2011/07/16
また又・食べ物ノート
「個人的見解」だとしたって、国策を覆す「原発に頼らない社会へ」発言が日本の内閣総理大臣からあるなんて!と感慨深くなる一方、こんだけのことが起きたんだから当然のことではあるわけです。フクシマを受けて、日本より先に国外の原発が止まったり、脱原発の法案が通ってるんだもん。なんにせよ、首相が、真意はどうあれ「やる!」っつってんだから、国民がサポートしていかないと実現しません(とくに今、首相は四面楚歌だし、支えないとまた元に戻っちゃう可能性も十分にある)。
そんな中で、セシウム牛肉が出回ってしまったりと(ありえない・・・)現在の国内の食については、検査体制をとっても高い暫定基準をとっても、自らが積極的に防衛しなければ容易に内部被曝させられてしまう状況からは何ひとつ進展していません。
これまでの投稿(*food のラベルですべての食の安全関連記事を引き出せます)に加えて、食の安全についての有益なサイトのご紹介します。と同時に、先週の火曜 (7/12) に参加した「チェルノブイリへのかけはし」の野呂美加さんの講演会と、今日 (7/16) の肥田舜太郎先生の内部被曝に関する講演会を聴いて得たことを加えて記しておきます。
・おいしいたのしいくらし(必読のまとめ!)
といった食べ物の対策のまとめや、
生活全般(掃除や洗濯など)についての対策も集約されています。
ソースのリンクもすべて列記されています。すごい。
しかも誤報があれば訂正し、日々アップデイトされ続けています。
・イラストで見る
1つ目のサイトをまとめられた metok さんが仰っていて、共感するのは「ネットベースの情報が多くてすべてがすべて論文やら科学者の唱えている情報ではないけれども、科学的根拠がクリアでなければ動かないとなれば、内部被曝についての対策は、はっきりいって何もできない・・・民間療法の世界になってしまうかもしれないが、とにかくできることはやる」という姿勢。肥田先生も仰っていたけれど、現在の医学は放射線による体への害を防いだり治したりできるところまで発展していないと。野呂さんのされているチェルノブイリの子どもたちを北海道で転地療養させるプロジェクトも、最初は確証のない試験的な部分も多く、放射線障害がそんなことで軽減されるわけがないと批判があったが、ひと月の療養で体内の放射線量が3割減するケースがあったことは、やってみてわかった結果であり、「(被曝した身体への対策は)医学や科学があとから追いついてくる部分がある」と。民間療法といってもあやしいもの(手をかざしたら腹から針が出てくるとかね)ではなく、汚染食物を避けられるだけ避けた上で、免疫をあげるべく、食べ物の効能を知りながらきちんと食事をしていくといった本当にベーシックなことなのです。わたしも調べれば調べるほど「そんなことだったのか/そんなことでいいのか/そんなことしかできないのか」と発見の連続です。
野呂さんは様々なところで講演をされていて、動画配信もされているのでご覧になった方もいるかもしれませんが、お話の内容は ①「かけはし」の活動(チェルノブイリの子どもたちの転地療養での成果について)② 福島の線量の高さと現状(ベラルーシとの比較)③ 福島や関東の子どもたちに現れている低線量被曝の初期症状 ④ 食べ物で放射能に強い体をつくること(予防、療養)、免疫アップ・・・いつもこれらが大体の柱になっているようです。一方、肥田先生(自らも広島で被爆され、原爆投下直後から今に至るまで被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けられている医師)のお話も、ご自身の広島での壮絶な体験を治療にあたった医師の視点から語られる部分が大半でしたが、野呂さんの ③ ④ と重なる内容も含まれていたので、主にその2点について、お二人のお話からまとめます。
*現在の子どもたちに見られる症状について
(お二人のところに)福島、関東の多くのお母さんからの子どもの健康相談が相次いでいる。下痢、鼻血、目の下のクマ、口内炎、あざ、喉(粘膜系)のトラブル、老化のような現象(関節の痛みなど)、これらは初期の被曝症状(軽い急性症状)と言っていい。こういったことは広島でも軽度の患者に見られた。アレルギー体質の人は比較的敏感に症状が出る。これらが出たからといって、すぐに何かが起こるわけではなく、療養などで改善できる余地はある。外部(高い空間線量)内部(土壌から舞う土ぼこりの吸入、汚染食物)の被曝を避けられる環境に移ること。その症状が慢性化して、ずっと倦怠感が続くぶらぶら病に進展してしまわなければ心配はいらない。これから数年後に出てくる放射線障害(晩発性の影響)については、白血病や甲状腺がんなどがよく言われるが、ほかに本当に様々な症状・病気が抵抗力が落ちることによって現れる。
