自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

home

2011/06/28

反「反原発」とみぎひだり

「環境保護」といったとき、それは原生林伐採であったり、有害物質であったり、核・原子力から地球温暖化、様々な問題があります。サステイナブル(持続可能)に地球であるために、という一本ですべては繋がっていると思うのだけど、切り口(特化した問題)によって人々の賛同が得にくいものと、比較的誰にでも賛同が得やすいものと、あります。以前、NGO に勤めていたときに、海洋生態系の保護については、国内でセンシティブな捕鯨やマグロの問題を含んでいたために日本で正確な理解を得にくい状況が続きました。10年 20年前に比べたら、今は少し理解が進んできたと思いますが、この問題はとても複雑で、日本がターゲットになることが多いイシューだったために「欧米の環境保護団体がジャパン・バッシングをしている」などと問題の本質をすり替えられ、単に感情的に欧米の倫理(鯨食べるなんてひどいとか)の押しつけをして非科学的なことを言うでない!という流れを、水産庁と関連団体、国内メディアは作りだしました。その上、日本の文化に文句つけんな!ということで右寄りの方々がお怒りになったり、様々な問題の真相(既得権益や、調査捕鯨は膨大な税金投入のムダな公共事業であることなど)は議論にあがらず抑え込まれました。NGO 側としてもそんな感情的な浅い理由で問題視しているわけではなかったし、食文化にも伝統的沿岸捕鯨にも反対していないから食べたいなら食べてください、という感じだったのですが。

これをうけて、あまりに日本での活動が問題解決に向けて進む兆しが見えず、むしろこの問題を扱うことによって支持者が増えないダメージも受けている状態だったために、コミュニケーション戦略としてこの問題に国内でいかに取り組むべきかを外部にコンサルテーションを依頼したり、綿密な調査を行いました。その結果、日本の世の中には「反「反捕鯨」の人たちが多い」ということがわかりました。実際に捕鯨をゴリゴリに「推進」している人たちなんてわずかで、実際「どうでもいい」と思っている人たちが大半な中、問題自体よりも「反対反対!と声をあげているひとたち」に嫌悪感を持っている。問題自体はほんの表面的なことしか知らない、ただ反対運動が鼻につくから、あえて(そんな連中の言う)問題点は知ろうと思わない。この層は実は「賛成派」より厄介で、動かしにくいのです。賛成派も対極なだけで、問題に「興味がある」わけなので、無関心層よりも何かの拍子に反対派に転じることすらあります。しらけている層を動かすことが一番難しい。

とにかく、この問題についてはあまり語りたくないのですが、何を言いたいかというと、今の原発にもこの流れが起きているのではないか、ということです。そう、反「反原発」。ここまでのことが起きていても、斜に構えているのか、楽観視しているだけなのか、反「反原発」。放射能の影響を懸念する層に対しても、「騒ぎ過ぎでうるさい」と、これに似た反応が存在します(放射能自体の危険性どうこうよりも、反「放射能を気にしすぎる人々」みたいな・・・ま、これについてはちょっと置いとくとして)。ここまでの事故が起きたら中立という立場はあり得ないと個人的には思っていますが、「反対運動ってイデオロギーまみれだからなー、そうじゃなければ自分も参加するんだけどなー」あるいは「そんな運動のやり方では成功しない」など(でも優れた代替案があるわけでもないくせに)、高見の見物がてら、わけのわからんスタンスで批評して、動かない理由を人のせいにしているのが反「反原発」の基本姿勢のようです。また「感情的で、原発に代わるエネルギー代替案もなくて反対ばかり言ったって」という指摘もあるようですが、エネルギー政策に専門的に取り組み、代替案を提示しながら脱原発を唱えている団体は数多くあるし、彼らのセオリーは非現実的なものではない。本当に一部のメディアから「反原発」の動きをちょこっと見て、とりあえず流れに逆らうことがクールとでも思っているような幼稚な反応にしか見えません。

