2011/09/29
木を見て森を見ず・その1
疎開の意味もあって国外にいた先月に、放射能フリーの食材(ヨーロッパではまだチェルノブイリの影響を受けている食材も存在するので、そうとも言い切れないのだけど)に囲まれ、いくらか食材選び格闘の日々から解放されたこともあり and 和食が少なくなってバランスのいい食事をきちんとつくる努力を怠っていたため、子どもが喉の感染症にかかってしばらく高熱が続くということがありました。気候の違いなど、もちろん他の要因もあったのだと思うのだけど、すぐに思ったのは「ろくなもん食わしてなかったな」と。めったに具合が悪くならない子なので(ますます)なんとなく自分のせいだと反省していたのですが、このことでつくづく実感したのが「1つのリスク回避に集中しすぎると、他のリスクを見落としてしまって総合的にリスクを高めてしまう」ということです。こういうと自分や子育てに厳しい人のようだけど(まったく逆の性格のくせによく言いきれるなぁ、自分)いやはや、ベクレルからの開放感でスナック菓子食べさせ放題でなかったかと。
西日本の食材はまだ汚染されていないからとにかく西のものを!という自分を含む放射能コンシャスの母親たちの動きがある中で「九州は黄砂(放射性物質を含んでいる)の影響が強いの知ってる?」と水を差してくれたお母さんがいて「んじゃ、どこのものを食やーいいんだ」という話になりました。ナイス水差しです。そう、ゼロリスクは幻想なり。チェルノブイリ以後設定された輸入食品向けの基準値 370Bq をすり抜けている海外食材も然り(しかも今、国内の暫定基準値と輸入食品の基準値が違ってしまっているから、というおかしな理由で都が輸入食品の放射能検査を中断中!)、輸入食品でも安全とは言い切れず・・・ こういった情報を与して、とにかく「安全圏と思われる産地内でローテーションして、特定の地域(及びメーカー)のものを食べ続けない」ことがリスク回避だというシャッフル論が確立されたのでした(わたしの中で)。イヤな言い方だけれど完璧に安全なものを探求するのではなく、どれだけ毒を分散させるか、ということです。
国内の放射能汚染に関しては汚染瓦礫の焼却を日本全国各都道府県で受け入れる動きがあるため、今後遠く離れた西日本でも放射性物質が各地域に散らばる可能性もあります。もちろん被災地のために瓦礫処理に協力すべきだとは思うけれど、東北には汚染されていない瓦礫もあれば汚染されている瓦礫もある。汚染状況はきちんと事前に正確に検証され、判断されるべきです。瓦礫のみならず、汚染されたものすべては一定のエリア内から外に出さない、汚染地域を広げないということが鉄則中の鉄則であるはずなのに、現状は真逆です。
ちょっと脱線しましたが、食べ物のリスクといえば、わたしが実感した栄養の偏りによって免疫が落ちてしまうことだけでなく、遺伝子組み換え食品、添加物、農薬、食中毒、アレルゲン・・・と気にしだせばキリがないし、今この状況の中では多少農薬にまみれていても放射能汚染がわずかであろう九州産を取る!とリスクの選択をしなければならないこともあると思います。汚染食品から身を守るときの線引きは、それぞれの価値観が関わるリスク管理なので、何が正解というのはありません。その中で、他のリスクも世の中には存在するということを忘れず大局的に見ることは大事ですよね。「小さな木」と言うには、放射能の影響はやや巨木な気もしますが・・・。
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2011/09/23
コンセントの向こう側
9月19日、東京でふたつのデモが行われました。明治公園の集会から出発した「さよなら原発5万人集会」は、結果的に 6万人を越える(主催者発表)最大規模のデモとなり、警察により隊列が分断されたので 2時に始まったデモは夜まで連なっていたようです。子連れなこともあって、ルートの途中からこのデモに参加しました。久々の古典デモ(のぼり旗シュプレヒコール系)は、なんだか航海しなれた大型船に乗っているような安定感(?)がありました。6万の動員は、さようなら原発1000万人アクションが母体となり古参グループたちが全国を繋いでまとめあげたイベントに、新しい世代のネットワーキングがいっしょに働いて生まれた結果だと思います。大江健三郎さんなどが参加されたことのバリューもありました。福島からたくさんの方々が団体で来られていて、登壇された方々の中では、福島のハイロアクションの武藤類子さんのスピーチが響くものだったので一部を抜粋します。
毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。様ざまな苦渋の選択がありました。
