自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

home

2011/10/21

食べ物ノート・なう

だれが読むでもない、低線量内部被曝から身をまもるための「食べ物ノート」シリーズ。続きです(過去の投稿は FOOD のカテゴリキーワードで一覧できます)。

以前にも食べ物における放射能除去の方法などのサイトをリンクしていますが、アップデイト&放射能に負けない体をつくる集約版を見つけました。また、以前の資料に比べたら簡易なダイジェスト版にはなるのだけれど、その放射能除去の復習になるようなブログポストを見つけて読んでいたところ、「食品の暫定規制値はどう決められているか」というところでつい止まってしまいました。分かっていたつもりだったけれど、食品安全委員会が「一年間に被曝しても問題ない」とした値から年間の上限を決めて、品目ごとに割り当てられたものだったんですよね。大人と子どもの許容値が別に設定されているものもあるけれど、そんなの大人の(高い数値)の方でくぐり抜けて流通しているわけだから、子どもの口に入る食卓の間際で測定する術を持たない個々の家庭で、どうしろというのでしょうか。流通している食品は食べ続けても絶対に安全と信じろと?先ほど、グリーンピースがスーパーマーケットの店頭に売られていた魚 60サンプルを検査したところ、基準越えはなかったものの半数以上からセシウムが検出されました。日本に暮らして幅広く食べ物を食べたいのであれば、ベストは尽くして避けるけれども、ゼロリスク(0ベクレルを望む)の理想は捨てないといけないと思います。検査機の検出限界値もあるわけだし。

このゆるゆるの「暫定我慢値」について、しばらく前から「いつまで "暫定" なんだ?」という疑問がいつもひっかかっていたため、厚労省の基準審査課というところに昨日電話して聞いてみました。結果、現在見直しのプロセスの最中で、8月に集めたパブリックコメントを受けて、食品安全委員会が国内の新規制値をつくっているところだと。それが出てき次第、厚労省でとりまとめてできるだけ早く平常時(ん?平常時?)の規制値に戻したいとのこと。目下、経済活動が滞ることを何よりも恐れて、安全より流通を優先させながら街は動いています。そのように平常時を一番装いたいのは国。でもよく考えれば「平常」なわりにはこの食品規制値だけが緊急時のままってのは不都合なはず。はよせんかい!という感じですが、3000件のパブコメの整理に時間がかかっていて、食品安全委員会からなかなか返事が出てこないんだと。パブコメをそんなによーく2ヶ月も読み込んでいただいて結構なんですが、随分悠長ですこと。見直し中であるのに時期的な見通しは分からない(年内か、半年後かも)そうです。核種についても、現在ヨウ素、セシウム、プルトニウム、ウランだけだけど、新基準では他の核種に対しても規制値が設けられるのか?の問いには「検討中」と。結局クリアな返答は何も貰えなかったわけですが。(関連:食品の基準は厳しく見直すと厚労省 / 現在の国の暫定基準値 500Bq/kg は全面核戦争時に餓死を避けるためにやむをえず口にする食物の汚染上限

先日、横浜で高い値のストロンチウムが発見されて話題になっていましたが、散乱している核種がヨウ素とセシウムだけでないのはもう随分前から周知のこと。今回放出された放射性物質は全部で 31種類だそうで(MOX 燃料入りということがチェルノブイリとの差異でもあり、一番怖いところです・・・)。あとは程度の問題。セシウムが結構な値であればストロンチウムもそれなりに含まれていると考えていいようです(ちなみにチェルノブイリときに放出されたストロンチウムの割合はセシウムの1割程度)。一般に普及しているガイガーカウンターではガンマ線核種のみ(セシウム)を拾うものがメジャーですが、ベータ線(ストロンチウム)やアルファ線(プルトニウム)を出す他核種を拾わなくても、セシウムである程度は足跡がたどれると考えていいのだと思います。半減期の長い強い核種は、地面に吹きだまったものが舞い上がって、吸い込んでしまう被ばくも怖いですが(一度地面に降下し、風で舞い上がった放射性物質を取り込んだ場合の内部被曝量は、大気から直接吸入するのに比べて約10倍:時事通信)空間線量が高い場所というのは、市民測定のおかげである程度は目星がつくので、近づかないという対策がとれます。なので、やはり毎日の食べ物経由の内部被曝が一番怖いし、流通させてしまっているから東日本に限った問題ではなく、被曝の危険性は全国に潜んでいます。基準値もその高い設定が問題ではあるのですが、それ以下は市場に出さないようにとわざわざ決めてんだから、まずはそのルールを守ってくれよ、と言いたい。