*食べ物ができること
まずは汚染された食べ物を極力食べないこと(ごく微量でも体に入ってはいけない!)だが、どんなに気をつけていても入るだろう。体内に入ってしまうことは覚悟して、自己の免疫で闘うしかない。食べ物で強い体をつくること。どの食べ物がいいか、ではなく、どう食べるか。食べ物の栄養を体が吸収するには、とにかく噛む。咀嚼の作業は噛み砕くことが重要なのではなく、唾液による酵素を含ませること。酵素は数千種類あり、食べ物でいえばリンゴ、バナナ、桃、柑橘類に含まれるペクチンはセシウムの排出を促す(参考:研究報告のまとめ/「放射性核種の除去する」ペクチンに関するレポート和訳)。お腹が空いているときに摂取すると吸収がいい。揚げ物やスナック菓子は身体を酸化させるので避ける。被曝によって壊された体内の DNA が酵素によって修復される。リンゴで酵素ジュースをつくるのがおすすめ。放射性物質は腸内細菌にダメージを与えるので、善玉菌を増やして腸内環境を整えるとよい(野呂さんは EM菌を推奨していましたが(これについてはやや?)、米のとぎ汁でつくる乳酸菌(資料その1、その2、その3)などもその類いで、いま我が家でも試しに実験中です。もちろん乳酸菌を含むぬか漬け、たくあん、甘酒、みそといった発酵食品もよいとされています。ヨーグルトは生きている乳酸菌が多く入っている種類のものを)。とにかく酵素の力を借りる!
今「酵素・発酵・乳酸菌」といったキーワードと「免疫」や「放射能」で検索すると、かなりの情報が出てきます。中には便乗ビジネスもあるようなので注意。わたしは食べ物に薬効・効能があると思っていますが、先にも述べたように、実験的な部分がある情報であることには変わりなく(とりわけ EM菌や米のとぎ汁乳酸菌については賛否両論あるようです)、すべてを鵜呑みに信じきっているわけでもなく、疑うところは疑いながらも模索していっている状況です。効果には個体差(合う合わない)もあると思うので、あくまでご参考まで。あとは当然のことですが、自己責任で、自分の経験・知識の蓄積と動物的な勘で判断するしかないんかな。
肥田先生の言われた「どんなに気をつけていても、汚染された食べ物を食べることは防ぎきれるものではない」というのは本当にその通りだと思っていて、自分自身もいくらか入れてしまっている意識はあります。そういっても被曝に効く薬はないわけで、最後は人間の自然治癒力、免疫の高さで闘うしかない。だからこそ体に入った毒はできる限り排出するべく、デトックスを意識するしかない。というのは納得しています。でも、たばこはダメ、規則正しい生活習慣を、バランスのよい食事を家族いっしょに、ストレスをため過ぎないように、きちんとした睡眠、排便を、などなど・・・あまりの正しさに学校の先生に怒られているような気になりますね。わたしだって脂っこいものは食べるし、外食もするし、運動はしないし、夜更かしするし酒は飲むわで何も自慢できるような生活はしていません。子どものため、というのは子ども自身を守ることもそうだけれど、「お母さんが倒れたら誰が子どもを守るんでしょう」と誰かも言っていたし、自分も気をつけていかないと、と思う今日この頃なのであります。
【 追記 7/20 】
「あやしい放射能対策」マクロビオティック、EM菌、米のとぎ汁乳酸菌、ホメオパシー、ペクチン、スピルリナ・・・の効果は疑わしいとのご意見。学会論文や科学的論拠がすべてではないと思うし、その逆に位置するのがすべて不安商法や精神論、宗教信仰ってわけでもない。微妙なことを判断するときには賛否両論、両方きちんと知って考えないとね。「なにごともバランス」と、改めて思う。
投稿者
cabin8design
時刻:
10:31
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ラベル: energy issue 3.11, food
2011/07/14
げんぱつ広告批評
マドラ出版の「広告批評」が休刊になったのはいつだっただろう。2009年か。随分前の気がしていたけどそんな経ってないんだ。広告ジャーナリズム、クリエイター向け雑誌とされていたけど、カルチャー全般を鋭く切っていて粋でした。バックナンバーがいくつか捨てられずに本棚にあります。その「広告批評」の編集長といえば、天野祐吉さん。天野さんの広告批評はまだ終わってなかった!うれしい!しかもつっこむ切れ味衰えず!