そしていま、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、事故は未だに終わらないのだ、福島県民は核の実験材料にされるのだ、莫大な放射能のゴミは残るのだ、大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ、私たちは捨てられたのだ・・・ 私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
でも口をついてくる言葉は、私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな・・・です。福島県民はいま、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親が、父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが。自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。大量の被爆に晒されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者たちが。土地を汚された絶望の中から、農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が。一人一人の市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと、声を上げています。 私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地に留まり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに、注目してください。政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、原発と放射能についての学び。そしてどこにでも出かけて、福島を語ります。きょうは、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りの、あらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。
もう一つ、お話したいことがあります。それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。私たちは何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いをはせなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。
(中略)
できうることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。」
(中略)
できうることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。」
福島の生の声。どれだけわたしたちは福島の声をリアルに知っているでしょうか。聞いたことがあるでしょうか。先日、わたしが今住んでいる東京西部の市へ福島から避難されてきた方がいると人づてに聞いたとき、ここが「避難先」であることを初めて意識して、考えさせられました。ここも安全圏ではないと、わたしや一部のお母さんたちは日々悩んでいるというのに・・・。都内は福島よりも比べ物にならないほどマシであることは理屈ではわかっていましたが、福島の苦悩は想像を絶する - わたしたちがわかろうと思ってわかるスケールではないのだと思います。きれいごとですが、しかしながら、わからないからといって寄り添おうという気持ちは放棄してはいけない。コンセントの向こう側を、わたしたちはもう知ってしまったのだから。
【 余談 】
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cabin8design
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2011/09/17
ふたたび・食べ物ノート
食べ物の放射能汚染の影響を気にしているかどうか?というと、気にしているという層の方が多いようなことをどこかで聞いたけれど、いまだ放射能の話はタブーなところがある気がします。まったくおかしな話だけれど。気にしていない人が必ずしも原発推進派というようなことはないし、様々な理由があるのだろうけど、ここで原発反対/推進の二極の構図のように、「気にしている人/いない人」で相容れないままパラレルで進むのも不毛なことだと思います。これには「科学的/非科学的」な対立も関わってくるのですが(これに関しては多く書くことがあるので)近いうち投稿するとして、ここでは、最近の食べ物と汚染の情報についてまとめます。