きのこなんかクレイジーなことになってますが・・・たまに半端なく高い値が出てまさに毒きのこ(マリオが 1機死にます)。食べ物で何に気をつけたらいいか、10秒で友人に伝えないといけない場合、最初にあげるのがおそらくきのこでしょう(続いてたけのこ、ベリー類と補食魚、摂取量の多い米かな・・・)。きのこは東北の露地栽培のものだけでなく、東北産の菌床(おがくず)を使って育てた徳島県のきのこから高い放射性物質が検出されたケースが最近あったし、関東各地でもこの収穫期になって続々と検出されています。腐葉土や瓦礫もそうですが、とにかく放射性物質を人の手で遠くまで移動させんのやめてもらいたい(怒)。

少し戻って、ストロンチウムの内部被曝対策について。アルギン酸を摂るとその体内残留量は 1/8 程度になるそうです。アルギン酸を摂取するベストな方法はもずく(うちの子の大好物ですが)と、知人情報。汚染されていない地域でもずくの名産地といえば沖縄。沖縄産もずくにはアルギン酸がたっぷりだとか。玄米のフィチン酸の成分もストロンチウムと結合して体内に吸収されることなく外に出してしまうとも聞きました(しかしフィチン酸の摂り過ぎによるミネラル欠乏症には要注意)。梅干しとともに食べると、そのクエン酸やアミグダリンという成分の働きも加わり、排泄を促してくれると(フィチン酸以降のくだり by「家庭でできる自然療法」東条百合子著)。体内の酸化ダメージを減らすという、"放射能につよい体をつくる" のに定番の効能があるようです。

最近食べ物の話題を何気なく知り合いと話す中で、気をつけていない人の多さに改めて驚きました。「内部被曝」ももう定着した言葉になってきたけれど、わたしはこれから「低線量内部被曝」と意識して呼ぼうかと。今一番気をつけねばならないこと・・・それはメディアが飛びつく局地的マイクロホットスポットの空間線量ではなく、毎日の食事に潜む「少しずつ」のリスクです(改めて)。

関連・参考リンク:
・【おすすめ】低線量内部被ばくから子どもを守るために PDF(Say Peace Project 発行、崎山比早子氏 監修のブックレット)
・【おすすめ】在日フランス人向け公報 IRSN「食品の汚染に注意」(フランス放射線防護原子力安全研究が発表した、東日本の食品汚染の状況や勧告)

ちなみに「なう」はもう古いんだってさ(と、20代の男子に指摘された)。

2011/10/12

女たちよ!

女たちよ!(って伊丹十三の本がありましたね)伊丹さんは残念ながら関係ないんですけど、女性のパワーについてのおはなしです。


この『3000万の署名、大国を揺るがす 〜第五福竜丸が伝えた核の恐怖』(数年前に放映されたもの)は、昭和29年に起きた第五福竜丸の被ばくをきっかけに、食材や子育てに不安を感じた日本の女性たちが立ち上がり、翌年(昭和30年)の第一回原水爆禁止世界大会での成果へという反核運動の軌跡についてのドキュメンタリーです。「原爆マグロ」という言葉が広がり、魚が売れなくなり、食卓の危機が・・・ 食の汚染に直面している現在と同じ状況です。

今でこそウェブを介して同じ意見を持つ人々の繋がりは広がっていますが、当時はある女性の新聞の投書からネットワークが始まったといいます。
《「原爆の灰がいつ降ってくるかわからない世の中だもの。何が起きたって仕方がないよ」夫は新聞を読みながらそう言う。「原爆をつくることをやめれば」私がそう言うと、夫はあきれかえったように私を眺めていた。仕方がないといいながら何もしない夫の無力な諦めを、私は軽蔑した 》
《 私たちは貧しいなりに安心がほしい / お魚も食べられない、野菜も危険だ、うっかり水も飲めないというのでは、敗戦国とはいいながら、かわいそうすぎる / 雨が降っても魚を食べるのにもビクビクし、深呼吸さえ安心してできないのです / こんなことが度々繰り返されたのでは、私たち日本人は自然滅亡という道をたどるより仕方ないのではないか・・・》

立ち上がったごく普通の女性たちにより、原水爆禁止を求める署名運動が始まります。
「戦争が終わったとき、女に力がないことを後悔したが、今ならはっきりと声が出せる。再び後悔しないよう、正しい態度を取りたい」
・・・女性が参政権を得てから10年たらず、政治活動を行うことが初めての女性ばかりで始まった署名。「名前を書くのに何の意味があるのだ」と言われ、ある女性はこう答えました「黙っているよりははるかに効果があります。沈黙は賛成を意味するからです。」

特定の団体やリーダーが呼びかけたわけでなく、自然発生的に各地で広まっていった署名は、全国に繋がり、世界に広がっていきます。そして、1年後の原水爆禁止世界大会では、当時の日本人の成人人口の半数以上が署名したことになる 3150万筆(全世界では 6億筆)が集まり、核兵器開発競争に一定の制約がかけられることとなりました。(せっかちなアナタは 18:50 - 25:05(動画のタイムライン)の 6分だけでもいいから見てっ!)

