自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2012/03/11

今日の日に

被災地の方たちの携帯電話のフォトアルバムほど生々しく、愛おしく、強烈で切ない記録はないだろうと想像するのです。見たことはないけれど、どんな報道カメラが撮ったものよりも、きっと。3/11 の前からスクロールして、その日をまたぐと、いきなり別世界のフィクションかと見まがう焼け野原のような風景であったり、前日まで頻繁に写っていたひとがいきなりまったく現れなくなったり・・・。

今朝起きてそんなことを思いながら、自分の iphone のフォトアルバムを流し見ていると、去年の 3月で手が止まりました。ひな祭りの日に作った手鞠寿司の写真の次は、まったくからっぽになったスーパーの即席ラーメンの陳列棚。その次は KLM(オランダ航空)の旅客機の水色の機体の写真 − 避難をする日の成田空港。あの一週間の再現ドラマが脳内再生される・・・寝室で子どもに布団を頭から被せながら、ブンブン左右に揺れるとなりのアパートの屋根の貯水タンクを見ていたこと。家の中で一番支柱が太そうな壁の脇に子どもを抱いて数時間座りっぱなしで、繰り返し鳴る地震速報の音を聞いていたこと。それから朝から晩までテレビをつけっぱなしにして、原発事故の状況に一喜一憂しながら輪番停電の茶番に振り回され、気休めでもいいからヨウ素をとトロロ昆布を買い込み、夜は余震を恐れて外着を着て寝ること数日。避難先に飛ぶ機内では『原発肉薄、30トン放水』という見出しの前日のヘリからの落水を伝える新聞を見ながら、「わたしだけ逃げてきた」というような罪悪感にも似たやるせなさ(?形容しにくい)と空しさのような感情でしばらく泣いていた。このタイミングで出国して、果たして家に、日本にまた戻れるんだろうかという、今まで感じたことのない鉛のように重い不安感が拭えず、無力感を感じていた。

そして日本の外に出てから、自分を落ち着かせようとこのブログを書き始める。寝ずに必死にネットで情報をかき集めながら、自分にできることはなんだろうと・・・。

いろいろと知るにつれ、比較すればいいというものではないのだけれど「被災者の方に比べれば、自分はマシだ。何をこんなことで凹んだり文句を垂れてんだ。」という、自分に起こった物事を捉えるとき "被災者軸" が生まれた。この前インドに行ってからも "インド軸" ができたけど、それに少し似ている。でも、インドの体験が一時的な「旅」であったように、そのようなアングルを持ったとしても被災地を解りきれてはいない。先の投稿でも書いたけれど、そういう知ったようなことを言って実はよく知らないという事実に対しても(誰にも責められていないけど)苦しくなる・・・。だから、冒頭に書いた自分の体験なんぞは、書いているうちになんだか申し訳なくなってくるのだけど。

そんなことを思いながら、黒いリボンを安全ピンでとめて簡易の喪章としてカバンに付けた。

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昨日の予告通り、今日は日比谷公園の集会 "Peace on Earth"とそのあとの国会の包囲(人間の鎖)に行きました。日記風になってしまうけれど今日の出来事を:
昼過ぎに日比谷公園に着くと予想を超える人の数に驚く。ステージでは女の子が歌を歌っていた。アースガーデンがオーガナイズしているだけあってアースデイで見かけるエコ・コンシャスな店舗や NGO のブースが並び、晴天の噴水広場を囲んで、なにかの楽しい行事のようにも見えた。つくってきたお弁当を膝に広げて子どもと食べていると、共同通信の記者にインタビューされ、「政府には失望しているけど、国を責めても、民度にあった政治家しか出ないわけで、民度にあった国にしかならないわけで、わたしたちが変わらないと国も変わらない」というような生意気な意見を発言してみた(でもこれをフォローするような「政治を軽蔑する人は、人から軽蔑されるような政治しかつくれない」という寺山修司の言葉の引用をさっき Twitter で見て、やっぱそうだよな、とひとりで確信)。そして最後に「これから希望が持てると思うことはなにか?」という質問・・・少し考えてから「この場所にいる、大勢のひとたちじゃないですか」と答えた。311 を機に立ち上がり、声をあげているひとたち。それ以外にポジティブなものはなにも見つからない。去り際に「メディアもしっかりね」と目を見て言うと、若い記者さんは少したじろいだように見えた。

そのあと事件が起こる。日比谷公園から出発するデモの集合場所付近に向かい、その近くのお店のブースの工作(麻の端切れに絵を書く)ワークショップをうちの子(4歳)がやりたいというので、席に座らせ、ほんの少しだけ隣の店を見てきて戻ったら・・・いない。
うちの子がいない!!さーーーっと血の気が引く。
その日の日比谷公園は数千人(主催者発表は参加者約1万人)。園内びっしりの人だ。ブースの女性も詰め寄るも、どこかに走って行っちゃった、と。人生で一番のパニック。20分ほどだったか(どれくらい経ったか記憶にない)大声で子どもの名前を叫び続けながら、まったく恥も外聞もなく、公園中を走り回る。あまりの取り乱しぶりに、イベントの事務局の方が(わたしの大声を聞いて)「迷子としてこちらでも動員して探しますので」と子どもの特徴と電話番号を控えてくれ、見ず知らずのおばさんや同年代の母親層の女性も「わたしもいっしょに探します」と何人か話しかけてくれた(日本も捨てたものではない)。デモで待ち合わせていた友人にも涙声で電話をして捜索に協力してもらう。

