自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/11/26

DRUMS OF FURY

デモが多様化する中で、おそらく一発目の高円寺サウンドデモの流れをくむと思われる「怒りのドラムデモ」というのがあります。とにかくノイズを!というやつ。今日は代々木公園から出発〜代々木公園へ戻る定番コースを回るってことで、前から行ってみたかったので、昔やってたラッパを引っ張りだし(もったいないことに Bach という結構いい楽器なのに 15年くらい眠っていた)、子どもにはハーモニカを支給し、しゅっぱーつ。

ちょっと出遅れたのと、隊列がひとつしかない規模のプチデモだったため、思った以上に早く進んでしまい、渋谷駅前の join ポイントを逃し、ゴール間際の数十メートルだけ合流して歩くという残念なことになってしまいました。連れ出したラッパはかろうじて音は出たものの、低いひょろひょろとした音しか出ず・・・ひとり肩を落とす。しかし、ドラマーさんたちはよい具合に力強い怒りのドラミングをされていて、ゴール後もケヤキ並木にしばらく響いていました。

Last 3 photos : © Sutton-Hibbert

穏やかデモもいいですが、こういった非常にストレートなデモの方が個人的には好きです。だって怒ってるわけだし、怒りの感情というのが一番アクションに結びつくモチベーションだと思う。怒ってるから、電車に乗ってまでデモに行く。怒っているから、休みの日も平日も関係ない。怒っているから、恥ずかしげもなく渋谷で吹けないラッパをならす。怒りの火が収まらない限り、アクションの火も消えない。

2011/11/24

暫定規制値あれこれ

暫定規制値について、いくつかメモです。規制値の正式な改訂が年内に行われると決められたようですが、もうそんなもん誰もあてにはしていません(個人の指標としてはあてにしていないんだが、それに従って学校給食がつくられたり食品の流通が行われていることが問題なんだな)。厚労省は、暫定基準で年間5ミリシーベルトとしている放射性セシウムの年間被曝限度を、新基準値では年間1ミリシーベルトに引き下げる方針を出して、乳児用食品の項目も加えるとのこと。ある程度は評価できるのかもしれませんが、大人の食べ物と同じ材料で離乳食はつくられるわけだし、「乳児」は考慮して「幼児」は無視(大人と同じ)なのは、現実の食生活のケースをきちんと想定しているのか?という印象です。また、この累計の被曝量(年間1ミリ限度)はそれぞれの外部被曝量や、汚染された土壌や枯れ葉の土ぼこり・粉塵を吸いこむなどの内部被曝量は含まれていないし、東日本ではこの「換算されていない分」の被曝はほとんどの人がしています。これを言ってはおしまいだけど、もともと基準自体も流通前の検査で厳しく守られていなければなんの意味もないものですよね。わたしはそこを疑っているので、規制値のニュースを聞いてもフワフワと浮いたどうでもいい話にしか聞こえないのです。

この食品の放射線量の規制値は、チェルノブイリ以降の汚染を被った国々でも当然設定された(されている)わけですが、ベラルーシの規制値をめぐることについて少しご紹介したいと思います。ベラルーシはチェルノブイリ原発事故で国土の23% が深刻に汚染されました。その中でどのように人々の健康を守っていくのか、ベラルーシでは様々なノウハウが蓄積されていくことになりました。政府も(現在の日本のごとく)当初対策がまったくなっていないばかりか、ひどいもので、その中で市民が立ち上がり、自分の身は自分で守るしかないと努力がなされてきたようです。

先日、ベラルーシから学ぶ食品の安全管理というような、とてもいいお役立ちコラム(NHK が放映したものの動画)があったのですが、youtube からは既に削除されていました・・・珍しく NHK が役立つこと言ったと思ったらこれだよ(残念)。覚えている限り、そこで NHK の石川解説委員が説明されていた、ベラルーシの食品の安全管理で特筆すべきなのは、検査体制と生産現場が太く結びついているために、汚染食品がどんどん減っていったということです。それは例えば、食肉で高いベクレル値が検査機関で出たなら、生産元と密に連携し、何が原因でそういう数値が出たのか、エサか?環境か?出元を徹底調査して対策をすると。そこのラインがしっかりと繋がり動くことで、汚染食品は結果減っていき、基準値もそこの状況と見合わせながら(汚染が減少されたと見なせるものは)低くされていった、という経緯があるということでした。日本のように適当に決めた値じゃないんですよね。ちなみにベラルーシでは、全国で公立・民間含めて 860カ所の食品放射能測定所があり、市民が普通に計測しながら食品を購入しているとのこと(その様子も映されていました)。