ジェンダーを特定すると、一方が(この場合は男性が)排除されたように思うかもしれません。すねちゃったらごめん、男子。核問題を憂いている男性ももちろん多くおられると思います。しかし、このいまの問題に限って言えば、やはりこれまでの原発を推し進める中で男性より女性の不安の声が抑制されていたことや(だから電力会社の PR館は主に母子がターゲット)、原発国策が男性の舵取りだったことなどを思うと、人間として怒りを覚えると同時に女性としてもなにか矛盾を感じませんか。保安院や電力会社幹部に女の人いるんかなー とかね。 311 以前にそういった立場に置かれながらも、ポスト 311 で真っ先に各地で動き出したのが母親たちだったように思います。水爆実験のときのように、誰かが統率するでもなく全国各地で起こった、数多くの「こどもたちを放射能からまもる」目的の母親たちのグループ。振り回されながらも、このままおっさん主導ではいのちをまもれない!と声をあげる決断をした女性たち。この女性たちの動きが勢いづくか衰退していくかに脱原発のすべてがかかってきているような気すらします。男性はいつの間にやら長いものに巻かれてしまいがち。女性は男性よりも「根に持つ」傾向が強い(脳のつくりにそのような違いがあるとか)。こわいですよー。

「女性のあなた、女性の力を」と言われたとき、男性のそれとは異なる響きがします。現代でも社会の中で自らを過小評価しがちな女性たちに「あなたにもできる、あなたじゃないとできない」と奥底のパワーを引き出し、喚起して、それらを集結させる。それは現在の暗闇の中で見ることのできる、数少ない明るい希望のひかりのひとつだと、わたしは思います。

偶然にも、ここ一週間くらいで「女たち」のアクションが立て続けにラウンチされたので、最後にそのお知らせをさせてください。
 (キックオフ集会が 11/23 にあるようです。呼びかけ人が豪華!)
 (経産省前・座り込み決行!10/27 〜 29)
 (福島の女たちに連動して座り込み 10/30 〜 11/5 ...
  "経産省前女子会" はぶっ通し 10日間だそうです。行くかな。)
関西でも、おかんとおとんの座り込みがある模様。おか〜ん。
この秋、女たちの sit-in がアツイ!

関連リンク:
「制御されている私たち 原発推進の内なる空気」(作家 金原ひとみさん) "・・・多くの人が癌で死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。"

(おまけ写真:古文書。おそらく 70s のブックレット。念の込められたタイポグラフィーとキュビズム、誰もまねできないデザインに脱帽。)

2011/10/10

ニュークリア・レイシズム

自分自身への戒めも含めて言っていますが、人の無関心や沈黙が人を殺しているということについて(主に自分への備忘録です)。


今日「ニュークリア・レイシズム」(直訳:原子力によって生まれる差別)という言葉を初めて見ました。上記の記事にも書かれているように、ウランの採掘、核実験、さらに核廃棄物を捨てるところにも先住民の土地が選ばれ、世界各地で先住民族が差別的に被害を与えられているという話です。ウラン採掘による労働者の被ばくはよく知られたところですが、もしご存知のない方がおられたら、是非知ってほしいと思います。原発の燃料であるウランは、主にオーストラリアやカナダなどからの輸入で、遠く離れた外国で、わたしたちの使う電気のために採掘の段階で被ばくしている人々がいます。今回の事故で原発で働く作業員の方々の被ばくがやっと知られるようになりましたが、原発を動かすために、様々な場所で、様々な工程で、ヒバクシャが生まれています。事故が起きて、わたしたちも今被ばくしてしまっているけれど、事故が起きなくてもヒバクシャは生まれていた。この今でも生まれているし、わたしたちが原発を使う限り、ずっと増え続ける。ヒバクシャをつくりだしてきたユーザー(わたしたち)がヒバクシャになってしまったことは、因果応報なのかもしれません。

あまり知られていない繋がりでは、先のイラク戦争で大量に使われた劣化ウラン弾。原発の核燃料を生産する過程で多く劣化ウランが出て、それを用いてつくられます。そのウラン弾でイラクでは本当に凄惨な子どもや赤ちゃんの被害が出ました(本当は写真をリンクすべきなのだけど、自分が悲惨すぎて目を当てられない)。この事実は、わたしも恥ずかしながら最近になってドキュメンタリー映画監督の鎌仲ひとみさんが仰っていて知りました(参考:「ヒバクシャ - 世界の終わりに」)。これも日本の、わたしたちが電気を享受してきた原発の副産物です。