子どもが惹かれていきそうな遊び系ブースを周り、遊具のあるエリアを確認して息を切らして噴水エリアに戻った瞬間 2:46 になり「黙祷」のアナウンス。そうだよ、今日はこのために来たのではないか。なんで今わたしは別のことを必死に祈りながら走っているんだろう。さすがにこのサイレンスの中で子どもの名前を叫べず、目をつむりながらひたすら走る。一カ所、お弁当を食べたあとに立ち寄った顔見知りのいる NGO のブースがあったのを思い出し、人ごみをくぐりぬける時間を惜しんで、そのブースの裏にまわり込んでテントをまくりあげると、うちの子のコートのフードがちらっと見えた。・・・脱力。

名前を叫んで、泣きながら叱る(泣いてるのはわたしだけ)その剣幕に子どもが泣き始める。そこは、はぐれた場所から子どもの足ではかなり距離があったので、まさかそこまでひとりで行っていないだろうと思っていた。その帰巣本能と強さには関心するけども!そこでうちの子と遊んでくれていた知人によると、なにも動揺した様子がないのでてっきりわたしがここに居るようにと指示をしたのだと思ったと。それで、黙祷の時間にはイスに腰掛けて黙祷もしていたのだそうだ。こっちが血相抱えて走り回っているときに!!そりゃ黙祷したのは褒めたいけども!

日比谷公園中がうちの子の名前を知ることになったとさ。

なぜこの迷子事件を細々と書いたかというと(こんなことを気軽に言うのは不謹慎だと思うけれど)311 という日もあいまって、探しまわっている間中、なんだか子どもの喪失疑似体験みたいな感じがしたのだ。つい昨日、子どもの喪失について書いたばかりだったし。ただ、どうしようどうしよう、というのに加えて、今日という日にこれを経験していることがすごく異様で気持ちが悪かった。頭の中がいろいろなことでぐちゃぐちゃになって、精神的にものすごい消耗だった。今日は朝から元々そんなに明るい気分じゃなかったのに、それに加えてこれ、ですよ。今思い出しても胃が痛くなる。

その激動の再会のあと(デモに出る前からげっそり憔悴・・・)日比谷から銀座を貫く長距離デモ(脱原発東京大行進)を歩ききり、そのあと夕暮れの国会議事堂包囲まで行きました。我が子よ、よくやった。すんません、迷子事件の衝撃のせいでメイン行事がそんな2行の報告に・・・。

国会の人間の鎖もすごい人で、これも1万人超の参加があったと。国会前(といっても向いの歩道)は二重三重の包囲になっていました。オーガナイズされた方々、ご苦労さまでした。人々がキャンドルを掲げてつながる瞬間に、これまた「おしっこ行きたい」・・・小雨がぱらつく中、国会議事堂前駅のトイレ目指して、車道をお巡りさんと一緒に疾走。最後の首相官邸への申し入れまでは行けなかったけど、そんなこんなありながらもヒューマンチェーンまでできて本当によかった。もっとこういったダイレクトアクションに参加してくれる人たちが増えればいいのだけど。国会前のあの人々は、人数といい熱気といい希望が持てる気がしました。お昼のインタビューへの答えは間違ってなかったかな。

帰り道、ぐったりしながら本屋に立ち寄りました。どうしても今日の日に買って読み始めたい本があったから。津波被災地と救援について、そしてアクション(人々の起こす行動・活動)についてヒントがもらえそうな本です。早く読んでここに報告したいと思っています。

次は、その本とは別に、これまでのデモについて、あれこれまとめます。

【 追記 3/12 】
Human Chain - 人間の鎖 -(写真多数)/ 脱原発スモールアクション

各国と全国各地で 11日に行われた原発に反対する集会は、東京で合計 45000人、福島で 16000人、京都や大阪でも各 6-8000人、福岡で計6000人、札幌や広島、高崎、神戸などで各 2000人など(いずれも主催者発表)日本全国で合わせて 10万人を超えるアクションがあったとのことです。

2012/03/10

そして1年

明日で 311 から 1年。

あれから、みなさんの 364日はどのような日々だったでしょうか。住むところや、それぞれの環境や興味によっては、他の 1年となんら変わらない年月だったという方もいるかもしれません。そして明日。ホワイトデー前のただの週末としてショッピングを楽しむ方もいるだろうし、家族の命日を向かえる方も多くおられます。

書き留めておきたいことが多すぎて、何からスタートしていいのかわからないけれど、とりあえず、明日どのように過ごすかについてのことと、それにまつわる話から始めます。

個人的に脱原発に取り組んでいる NGO から仕事を受けることが多く、自分自身も活動に10年ほど関わっているため、311以降、その環境の中でできる範囲の活動をしてきました。夫も報道関連の仕事をしているので、昨年から我が家では「原発事故特需」的な現象が起きて、皮肉にも仕事が忙しくなりました。それが脱原発に多少は寄与するものなのでまだいいといえばいいのですが・・・。なので一年目が近づくに連れて、ここ数週間はとてもバタバタしていて、夫も被災地に頻繁に行きました。彼からの生々しい報告を聞くうちに、一年も経ってから、津波の被災者の方たちのことを知ろうとしてこなかった自分に気づきました。原発と放射能の問題、一束に被災地と言っても福島の問題は、ほぼ毎日向きあわない日はなかったけれど、津波被災地のことは、恥ずかしながらここ数日で詳しく現状を知ったと言っていいほどです。「被災地から遠く離れるほど、人々の関心は津波から放射能になる」とどこかの雑誌にも書いてあったし、「東京と被災地の隔たりを見守るということ」についてのブログ記事(おすすめします)も先日読み、考え込んでいました。まだ知りきれていないことの方が多いだろうし、被災地の方々の心情については、本当にわかることはできないと思います。

