自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2012/03/11

今日の日に

被災地の方たちの携帯電話のフォトアルバムほど生々しく、愛おしく、強烈で切ない記録はないだろうと想像するのです。見たことはないけれど、どんな報道カメラが撮ったものよりも、きっと。3/11 の前からスクロールして、その日をまたぐと、いきなり別世界のフィクションかと見まがう焼け野原のような風景であったり、前日まで頻繁に写っていたひとがいきなりまったく現れなくなったり・・・。

今朝起きてそんなことを思いながら、自分の iphone のフォトアルバムを流し見ていると、去年の 3月で手が止まりました。ひな祭りの日に作った手鞠寿司の写真の次は、まったくからっぽになったスーパーの即席ラーメンの陳列棚。その次は KLM(オランダ航空)の旅客機の水色の機体の写真 − 避難をする日の成田空港。あの一週間の再現ドラマが脳内再生される・・・寝室で子どもに布団を頭から被せながら、ブンブン左右に揺れるとなりのアパートの屋根の貯水タンクを見ていたこと。家の中で一番支柱が太そうな壁の脇に子どもを抱いて数時間座りっぱなしで、繰り返し鳴る地震速報の音を聞いていたこと。それから朝から晩までテレビをつけっぱなしにして、原発事故の状況に一喜一憂しながら輪番停電の茶番に振り回され、気休めでもいいからヨウ素をとトロロ昆布を買い込み、夜は余震を恐れて外着を着て寝ること数日。避難先に飛ぶ機内では『原発肉薄、30トン放水』という見出しの前日のヘリからの落水を伝える新聞を見ながら、「わたしだけ逃げてきた」というような罪悪感にも似たやるせなさ(?形容しにくい)と空しさのような感情でしばらく泣いていた。このタイミングで出国して、果たして家に、日本にまた戻れるんだろうかという、今まで感じたことのない鉛のように重い不安感が拭えず、無力感を感じていた。

そして日本の外に出てから、自分を落ち着かせようとこのブログを書き始める。寝ずに必死にネットで情報をかき集めながら、自分にできることはなんだろうと・・・。

いろいろと知るにつれ、比較すればいいというものではないのだけれど「被災者の方に比べれば、自分はマシだ。何をこんなことで凹んだり文句を垂れてんだ。」という、自分に起こった物事を捉えるとき "被災者軸" が生まれた。この前インドに行ってからも "インド軸" ができたけど、それに少し似ている。でも、インドの体験が一時的な「旅」であったように、そのようなアングルを持ったとしても被災地を解りきれてはいない。先の投稿でも書いたけれど、そういう知ったようなことを言って実はよく知らないという事実に対しても(誰にも責められていないけど)苦しくなる・・・。だから、冒頭に書いた自分の体験なんぞは、書いているうちになんだか申し訳なくなってくるのだけど。

そんなことを思いながら、黒いリボンを安全ピンでとめて簡易の喪章としてカバンに付けた。

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昨日の予告通り、今日は日比谷公園の集会 "Peace on Earth"とそのあとの国会の包囲(人間の鎖)に行きました。日記風になってしまうけれど今日の出来事を:
昼過ぎに日比谷公園に着くと予想を超える人の数に驚く。ステージでは女の子が歌を歌っていた。アースガーデンがオーガナイズしているだけあってアースデイで見かけるエコ・コンシャスな店舗や NGO のブースが並び、晴天の噴水広場を囲んで、なにかの楽しい行事のようにも見えた。つくってきたお弁当を膝に広げて子どもと食べていると、共同通信の記者にインタビューされ、「政府には失望しているけど、国を責めても、民度にあった政治家しか出ないわけで、民度にあった国にしかならないわけで、わたしたちが変わらないと国も変わらない」というような生意気な意見を発言してみた(でもこれをフォローするような「政治を軽蔑する人は、人から軽蔑されるような政治しかつくれない」という寺山修司の言葉の引用をさっき Twitter で見て、やっぱそうだよな、とひとりで確信)。そして最後に「これから希望が持てると思うことはなにか?」という質問・・・少し考えてから「この場所にいる、大勢のひとたちじゃないですか」と答えた。311 を機に立ち上がり、声をあげているひとたち。それ以外にポジティブなものはなにも見つからない。去り際に「メディアもしっかりね」と目を見て言うと、若い記者さんは少したじろいだように見えた。

