自身は安心して育つことが大切なので、大変なことですが、できることなら親はそっとさりげなく気を使うようにしてください。」

p.35「自然界の放射線は1~2ミリシーベルトなので、自然界から以外の放射線が年間1ミリシーベルト以内なら自然界の放射線と足しても合計で2~3ミリ程度で大差ないことから、今の法律では一般国民の放射線の基準値を年間1ミリシーベルトとしています。これは法律であり、たとえ原発事故があっても、自然界から以外の放射線で一般国民に対して1ミリを超える被曝をさせてはいけないのです。(略)すなわち、自然界以外でも一般国民の放射線の安全基準値は、放射能汚染された大地、大気、食べ物すべての影響の合計で、年間1ミリシーベルト以下と決まっているのです。」

p.36「政府の基準は経済的・社会的影響を優先して決めた暫定基準であり、安全基準ではないことに注意が必要です。」

p.63「放射性物質を含んだ食べ物をできるだけ食べない方がいいというのは風評ではありません。被災地を経済的に助けることは大切ですが、それとは別問題なのです。あえて、みんなで放射性物質を食べてこれ以上被曝することはないのです。ただし問題は放射線を浴びる総量ですので、あまりにも微量な場合や時々の外食まで過剰に心配することはありません。正しい情報で冷静に判断することが必要なのです。」

p.95「私たちが手にしたネットメディアは、もう実質的にはマスメディアと政府を凌いでいます。網の目上の膨大な人のつながりだからこそ見えてくる真実があるのです。マスコミの報道は周りの流れが変わると後追いで転身しますが、その源流をつくるは私たちが手にしたネットメディアなのです。」

2011/06/19

続々・食べ物ノート

小出裕章先生のコメントがやっと民放で流れるようになりました。原子力の専門家でも脱原発側の学者の警告はとりあげてこなかったマスメディアが徐々にその姿勢を変えてくるのも、事態の深刻度のバロメーターでしょうか。

(テレビ朝日・モーニングバードより 19分の動画)
このインタビューで小出先生は、炉心の水はなく、まともに冷やすこともできていない状態で、解け落ちた燃料が地面を溶かしながら下へ下へと進んでいっているのではないかと言っています。そうなるとドロドロの核燃料が地下水に触れ、水脈が汚染されることに繋がります。それが起こっているのではないかというサインが、2号機周辺の地下水からストロンチウム90 が国の基準の170倍も検出されたこと(保安院は3号機の水素爆発によって出たストロンチウムと報告)。どこかで読んだのですが、地下水脈というのはどのように全国に広がっているのか完全に把握ができていないそうで、原発真下の地下水が汚染されて流れ広がったとして、どこかで食い止めることができなければ、海に流出するだけでなく、広範囲にわたって日本の水が汚染されてしまう可能性もなきにしもあらずなのです。それはもう始まっているかもしれない。この危機感をどのくらいの人が持っているでしょうか。

チェルノブイリのあと、オーストリア政府の調べでは圧倒的に大きな被曝 (80%) が食品からのものだったそうです。次に重要なのは地面の汚染に起因する外部被曝 (15%) 。「このデータは地域によって多少異なるだろうが、汚染食品の重要さは変わらない」(「食卓にあがった放射能」高木仁三郎・渡辺美紀子 著)。今日は食べ物に関して集めた情報を紹介します。