海外では日本からの輸入品は厳しい放射線量の規制値が設けられ、国内に入らないようにはじかれているそうです。半年経ったいまも、呆れるほど高い暫定基準値はまだあのまま。いつまで「暫定」なんでしょうか(参考:「まったく安全ではない食品の暫定基準値と内部被曝」)。未検出が多いのはいいことだけれど、検査システムはもちろんサンプル調査であって全量調査ではないわけで、行政の検査体制は疑問が残ります(参考:検出・不検出のしくみ/市民調査団体で検出続出、福島県発表は不検出)。加えて、たまに後出しで公表されてくる「こんなに入っちゃってましたー。給食にも混ざっちゃってましたー。」は、ああそうでしたか、で済まされる話ではありません。セシウムで牛肉が一気に注目されましたが、牛肉だけであるはずがなく、最近では新米の流通が始まった米や、野菜などに比べて検査がザルである魚介類、放射性物質を多く取り込みやすいキノコ(主に野生の)などが、とりわけ注意すべきと言われています。米に関しては、汚染度の高い米とそうでない米がブレンドされて出荷されたり、福島や宮城産の米を他県産の米袋へ詰め替えて売られているとかいないとか。魚についても、パッケージの産地記載があいまいにされていたり、(漁獲地ではない)水揚げ港表記の場合があったり、生体濃縮(食物連鎖の影響で魚の体内で放射性物質が蓄積・濃縮される)の問題もあります。あと、わたしが素人ながらに思うのが、チェルノブイリは内陸だったので淡水魚の汚染の資料はあるけれど、これだけ大量に広範囲に空から(フォールアウト)陸から(汚染水海洋投棄)放射性物質が海に注いだことは例がないので、本当に前代未聞。海流がどうの希釈(薄まる)がどうのと読んでみたところでつまりは「こんなこと起きたことないからわかんない!」わけで・・・そこがこわいですよね。ああ、寿司がはるか彼方に行ってしまいました(遠い目)。また、核種もはたしてセシウムだけなのかという懸念もあります。
ま、そういうわけで、引き続き食べ物は「念のため」警戒モードだと思うのです。サバイバルのための食材調達情報は:
・OK フードまとめ(汚染の少ないと考えられる食品リスト)
・セーフ・フードマーケット(産地の原発からの距離や空間線量がわかる)
* 含有するベクレルではない
・製造所固有番号調べ(生産された工場がわかる)
その他 関連情報:
・野菜の作付けと汚染について
また、一部の生協(パルシステムなど)や大地を守る会といった宅配業者が頑張って自主検査の項目数を増やしたり、西日本の食材を積極的に集めてくれたりと、意識の高さが見受けられて頼もしいのですが、小売店では独自のポリシーを打ち出すことは難しいようです。わたしの住まいの近くでは、成城石井や紀伊国屋、ナチュラルハウスといったややお高めのスーパーだと、食材の産地が意識されて関西以西になっている傾向があったり、元々輸入食材やオーガニックフードの品揃えを誇っている小売店でもあるので、助かっています。九州や四国のアンテナショップを利用することも増えましたが、比較的割高です。これを考えるといつも、そのうち、消費者の「被曝格差」が所得によって出てきてしまうのではと心配になります。所得の高い家庭はより安全な食材を選べるために内部被曝が避けられ、所得の低い家庭は汚染の懸念がある安価な食材を買わざるをえない、というように。うちもエンゲル係数が記録的に跳ね上がって、厳しい状況ですが、こればかりは出し惜しむわけにはいかないと思っています。このかさむ出費を東電に請求したい・・・くそー。
企業の CSR(社会的責任)という観点を考えれば、卸しも小売りも安全な食品を責任を持って仕入れ、販売することは当たり前なわけで、そこを「当然のことしろ!」と消費者がもっとつついていいのだと思います。食品企業、外食産業、小売店の放射能対策についてのある調査では、多くの企業が政府まかせで後ろ向きの情報公開姿勢であったと。でも、厳密な値まで測れる放射能測定器を購入したり、原料の産地を変えたりと、やっているところはやっている。議員の選挙と同じで、こういった各姿勢を消費者がよく覚えておいて、ダメな企業は注文をつけるなり、意見するなり、ボイコットするなりして、動いてもらえるようにすべきです。そしてよい企業にも、褒めて感謝の声を届ける。消費者の声が一番の圧力だと思います。
・食品企業の放射能対策、主要 35社アンケート(東洋経済オンラインより/p.5 に食品企業、p.6 に小売店一覧が掲載)
先日、3.11 から半年の節目に思い出したことばがありました。出典を忘れてしまったのだけど、どこかで読んだチェルノブイリを振り返るヨーロッパの女性の発言を最後に紹介します。
「はじめのうちは汚染された食べ物は摂らないように一生懸命気をつけていたのです。でも半年後、1年後、汚染度がますます激しくなったにも関わらず、それを口にしてしまう・・・放射能汚染の恐ろしさは、人間の注意力や忍耐の限度を超えたところにある。」