日本を原発列島に造り上げてきた自民党の石原伸晃幹事長は、14日の記者会見で「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と発言して、批判を浴びていましたが、さらには「脱原発運動はアナーキーで、6/11の脱原発デモではバックに革マル派などがいる。そういう(極左の)人たちがいるのに普通の人が多く集まっている」という発言もあったようです(もう腹立つより「伸晃さん大丈夫?」と心配)。左翼のイデオロギー色を「反原発運動」にくっつけて、市民が参加しにくいものにしようとしているようです。よっぽど民衆が結束するのが怖いみたい、自民党。確かに強いイデオロギーの元に反原発の意思表示をされている方々もいるし、そういったグループと一緒にデモに参加したくないと思う方もいるのだと思います。でも今この状況下で「反原発は左翼臭い」とすら感じていない「イデオロギー無意識派」や、こんな切迫した事態にそんなこと関係ない「生命の問題に右左もない」派が大半なのではないかと思っています。この期に及んで、そういったこれまで何の政治的運動に関わったことがないけど 3.11以降に立ち上がったフツウの人たちを、「リベラル左派」が云々と(例文:「小出裕章氏の発言を鵜呑みにするリベラル左派との乖離がすごくて」など)わざわざ分類する文をウェブ上で見かけました。ここまでして左や右に「分けたがる」行為って一体・・・。「そんなことにこだわってる間に子どもが被曝が進むんじゃいっ!起きてー!」と肩を揺さぶってあげたくなります。ちなみに右派でも(自民党のように中途半端な保守ではなく)結構ファンダメンタルな方たちは、彼らの考え方に基づいて「反原発」を唱えていたりするようです。本当に国と生命を思えば、どう考えてもそうでしょうに。

この今、そんな風に何かの意図のもとに左や右に仕分けして運動の拡大を妨げたり、簡単なジャッジで反「反原発」的無責任なスタンスをとり傍観者になることは罪です。とにかく、一部の人々には何か大きな目的(社会主義にしたいとかね)が今の「反原発」の奥にあるのかもしれないし、斜に構えないと生きられないような個人的問題も抱えてるのかもしれないけど、今はそれどころじゃないんです。それどころじゃ。小さな何かに属する者としてでなく、人間として、意思表示をすることが最重要な気がするのです。

【 追記 】
関連して「無関心層」には心が弱い方たち(現実を受け入れたくない、忘れたいから関わりたくない)もいるだろうな、と思っていたところ、精神科医の香山リカさんが、心と今の状況との間にシールドを設けてしまう(原発について考えたくない・現実のできごとと思わないことにしたい)「解離」という心の防衛メカニズムについて記事を書いていた。もうひとつ:「起きてしまった現実を「なかったこと」にして乗り越えられるのか」

【 追記 7/7 】
今日、Twitter で見かけたある男性のつぶやき「今回、脱原発が果たせるとしたら、子を持つ母親の力だろう。男はどうしても世間のしがらみから離れられないし、右だの左だの理屈が多すぎる。もうゴタクはたくさんだ。言葉を費やすよりも行動だ。」

【 追記 9/19 】
鈴木邦男さん(一水会顧問)が「脱原発運動で「右」と「左」の共闘を考える」という記事を書かれていて「〜何を主張するか、よりも、ときに右や左といったイデオロギーの方が優先されてきた日本。でも、穏やかな暮らしを営みたい、子どもたちに未来をつなぎたいという想いに、右も左もあるはずがありません」とも述べられています。右から考える脱原発、興味深し。

2011/06/25

『原発と放射線』

はじめて電子書籍というものを読みました。

電子書籍だと他サイトや動画へのリンクも貼れるし、あたらしいなぁ。
と、関心しているのは、中山幹夫氏(メディアリテラシーや物理などを専門とされる神田外国大学の教授)がまとめられた『原発と放射線 - 真実を知り自分の身は自分で守るしかない』という電子書籍(無料)。多岐にわたって、イシューのビギナー向けにいいまとめです。後半の国や自治体やメディア、御用学者の批判では、基本ごもっともなのですが「ん?」なところも。前半放射線についてせっかくわかりやすく説明してくださっているので、後半に関してはもう少しニュートラルで冷静なプロ的な文句のつけ方をしてもらって、もっとソースがあれば、他の部分の説得力も一段と増す気もしましたが・・・(仰っていること自体は賛成なんだけど)。