危険な原発を地方に押しつけ、都心が電力を消費する・・・これもニュークリア・レイシズムのひとつだと思います。誰かも言っていたけれど、たかが電気にこんな理不尽で悲惨な背景があって、いいわけないでしょうが!たかが電気。たかが水蒸気でタービン回すだけ。しかも効率悪い発電方法(発電効率 30%)。もういや。

2011/10/04

木を見て森を見ず・その2

前回書いた「ひとつのリスク回避が導いてしまう他のリスク」の続き。

放射能対策に有効だというふれこみで様々な情報があります。その数はどんどん増え(最近は下火になってきた感もありますが)あきらかに疑わしいものや詐欺まがいのものも含まれていることから、少し前に注意を喚起するサイトやツィートも頻繁に見かけました。ウェブ上だけでなく、雑誌や本などでも、今や「放射能対策」はよく見かけるキーワードです。両派(●●は効く、効かない)が対立して小競り合いが始まったりしていて、なんだかなぁという感じでイヤな気分になるのですが、情報リテラシーの問題でもあり、重要なので、記しておくことにします。

まず「●●は効く、効かない」ということが話されるとき、どちらの側にせよ断定的な物言いを見ると気になってしまいます(「放射能汚染は危険なレベルだ or それほどではない」の議論にも通じます)。これだけ複雑であらゆる可能性が明確でない問題の答えを、とくに学者が、断定して特定の方向へ誘導するような発言をされていると、どうなのだろうと。あまりに固執して柔軟でない場合、バックに誰かいんの?と勘ぐってしまいます。学者なら小難しいデータなりを知識のないひとにも読めるように噛み砕いて提示して、可能性の検証なりを教えてくれると嬉しいのですが、あまりに肯定・否定の決めつけ度がすぎると、それは学者の範疇ではないのではと思います。これでは「パニックになるから」と市民の判断能力を見下して、提供する情報を操作した政府と同じ。一般市民は間違った判断をしちゃうから、代わりに判断してやるという感じなのでしょうか。特定の学者の発言や説を妄信する人々も然りで「あなたは本当のことをわかっていない」的な態度になる人もいます。

「放射能に効く"エセ科学"(あるいは "トンデモ科学" や "ニセ科学")」と物議をかもしているものには、米のとぎ汁乳酸菌、EM菌、マクロビ、スピルリナ、ホメオパシー、特定の音楽の周波数(?)などなど。もっと他にもあるんだろうけど。とある生物学に詳しい方による「これらは非常にあやしい」との反論を以前にもリンクしました(参考:同筆者による「デマのできかたと不安につけ込む業者たち」)。それを読んだとき、情報をきちんと見極めるために様々な意見をきちんと見て精査していかないとなーと思ったわけですが、同時に、科学的論拠どうこうというのとは別のところで、なんとなく「決めつけられている感じ」が腑に落ちませんでした。試してみないとわからないよな(藁をもすがる気持ち?)という気持ちも。放射能防護に関しては、放射能のからだへの悪影響が時間が経たないとわからないのと同様に、防護の効果もすぐにはわからないと思うのです。自分のような科学のバックグラウンドまったくなしの人間がのたまうのもなんですが、いずれにせよこういった効く・効かない問題はみんな違う体質なんだから個人差もあるだろうなと。なので、モノにもよるけれど、わたしならエセと決めつける前に自分の体には効きにくかった or やり方が悪かったのかな、といつも思います。こう書くとやっぱりスピリチュアル系と思われるかもしれないけど、わたしはどうも物事すべてが科学で解析できるというのは人間のおごりのような気がするし、個々の人間の差というのを軽視しているように思えるんですよね。いつも効能のある何かを他人に勧めるときは「わたしには効いたけど」という言い方をすることにしています。

新しく出てきた民間療法的な放射能への対策法を「あやしい!無意味!」と激しく反対する方は、自分や家族がその代替医療のようなもので痛い目にあったのでしょうか。確かに極端に信仰してしまった場合、健康に悪影響が生じるケースもあるようです。そうなればまさに木を見て森を見ず・・・放射能に気をつけてたら別の害が生じちまったということに。しかし、被害を被った立場でもなく、実際試したこともない
(直接尋ねてはいませんが)ご様子の科学者さんだったり、一般の方たちだったりの声により、膨らみすぎている感のあるこの議論。この方たちは「この不安に乗じて人を騙す奴らが許せない!」というシンプルな正義感から反対意見をぶつけているのでしょうか。なぜだか素直にそうも思えないのです。 少し前に『エセ科学批判が、ネット上でのいじめにつながっていないかの検証が必要だ。なぜエセ科学の唱道者でなく「変わった」一般市民へのバッシングにつながりやすいのかの検証。ニセ科学サイドは、科学リテラシーの衣を着た警察気取りなのではないか?』というツィートを見かけて、ふむふむ、と思いました。人を騙す行為はわたしも怒りを覚えるし、パトロールする気概も賛同しますが、単にこのカルト的動きが鼻につくという方々のご意見もあるのかもしれません。