特に人の死に関する話は本当に壮絶です。夫が直に撮影でお会いした方は、津波の被害が酷かった町のお母さんで、小学生のお子さんを亡くされたのだけれど、遺体が長いこと見つからず、自ら重機を運転する資格を取って瓦礫を掘り起こして捜索を続けた末、やっと川辺でお子さんの遺体を発見したそうです。川辺で体の一部のない遺体を見つけたときの話の中で「娘はあんな冷たいところにいて、さぞ寒かっただろうと思う」とつぶやかれ、うちの夫はカメラのファインダーの後ろでぼろぼろと泣いてしまったと。そして別の町では、幼稚園バスが津波で流され、園児たちの遺体が見つからずに、お母さんのグループが遺品の捜索をいまだにしているという話。昨日ラジオで聞いたのは、生まれてすぐの母子が津波で病院内で亡くなり、遺体で見つかったときにはお母さんが赤ちゃんを包み込んで守るようにして横たわっていたと。その父親は、数ヶ月後に出生届を出しに役所に行かれたのだそうです。出生届けを出さなければ埋葬許可が下りないために、亡くなった赤ちゃんの出生届を。耳を塞ぎたくなるような逸話だと思います。様々な信じがたい喪失が幾千と起こり(ここに上げたのもごく一部ですが)わたしが知ったのはその欠片にも過ぎません。

中でも子どもの話がやはり頭から離れません。夫とも話したのだけれど、自分に子どもができてからは、やはり子どもが犠牲になった話を聞くと、自らの子どもに置き換えてしまうために凄まじく切ない(切ないという言葉が弱いけど、一番強い言葉が見つかりません)。そしてまた、無情にも自分の子どもでなくてよかったと次の瞬間思ってしまい、つらくなります。誰の死も親しい人にはつらいけれど、子どもの死ほど悲痛なものはないのは、子どもには未来があるから。

未来。

私事を挟ませてもらうと、わたしは幼くして母親を亡くしているのですが、思い出すのは、そのときの祖母の憔悴ぶりです。子どもである自分もダメージはあったと思うけれど(はっきりいってそのときの感情をあまり覚えていない)今思うと、親を亡くすよりも我が子を亡くした方がその打ちのめされ様が違うんだなと。単純に比べることではないというのはわかっていますが、やはりそれは「これから」がどれだけあるかの話なのだと思います。親を亡くした子は、前途多難であろうが未来があるけれど、子どもを亡くした親にはロスしかない。未来を奪われたからです。子どもの未来と、自分自身の未来の一部を。

ここでまた、原発の話になって申し訳ないのだけど、わたしは、亡くなった子どもたちと親御さんたちに心を寄せながらも、これからを生きる、いま生きている子どもたちの未来の社会のために、できることをしたいと強く思います。そして、こんなときだけ「被災者」の方に立つように聞こえるかもしれないけれど、わたしは「原発さえなければ」と書いて自殺された農家の方の話が忘れられないし、原発事故がなければ東北全体の復興はもっと迅速に進み、津波直後の救助にも注力できたはずで、それで救えた命もあっただろうと思うから。自然災害に次ぐ人災は、再発を防ごうと思えば防げるのに。・・・なので、明日は喪章をつけて、日比谷公園での集い、黙祷ののちに日比谷公園から出るデモと、そのあとの国会の包囲(人間の鎖)に行きます。世界各国でも福島追悼・脱原発のアクションが行われる模様です。フランスではかなり大規模なヒューマンチェーン(人間の鎖)が行われるそうようですね。明日ご予定のない方、国会包囲、いっしょにいかがですか。

そのほか、全国で様々な催しが行われます。脱原発に関するアクション、追悼の集い、被災地支援のチャリティーイベント etc. 。原発関連のアクションは 3/11 には不謹慎だというような意見が出ていると Twitter などで目にしましたが、わたしはそうは思いません。亡くなった方たちの追悼と、脱原発は対立する概念ではないと思うから。Twitter の人気キャラ、もんじゅくんの言葉を借りると、『追悼は、未来を生きていくために、たしかにあの日までともに生きていたひとたちを想ってしのぶこと。脱原発は、未来のために、これから生まれてくるひとのために、よりよい世界を用意するよ、と誓うこと。』
・・・双方ともよりよい未来に向けて歩むため。

最後に「追悼・対・政治的なアクション」に関連して、とあるブログで見た、責任についての話をして終わりにしたいと思います。中盤で、広島原爆の追悼碑に刻まれた「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから」の文言についてのくだりがとても興味深かったので引用します。
《 脱原発の学習会で、「(脱原発を決めた)ドイツと日本の違いは何でしょうか?」との質問が出た。おそらく、それは「責任の取り方が違ったからだ」と思ったからそう答えた。ナチスの犯罪を謝罪し、犠牲になったユダヤの人々にちゃんと補償をしたのがドイツの戦後。一方、日本は「一億総懺悔」で、「過ちは繰り返しませんから」と石碑に刻む。何という曖昧さ、そして主語のない文章!今回の原発事故もそうだ。「がんばろう福島」「負けないっぺ福島」。そんな標語で生活は補償されるのか?流された家は帰ってくるのか?ローンは、仕事は?町に掛ける看板は「東電よ、きちんと補償せよ」「政府は責任を持って故郷を復興させよ」であるべきではないか。エジプトやリビアで、独裁者を打倒する若者たちの運動を目の当たりにしてきた。彼らは独裁者に偏る富、理不尽な格差、政治的自由などを求めて、街頭に繰り出し、デモをして、とうとうその独裁者を打倒してしまった。つまり中東の若者たちは敵を見誤らなかった。貧困層と中間層が団結し、「生活を苦しめている本当の敵」に向かっていった。》