短いので 20分くらいで全部読めますが、この『原発と放射線』より、いくつか「改めて肝に銘ずべし」な点を、抜粋させていただきます。

p.21「放射線は長期間ですこしずつ浴びることと、短期間でまとめて浴びることは同じではありません。例えば1時間に1回、腕を叩き続けて1年間で1万回になっても大丈夫ですが、1万回連続で叩いたらケガをします。これと同じことなのです。ダメージの間隔が長ければ自然治癒されるのに対して、連続でダメージを受けると修復する暇がないからです。もう一つ大事なことがあります。細胞に含まれている DNA は2本のペアでできていますので、1本だけの損傷なら修復できる可能性は大きいのです。しかし、短期間での強い放射線は2本の DNA を同時に損傷させることがあり、この場合は修復が困難になるのです。 1ミリシーベルトでも短期間で一気に浴びれば、1時間 0.1マイクロシーベルトの割合で年間合計 1ミリシーベルト浴びることと比較にならないほど DNA が傷つきます。」

p.32「これからは自分たちの食べるものの安全性は自分たちで判断するしかないのです。なお内部被曝の健康被害はまだ不明なことも多いですし、大気や地面からの外部被曝や吸い込んだ粉塵による内部被曝もありますので、大人には心配のない量でも子どもの食べ物にはできるだけ気をつけてください。そして子ども自身は安心して育つことが大切なので、大変なことですが、できることなら親はそっとさりげなく気を使うようにしてください。」

p.35「自然界の放射線は1~2ミリシーベルトなので、自然界から以外の放射線が年間1ミリシーベルト以内なら自然界の放射線と足しても合計で2~3ミリ程度で大差ないことから、今の法律では一般国民の放射線の基準値を年間1ミリシーベルトとしています。これは法律であり、たとえ原発事故があっても、自然界から以外の放射線で一般国民に対して1ミリを超える被曝をさせてはいけないのです。(略)すなわち、自然界以外でも一般国民の放射線の安全基準値は、放射能汚染された大地、大気、食べ物すべての影響の合計で、年間1ミリシーベルト以下と決まっているのです。」

p.36「政府の基準は経済的・社会的影響を優先して決めた暫定基準であり、安全基準ではないことに注意が必要です。」

p.63「放射性物質を含んだ食べ物をできるだけ食べない方がいいというのは風評ではありません。被災地を経済的に助けることは大切ですが、それとは別問題なのです。あえて、みんなで放射性物質を食べてこれ以上被曝することはないのです。ただし問題は放射線を浴びる総量ですので、あまりにも微量な場合や時々の外食まで過剰に心配することはありません。正しい情報で冷静に判断することが必要なのです。」

p.95「私たちが手にしたネットメディアは、もう実質的にはマスメディアと政府を凌いでいます。網の目上の膨大な人のつながりだからこそ見えてくる真実があるのです。マスコミの報道は周りの流れが変わると後追いで転身しますが、その源流をつくるは私たちが手にしたネットメディアなのです。」

2011/06/19

続々・食べ物ノート

小出裕章先生のコメントがやっと民放で流れるようになりました。原子力の専門家でも脱原発側の学者の警告はとりあげてこなかったマスメディアが徐々にその姿勢を変えてくるのも、事態の深刻度のバロメーターでしょうか。

(テレビ朝日・モーニングバードより 19分の動画)
このインタビューで小出先生は、炉心の水はなく、まともに冷やすこともできていない状態で、解け落ちた燃料が地面を溶かしながら下へ下へと進んでいっているのではないかと言っています。そうなるとドロドロの核燃料が地下水に触れ、水脈が汚染されることに繋がります。それが起こっているのではないかというサインが、2号機周辺の地下水からストロンチウム90 が国の基準の170倍も検出されたこと(保安院は3号機の水素爆発によって出たストロンチウムと報告)。どこかで読んだのですが、地下水脈というのはどのように全国に広がっているのか完全に把握ができていないそうで、原発真下の地下水が汚染されて流れ広がったとして、どこかで食い止めることができなければ、海に流出するだけでなく、広範囲にわたって日本の水が汚染されてしまう可能性もなきにしもあらずなのです。それはもう始まっているかもしれない。この危機感をどのくらいの人が持っているでしょうか。

チェルノブイリのあと、オーストリア政府の調べでは圧倒的に大きな被曝 (80%) が食品からのものだったそうです。次に重要なのは地面の汚染に起因する外部被曝 (15%) 。「このデータは地域によって多少異なるだろうが、汚染食品の重要さは変わらない」(「食卓にあがった放射能」高木仁三郎・渡辺美紀子 著)。今日は食べ物に関して集めた情報を紹介します。