依然、高い暫定基準値は変えられていません。そして汚染の測定も、きちんと測って流通しているのは野菜の 0.1% に過ぎないとか。1000本のキュウリのうち 1本しか検査されていないことになります。結果は発表されているようですが、検査プロセスなど確かに不透明。全量調査ができないのは分かりますが、現状では「どれが基準をパスしたもので、どれがしていないか」わからない状態で市場に出ていて、しかもその暫定基準が異様に高いときている。いずれにせよ、検査を経てパスしていたって危険な可能性が高いのです。福島産でも、本当に検出されなかったものがあるなら、それを買いたいのに(どこよりも被災地のものを本当は食べて支援したいのに)、今のシステムでは「食べて支援」は危険を伴います。また、今は畑の表面が汚染されている状態で、洗っても落ちる(実際よく洗って「基準値以下」となり、市場に出ているものもある)。問題は来年以降は洗っただけでは落ちないものが出荷されるということ。雨で土壌の表面にあった放射性物質が土中に浸透する、その汚染土の養分を取り込んで野菜が育つ(汚染エリアの作付けについてや 99.9%の野菜が未検査な件のソースなど、上記のリンクで言及されています)。関連して、「食品の調理・加工による放射性核種の除去率」(原子力環境整備センター)というちょっとマニアックな論文調の読み物を発見したのですが、カタくて読み込めていません。ご参考まで。

1週間ほど前に表参道のクレヨンハウスであった勉強会「食べものと放射線のはなし」を、覚え書きとしてまとめてくださった方がいます(まとめの Togetter)。はじめて学ぶ方にはわかりやすく、ちょっと詳しくなっている方には要点をとらえたおさらいになっていて、おすすめです。上記のおさらいと同様に「放射能汚染からの自己防衛の食事」というまとめも非常に参考になります。ふたつとも、食生活のキーポイントとして「取り込みを防ぐこと」「排泄を促して蓄積させないこと」、さらには「体質を丈夫にして免疫機能を強くすること」をあげています。排泄を促進する食べ物としてりんごや柑橘類に多い「ペクチン」(ジャムなどにも入っているやつですね)は放射性物質を絡みつけて排出する働きがある、などなど、具体的な情報が詰まっています。

その他、いくつか情報サイトを列記します。
・魚に関する汚染の情報
(年齢別というところが新しい・・・って、なんかちょっとマニアっぽくなってきて自分でも今ちょっと引いた)

6/8 に出された在日フランス人向け公報 IRSNは「福島県周辺地域における土壌と食品の汚染、続く」として、以下のような勧告を出したそうです(以下、一部)。
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【一般のフランス人への勧告】
・ 生産地や放射線濃度が分からない生鮮食品(特に葉野菜、キノコ類、魚類)については長期間の摂取を控える。福島原発事故の後で生産された茶葉についても同様。
・ 同様に、福島、栃木、茨城、宮城、群馬、埼玉、東京、神奈川、千葉の各県で穫れたタケノコやクサソテツを摂取しないこと。
・ 福島、宮城の両県で生産された生乳や、生産地・放射線濃度が分からない生乳を長期間子どもに与えないこと。
【宮城、茨城、栃木、福島に暮らすフランス人への勧告】
・ 乳児および幼い子どもの食事にはボトル入りミネラルウォーターを使用すること。
・ 自宅の家庭菜園から収穫した野菜や、家庭で飼っている家畜動物を食用に用いるのを最大限に控える。
・ 野菜や果物を食べる前に注意してよく洗うこと。外部から建物の内部に汚染物質を持ち込まないよう、家庭での衛生状態を良好に保つようつとめること。特に、下記に注意する。
・ 雨の日は靴を家の中に持ち込まない。
・ 濡れた雑巾で床を定期的に拭く。
・ 家具、カーペット、敷物の表面に定期的に掃除機をかける。掃除機の中袋を定期的に交換する。
・ 無意識に手が口に触れて汚染が起きないよう、ポンプ式容器に入った液体石けんで手を定期的に洗う。
・ 幼い子どもが遊んでいて戸外の土や砂を口にいれないよう、常に見張っていること。
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なんで日本人が在日フランス人向け公報を頼りにせなあかんのだ、と思いますが。

今回の投稿の他に、以前書いた「日々是被ばく(食べもの)」「続・食べ物ノート」にも放射能汚染と食品についてまとめてあるので、そちらもよかったらご参照ください。

【 追記 6/21 】
横浜のお母さんお父さんの市民グループが、食べ物関連をはじめ、しっかりとしたまとめサイトをつくられています。
横浜パパママ放射線だより(横浜の子供たちを放射能から守る会)