そう、この一連の動き(●●が効く/効かない問題 and 放射能は危険/そうでもない問題)の両極の一部がカルト化していることが確かに問題でもあります。「あっちの世界に行ってしまったから連れ戻せない」とか「こっちの世界に戻ってきてよかったね」とかいうコメントもどこかで見たな・・・。効く/効かない問題にいたっては、特定の食べ物の薬効が自分の体にぴったりきて効いている例も存在するわけで(たとえプラセボであったとしても)・・・その人たちには効いていんだからいいんじゃないかと思うのですが、本当にそのあたり宗教を取り巻くものに似ていて、宗教にアレルギーを持ちがちな日本人の間ではイシューの扱いが微妙です。


前出のホメオパシー(レメディ)は放射能云々の前からよく非難の的になっていて、賛否両論ある代替医療です。わたしも常用者ではありませんが、以前に少し使ったことがあります。感想としては「よくわからない」。確かにおまじない的なところはあるのだろうなと思うけれど、否定はしません。問題視するほどでもないと思うのだけど、問題があるとすれば医療忌避に結びつく(一般の近代的治療や薬の代わりとしたがる)場合があるということ。新薬と併用しても問題なく、やはり極端に走るとよくないということです。今回も放射能に効くレメディとやらが出てきたので非難が再燃したようです(わたしもこれはちょっとどうなの、と思うけど)
スピルリナも何かと思ったけれど、藻類からできた健康食品/サプリメントのようで(あやしいわけではない)普通に販売されています。イギリスのオーガニックショップでも Defence Boost として朝鮮人参+スピルリナ入りナッツバーが売られていたので食べてみたことがあります(別に腹も痛くならなかったけど、即元気100倍!にもならなかった)。免疫力アップにいいようなので、それで今回も放射能対策に駆り出されてきたものと思われます。
米のとぎ汁、これもうちでつくってみたけれど、これは「どの状態で成功とするのか」が判別しにくく、きちんとしたプロセスや環境で正確な知識のある人によってつくられれば効果的に利用できるものなのかもしれないけれど、臭覚と味覚を伴わないレクチャー(ウェブの文面のみ)からの見よう見まねだと、反対派の方が指摘されているような衛生問題からマイナスな結果が生まれてしまう可能性はあると感じました(ので、うちでは難しいな、と判断したのでやめました)(参考:「米のとぎ汁発酵物が放射能を除去するという説について」ウィキペディア)。関連して、ある種の微生物を用いることで土壌の放射能汚染の低減が期待されるとして、実用に向けて研究されているようなことも耳にしました。
マクロビだってただの玄米菜食なんだから、体に悪いことはないだろうし、免疫向上という意味では有効なのだと思います。ちょっとそんなに叩かんでも、という感じ(参考:「"玄米と味噌で放射性物質除去が可能"説とその反応」)。

「デマ」「エセ科学」と言っても、科学的に研究が進められている途上のものもあれば、だれかが金儲けのために適当にこねくり混ぜた薬もある、単に体にいいと昔から伝承されている食べ物もある。様々なレベルや効能の幅があるだろうに、可能性を潰して一束に否定するのはどうかと思うのです。で、その可能性を潰してしまうかどうかというのは、それらをバッシングしている人たちの声によるのではなく、庶民の科学リテラシーの高低でもなく、わたしたちの情報を判断するバランス感覚にすべてはかかっているのだと思います。

もちろん効能を発信する側の説明の仕方にも非はあると感じています。個人的な理解ですが、「放射能を無害化する」なんてのはすでに「無害化」てのがあやしいけれど、「放射能に負けない体づくり(免疫の強化)」というのは必要で、有効だと思うのです。今回放射能対策で話題にされたもの(特に食べ物)の中で、発酵食品類は腸内の環境を整えて免疫力をあげるのに効くということは確かだと思うし、傷つけられたDNA 修復のために大量のビタミンや抗酸性物質が消費されるので、抗酸化物質を取り入れよ、というのは、わたしは頷いているんだけどなぁ・・・ここまでだったらアリだけど、これ以上進んで「これが効く」はデモ吹聴?難しとこですな。発信する側も、受信する側もバランス バランスと言うことで・・・今日はこんなところです ©筑紫哲也。