それぞれの静かでピュアな「追悼」や本当の「絆」が、誰かの策略のもとに乱用され、脱原発や被災地復興の中でターゲットを見誤らせる結果となることは絶対に避けたい。わたしはわたしの追悼をしながら、子どもの未来のために、ぶれずに(敵を見誤らず)止むなく行動していきます。

長文、最後まで読んでくださった方がいらしたのなら、どうもありがとうございます。
もし被災された方が読まれ、気分を害されるような記述がありましたら、気が回らなかったことをここにお詫びします(気づかず、そういったことが多々あるのだと思うので)。

イベント情報:
311 脱原発 - 祈りと一歩 - (全国アクションマップ)

関連リンク:
・「被ばくすることが仕事」という原発の現場をリアルに知ることができるインタビュー。反原発運動と労働者、福島と東京の乖離、沖縄基地問題との通底などにも触れています。「原発収束作業の現場から:ある労働問題活動家の報告」(長いけど必読です)
「1000年後の未来に伝えたい 311の記録」(これも以上に長いけど・・・メモとして)
「ママは原発いりません」思いをきいてください(福島の現状)

2012/02/08

でんこれ+あれこれ

珍しく my works のお知らせです。もちろんエネルギー問題絡んでますけど。毎日ゲンパツゲンパツよくイヤにならないなぁと(言われたことないけど)言われそうですが、もうライフワークなので堪忍してや。わたしも別に趣味でやっているわけではないんですけどね。
以前もご紹介しましたが、昨年に環境 NGO の依頼でライティングとデザインをしたリーフレット「でんきのほんと・でんきのこれから」(通称でんこれ)シリーズの「でんきのこれから Q&A」に 2012 改訂版ができました。
現物がほしいという方は、グリーンピースからも請求できますし、わたしの twitter アカウントへメッセージいただければ、わたしの方からも必要な部数を送付できます。

内容は、これから日本のでんきをどうしていったらいいのか?が QA 形式にまとめられている、今後のわたしたちのでんきについてポジティブになれる、エネルギー問題入門編といったところです。「原発なくてもいけるらしいよ」と、エネルギー問題に興味のないひとにちょっと教えてあげたいときに助けてくれるお役立ちアイテムです。お話しのきっかけにどうぞ。

A4 四つ折りなので、スペースの関係で日本の豊かな自然エネルギーのポテンシャルについては語りきれなかったのですが、それはグリーンピースの energy [r]evolution というレポートにまとめられています。ISEP(環境エネルギー政策研究所) でも「自然エネルギーと省エネで原発なしでもOK 情報」を提示してくれています。どれも絵空事でも理想でもなく、現実的で論理的な試算です。「原発がなかったら経済はひっ迫する」などと、中身のよくわからないケイザイを心配している経済界のおっさんたちは「代替案もなく脱原発などとぬかすな」と言いますが、代替案はあります。経済成長ってどこまで成長したら気がすむの?ってとこも見直した方がいいわけですが(ケイザイの中身って人間の暮らしじゃないのか?)。

脱線しましたが、今現在(2012.2.8)国内で稼働している原発は、たった 3基!事故や点検などで止まっていて、残りの 3基も 4月末までにすべて止まる予定です。一方で、原発が 1基も動いていない日を前に、停止中の原発を再稼働させる動きも進められつつあります。ストレステストは妥当(だから再稼働していいよ)という茶番の審議会が、大事故の責任も取っていない原子力保安院と金で買われた推進の審議委員だけで粛々と行われています。福島の事故調査結果もまともに出てきていないのに。再稼働への流れは絶対に阻止しなければいけません。

日本に所狭しとひしめいていた 54基もある原発が 9割以上動いていなくても、今わたしたちは普通に暮らせています。それは火力発電所が頑張ってくれているからなのだけど、それも CO2排出の問題があるのでずっと頼るのはあまりよくない ・・・その代わりとなるのが自然エネルギーと省エネ(=電力消費量を減らす)。省エネといってもガマンの節電じゃなくてエネルギー効率を上げる(少ない電力使用量の機械や家電に替えたり、発電・送電過程のロスを減らす)ことですんごいことに!!それだけムダにされている電気がたくさんあるのです。「省エネ発電」と呼ぶ人もいるほど、このエネルギー効率アップは重要な脱原発のキーです。プラス、日本の自然エネルギーのポテンシャルもすんごいことに!!