・ブログ:天野祐吉のあんころじい
「続・原発広告」(7/11)
「政府公報ってなんだ」(7/8)
天野さんを久々に見て(会ってませんけどね)あー、ご健在でよかったー、と思ったのでした。この文脈でこんなこというのもほんと失礼なのだけど、先週、週刊現代かなにかの中刷りで「あの人が生きていたら、この今をなんというか」みたいな特集を見かけて、「筑紫哲也、忌野清志郎、高木仁三郎・・・」までは自分の想いと合致したんで覚えてるけど、あとは覚えてない(あと個人的には伊丹十三と井上ひさしと、灰谷健次郎と司馬遼太郎も入れてほしいところ)。亡き人たちが残したものは大きいけれど、死んじゃうとちょっとばかし美化されて、同じ発言でも受け取られ方が生きてるときと死んでからでは違ったりするし、当たり前だけど「今現在」については生の意見を聞くことはできない。自分の中に蓄積された彼らのメッセージやソウルを自分自身で引き出して、消化して、指針にしていかないといけない。それに比べて、今生きてる人から学ぶことの方が受動的にできるから、ちょっと甘えちゃうわけですが。数はいないけど、「ヒントをもらいたい」と思える、そんな人が健在であることが幸い。
投稿者
cabin8design
時刻:
1:50
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ラベル: energy issue 3.11, media
2011/07/13
Armaments don't give security
『武装は安全保障にならない』
このくには、膨大な量のプルトニウムを保有しながら
「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」
なんてよくぬかしたもんです。
再処理は核燃料を処分しやすくするためになんかやってない。
すべてはプルトニウムを取り出すため。
そんなに躍起になって取り出して、貯めて、何すんのかなぁ。
プルトニウムではいろんなものがつくれるみたいだから。
エネルギー問題は、実はおうちの電気だけでなく、
戦争と平和にも関係します。
イラク戦争も石油戦争と言われたっけ。
枯渇していく資源(ウラン、石油、石炭)には、
それをめぐっての争いが生まれます。
ごく一部のひとしか扱えないものには利権も生まれやすい。
本当の意味での Security ってなんだろう。
それはきっと自分の国でどれだけエネルギーをつくれるか。
年間に数十兆円を海外に払って、石油やウランなどを輸入している
日本のエネルギー自給率は約6%。
ウランを輸入しておいて原子力を「準」国産 と呼んだりね。
「自然エネルギーへのシフト」って聞き飽きたかもしれないけど、
原発反対とセットのただの流行りじゃない。
原子力は Yes , No あるかもしれない。
じゃあ、「平和な世界がいいよね?」と尋ねたなら?
2011/07/08
現代ビジネス・ダイジェスト
講談社「週刊現代」が出しているウェブマガジン「現代ビジネス」が最近アツイ。多少センセーショナル気味な見出しはあるし、インターネットメディアだからこそできる飛ばしようなのかもしれないけれど、腐ったテレビや大新聞に欠けているまっとうなジャーナリズムが少なくとも感じられるし、独自に検証する姿勢があって頼もしい。6/6 付けでリリースされた「捨てられた日本国民 - 政府は本当のことは教えない」にあたっては、6800も記事へリンクしたツィートがなされている。否定的な意見もあっての言及かもしれないけれど、多くは記事へのサポートを表す数と言っていいと思う。
以下、「現代ビジネス」のブックマーク(原発、被曝、放射線関連記事):
・汚染食「食べてはいけない」暫定基準値は指標にもならない (6/24)
・福島の汚染を調べ続ける科学者・木村真三氏 (7/4)
・日本全国の「放射能汚染」地域、独自調査 (6/27)
・関東1都6県の汚染度 (7/1)
・列島縦断、全国1000カ所の実測数値 (7/5)
・福島第一原発現場からの告発・放射能汚染水 (7/6)
投稿者
cabin8design
時刻:
1:15
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ラベル: energy issue 3.11, media
2011/07/05
わたしたちの罪
もうひと月ほど前の話になりますが、村上春樹氏がカタルーニャ賞受賞スピーチで、原発事故について、彼自身が脱原発をサポートするかたちで、触れたことが話題になりました。
彼が音楽以外で何かに対して(特に政治的な事柄で)スタンスを明確にするのは珍しく、結構な決断がいったのではと感じたけれど、これだけのことが起きていて、自身の「影響力」を国をマシな方向に導くために行使しない方がふざけている気がします。彼自身が負っていると感じたこれまでの電気に対する無責任さを、この大きな発言によって相殺しようとしたのかもしれない。だとしても、それをムシのいいことだとも思わないし、むしろこのエネルギー問題において、過去の罪をこれからの決断や行動で償っていく作業は、日本の大人全員が行うべきだと、個人的には思っているくらいです。
罪、といったけれど、この原発問題においての「わたしたちの罪」について、考えさせられる2つのスピーチを紹介します。
村上春樹さんのスピーチから抜粋(全文は上記のリンクより):
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(前略 ... )広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
(前略 ... )広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。私たちは被害者であると同時に、加害者でもあるということをそれは意味しています。核という圧倒的な力の脅威の前では、私たち全員が被害者ですし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、私たちはすべて加害者でもあります。