依然、高い暫定基準値は変えられていません。そして汚染の測定も、きちんと測って流通しているのは野菜の 0.1% に過ぎないとか。1000本のキュウリのうち 1本しか検査されていないことになります。結果は発表されているようですが、検査プロセスなど確かに不透明。全量調査ができないのは分かりますが、現状では「どれが基準をパスしたもので、どれがしていないか」わからない状態で市場に出ていて、しかもその暫定基準が異様に高いときている。いずれにせよ、検査を経てパスしていたって危険な可能性が高いのです。福島産でも、本当に検出されなかったものがあるなら、それを買いたいのに(どこよりも被災地のものを本当は食べて支援したいのに)、今のシステムでは「食べて支援」は危険を伴います。また、今は畑の表面が汚染されている状態で、洗っても落ちる(実際よく洗って「基準値以下」となり、市場に出ているものもある)。問題は来年以降は洗っただけでは落ちないものが出荷されるということ。雨で土壌の表面にあった放射性物質が土中に浸透する、その汚染土の養分を取り込んで野菜が育つ(汚染エリアの作付けについてや 99.9%の野菜が未検査な件のソースなど、上記のリンクで言及されています)。関連して、「食品の調理・加工による放射性核種の除去率」(原子力環境整備センター)というちょっとマニアックな論文調の読み物を発見したのですが、カタくて読み込めていません。ご参考まで。

1週間ほど前に表参道のクレヨンハウスであった勉強会「食べものと放射線のはなし」を、覚え書きとしてまとめてくださった方がいます(まとめの Togetter)。はじめて学ぶ方にはわかりやすく、ちょっと詳しくなっている方には要点をとらえたおさらいになっていて、おすすめです。上記のおさらいと同様に「放射能汚染からの自己防衛の食事」というまとめも非常に参考になります。ふたつとも、食生活のキーポイントとして「取り込みを防ぐこと」「排泄を促して蓄積させないこと」、さらには「体質を丈夫にして免疫機能を強くすること」をあげています。排泄を促進する食べ物としてりんごや柑橘類に多い「ペクチン」(ジャムなどにも入っているやつですね)は放射性物質を絡みつけて排出する働きがある、などなど、具体的な情報が詰まっています。

その他、いくつか情報サイトを列記します。
・魚に関する汚染の情報
(年齢別というところが新しい・・・って、なんかちょっとマニアっぽくなってきて自分でも今ちょっと引いた)

6/8 に出された在日フランス人向け公報 IRSNは「福島県周辺地域における土壌と食品の汚染、続く」として、以下のような勧告を出したそうです(以下、一部)。
- - - - -
【一般のフランス人への勧告】
・ 生産地や放射線濃度が分からない生鮮食品(特に葉野菜、キノコ類、魚類)については長期間の摂取を控える。福島原発事故の後で生産された茶葉についても同様。
・ 同様に、福島、栃木、茨城、宮城、群馬、埼玉、東京、神奈川、千葉の各県で穫れたタケノコやクサソテツを摂取しないこと。
・ 福島、宮城の両県で生産された生乳や、生産地・放射線濃度が分からない生乳を長期間子どもに与えないこと。
【宮城、茨城、栃木、福島に暮らすフランス人への勧告】
・ 乳児および幼い子どもの食事にはボトル入りミネラルウォーターを使用すること。
・ 自宅の家庭菜園から収穫した野菜や、家庭で飼っている家畜動物を食用に用いるのを最大限に控える。
・ 野菜や果物を食べる前に注意してよく洗うこと。外部から建物の内部に汚染物質を持ち込まないよう、家庭での衛生状態を良好に保つようつとめること。特に、下記に注意する。
・ 雨の日は靴を家の中に持ち込まない。
・ 濡れた雑巾で床を定期的に拭く。
・ 家具、カーペット、敷物の表面に定期的に掃除機をかける。掃除機の中袋を定期的に交換する。
・ 無意識に手が口に触れて汚染が起きないよう、ポンプ式容器に入った液体石けんで手を定期的に洗う。
・ 幼い子どもが遊んでいて戸外の土や砂を口にいれないよう、常に見張っていること。
- - - - -
なんで日本人が在日フランス人向け公報を頼りにせなあかんのだ、と思いますが。

今回の投稿の他に、以前書いた「日々是被ばく(食べもの)」「続・食べ物ノート」にも放射能汚染と食品についてまとめてあるので、そちらもよかったらご参照ください。

【 追記 6/21 】
横浜のお母さんお父さんの市民グループが、食べ物関連をはじめ、しっかりとしたまとめサイトをつくられています。
横浜パパママ放射線だより(横浜の子供たちを放射能から守る会)

