きっと今年は人生の中のひとつの大事な岐路なのだろうと思います。昨年から移住の話はずっとありました(震災と原発事故がほんの昨年だというのが信じられないくらい、数年前な感じすらしますが)。周辺の外国人の知人友人の半数以上が昨年のうちに国に帰っていたけれど、わたしたちは「外の要因に迫られて引っ越すのは非常にしゃくである」として、越す時は自分たちのタイミングで越そうと決めました。
越すことにまっすぐ向かい合うまでに時間がかかりました(だから越すと決めてからのひと月半ほどが、すごいスピードで、周囲にご迷惑をおかけしたのだけど)。主に夫の仕事の理由が大きかったけれど、やはり生まれ育って生活を築いてきたところが心地よかったから。そして被災地の方たちと何も被災していない自分を比べて、贅沢だとも思いました - どこか越せる先があるということ。家族や家財が無事で、なにも失っていないということ。福島などから自分の住む町へ「移住」してきた方々もいるということ。
東京が 3/15のプルームで放射能汚染されたというのは事実だし、いまだに汚染地である認識をしています。それでも、そこで遊び場や食品にできるだけ気をつけて気を張って1年半過ごし、今年に入ってからは地震の活動期(関東の地震)や事故前と同じ構え方で運営され続ける原発への危惧も増してきました。これまで調べてきた中で、今後の地震の可能性・想定や汚染の度合いなどを見て、東京はかろうじて暮らすことのできる場所であるという判断をしていましたが、そうするならそれなりの備えと心構え(覚悟)が必須だと思いました。それも結構な間、ゴールがなかなか見えないままで。わたしは(放射能汚染にも地震にも)自分の注意力がおそらく持たずに、年月を経るごとに緩くなっていくだろうと思いました。子どもをその2つのリスクから守り抜くことができるだろうか?というのが一番の問いでした。大人2人だけの生活であれば、移住は考えなかったと思います。
しかし、その今の日本の放射能汚染と地震被害のリスクから遠ざかったとしても、他の場所にも他のリスクがあります。数ヶ月前に、北京で暮らしている知人が2歳の息子くんと東京に一時帰国して「日本の食べ物は安心して食べられる」と言って、向こうに送る用の食品や衛生用品を買い込んでいました(脱線ですが、放射能汚染を受けて諸外国が正式な輸入を禁じている日本の食品は結構あるんですけどね)。国内の放射能汚染のことももちろんよく知っているけれど、北京の大気汚染や農薬まみれの食品に比べたらマシだと。業務用の空気清浄機を4台も家の中に置いて毎日フル稼働させているけれど、数週間でフィルターは真っ黒で、毎晩寝つく頃には家族全員咳が出ると。空が大気汚染で灰色の日が大半なので子どもを外で遊ばせられる日はほとんどなく、室内に大型遊具を置いて遊ばせ、子どものことを考えて年に数回は日本に "保養" に帰っていると聞いたとき「福島じゃないか」と思いました・・・。度合いと種類は違えど、どこにも必ず存在するリスク。もちろんスコットランドも例外ではないと思います。それぞれの国にそれぞれ異なるリスクはあるけれど、内戦にしても、公害にしても、農薬にしても、放射能(原発)にしても、犯罪にしても、人の手によって生じているものです。そうである限り、時間はかかるかもしれないけれど、人の手によって防ぐことができるし、止めたり抑えたりできるものなはず(だから腹もたつ!)。かなわないのは、地震くらいでしょう。
日本で食べ物に気をつけたりすることは日常になっていたので特別なことと思っていなかったのだけど、こちらに来てから、日本では結構なストレスがかかっていたんだなということがわかりました。無意識に産地をチェックしようと食品の裏をくまなく見るクセが抜けなかったり、芝生で子どもがごろんとしたときに一抹の不安がよぎったり、少し家具が揺れたら地震と間違えて身構えたり・・・。ひとまず、これまでの非常事態モードを解除するところから始めないと。落ち着くまでしばらくかかりそうです。
《つづく》
 

 
 
 
 
 
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