そのあと事件が起こる。日比谷公園から出発するデモの集合場所付近に向かい、その近くのお店のブースの工作(麻の端切れに絵を書く)ワークショップをうちの子(4歳)がやりたいというので、席に座らせ、ほんの少しだけ隣の店を見てきて戻ったら・・・いない。
うちの子がいない!!さーーーっと血の気が引く。
その日の日比谷公園は数千人(主催者発表は参加者約1万人)。園内びっしりの人だ。ブースの女性も詰め寄るも、どこかに走って行っちゃった、と。人生で一番のパニック。20分ほどだったか(どれくらい経ったか記憶にない)大声で子どもの名前を叫び続けながら、まったく恥も外聞もなく、公園中を走り回る。あまりの取り乱しぶりに、イベントの事務局の方が(わたしの大声を聞いて)「迷子としてこちらでも動員して探しますので」と子どもの特徴と電話番号を控えてくれ、見ず知らずのおばさんや同年代の母親層の女性も「わたしもいっしょに探します」と何人か話しかけてくれた(日本も捨てたものではない)。デモで待ち合わせていた友人にも涙声で電話をして捜索に協力してもらう。

子どもが惹かれていきそうな遊び系ブースを周り、遊具のあるエリアを確認して息を切らして噴水エリアに戻った瞬間 2:46 になり「黙祷」のアナウンス。そうだよ、今日はこのために来たのではないか。なんで今わたしは別のことを必死に祈りながら走っているんだろう。さすがにこのサイレンスの中で子どもの名前を叫べず、目をつむりながらひたすら走る。一カ所、お弁当を食べたあとに立ち寄った顔見知りのいる NGO のブースがあったのを思い出し、人ごみをくぐりぬける時間を惜しんで、そのブースの裏にまわり込んでテントをまくりあげると、うちの子のコートのフードがちらっと見えた。・・・脱力。

名前を叫んで、泣きながら叱る(泣いてるのはわたしだけ)その剣幕に子どもが泣き始める。そこは、はぐれた場所から子どもの足ではかなり距離があったので、まさかそこまでひとりで行っていないだろうと思っていた。その帰巣本能と強さには関心するけども!そこでうちの子と遊んでくれていた知人によると、なにも動揺した様子がないのでてっきりわたしがここに居るようにと指示をしたのだと思ったと。それで、黙祷の時間にはイスに腰掛けて黙祷もしていたのだそうだ。こっちが血相抱えて走り回っているときに!!そりゃ黙祷したのは褒めたいけども!

日比谷公園中がうちの子の名前を知ることになったとさ。

なぜこの迷子事件を細々と書いたかというと(こんなことを気軽に言うのは不謹慎だと思うけれど)311 という日もあいまって、探しまわっている間中、なんだか子どもの喪失疑似体験みたいな感じがしたのだ。つい昨日、子どもの喪失について書いたばかりだったし。ただ、どうしようどうしよう、というのに加えて、今日という日にこれを経験していることがすごく異様で気持ちが悪かった。頭の中がいろいろなことでぐちゃぐちゃになって、精神的にものすごい消耗だった。今日は朝から元々そんなに明るい気分じゃなかったのに、それに加えてこれ、ですよ。今思い出しても胃が痛くなる。

その激動の再会のあと(デモに出る前からげっそり憔悴・・・)日比谷から銀座を貫く長距離デモ(脱原発東京大行進)を歩ききり、そのあと夕暮れの国会議事堂包囲まで行きました。我が子よ、よくやった。すんません、迷子事件の衝撃のせいでメイン行事がそんな2行の報告に・・・。

国会の人間の鎖もすごい人で、これも1万人超の参加があったと。国会前(といっても向いの歩道)は二重三重の包囲になっていました。オーガナイズされた方々、ご苦労さまでした。人々がキャンドルを掲げてつながる瞬間に、これまた「おしっこ行きたい」・・・小雨がぱらつく中、国会議事堂前駅のトイレ目指して、車道をお巡りさんと一緒に疾走。最後の首相官邸への申し入れまでは行けなかったけど、そんなこんなありながらもヒューマンチェーンまでできて本当によかった。もっとこういったダイレクトアクションに参加してくれる人たちが増えればいいのだけど。国会前のあの人々は、人数といい熱気といい希望が持てる気がしました。お昼のインタビューへの答えは間違ってなかったかな。

帰り道、ぐったりしながら本屋に立ち寄りました。どうしても今日の日に買って読み始めたい本があったから。津波被災地と救援について、そしてアクション(人々の起こす行動・活動)についてヒントがもらえそうな本です。早く読んでここに報告したいと思っています。

次は、その本とは別に、これまでのデモについて、あれこれまとめます。

【 追記 3/12 】
Human Chain - 人間の鎖 -(写真多数)/ 脱原発スモールアクション

各国と全国各地で 11日に行われた原発に反対する集会は、東京で合計 45000人、福島で 16000人、京都や大阪でも各 6-8000人、福岡で計6000人、札幌や広島、高崎、神戸などで各 2000人など(いずれも主催者発表)日本全国で合わせて 10万人を超えるアクションがあったとのことです。

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