これは「放射能」自体との長期戦なのではなく、自分自身のメンタルとの闘いでもあるのだと痛感したのでした。負担にならないように緊張感を継続させるというのはひとりでは難しい。だれか同じ価値観を共有できる家族や仲間といっしょに、目標(子どもをまもり抜く!など)を堅く持って進むことが、突破のキーかもしれません。
【 追記 9/19 】
★ 必読 ★ 毎日外食するとどうなるか? たまに汚染食品を食べても大丈夫か? ND レベルの汚染食品を毎日食べ続けるとどうなるか? などのシュミレーション:「放射線衛生研究」。蓄積の意味がわかります。放射線を研究している方によるもので「暫定基準値の甘さをバンダジェフスキー博士の研究におけるセシウムの毒性に照らし合わせ、非常にリアルに計算している」と識者からも RT されていましたので、参考にできるかと思います。気が引き締まるな・・・。
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2011/09/05
8月、矢の如し
ご無沙汰です(だれに?)。
ここにまったく何も綴らない間、空白の8月、ずっと国外にいたのですが、ゆっくり休暇なんて言えたならどんだけいいか・・・単に環境が違うだけで、休む間もなく仕事の締め切りに追われていました。なにやら特訓合宿のようでした(涙)。毎日リサーチをして「放射能・原発」から一日たりとも離れることはなく・・・気候が涼しいのと、外気や食料に関して心配がないというのだけは助かったけど。やれやれ。
さて、この間に、進展・後退、いろいろありました。自分の記録としてのまとめに過ぎませんが(活動家ワールドだけのトピックかもしれないけれど); 7月末に東大アイソトープ総合センター長の児玉教授の怒りの質疑@厚生労働委員会が話題となり、例年と少し違うヒロシマとナガサキの日があり、北海道の泊原発をこの期に及んで動かすことになり、菅首相が辞め、まだ国が非常事態だというのに悠長に新しい内閣が発足しました。なにか見落としてる(?)偏っているでしょうが、そんなところです。夏休みが終わっても、福島の除染や人々の避難はあまり進まず、福島のこどもたちはガラスバッチ(線量計)をつけながらの新学期が始まりました。ガラスバッチはどれだけの外部被曝量なのか自分で知ることもできないうえに、3ヶ月首に下げてから回収され「調査」されるとのこと。そんなものをつけさせながら子どもを登校させ、強制避難区域並みの線量下に留まらせ続ける国は他にはありません。低線量被曝の人体実験が福島で行われているという声もあります。
食の安全に関してのアップデイトとひと月分のまとめもあるのですが・・・それは次回にするとして、とりあえず近々のこと。来る 9月11日は、NY の 9.11 から 10年目の日でもあり、3.11 から半年の日でもあります。各地でデモがあります。ぜひアクションを!
先日、知人のイギリス人の記者に短いインタビューをさせてくれと頼まれて受けたのですが、質問のひとつに「この原発関連の一件で、一番恐れていることは何か」というのがありました。「もちろん家族の健康に危害が及ぶことだけれども、それを除くならば、日本人がこの原発事故で表面化したすべてのことを忘れて、何ごともなかったかのように 311 以前の考え方や生活に戻ってしまうこと、これだけの犠牲のうえに結局何も変わらないことが一番怖い」と答えました。「正しく怖がる」という言葉をよく聞くけれど、難しいものです。怖がりすぎることも体によくないけれど、向き合いたくない暗い難題に向き合わなければ、もっと恐ろしいことが待っています。わたしたちが、あの桜の咲く前に全身で感じた恐怖や悲しみや怒りを、継続してもたないと、なにもかも元に戻ってしまう。「みんなはやく忘れないかな〜」とそれを虎視眈々と待っているワルイ人たちもたくさんいます。
いま、3.11 をきっかけに動き始めた人たちに、疲れが出はじめているような気がします。古参の活動家さんたちはさすがにあまり浮き沈みはないのだけど、はじめにガーッと走っちゃうと、やはり疲れは出ます。そういうときは休んだ方がいい。休み休みでいいから、とにかく長期的に続けることの方が大事。忘れないことが、とにかく大事。
久々の投稿に寄せて and 9.11 に向けて:
「息の長い(脱原発)運動のために/バーンアウトを回避するためのヒント集」・・・バーンアウトとは、燃え尽きてしまうこと。「運動疲れ」は今始まったことではなく、運動にはつきものなのです。* ここでいう運動はエクササイズのことではなく、市民運動のことです(念のため・・・)。
・Sustainable Activism and Avoiding Burnout (英語オリジナル PDF)
・日本語訳版オリジナル by フェミニスト+クィア ユニット
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cabin8design
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