2011/06/13

埋もれてはいけない

以前から何度も「協調性バイアス/正常性バイアス」について言及してきました。簡単に言うと、なんらかの緊急事態が発生したとき、ひとりで遭遇した場合は逃げたり対処をしたりするのに、大人数で、しかも対処に消極的な人々に囲まれるて遭遇すると、何も行動を起こさないという心理状態。それに似たことで、先日ある雑記で「社会的証明の原理」という言葉を知りました。その原理は「他人が何を正しいと考えているかに基づき、物事が正しいかどうかを判断する」というもの。そしてそれは「状況が不確かであるとき」に機能し、他者の行動を手がかりにするとき、その他者が自分と似ていると思う場合にとりわけ模倣しがちなのだとか。このことは今の現状に多く当てはまる気がします。

原発事故が史上最悪のメルトスルーまでいった上に、状況がずっと不確かであるという恐怖の中でも、例えば「放射能は大したことない」というスタンスの人ばかりが周りにいれば「そうだよな、まだ平気だろう」と危機感を薄める人が大半であり、逆に「放射能は危険」と情報集めに熱心な人は、Twitter のタイムラインには放射線量と内部被曝の情報がずらっと並び、毎日意識の高いひとたち同士で情報交換をして、安全な食材や疎開候補地を探すのが日課なわけです。不安な中で、どんなスタンスのひとも確実性を求めて(でも確実なものは探しても存在せず)「そうだよね?これでいいんだよね?」の社会的証明を強めることしかできていない。原発の賛否もある意味そうです。

前出の雑記を書かれた方は、これは心理的な影響の話であって、何が正しいということではなく、こういう影響があることをわかっておけば、自分と相反する主張をするひととぶつかってもやり取りが建設的になるかもしれない、と結んでいました。これはとても大事なこと。大きな流れに声をあげられないひとの弱いところや習性を認めてあげて、話し合う。だけど、今の現実に当てはめたとき(放射能への懸念の問題にしても原発の問題にしても)「危機感を持っている側の人間(わたし自身)」としては、他人の心理状態まで考慮する余裕はなくなってきています。それは、呑気に「社会的証明」やら「協調性バイアス」に埋もれてしまったならば、結果、犠牲になるものが子どもの命や健康だったりするから。ちんたらしてたら被曝する!というのもあります。時間があるなら別だけれど。

自分の家族や友人以外の人たちだって本当は助けたい。そこを目指すのであれば、まさにこの「社会的証明」を使って、マジョリティを「脱原発派」「放射能は危険と認識する派」にさせるしかないわけです。安全 / 危険は水掛け論なところもあるので、その判断を強要するのではなく、やはりニュートラルな情報を多く提供していくということがひとつ(それなりに情報を得たらフツウは原発も放射能も No なはずなんだが・・・)、そしてポツポツと「私も実は心配だった」と立ったひとたちを繋げてネットワークを広げていく。隣の友人から、自治体、県、そして国の規模へ。「大丈夫、こっちの道であってる」と励まし合いながら。あと、その最初の立ち上がる前の段階で「他者が自分と似ていると思う場合にとりわけ模倣しがち」という特徴を考えると、プロ市民とか左寄りの方々でなく、フツウのお母さんや学生などが「動いている」ことを知らせることがより多くの同様の層を動かすことになります。で、その声をあげていることを可視化するためには、ネット上で声をあげるのもいいけど、やはりデモとかリアルでのアピールも必要なのかなと思い直すわけです。

311 から 3ヶ月目のおととい土曜日、全国各地で原発反対のデモやアクションがありました。わたしは子連れで代々木のエネルギーシフトパレードに行ってから、夜、新宿東口の集結場所に行きました。代々木はピースフルな感じだったけど、新宿はその土地柄のカラーもあってか、熱くストレートで泥臭いモノクロ写真な感じでした。おそらく数千人単位のものすごい人数でした。警官の配備が尋常でない数で(ここにこんだけ投入するなら凶悪犯罪者検挙しろと思ったけど)それに反応してか、学生運動の夜を思い出しちゃった風のアドレナリン出てるおっさんあり、歌い踊る若者あり、古参アクティビストあり、右あり左あり、欽ちゃんの仮装大賞かと見まがう大規模コスプレあり、音や叫びも乱れ飛び、なんでもありのるつぼと化していました。新宿だけでもかなりの盛り上がりと人数だったし、お母さんたちが地元でオーガナイズしたような集まりお散歩会みたいのもあったみたいです。意味は必ずある。全国でも集約すればものすごい同時多発アクションだったはずなのだけど、やはりマスメディアの反応は冷ややかなものでした。

