
先週末にふたつのイベントに行きました。ひとつは前にもここで紹介した経産省前「女たちの座り込み」。ひとつはうちの住いに近いエリアで行われた
「パパママぼくの脱原発ウォーク」。
座り込みは、10月の末までの数日、最初に「福島の女たち」があり、「全国の女たち」へバトンを渡し、11/5が最終日でした。「全国〜」の方は毎日 200人近くの来訪者があり(福島の女たちの時はさらなる盛り上がりだったようです)、ほんの少しだけ運営サイドのテントでお手伝いさせてもらったのですが、運営されている方々のエネルギーが力強いだけでなく、来られる方々のサポートも暖かくて、よい雰囲気でした。差し入れの食べ物が溢れていて、子どもと2人ですっかりまかなってもらっちゃいました・・・ごっそうさんでした。
(【写真上】本部テント前。この角から左右に広がる道の、経産省の門への道ばたに参加者さんが続いて座っている。向かって右のテントは今回の座り込み拠点とは別で、
「経産省前テントひろば」として9月から(なんと)原発をとめるまで、24時間体制で張っているそうです。【写真中】道ゆく車にゆらゆらとメッセージボード「安全大ウソ・原発を全部止めろ」を掲げて踊るおばぁ(古参アクティビストとお見受けしました)。【写真下】うちのチビ・アーティストが現場で作成した応援旗。)
実はこの全国の女たちの座り込みの呼びかけ人の友人から、チラシが味気ないのでイラストを提供してくれと言われ、適当に描きなぐって(すんません)出した絵が、カンパをいただいた方へ差し上げる布バックになったと聞いて、それも楽しみに伺ったのでした。ステッカーもつくられていて、いつの間にやらグッズ化が進行!(・・・もうちょっとちゃんと描けばよかった)。そんな絵ですが「女たちの意気込みが伝わってくると好評です!」とお礼をいただいてしまい。あんなに大活用していただいて、こちらこそありがとうございました。バッグは紺とオレンジの2色!
やはり女性主導の抗議スタイルが、現場の強くも暖かい雰囲気を生んでいるんだなとつくづく思いました。座り込み中編み物を編んだり縫い物をしたり(それをプロテストに使ったり)甘いものをつまんだり、歌ったり踊ったり・・・とてもピースフルに、断続的につむがれる抗議。その声を横に、経産省の役人は無視を決め込んでタバコをふかしたり、右翼の街宣車は煽りに来たり。男たちは何をやっているんでしょうか・・・対話すらできないことが空しすぎます。ある
ブログでは、女たちのプロテストについて「参加者たちは、100人いればそれこそ100通りの方法で様々に反原発をアピールした。すべてを自分たちで話し合いながら一から手作りで築き上げ、何ものをも恐れず、言ったことは必ず最後までやり通すという有言実行で信頼と共感と前進を勝ち取った。男性主導の運動にありがちな日和見主義や、やるといっておいてやらない「有言不実行のマニフェスト詐欺」や「お前は○○派だろう、あっちに行け」などという見苦しい足の引っ張り合いなどみじんもなかった」と評価しています。
デモのような一過性のものもいいけれど、好きなときにビジターの都合で訪れて集えるホームベースを皆求めてたのかな、と思いました。女たちのテントは話を聞いてくれるお母さんのいる場所のようでもありました。同じ志を持つ人たちが語り、下がり気味の士気のレベルを少しあげてくれる場所でもありました。この場所が新宿だかそこらのビルの一角の部屋にあってもこうはなりません。まさに敵陣の目の前に対峙する場所であるからこそ、人々が全国から足を運び続けた(る)のだと思います。先月6日、小さな共和国のようになった NY のウォール街の占拠
Occupy Wall Street で、ナオミ・クライン(半グローバリズムの代表的論客)は、ひとつの場所に腰を下ろした運動の本質をこう定義したそうです《 あなたたちが居続けるその間だけ、あなたたちは根をのばすことができるのです ... あまりに多くの運動が美しい花々のように咲き、すぐに絶えていくのが情報化時代の現実です。なぜならそれらは土地に根をはっていないからです 》。
外に出ること。実際に動くこと。話して繋がること。
一方、デモでも座り込みでも講演会でも、どこかに集うことは、集った結果の人数や盛り上がりよりも、それぞれが、いろいろと思いながら、各自の家から集う現場へ向かう行程に意味があるようにも思います。バスの中で、銀座線の中で、東横線の中で、それぞれの胸の内ある気持ち。行こうと思っていて行けなかった人々も含めて、その集いに向けて1日の中で思う数分。
集って歩くことも、集って座り込み話すことも、意味のないただのお祭り騒ぎと思いますか?霞が関に行ったことがない方、一度テントひろばを見ておいてもいいかもしれません。そこに迫害されてもテントがずっとあり続けることを知るだけでもいい。デモを沿道から見る専門だった方、一度勇気を持って中に入ってみるといいかもしれません。どんな方たちが参加しているのか、少し知るだけでもいい。きっとあなたの友だちのような普通の人間です。傍観者だったとしても、とりあえず声をあげる場へ足を運ぼうかなと少しでも思いを馳せた時点で、そのイベントに特別な意味が加わります。それぞれの中でも新しい何かが生まれる。経産省勤務の方がひとりそっと脱原発テントにカンパしたというような逸話は(そのようなことがあったようです)本当に大事で、そういう個人の小さな革命の「点」を繋いで線にして、そして面にして広げていかないといけないのだと思います。
(写真:おまけ・・・井の頭公園から出発した、日曜日の脱原発ウォーク。)
雨にもマケズ、700-800人の参加があったそうです。ファミリーがいっぱいのソフトなデモでした。子どもにも配慮して短めのコース。よく知る街を歩くのは、なんだかおかしな気分でした。