関連リンク:
 (放射能対策にいそしんでいる人たちは「放射能に克つ近道」
 を探しているわけではないし、少しでも子どもの被曝量を減ら
 そうと必死な親だったりするのだけど、その反対派の意見の一
 部には「こういうのに騙されているのは無知な主婦」的な失礼
 なステレオタイプも見え隠れすることがあるようです)
 (が、おかしいぞ、というご意見)

【 追記 10/10 】
参考記事:「SNS」でお宝情報を手に入れる人、デマに踊らされる人(プレジデント・オンライン)

2011/09/29

木を見て森を見ず・その1

疎開の意味もあって国外にいた先月に、放射能フリーの食材(ヨーロッパではまだチェルノブイリの影響を受けている食材も存在するので、そうとも言い切れないのだけど)に囲まれ、いくらか食材選び格闘の日々から解放されたこともあり and 和食が少なくなってバランスのいい食事をきちんとつくる努力を怠っていたため、子どもが喉の感染症にかかってしばらく高熱が続くということがありました。気候の違いなど、もちろん他の要因もあったのだと思うのだけど、すぐに思ったのは「ろくなもん食わしてなかったな」と。めったに具合が悪くならない子なので(ますます)なんとなく自分のせいだと反省していたのですが、このことでつくづく実感したのが「1つのリスク回避に集中しすぎると、他のリスクを見落としてしまって総合的にリスクを高めてしまう」ということです。こういうと自分や子育てに厳しい人のようだけど(まったく逆の性格のくせによく言いきれるなぁ、自分)いやはや、ベクレルからの開放感でスナック菓子食べさせ放題でなかったかと。

西日本の食材はまだ汚染されていないからとにかく西のものを!という自分を含む放射能コンシャスの母親たちの動きがある中で「九州は黄砂(放射性物質を含んでいる)の影響が強いの知ってる?」と水を差してくれたお母さんがいて「んじゃ、どこのものを食やーいいんだ」という話になりました。ナイス水差しです。そう、ゼロリスクは幻想なり。チェルノブイリ以後設定された輸入食品向けの基準値 370Bq をすり抜けている海外食材も然り(しかも今、国内の暫定基準値と輸入食品の基準値が違ってしまっているから、というおかしな理由で都が輸入食品の放射能検査を中断中!)、輸入食品でも安全とは言い切れず・・・ こういった情報を与して、とにかく「安全圏と思われる産地内でローテーションして、特定の地域(及びメーカー)のものを食べ続けない」ことがリスク回避だというシャッフル論が確立されたのでした(わたしの中で)。イヤな言い方だけれど完璧に安全なものを探求するのではなく、どれだけ毒を分散させるか、ということです。

国内の放射能汚染に関しては汚染瓦礫の焼却を日本全国各都道府県で受け入れる動きがあるため、今後遠く離れた西日本でも放射性物質が各地域に散らばる可能性もあります。もちろん被災地のために瓦礫処理に協力すべきだとは思うけれど、東北には汚染されていない瓦礫もあれば汚染されている瓦礫もある。汚染状況はきちんと事前に正確に検証され、判断されるべきです。瓦礫のみならず、汚染されたものすべては一定のエリア内から外に出さない、汚染地域を広げないということが鉄則中の鉄則であるはずなのに、現状は真逆です。

ちょっと脱線しましたが、食べ物のリスクといえば、わたしが実感した栄養の偏りによって免疫が落ちてしまうことだけでなく、遺伝子組み換え食品、添加物、農薬、食中毒、アレルゲン・・・と気にしだせばキリがないし、今この状況の中では多少農薬にまみれていても放射能汚染がわずかであろう九州産を取る!とリスクの選択をしなければならないこともあると思います。汚染食品から身を守るときの線引きは、それぞれの価値観が関わるリスク管理なので、何が正解というのはありません。その中で、他のリスクも世の中には存在するということを忘れず大局的に見ることは大事ですよね。「小さな木」と言うには、放射能の影響はやや巨木な気もしますが・・・。

2011/09/23

コンセントの向こう側

9月19日、東京でふたつのデモが行われました。明治公園の集会から出発した「さよなら原発5万人集会」は、結果的に 6万人を越える(主催者発表)最大規模のデモとなり、警察により隊列が分断されたので 2時に始まったデモは夜まで連なっていたようです。子連れなこともあって、ルートの途中からこのデモに参加しました。久々の古典デモ(のぼり旗シュプレヒコール系)は、なんだか航海しなれた大型船に乗っているような安定感(?)がありました。6万の動員は、さようなら原発1000万人アクションが母体となり古参グループたちが全国を繋いでまとめあげたイベントに、新しい世代のネットワーキングがいっしょに働いて生まれた結果だと思います。大江健三郎さんなどが参加されたことのバリューもありました。福島からたくさんの方々が団体で来られていて、登壇された方々の中では、福島のハイロアクションの武藤類子さんのスピーチが響くものだったので一部を抜粋します。