などなど、こんな感じで「原発なくてもいけるぜ」情報、でんこれ Q&A 改訂版、ちぇきらう。

2012/02/06

食べ物ノート・レビュー

ひろく、うすく、ながーく汚染が続くとマヒしますね。最近とくに食べ物への注意力が下がってきてラーメン屋に抵抗なく入っちゃう自分もマヒしてきたのかもしれません。それかあまりに周囲が気にしていない様子なので、同調バイアスが働いてきているのかもしれないな。それもいかんいかんと思うのですが、放射能を気にすることに疲れてきている方たちも多いので、改めて放射能汚染の「気をつけるキーポイント」をおさらいしてみようと思います。注:長くなります。

いちから書いていく気力もないので(いきなりの脱力宣言!)、環境活動家で原発・放射能問題に詳しい田中優さんが執筆/発言された情報をまとめられている方の「ポスト311 、何を食べたらいいのか」の内容をベースに、わたしの個人的な見解を加えていこうと思います。原文(前出のリンク)にも注意書きされているように、未知なことが多い現状の中で、優さん( and わたし)の情報がすべて正しいとは限りませんので、鵜呑みにせず、あくまでも参考にしてご判断ください。

以下、*部分が優さんの言われたことの抜粋、文末・文中の( )がわたしの意見/加筆です(わたしも原文全てと意見が合致しているわけでもないので)。
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《 どの核種を気にすべきか 》
*今回の福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故と違って核爆発ではなかった。そのため爆発温度が低く、金属が蒸発するほどの温度に達していない。おかげでチェルノブイリのように金属核種が蒸発ガス化して、風に乗って遠くまで飛ぶということはなかったようだ。そのおかげで心配されたプルトニウムはほぼ原発敷地周辺と風下にあたった飯館村(など)にとどまり、骨に蓄積して体外に排出されにくいストロンチウム(以下 Sr.)も被曝量でセシウム(以下 Cs.)の一万分の一以下にとどまった。当初に人々を被曝させたヨウ素は遺伝子を傷つけ、将来に被害をもたらすものの、寿命(半減期)が短かったおかげで現時点では数億分の一まで下がっている。今後気をつけなければならない放射性物質としては、ほぼ Cs に限定されていると言えるだろう。
(海の大規模汚染はチェルノブイリではなかったこと。ひとつのものから Cs が多くでなければ Sr も出ないわけですが、水溶性で海にたくさん溶け出して魚に取り込まれたであろう Sr 。魚の汚染( Sr は骨部位に溜まる)、その生態濃縮、これからの汚染の移り変わりは要ウォッチだと思います。)

《 セシウムの性質と食べ物の汚染 》
*だから Cs を含んだ食べ物が怖い。食べ物が放射能に汚染されていたら、体の中に蓄積されて、内側から放射線に撃たれることになるからだ。体内に入った放射能も、時間が経てば排泄されていく。この時間を「体内半減期」と言って、物質によって大きく時間が違っている。しかし今回の福島第一原発事故では、最大の被曝量となるのは Cs だから、その Cs を見ておこう。Cs は水に溶けやすいと言われる。しかし現実には溶けやすすぎるのだ。マイナス116℃で水と反応するので、常温の大気に出てくれば必ず大気中の水蒸気と反応する。そして一度水と反応した Cs は、二度目の反応はしない。だから常温の世界では水と反応しないのだ。水と反応し、粘土やホコリと反応する。余った電子の数が、粘土を引きつけるからだ。だから現実には、Cs は必ずホコリと共にやってくる。水の底に沈んだ汚泥や側溝の下、雨どいの下やすべり台の下に集まるのはすべてそのせい。エアコンや車のフィルターに集まるのも同じだ。逆にそのせいで、最初の雨水に叩き落されはするが、
その後の雨には含まれにくい。野菜も同じで、当初ホコリと共に降り注いだ Cs が野菜を汚染したが、その後の野菜の汚染レベルをみると、ほとんど汚染されていない。根を経由しての汚染は、ほとんど見当たらないのだ。汚染度は以下のHPに掲載されている。
 ・全食品
 ・淡水魚 
 ・回遊魚
(ホコリにくっつく Cs 関連ではこれからのスギ花粉のことに触れたいのですが、長くなるので末尾にリンクを置いておきます。そして、雨のついての話が出ましたが、先日東京でも雪が降ったときに、Cs とヨウ素が検出されたと騒ぎになったのですが、誤検出でした。久々の雪だったために大気中のラドンが多く含まれていたそうで、それが原因だったとか。昨年3月の大量のフォールアウト後の雨では有害な放射性物質が多く含まれていたのですが、ここでも優さんが言われているように最近の雨にはそれほど神経質にならなくてもいいようです。念のために子どもがびしょ濡れになるようなことは避けたいと思いますが・・・。詳しくは:雨や雪に含まれる天然放射性物質 by こどもみらい測定所

《 産地と濃度に気をつけるべき食品 》
*逆に言うと、汚染されている食品は限定されている。それらを覚えた方がずっと早い。 第一に生体濃縮による汚染だ。栄養と勘違いして集めてしまった Cs を、微生物、小魚、大魚と濃縮してしまった場合だ。この生体濃縮に注意すべきものは、「肉・卵・魚・牛乳」だ。しかし日本の畜産ではアメリカ産の配合飼料を与えるのが一般的であるため、家畜の汚染度は高くない。当初の汚染されていた稲藁を与えてしまった牛肉や牛乳以外では高くはない。
むしろ問題なのは天然由来の魚介類だ。魚の汚染度を見てみると、大まかに淡水魚、海の底生生物、海の回遊魚の順に汚染が下がっていく。淡水魚の中でも特にアユが高い。これは特殊に Cs を集めるコケを食べているためだ。それ以外の淡水魚も高い。これは栄養分の少ない川に生息しているためだろう。汚染されている海は限定的だ。特に福島沖と茨城沖が高い。福島原発から莫大な放射能が海に流されたが、その流れは北から流れてくる千島海流が南に押し、茨城と千葉の県境にある犬吠崎で、南からの強い流れである黒潮に押されてハワイ方向に流されていくためだ。もちろん乱流もあるので周囲に広がりはするが、汚染度の高い場所は福島と茨城沖に限られている。
(肉より魚が注意というのは同感です。我が家は肉も一応産地を気にはしますが、家畜はそこまで深刻化する感じはしていません。都心ではあまり口にする機会はないですが、イノシシやシカなどの野生の獣の肉は今でも危険だと思います。魚は、淡水魚と底魚(ヒラメやカレイなど)はもちろん、海底を這う甲殻類や貝やタコなどもしばらく注意かと。うちは大型の回遊魚(マグロ、カツオ、ブリなど)も念のため避けています。マグロは乱獲の理由から数年前から食べていませんが・・・。あとは魚介類関係でいうと、これからは河口域や湾でとられるもの要チェックです。汚染された土壌を雨が流してはけた水、これからは雪解け水、人々が行う除染で山や陸地から洗い流された汚染水が川に流れ集まり、下流で汚染が高まっていることはニュースにもなっていました。そしてついには海に流れ出る。河口付近の底に溜まり、そこに棲む生物に長期的に影響を与えるとの指摘もあります。海の汚染だけでなく、除染の問題点にも行きつく話です・・・。魚介類についてはこちらも詳しいです:グラフで見る水産物の放射能汚染。)