また、ベラルーシのベラルド放射能安全研究所の副所長、バベンコ氏も「25年前に不幸な事故に遭った国の人々の知恵に学ぶしかない」と、先月講演で伝えています(「自分と子どもを放射能から守るには」講演と一部文字起こし:規制値問題、食品の除染対策などにも触れています)。ベラルーシやウクライナなどのチェルノブイリ事故下の状況と今の東日本について、様々な比較がなされますが、特に食にまつわる状況と内部被曝については簡単に同じと思うべきではないなと、わたしは考えてきました。食文化(日常的に食べる物)や人種の体質、食品の調達先や経済水準とグローバリゼーション(ウクライナでは 1000Bq/L を越えた牛乳を日常的に何年も飲んでいたなど、地産地消の農村が非常に多かった − わたしたちが今している地方からのお取り寄せをネットでオーダー+輸入食材の豊富さもない)、溢れる出来合いの加工食品やレストランの数は逆に今の日本の方がリスクはあるでしょうが。そして、今のわたしたちには当たり前のウェブによるの情報入手・共有なども、当時のチェルノブイリ下の市民にはなかったことです。こういった差異で生まれるリスクもあれば、その逆も、ということを考えると、被曝の度合いなどは比べられない。ここで、チェルノブイリと同様に考えられないから大丈夫、なのではなくて、同じにはならないからこそ怖いのだと思う。そもそも違う事故なんだし(つーか、福島は MOX 入り複数基メルトスルーだかんね)。しかしながら、放射能がばらまかれて食べ物が汚染されたというケースは同じこと・・・言いたいのは、その中で人々が努力して培った対策についてはとことん知るべき、学ぶべきだということです。

脱線ですが、解説委員情報:(NHK の解説委員に注目するのは科学文化部の水野解説委員以来!)前出の石川解説委員は、ベラルーシをはじめ、ロシアのエキスパート。風貌も芸術家風で注目なのですが、最近除染や食の安全などについての的確な解説が増え「チェルノブイリ後にベラルーシ、ウクライナ、ロシアで蓄積された知見をどのように日本で活かしたらよいか、少しでも役に立ちたい」と発言されていて、今後期待です。

【 追記 11/26 】
先ほど、福島市内で収穫されたお米から最大 1270 Bq/kg という暫定基準値を飛び抜けて越えているセシウムが検出されたニュースが。5kg の米袋ならば 6350 Bq(放射性廃棄物かい・・・)。「市場には流通していない」とされていますが、絶対に絶対に流れていないことを祈ります。誰もそこんとこ保証してくれないのだけど。

2011/11/23

他人をまもるということ

3.11以降、放射能と原発についての情報や思考から一日たりとも離れたことのない自分からしてみると、普通に、なにも変わらずフルで回っている周囲の日常を見ると不思議な気持ちになることがあります。3.11 を境にまったく別世界になってしまったとすら感じているのに。福島でなく都下在住だけど、ここに住んでいて子どもを守りきれるかとすら毎日疑っているというのに。先日も最近都下に新築マンションを購入したというママの話を聞き(その人の人生だから自由なのだけど)この今に、迷うことなくこの都内に居住し続けるコミットメント(=住宅購入)をしたことについて本当に驚きました。妊婦なのに、焼き肉とお寿司を食べにいく強者の話も聞きました。

原発作業員の方々の中には(報道されないけれど)明らかに被曝起因の死者が既に出ているようです。しかし低線量被曝の実感というのは、からだに何らかの症状が現れてこない限り、真剣に考えないのだと思います。長期間の低線量被曝はじわじわと蝕まれるものであり、数年後に、ガンなど症状はひとつではなく、様々な症状として現れてきます。その症状も度合いも個人差があるため、被曝との因果関係が証明しにくく、それをいいことをいいことに、政府の被曝の健康被害の補償はうやむやです。補償をもらったとしても子どもの健康が取り戻せるわけではないでしょう。数年後に「あのとき、ああしておけば・・・」と思わないように、今、親がリスクを避けられるだけ避けさせるしかありません。そのリスクについての情報を単に知らないのか、知っていても認めたくないのか、状況を楽観視しているのか・・・わたしには、たとえ友人であっても、放射能汚染に関心を払わないひととの乖離を埋める時間と余裕はもうありません。ごめん。他人に忠告をしても、アクションを起こすまで付き添うことはできません。わたしがおかしくなって(入信?)離れていったと言う友人もいるかもしれないけれど。