「(前略)原発事故を境に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被ばく者となりました。大混乱の中で、私たちには様ざまなことが起こりました。すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。
 毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。様ざまな苦渋の選択がありました。
 そしていま、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、事故は未だに終わらないのだ、福島県民は核の実験材料にされるのだ、莫大な放射能のゴミは残るのだ、大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ、私たちは捨てられたのだ・・・ 私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
 でも口をついてくる言葉は、私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな・・・です。福島県民はいま、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親が、父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが。自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。大量の被爆に晒されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者たちが。土地を汚された絶望の中から、農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が。一人一人の市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと、声を上げています。
 私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地に留まり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに、注目してください。政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、原発と放射能についての学び。そしてどこにでも出かけて、福島を語ります。きょうは、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りの、あらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
 もう一つ、お話したいことがあります。それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。私たちは何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いをはせなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。
(中略)
 できうることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
 私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
 私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。」

福島の生の声。どれだけわたしたちは福島の声をリアルに知っているでしょうか。聞いたことがあるでしょうか。先日、わたしが今住んでいる東京西部の市へ福島から避難されてきた方がいると人づてに聞いたとき、ここが「避難先」であることを初めて意識して、考えさせられました。ここも安全圏ではないと、わたしや一部のお母さんたちは日々悩んでいるというのに・・・。都内は福島よりも比べ物にならないほどマシであることは理屈ではわかっていましたが、福島の苦悩は想像を絶する - わたしたちがわかろうと思ってわかるスケールではないのだと思います。きれいごとですが、しかしながら、わからないからといって寄り添おうという気持ちは放棄してはいけない。コンセントの向こう側を、わたしたちはもう知ってしまったのだから。

【 余談 】
代々木公園から出発したもうひとつのデモも、かなりの盛り上がりを見せた様子。頼もしいパワーです。継続あるのみ。明治公園が埋め尽くされた俯瞰写真を見たときには「レボリューションの兆しや・・・やっと海外のデモみたいになってきた」と涙目になった反面、これは始まりにすぎないぞ、気を引き締めていかなあかん!と。とりあえず「ヘリ飛ばしてくれてサンクス!」と毎日新聞にお礼ツイート。マスコミのねじ曲がった姿勢も、わたしらで褒めて叱って正していくしかないのですぞ。

2011/09/17

ふたたび・食べ物ノート

食べ物の放射能汚染の影響を気にしているかどうか?というと、気にしているという層の方が多いようなことをどこかで聞いたけれど、いまだ放射能の話はタブーなところがある気がします。まったくおかしな話だけれど。気にしていない人が必ずしも原発推進派というようなことはないし、様々な理由があるのだろうけど、ここで原発反対/推進の二極の構図のように、「気にしている人/いない人」で相容れないままパラレルで進むのも不毛なことだと思います。これには「科学的/非科学的」な対立も関わってくるのですが(これに関しては多く書くことがあるので)近いうち投稿するとして、ここでは、最近の食べ物と汚染の情報についてまとめます。

海外では日本からの輸入品は厳しい放射線量の規制値が設けられ、国内に入らないようにはじかれているそうです。半年経ったいまも、呆れるほど高い暫定基準値はまだあのまま。いつまで「暫定」なんでしょうか(参考:「まったく安全ではない食品の暫定基準値と内部被曝」)。未検出が多いのはいいことだけれど、検査システムはもちろんサンプル調査であって全量調査ではないわけで、行政の検査体制は疑問が残ります(参考:検出・不検出のしくみ市民調査団体で検出続出、福島県発表は不検出)。加えて、たまに後出しで公表されてくる「こんなに入っちゃってましたー。給食にも混ざっちゃってましたー。」は、ああそうでしたか、で済まされる話ではありません。セシウムで牛肉が一気に注目されましたが、牛肉だけであるはずがなく、最近では新米の流通が始まった米や、野菜などに比べて検査がザルである魚介類、放射性物質を多く取り込みやすいキノコ(主に野生の)などが、とりわけ注意すべきと言われています。米に関しては、汚染度の高い米とそうでない米がブレンドされて出荷されたり、福島や宮城産の米を他県産の米袋へ詰め替えて売られているとかいないとか。魚についても、パッケージの産地記載があいまいにされていたり、(漁獲地ではない)水揚げ港表記の場合があったり、生体濃縮(食物連鎖の影響で魚の体内で放射性物質が蓄積・濃縮される)の問題もあります。あと、わたしが素人ながらに思うのが、チェルノブイリは内陸だったので淡水魚の汚染の資料はあるけれど、これだけ大量に広範囲に空から(フォールアウト)陸から(汚染水海洋投棄)放射性物質が海に注いだことは例がないので、本当に前代未聞。海流がどうの希釈(薄まる)がどうのと読んでみたところでつまりは「こんなこと起きたことないからわかんない!」わけで・・・そこがこわいですよね。ああ、寿司がはるか彼方に行ってしまいました(遠い目)。また、核種もはたしてセシウムだけなのかという懸念もあります。