*第二に特殊に集める生物がある。直接食べることはないがコケ、特に注意すべきなのはキノコ、とりわけシイタケ、ナメコだ。キノコは菌類であるせいか、よく周囲からセシウムを集めてくる。他に葉の固いイネ、笹、竹などが集めやすい。特に来春のタケノコは要注意だ。日本では一般的ではないが、チェルノブイリではブルーベリーが非常に高く汚染されていた。
(わたしはキノコは 3月以来一度も口にしていないのですが、いやはやキノコは最強です。まさにマリオが一機死ぬ毒キノコ。つい先日も干しシイタケから規制値 4倍のセシウムというニュースがありましたが、今どきあの異常に高い暫定規制値を超えてしまうものなんてキノコにしかできない荒技です。26年経った今でも、欧州でチェルノブイリ由来の高い Cs がマッシュルームから出たという記事も見ました。以前も触れましたが、汚染されたおがくず(菌を育てる床)が北関東から四国に流出した例があったので、今でも産地を問わずキノコは気をつけた方がいいと思います。ああ、なめこ汁食いたいなぁ。)

*第三に幹や枝葉から汚染が伝った可能性のあるものとして、果物、クリ、ウメ、お茶がある。福島周辺は3月の時点では若葉はまだ生えていなかった。幹と枝ばかりの落葉樹には、幹自体に汚染が取りついた。それが樹幹流と呼ばれる雨水の流れとともに、果実に入り込んだのだろう。お茶の調査では根から吸い上げたものではないとされている。汚染された落ち葉も、2011年の葉よりも2010年に落ちた落ち葉の方が汚染度が高い。
(静岡のお茶でもまだ検出されますね。お茶、クリ、ドングリの汚染について詳しく書かれたブログ記事をリンクします。スギ花粉のことにも触れられています。)

*第四に部分的に集めている作物がある。特にコメの胚芽部分、小麦の麦芽部分だ。チェルノブイリの調査では、胚芽部分に93%の汚染が集中していたというデータもある。胚芽部分を除いた白米では、汚染は相当低くなる。
(米は高濃度に汚染された場所は福島県の一部などとわかっているのに、そこから産地偽装などされて(例えば新潟に運ばれ「新潟産」とパッケージ記載されて)流れているという情報をいくつか見かけました。作らなければ補償がもらえないなどの問題もあり、一部の農家さんたちは作付けしてしまったんですよね。こういったトレースしにくい米は厄介です。摂取量が多いため、産地が確実なものを選ぶことが安全確保の近道と言えそうです。この産地表記が確かだ、という点でも産直のパルシステムなどの生協はおすすめです。ちなみにパルは厳しい自主基準を設けて検査機も導入し、検査結果を公表してくれています。)

*他の野菜類は根から集めていないようだ。そもそも Cs を植物は吸い上げたくはなく、カリウムと間違って集めている。カリウムが十分な土地では集めないのかもしれない。しかもチェルノブイリでは、年数が経つにつれて Cs 汚染は下がっている。セシウムは粘土に吸い込まれやすく、年を追って引き出されにくくなるようだ。その結果、ホコリをかぶった当初の野菜を除いて、ほぼすべての野菜の汚染度は極めて低い。ホウレンソウもナタネもヒマワリも集めていなかった。特にナタネが集めていないことを知ったとき、ほっとした。というのは、日本人が食べている野菜の中では、ナタネと同じアブラナ科の植物が圧倒的に多いから。ということは、私たちの食品はかなり汚染を避けられるのかもしれない(後略)。
(確かに野菜は落ち着いてきているようですが、れんこん(茨城が主な産地)など最近でもわずかに検出されていたのを見かけました。しかし検出されたケースでも野菜はキノコのようにバカ高い数値はでないのは事実です。)

以上!
. . . . . . . . . .

