夫は日本の人ではないので、いつかは日本を出るつもりでいました。国をまたいだ引っ越しが人生の中で何度か起こるであろうことは、外国人をパートナーに選んだ時点でくっついて来た必然です。こんな前代未聞の災害に襲われた今じゃなかったら一体いつなんだ?というのもあったし、丁度うちの子が日本の小学校にあたる primary school 入学の時期だというのもあり、この夏のタイミングとなりました。あと、自分も夫も仕事面で環境を変えるチャレンジがステップアップ/キャリアへの刺激になるのではないかという考えもあったし、(夫にとっては母国だけど)わたしが今度は外国人になる側で、そういう試練(?)も自身の成長のためかなと(ちなみに「外国人」という点では、移住者がレアではない UK と違って、日本で外国人として暮らす方が厳しかったはず)・・・ということで、震災が大きな理由ではあるけれど、それだけに押されたわけではありません。そう決めつけたくない部分もあるからかもしれないけれど。すべてはタイミング。好機に結びつけられるものは、すべてする!
バタバタで自分のビザの手配や引っ越しの準備をはじめ、家を出る1分までパッキングをしていたようなカオス状態で飛び出たのですが、いざリビングを出て荷物を手にして玄関に向かうとき、住み慣れた家を見回して家族全員で抱き合って泣きました。別に強制移住させられるわけじゃなくて自分たちの選択なのに、やはり人とも、物質とも、場所とも、別れというのは悲しさを伴うものでした。大好きな家と街でした。ここでもまた、長年暮らした場所を突然奪われて戻ることもできないという福島や被災された方々の苦悩を想像し、この自分の比ではないと胸が苦しくなりました。ふたたび、腹もたちました。原発、ぜったいなくしてやる!(← 必ずここに着地)。
何かを掴んだグーの手のまま、新たに何かを掴めないように、大小はあっても必ず何かを手放して失わなければ、新しいものは手に入らないんだなと改めて思いました。
こっちにきてから、もうすぐ2カ月が経とうとしているのですが、物理的にというより精神的に落ち着くまで時間がかかりました(かかっています)。他の国で暮らすのは初めてのことではないし、10年ほど前から一時的にこちらにも何度も来ていたのだけど、その時よりもやはり生活の軸を移す大きな移動だったので、今までに感じたことのない小さな不安や不満がひと月ほどうずいていました。日本にはもう二度と戻らないのかなぁと考え込んでみたり、生活の中の些細な不便さを不満に思ったり。
福島第一原発が爆発した直後の昨年3月半ばに、ひと月こっちに来ていたときも感じた「(自分だけ安全圏に逃げてきた)後ろめたさ」のような気持ち、今回の移住でも少し感じています。誰にも責められていないのに、なんなんだろ。その自分の気持ちを打ち消すべく、そしてやっぱり自分の母国が健全であってほしい、子どもにも日本のことを忘れて欲しくないしアイデンティティを保っていてほしい、いつか戻れることがあれば懸念なく戻ることのできる場所であるように・・・と思うので、原発の問題の解決にこちらからできることをしていこうと思っています。
それともう1つ、意識していきたいのは生活のダウンシフト*です。日本でも個人の生活のダウンシフトはできたはずなので、そのために環境(国)を変えるなんぞ贅沢な話なのだけど、こちらでの生活の方が断然そうしやすい気がします。ダウンシフターとなることは、震災後、日本人の多くがひっかかった「これから生活を少し変えていかなければならないのでは」という漠然とした感情の具体的な出口だと思っています。これまで「便利さ/快適さ」の追求=豊かさであったのが、震災で人間の命や暮らしの中の物質を突然喪失する体験や、エネルギー問題への注目を機に、ずっと当たり前のように掲げられて来た「経済成長」に疑問符がつきました。いつまで経済は成長しなければいけないのか。いつまで電気を湯水のように使いつづけるのか。もう実は十分成長しているのでは・・・。【知るを足る】必要以上追い求めずほどほどで満足する、それが新しい時代の豊かさなのだと思います。利便性(例えば交通機関やインターネットの遅さとか些細なこと)を日本と比べてこちらの環境を不満に感じたのは、よいきっかけでした。便利さにおいては他国の水準が低いんじゃなんくて日本が高水準すぎるわけなので、それに甘んじてるとほんと感覚が鈍るので、照準を「ほどほど」に合わせ直して、徐々にダウンシフトをしていこうと(急には難しいだろうから、無理せずゆっくりと)。この個人的な試みの報告もしていければと思います。 
カタい話でなく、単にこちらの暮らしの珍体験(?)や土地の紹介を呑気に綴ることができればいいんだけどな。徐々にそうしたいと思っておるところです。 
【 Word 】ダウンシフター/ダウンシフト:消費を減らし、(たとえ収入が減ったとしても)労働時間を短くして、家族やコミュニティ、環境など、「より大切なこと」に時間をあてて関わることで、生活が充足する。生活のペースを下げて今よりもゆとりのある生活にシフトするという考え方。欧米やオーストラリアなど各国で広がりつつある - 中国は真逆な感じしますが)。世界の中にはもともと急がないのんびり時間の「天然ダウンシフト」な国や島があるから、先進国内でのコンセプトなんでしょね。
 
 
 
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