そう、余談ですが、その新宿の喧騒の中でテレビ朝日のインタビューを受けた件。「デモ参加は何回目ですか?」「今日はお子さんとご一緒ですかぁ」などとしょーもない質問をしたあと、最後に「街がいつもと違って、騒がしくて、警察なんかも多くて、混乱してる感じはどう思われます〜?」と誘導質問があった。「うるさいしちょっと迷惑ですよね」の回答を期待したと思われる。思いっきり STOP PLUTONIUM TERROR と書かれた Tシャツきてるやつ(わたし)に聞いてんだもん、期待されても困る。こんなときに浅いジャーナリズムやってんなよ、と本当に腹が立ったけれど、とりあえず「もっとやればいいと思いますけど。日本人おとなしすぎると思うんですよね、もっとこういった動きがあって当然かと。その辺は警察の方にも協力してもらって・・・」などと答える。帰りの電車で、デモを過激なものと印象づけようとするマスコミや警察を皮肉ったことを言ってやればよかったと激しく後悔。「わかってたけれど、テレビの浅さを体験+確信した」とツィート報告したら「それオンエアされませんね」と誰かに返される・・・オンエアされたら驚き。下請けの制作会社だろうけど、あんなテレビ通販の売り子みたいな愛想を振りまく安いインタビュアーが報道の一部を担ってるんだね、それにも驚き。

2011/06/09

土と水

「きれいな水と土では、腐海の木も毒を出さないとわかったの・・・汚れているのは土なんです。」(「風の谷のナウシカ」宮崎駿 より)


ですね。
汚れちまって、誰がもとに戻してくれるんでしょうね。人間がやってしまったことだから、人間がもとに戻していくしかないんだな。誰もやってくれないし、わたしたちは土と水が必要だから。
知りましょう。

放射能で「汚れた土」がこれからしでかすこと/汚染地域 800平方km 以上、もとに戻すには 100年以上かかる(現代ビジネス)

*原発事故の放射性物質 食品への影響、止まらず/ 7都県 41品目で規制値超、「付着」から「吸収」へ(毎日新聞)

*どこまでが毎時 0.25 マイクロシーベルト(年間 2ミリシーベルトを超える)エリアか、地図上の区切り(北関東広域、東京東部にかかる)※ 0.25 μSv/h はチェルノブイリから 30km の立入り禁止区域(現在)と同レベル

*空気中に広がった放射能が下水に流れ込み、下水処理場で水を処理する過程で生まれた汚泥にすさまじい量の放射性物質が濃縮されている。その汚染された汚泥をセメントで再利用したり、処理のため焼却する場合、放射能汚染・拡散の二次被害が起こる。

2011/06/07

原発に賛成の反対なのだ

(科学の夢と危機シリーズ1『ニャロメの原子力大研究』赤塚不二夫 より抜粋)
© 赤塚不二夫/廣済堂

2011/06/06

「何がほんとかわかった頃にはすでに遅い」とチェルノブイリから学ぼう

福島第一原発から 50km 離れた田んぼからプルトニウム検出(非公式)、原発正門から 1.7km の土壌で微量のプルトニウム検出(毎日新聞)というニュース・・・アメリカ西海岸で既に太平洋を横断したと思われるプルトニウムが結構前に検出されていたそうだから、そりゃ降っただろうとは思っていたけれど、さすがにプルトニウムとなると背筋が凍る。プルトニウムは物質として重いから遠くには飛ばないなんてウワサもありましたが、目に見える砂粒の黄砂(明らかに核物質より重い)が中国内陸からはるばる飛んでくるんだもんね。

「わからない」がこれだけ多い中、いつになったら「わかってくる」んだろうと思っていたところ、このような記述を見つけました。以前もリンクしたことのある「チェルノブイリのかけはし」(チェルノブイリで被災した子どもたちを日本に招待し、きれいな空気と食べ物で療養させる活動を行っている民間団体)代表の野呂美加さんのお話をふたつ。