ま、そういうわけで、引き続き食べ物は「念のため」警戒モードだと思うのです。サバイバルのための食材調達情報は:
OK フードまとめ(汚染の少ないと考えられる食品リスト)
セーフ・フードマーケット(産地の原発からの距離や空間線量がわかる)
 * 含有するベクレルではない
製造所固有番号調べ(生産された工場がわかる)
その他 関連情報:

また、一部の生協(パルシステムなど)や大地を守る会といった宅配業者が頑張って自主検査の項目数を増やしたり、西日本の食材を積極的に集めてくれたりと、意識の高さが見受けられて頼もしいのですが、小売店では独自のポリシーを打ち出すことは難しいようです。わたしの住まいの近くでは、成城石井や紀伊国屋、ナチュラルハウスといったややお高めのスーパーだと、食材の産地が意識されて関西以西になっている傾向があったり、元々輸入食材やオーガニックフードの品揃えを誇っている小売店でもあるので、助かっています。九州や四国のアンテナショップを利用することも増えましたが、比較的割高です。これを考えるといつも、そのうち、消費者の「被曝格差」が所得によって出てきてしまうのではと心配になります。所得の高い家庭はより安全な食材を選べるために内部被曝が避けられ、所得の低い家庭は汚染の懸念がある安価な食材を買わざるをえない、というように。うちもエンゲル係数が記録的に跳ね上がって、厳しい状況ですが、こればかりは出し惜しむわけにはいかないと思っています。このかさむ出費を東電に請求したい・・・くそー。

企業の CSR(社会的責任)という観点を考えれば、卸しも小売りも安全な食品を責任を持って仕入れ、販売することは当たり前なわけで、そこを「当然のことしろ!」と消費者がもっとつついていいのだと思います。食品企業、外食産業、小売店の放射能対策についてのある調査では、多くの企業が政府まかせで後ろ向きの情報公開姿勢であったと。でも、厳密な値まで測れる放射能測定器を購入したり、原料の産地を変えたりと、やっているところはやっている。議員の選挙と同じで、こういった各姿勢を消費者がよく覚えておいて、ダメな企業は注文をつけるなり、意見するなり、ボイコットするなりして、動いてもらえるようにすべきです。そしてよい企業にも、褒めて感謝の声を届ける。消費者の声が一番の圧力だと思います。
食品企業の放射能対策、主要 35社アンケート(東洋経済オンラインより/p.5 に食品企業、p.6 に小売店一覧が掲載)

先日、3.11 から半年の節目に思い出したことばがありました。出典を忘れてしまったのだけど、どこかで読んだチェルノブイリを振り返るヨーロッパの女性の発言を最後に紹介します。
「はじめのうちは汚染された食べ物は摂らないように一生懸命気をつけていたのです。でも半年後、1年後、汚染度がますます激しくなったにも関わらず、それを口にしてしまう・・・放射能汚染の恐ろしさは、人間の注意力や忍耐の限度を超えたところにある。」
これは「放射能」自体との長期戦なのではなく、自分自身のメンタルとの闘いでもあるのだと痛感したのでした。負担にならないように緊張感を継続させるというのはひとりでは難しい。だれか同じ価値観を共有できる家族や仲間といっしょに、目標(子どもをまもり抜く!など)を堅く持って進むことが、突破のキーかもしれません。

【 追記 9/19 】
★ 必読 ★ 毎日外食するとどうなるか? たまに汚染食品を食べても大丈夫か? ND レベルの汚染食品を毎日食べ続けるとどうなるか? などのシュミレーション:「放射線衛生研究」。蓄積の意味がわかります。放射線を研究している方によるもので「暫定基準値の甘さをバンダジェフスキー博士の研究におけるセシウムの毒性に照らし合わせ、非常にリアルに計算している」と識者からも RT されていましたので、参考にできるかと思います。気が引き締まるな・・・。