備考:
・セシウム花粉情報
(2月から4月は花粉症でもそうでなくても、とりあえずマスクしといた方がいいってことです)

・新基準値も全然あかん情報
(乳幼児食品に配慮するはずの改定が、牛乳 50Bq から 100Bq に逆戻り?・・・乳幼児のみならず妊婦への配慮もないダメダメな新基準値。外部被ばくとの合算もまったく考慮していないし、それ以前に検査はザルだし、期待薄です・・・この危機感なさ、いつまで続くやら。)

2012/01/25

クレイジーな幕開けと豊富(のようなもの)

あけましておめでとうございます(遅)。もうお年玉付き年賀状の当選番号も発表されているというのに・・・。いつの間にか睦月もあと一週間だというのに・・・。この時間が過ぎていく奇怪なスピードは一体なんなのでしょう。地震の前兆で 24時間が早く過ぎているとしか思えません(クジラが海岸に打ち上げられたりするのと同じ)いや、これは笑えないんだけども。

旅からは2週間ほど前に帰国していました。そのことも書きたかったのに書けておらず。インドに行ってました。え?(わたし自身が「え?」と言いたい)インドです(注:高円寺ではない)。マジカルミステリーツアーな珍道中でした。4歳児連れて 4都市 16日間だかんね、どんなヒッピーファミリーなんでしょうか。

すんごく疲れたけれど、インド自体すべてがとても刺激的(スパイシー?)だったし、原発・放射能マインドやインターネットから(完全にではないけど)半月も離れたというのも、行く前と比べて構え方に変化をもたらしたかもしれません。今自分の暮らしの大半を占めてしまっている原発・放射能のイシューの追跡と、メールやツイッターのネットワーキングから離脱することは簡単なことでした。現実を無視することは楽な部分もあったけど、離れたからといってなにか現状が改善されるわけではない。戻ってくるホームベースが汚染されていたら、原発や六ヶ所再処理工場やもんじゅがまだ国内で動いていたら、心は晴れない。ハードな旅だっただけに帰国してホッとするも、心底安堵しきれないのが腹立たしく、成田に降り立った途端に Back to action スイッチ・オンという感じでした。別にそれを重荷とも感じないあたり、脱原発への関わりはもうライフワーク化しているのだと思います。

インドの公衆衛生や人権無視のようなひどい環境下の貧困層などを直に見ると、比べることではないのだけど、単純にわたしの目の前のリスク(放射能汚染)ってなんだろう、と考えてしまうところはありました。「インド軸」を持てたことはひとつ大きな収穫(「インド軸」で見ると、日本のすべてがブルジョアなんですが・・・*「戦中・戦後軸」でも代替可能)。まともに暖をとれる家があるありがたさ。毎日ごはんが食べられる、お風呂に入れるありがたさ。すべての「当たり前のインフラ」のありがたさ。しかし、自分は恵まれている、自分はまだいい方だ、ひとより大変な方だ、と他人を持ち出して比較の対象にして、自分の置かれた状況を確認したところで何が生まれるのか、うまく整理がつきません。だからなんなんだよ、というか。そういう「自分のいる環境レビュー」を時々することは必要なような気はするけれど。

人間の社会の中で大変なこと・理不尽なことは、内容やスケールは違えど、どこの国でもいつの時代でも生きている限り必ずあるわけです。今自分の目の前で進行する公害をつくった元凶がはっきりしている限りはその退治が先。「自分の苦境は "比較的" このくらいのレベルだ」というのは平和なときにゆっくり考えたいと思います。ただ、前にも述べたけれど、放射能汚染のリスクは世の中に数多あるリスクのひとつに過ぎないことは忘れないでおこうと改めて思いました。

ハードコアな旅の記録はそんなわけで(?)一旦置いて暖めておきます。いつになるやらですが、後日 Crazy India のまとめをできればと思っております。帰国してすぐの週末に横浜で脱原発国際会議があって両日行ったので、そのことについてや、年末にメディア・アクティビストのイルコモンズさんと素人の乱の松本哉さんのアクティビズムに関するトークを聞き、そこで気づいたことなど、そちらを優先して綴っていきたいと思います(なかなか書く時間がなくて悔しいっ!)。わたしも徐々に注意力が落ちてきていてよくないのですが、引き続き重要な食べ物の対策についてもまとめたいです。

日本の原発は今、54基中たったの4基しか動いていません。それでも難なく生活ができているというのに、まともな評価やプロセスなしに、止めた原発を再び動かそうという強引な再稼働の動きもあります。福島第一原発の事故の調査結果も待たずに、です。一方で、今年に入って自然エネルギーに関する法案なども具体的なことが決められ始めています。とにかく 2012年は脱原発のカギとなる年。今年で大きく転換できなければ後はない。ここでわたしたちが大きく主張をしなければ、沈黙は「原子力政策に yes 」と同義です。これまでがそうだったように。

できる限りのことを、自分の力が生かせる方法で、ムリせず継続的にやっていきます。でも今年はもうちょっと効率的に動けるといいんだけども。

2011/12/21

しばし旅へ

一週間前に手に入れた NO NUKES の CD ... FROM THE MUSE CONCERTS FOR A NON-NUCLEAR FUTURE ... "MUSE" というのはMusician's United for Safe Energy の略。1979年のスリーマイル島の原発事故のあとに、NY の Madison Square Garden でミュージシャンたちが集い、開催された反原発のコンサート。LP で見かけてずっと探していたのだけど、あっさりCD であった。出演者や中身などはこちらのとある方のブログに詳しいです。やはりGil Scott-Heron がすさまじくかっこええ。我が家では追悼の意もあり、先月あたりに持っていなかった Gil のCD をディスクユニオンで見つけただけ買い占めて、ほぼ毎日フル回転で回っています。


で、何週間か Gil ばっかり聴きながら仕事の締め切りに追われたり、師走なだけにかなりバタバタと走り回って過ごしていました。うわさによるとあと今年もあと10日とか。いやはや。