*「チェルノブイリで深刻な被害を受けたベラルーシの放射能汚染地図は、事故後3年経ってから発表された。原発付近ではなく遠く離れた土地にもランダムに見つかるホットスポットは、子どもたちの体調が悪くなって、そこがホットスポットだとわかる。子どもの体を放射線量カウンター替わりにして、ガンを発症した子どもたちによって、数年後に判明する。」... 親たちが動かず、行政に基準値や食品汚染の対応を丸投げしていたらこれは日本でも起こります。この講演を一部文字起こししたもの/講演動画リンクはこちらから。

* 野呂さんのされているプロジェクト、チェルノブイリからの "転地療養" では「被曝をしてしまった体も保養として一ヶ月安全な場所に疎開すると、体に放射線量が計測されないまでになる」と、これまでの 25年の経験でわかっていると。人の体と免疫ってすごいな。放射線に傷つけられた DNA もきれいな環境によって修復されていくんだ。正常に修復されない場合(ずっと汚染地帯に住み続けた場合)に異常な細胞(ガン)が生まれるということですね。経済的な壁はみんなあるでしょうが、移住できなくとも、今年の夏休みは子どものために、長めに疎開/旅行/帰省した方がいいのかもしれません。前の投稿でも体が受ける被曝は「足し算・引き算」の話をしましたが、これは今大人気(?)の中部大学の武田邦彦教授も言っていました。このチェルノブイリの子どもたちの免疫、発症(症状)についての野呂さんの講演をまとめられたブログがあります。対策や食品についてのまとめも書かれているので、参考になります。

上記の個人の方のブログの他投稿で、食品(体内の傷ついた細胞を直したり解毒したりする酵素、免疫強化、放射性物質から身を守る/影響を受けやすい食べ物、調理方法など)について非常に詳しく書かれています。必読!(放射能対策★食生活編)今まで見た中で一番の情報量のまとめです。そこからもリンクされていますが、チェルノブイリ被爆者団体「ジュノーの会」も放射性物質の排毒について具体的な食品情報を配信しています。

また、首都圏で鼻血や喉の痛み、頭痛、腹痛など、以前はあまり起こしたことにない不調を訴える子どもが増えているという話も。福島の高い放射線量下よりも首都圏のような低線量被曝下の方が、初期症状がでやすい(前出の野呂さんと、ジャーナリストの木下黄太さん談)という認識もあるようで、体内に入った異物を取り除きたい!と体の免疫システムが不調を表に出しているのでは ...とも(わたしは一理あると同意します)。だとしたら、それは病状というよりもサインですよね。この情報と同時に「転地療養」の話を知っていると、パニックにならずに整理がつきます。やはり疎開を真剣に検討すべきときが来ているのかもしれません。参考:低レベルの放射能でも危険はある(ベラルーシの部屋のブログ)。

いつも言うことが同じになってしまうけれど、チェルノブイリという前例があるのだからそれを参考にしながらも、わからないことがこれだけ多い中では、慎重に考えるのが当然。とくに子どもを守るには。それを「心配しすぎ」だの「煽るな」だの言う人もいるかもしれない(幸いまだ直接言われたことはないけれど、ネット上ではよく見かけます)。もしもそう言ってくるひとがいるなら、言い返す言葉は決めている「それがデマや煽りや心配しすぎだったら、どんなにいいだろうね」。何がほんとか、わかったところでもう遅い。わかったとき、つまり大事な人が発病したとき、自分が何も手を打たなかったと後悔したくない。今日も、すべてが「心配しすぎ」であることを願いながら、備えをしようと思うのです。

【 追記 】
Save Child(放射能、汚染、被曝、食品関連の総合情報サイト);多少精査が必要なものもありますが、かなりの量の情報が網羅、まとめられていて参考になります。

【 追記 6/16 】
子どもたちに不調が起き始めているという話は、ネット上ではよく見かけた話で、デマ扱いする人も多かったのですが(わたしもデマとは思っていませんでしたが、アレルギーのある子/ない子のように個人差で、化学物質などに敏感に反応してしまう一部の子に症状がでてしまっているのかな、と理解していました)、今日東京新聞が「原発から 50km 郡山の子ども、大量の鼻血・下痢・倦怠感」と報じました。郡山は避難区域ではないですが、NGO の調査などでかなり深刻な放射線量であることがわかっています。