先週、遅ればせながら鎌仲ひとみ監督の、上関原発に反対する祝島の住民とスウェーデンの自然エネルギー事情を映したドキュメンタリー「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映会を見に行きました。子持ちの幼なじみの友人に声をかけたところ、平日にパパさんに休みを取ってもらって子守りをお願いしてまで見に来てくれました。原発事故以降、その友人は原発問題をはじめ放射能汚染の警告にも耳を傾けてくれて、幼い息子くんのために食材に気をつけています。わたしの助言だけによる行動ではないし、彼女との価値観が合ったのだと思うのだけど、大切な友人のひとりとその家族がわたしと同じ方向を向いてくれているということは嬉しい。友人たちの身を案じて言葉をかけても、どれだけ響くかはわかりません。提供した情報をどう処理してどう動くかはそのひと次第でコントロールはできないし、度が過ぎれば自分の考え方の押しつけと言われてしまうでしょう。それぞれの人生だ、それぞれの選択だ、と言われたらそれまでです。他人をまもることは、難しい。自分の言葉の非力なことよ。だれかを救えるなんてことは思い上がりにすぎない。だからこそ、その友人のアクションは本当に、本当に嬉しかったのです。ありがとう。

地震も北関東のみならず、中国地方で、日本全国で明らかに活発になってきています。地震自体よりもそれに伴って起こりうることの方が怖い。地震で、いまだに危うい(年内に冷温停止なんて到底ムリ!)福島第一になにかあったら or もうひとつふたつ新たに原発事故が起こったら、日本には食べるものも住むところもなくなってしまう。どこで地震が起こっても、日本全国にくまなく原発や核関連施設があります。年始までに首都圏の地震が起きる可能性もあるというし(予知はあくまで予知だけれど)・・・落ち着きません。とりあえず被曝回避+原発をとめるべし!は変わらずに。

内部被曝についてのおさらいをしようと思ったのに、少し違う話しになってしまいました。それは次回とします。

【 追記 11/27 】
言ってしまえば、子どもも他人です。うちの子は小さいけれど、もし10代くらいだったら、親の「あなたをまもるため」の様々な抑制や行動の指示を聞いてくれているだろうか。子どもも手を離れて一緒にいない時間が多くなれば、食生活や行動をコントロールできないし、厳しく管理したいと考えるべきではないでしょう。でも今、側にいる限りは、わたしの知る限りの知識で、まもろうと思っているからね。

2011/11/07

集うこと

先週末にふたつのイベントに行きました。ひとつは前にもここで紹介した経産省前「女たちの座り込み」。ひとつはうちの住いに近いエリアで行われた「パパママぼくの脱原発ウォーク」

座り込みは、10月の末までの数日、最初に「福島の女たち」があり、「全国の女たち」へバトンを渡し、11/5が最終日でした。「全国〜」の方は毎日 200人近くの来訪者があり(福島の女たちの時はさらなる盛り上がりだったようです)、ほんの少しだけ運営サイドのテントでお手伝いさせてもらったのですが、運営されている方々のエネルギーが力強いだけでなく、来られる方々のサポートも暖かくて、よい雰囲気でした。差し入れの食べ物が溢れていて、子どもと2人ですっかりまかなってもらっちゃいました・・・ごっそうさんでした。
(【写真上】本部テント前。この角から左右に広がる道の、経産省の門への道ばたに参加者さんが続いて座っている。向かって右のテントは今回の座り込み拠点とは別で、「経産省前テントひろば」として9月から(なんと)原発をとめるまで、24時間体制で張っているそうです。【写真中】道ゆく車にゆらゆらとメッセージボード「安全大ウソ・原発を全部止めろ」を掲げて踊るおばぁ(古参アクティビストとお見受けしました)。【写真下】うちのチビ・アーティストが現場で作成した応援旗。)

実はこの全国の女たちの座り込みの呼びかけ人の友人から、チラシが味気ないのでイラストを提供してくれと言われ、適当に描きなぐって(すんません)出した絵が、カンパをいただいた方へ差し上げる布バックになったと聞いて、それも楽しみに伺ったのでした。ステッカーもつくられていて、いつの間にやらグッズ化が進行!(・・・もうちょっとちゃんと描けばよかった)。そんな絵ですが「女たちの意気込みが伝わってくると好評です!」とお礼をいただいてしまい。あんなに大活用していただいて、こちらこそありがとうございました。バッグは紺とオレンジの2色!