311以降、わたしの中ではまったく違う世の中になりました。これから生きていくのに何が大切なのかを真っ正面から考えたり選択しなければならない状況になりました。福島の高線量下にお住まいの方々に比べたら、津波で大切な人を亡くされた方々に比べたら、本当に恵まれた環境だと感じない日はないけれど、311を境に、これまでにない望まない変化がもたらされたことは同じです。来年はどんな年になるでしょうか。日本にいないかな。そろそろ思いを馳せなくてはいけないけれど、そんな気にもなれない。

あの日以降、「放射能と原発」から1日足りとも離れた日はありませんでした。本当に1日も。よく気が狂わなかったと自分でも関心するけど、子どもが心配なだけで活動自体は別に嫌々ではないし、仕事もプライベートもベクトルが一緒なのでライフワークみたいなもの。今でも士気は高いままです。睡眠と貯金は減ったけれど、たくさんの調べもののおかげで知識は増えました。それに新しい仲間も(多くの新しい出会いが唯一ポジティブなことかも)。あと増えたのはなに?飛んだマイル数とシミと被曝量?やだなそれ。

最後に、その9ヶ月コンスタントに続いていた放射能と原発漬けのルーティンを覆して、1年を終わろうかと思います。わたしの家族が、おそらくその長々と続いた狂った日常からわたしを切り離してあげようと思ってくれての企画だと思うのだけど・・・2週間ほど旅に出ます。今あたまの中にある事柄から離れたい逃避ではなくて、抱えているものといっしょに仲よく行くつもり。がらっと状況が変わって何かまた新しい気持ちが芽生えるかな。追ってここでご報告ができればと思います。まだここに書こうと思っていて書けていないこともたくさんあるのだけど、来年に持ち越し。

毎度のことですが、あと数時間で空港に行かないといけないのにパッキングが終わっていない(Gil を聴きながらやるとどうも焦ることができない)・・・そろそろ焦ろうと思うのでこの辺で。みなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

2011/12/13

障害について

数日前に、目の不自由な方たちが放射性物質から身をまもるために「声で知らせる線量計」が開発されたというニュースを目にしました。そんなものもでてきたか、と思って読み進めるうちに、なんともいえない不快感が湧いてきました。線量計の価格は高額なものだし(何人の目の不自由な方たちが実際買えるだろう)、わたしが気がつかなかっただけかもしれないけれど、わたしが目にした「障害を持つ方に対応した放射能防護」に関するニュースは、放射能が撒き散らかされてから9ヶ月目にしてこれが初めてでした。どちらかというと普段わたしは障害を持つ方たちとは遠い存在です。友人に社会福祉士が数人いるくらいで、親族や知人にもいないので実際に触れあう機会はめったにありません。実状をよくしらない身で、偽善的な発言かもしれないけれど、こういう今みたいな有事に、やっぱり障害を持つ方のケアというのは後回しにされるんだな、と。安心な食べ物を選ぶ、居住地を選ぶ、それが容易にできない方たちがより被曝しやすくなる・・・こういうところに格差が出てくるとは前から思ってはいたけれど。

もう2ヶ月近く経ってしまったけど、10月の末にうちの近くで行われた山田真さん(「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」代表)の放射能の影響についてのお話会に参加しました。福島の子どもたちの健康相談なども行われている先生で、小児科医の視点からの分析は聞いたことがなかったので、ぜひ聞いてみたいと思って行きました。生意気だけど、ほとんどお話された内容はすでに知っている情報ばかり(これは、山田先生の知識がどうこうという話ではなくて、これまでどんだけ自分がリサーチ漬けで放射能対策マニアみたいになっているかに気づいたわけですが・・・)だった中で、ひとつだけ新しい気づきがありました。それが「障害」についての話でした。山田さんは長く障害を持った方と共に生きる取り組みをされてきた小児科医です。

質疑応答のとき、環境問題(原発の問題)は本当はやりたくないという気持ちがある、と言われた。なぜかというと環境問題には「障害は悪いもの」という感覚があり、障害をもっていてもいいじゃないかという考えから離れていくから、だと。「病気や障害が悪という意識をもつことは危険なこと。遺伝的な影響を言うと、病気や障害を差別することになる」と。確かに、チェルノブイリでも水俣でもその奇形の被害者などにスポットがあてられました。現在でも「放射能の影響で障害児が生まれる(た)」などというアラートが無神経に流れ、妊婦さんが赤ちゃんの中絶を考えている/若い女の子たちはどうせ健康な赤ちゃんが産めないと諦めているなどという文章をウェブで目にすると、とてもやるせなくなります。そんなリスクのある環境に実際直面している今に空しくなるのと、まさにこの山田先生が触れられたような「障害児だとだめなのか」ということに答えが出ずに(だって自分自身が当事者だったらと思うと、やっぱり「子どもは健康であって欲しい」と思ってしまうし「障害があってもそれは個性」と言い切れるだろうかと)最後まで考えきれずに諦めてしまうのです。

山田先生は言います「病気や障害をもった人は福島を動けません。こういう状況では世の中の差別があらわにみえてくるものです」。そう、これから障害を持った子どもたちが出てくるという可能性とは別に、この今にも障害を持った方たちが福島にいる。被災地の仮設住宅はまったくバリアフリーが考慮されていない、平時の社会がいかに弱者を軽んじていたものだったかが今わかる、という声も Twitter かどこかで見かけました。なかなか自分で答えが出せないことが多い問題だけれど、ひとつだけわかっているのは、健康被害や差別を生む不安定な環境をつくりだすものは要らない。放射能は要らない。原発は要らないってこと。大きなものに潰されそうになって、自分や自分の家族を守ることで精一杯だとしても(理想だけれど)周りにどんな人が声をあげているか、見わたす余裕は常に持ちたいと思うわけです。

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