今回の福島の原子力発電所の事故は、我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し自らの生活を破壊しているのです。どうしてそんなことになったのでしょう?戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?私たちが一貫して求めてきた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
答えは簡単です。「効率」です。efficiencyです。
原子炉は効率の良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い狭く混み合った日本が、世界で3番目に原子炉の多い国になっていたのです。まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかったのです。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」私たちはもう一度その言葉を心に刻みこまなくてはなりません。
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「六ヶ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地球の回転」など原発問題をえぐったドキュメンタリー映画の監督である鎌仲ひとみさんが、今年4月に行った講演でのトークから抜粋:(ほぼ全文の書き起こしと動画は上記のリンクより)
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(前略 ... 森達也さんの)地下鉄サリン事件を扱った映画の中で、どうしても忘れられないシーンがある。 今回の福島の事件でもこのシーンを思い出した。 サリンを吸って階段で倒れたり苦しんだり、くの字になっている人たちを、次のサリンをまかれなかった電車が着いて、ばーっと降りてきたサラリーマンが、「ちっ」といって苦しんでいる人たちをまたいで、仕事に急いで行ってしまったんです。
善なるもの、会社員として会社に遅刻してはいけない、ということが、そこに倒れている人に「どうしたんですか?大丈夫ですか?」と声をかけることより優先する、そんな社会に自分は生きていて、これは恐ろしいことだな、と思いました。
今回よく、テレビに出てくる原子力保安院の人たちとも「六ケ所村ラプソディ-」をつくる中で密接にお付き合いがありました。 みんなとてもいい人たち。良いお父さんなんだろうと思う。
(略 ... 原子力にまつわる様々な現実を)見て見ぬふりをする人たちがたくさんいて、原子力は絶対すすめる、原子力は絶対安全・・・という土台、テーブルの上でしかものを言えないということが横行してきたんですね。それを一生懸命進めている人たちは、倒れている人たちをまたいでいく、仕事熱心で、まじめな、自分の家族のために一生懸命稼いで働く、そんな人たちなんですね。 それは、私だ、と。
わたしは「六ヶ所村ラプソディー」を作ったときに、この劣化ウラン弾を生み出してきたのは、私が日本で電気を使う暮らしだったと気がついたときに、イラクの子どもたちを殺しているのはだれだ・・・私だった。私がそこに加担していたのだと気づいたときに、私が私自身を撃たなければいけない、と。それはすごく難しいことなんですね。
今たくさんの人が、「放射能がこんなに出ても安全だ」と、本気で信じているとは思えないんですけど、そう信じたほうが、今までの暮らしをあきらめなくていいから、ただ、だまされたふりをしているだけなのかも、しれない。でも、私たちは、メディアリテラシー、エネルギーリテラシー、メディアを読み解く力、エネルギーについて学ばないと自分のいのちを守れないと、思うんですね。
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「わたしたち」と言うな、日本政府や東電や推進派のせいでこんなことになっていると言われる方もいるかもしれません。でもこの国は、わたしたちでできている。罪がないのはそんな大人のつくった社会に暮らさざるをえない子どもや動物だけです。311 以前と以降では確実に世界は違うのに、一見普通にまわっている日常の風景が危機感を鈍らせ、問題の所在をくすませています。「忘れちゃダメだ、あんたにも責任あるんだよ」なんて言い続けてたら、友だちをなくしてしまう気もしてきた。「道徳の授業かよ」と引かれる気もしてきた。
なんでもいいけど、わたしは、誰かを責める前に、自分が行動しようと思う。
投稿者
cabin8design
時刻:
23:01
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ラベル: energy issue 3.11
2011/07/04
原発なくてもいけまっせ情報
原発事故直前に、cabin8design がデザインと構成に携わらせてもらい制作しました、環境 NGO グリーンピース発行のエネルギー問題についてのリーフレット「でんきのほんと・でんきのこれから」の続編をつくりました(って、ひと月たってるんですが)。その名も「でんきのほんと・でんきのこれから Q&A」。内容は、ひとことで言えば「原発なくてもいけまっせ」のファクトを Q&A スタイルでわかりやすく説明したリーフです。
こちらから → ダウンロードできます。
現物をご所望の方は Twitter かコメントでお知らせください。グリーンピースにリクエストしてももらえます。
【追記 7/13】
サポート info:原発震災・原発を止めても大丈夫(全国編)
【追記 7/18】
サポート info:「再生可能エネルギーに関する5つの誤解」
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