やはり女性主導の抗議スタイルが、現場の強くも暖かい雰囲気を生んでいるんだなとつくづく思いました。座り込み中編み物を編んだり縫い物をしたり(それをプロテストに使ったり)甘いものをつまんだり、歌ったり踊ったり・・・とてもピースフルに、断続的につむがれる抗議。その声を横に、経産省の役人は無視を決め込んでタバコをふかしたり、右翼の街宣車は煽りに来たり。男たちは何をやっているんでしょうか・・・対話すらできないことが空しすぎます。あるブログでは、女たちのプロテストについて「参加者たちは、100人いればそれこそ100通りの方法で様々に反原発をアピールした。すべてを自分たちで話し合いながら一から手作りで築き上げ、何ものをも恐れず、言ったことは必ず最後までやり通すという有言実行で信頼と共感と前進を勝ち取った。男性主導の運動にありがちな日和見主義や、やるといっておいてやらない「有言不実行のマニフェスト詐欺」や「お前は○○派だろう、あっちに行け」などという見苦しい足の引っ張り合いなどみじんもなかった」と評価しています。

デモのような一過性のものもいいけれど、好きなときにビジターの都合で訪れて集えるホームベースを皆求めてたのかな、と思いました。女たちのテントは話を聞いてくれるお母さんのいる場所のようでもありました。同じ志を持つ人たちが語り、下がり気味の士気のレベルを少しあげてくれる場所でもありました。この場所が新宿だかそこらのビルの一角の部屋にあってもこうはなりません。まさに敵陣の目の前に対峙する場所であるからこそ、人々が全国から足を運び続けた(る)のだと思います。先月6日、小さな共和国のようになった NY のウォール街の占拠 Occupy Wall Street で、ナオミ・クライン(半グローバリズムの代表的論客)は、ひとつの場所に腰を下ろした運動の本質をこう定義したそうです《 あなたたちが居続けるその間だけ、あなたたちは根をのばすことができるのです ... あまりに多くの運動が美しい花々のように咲き、すぐに絶えていくのが情報化時代の現実です。なぜならそれらは土地に根をはっていないからです 》。

外に出ること。実際に動くこと。話して繋がること。

一方、デモでも座り込みでも講演会でも、どこかに集うことは、集った結果の人数や盛り上がりよりも、それぞれが、いろいろと思いながら、各自の家から集う現場へ向かう行程に意味があるようにも思います。バスの中で、銀座線の中で、東横線の中で、それぞれの胸の内ある気持ち。行こうと思っていて行けなかった人々も含めて、その集いに向けて1日の中で思う数分。

集って歩くことも、集って座り込み話すことも、意味のないただのお祭り騒ぎと思いますか?霞が関に行ったことがない方、一度テントひろばを見ておいてもいいかもしれません。そこに迫害されてもテントがずっとあり続けることを知るだけでもいい。デモを沿道から見る専門だった方、一度勇気を持って中に入ってみるといいかもしれません。どんな方たちが参加しているのか、少し知るだけでもいい。きっとあなたの友だちのような普通の人間です。傍観者だったとしても、とりあえず声をあげる場へ足を運ぼうかなと少しでも思いを馳せた時点で、そのイベントに特別な意味が加わります。それぞれの中でも新しい何かが生まれる。経産省勤務の方がひとりそっと脱原発テントにカンパしたというような逸話は(そのようなことがあったようです)本当に大事で、そういう個人の小さな革命の「点」を繋いで線にして、そして面にして広げていかないといけないのだと思います。

(写真:おまけ・・・井の頭公園から出発した、日曜日の脱原発ウォーク。)
雨にもマケズ、700-800人の参加があったそうです。ファミリーがいっぱいのソフトなデモでした。子どもにも配慮して短めのコース。よく知る街を歩くのは、なんだかおかしな気分でした。