自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2011/10/21

食べ物ノート・なう

だれが読むでもない、低線量内部被曝から身をまもるための「食べ物ノート」シリーズ。続きです(過去の投稿は FOOD のカテゴリキーワードで一覧できます)。

以前にも食べ物における放射能除去の方法などのサイトをリンクしていますが、アップデイト&放射能に負けない体をつくる集約版を見つけました。また、以前の資料に比べたら簡易なダイジェスト版にはなるのだけれど、その放射能除去の復習になるようなブログポストを見つけて読んでいたところ、「食品の暫定規制値はどう決められているか」というところでつい止まってしまいました。分かっていたつもりだったけれど、食品安全委員会が「一年間に被曝しても問題ない」とした値から年間の上限を決めて、品目ごとに割り当てられたものだったんですよね。大人と子どもの許容値が別に設定されているものもあるけれど、そんなの大人の(高い数値)の方でくぐり抜けて流通しているわけだから、子どもの口に入る食卓の間際で測定する術を持たない個々の家庭で、どうしろというのでしょうか。流通している食品は食べ続けても絶対に安全と信じろと?先ほど、グリーンピースがスーパーマーケットの店頭に売られていた魚 60サンプルを検査したところ、基準越えはなかったものの半数以上からセシウムが検出されました。日本に暮らして幅広く食べ物を食べたいのであれば、ベストは尽くして避けるけれども、ゼロリスク(0ベクレルを望む)の理想は捨てないといけないと思います。検査機の検出限界値もあるわけだし。

このゆるゆるの「暫定我慢値」について、しばらく前から「いつまで "暫定" なんだ?」という疑問がいつもひっかかっていたため、厚労省の基準審査課というところに昨日電話して聞いてみました。結果、現在見直しのプロセスの最中で、8月に集めたパブリックコメントを受けて、食品安全委員会が国内の新規制値をつくっているところだと。それが出てき次第、厚労省でとりまとめてできるだけ早く平常時(ん?平常時?)の規制値に戻したいとのこと。目下、経済活動が滞ることを何よりも恐れて、安全より流通を優先させながら街は動いています。そのように平常時を一番装いたいのは国。でもよく考えれば「平常」なわりにはこの食品規制値だけが緊急時のままってのは不都合なはず。はよせんかい!という感じですが、3000件のパブコメの整理に時間がかかっていて、食品安全委員会からなかなか返事が出てこないんだと。パブコメをそんなによーく2ヶ月も読み込んでいただいて結構なんですが、随分悠長ですこと。見直し中であるのに時期的な見通しは分からない(年内か、半年後かも)そうです。核種についても、現在ヨウ素、セシウム、プルトニウム、ウランだけだけど、新基準では他の核種に対しても規制値が設けられるのか?の問いには「検討中」と。結局クリアな返答は何も貰えなかったわけですが。(関連:食品の基準は厳しく見直すと厚労省 / 現在の国の暫定基準値 500Bq/kg は全面核戦争時に餓死を避けるためにやむをえず口にする食物の汚染上限

先日、横浜で高い値のストロンチウムが発見されて話題になっていましたが、散乱している核種がヨウ素とセシウムだけでないのはもう随分前から周知のこと。今回放出された放射性物質は全部で 31種類だそうで(MOX 燃料入りということがチェルノブイリとの差異でもあり、一番怖いところです・・・)。あとは程度の問題。セシウムが結構な値であればストロンチウムもそれなりに含まれていると考えていいようです(ちなみにチェルノブイリときに放出されたストロンチウムの割合はセシウムの1割程度)。一般に普及しているガイガーカウンターではガンマ線核種のみ(セシウム)を拾うものがメジャーですが、ベータ線(ストロンチウム)やアルファ線(プルトニウム)を出す他核種を拾わなくても、セシウムである程度は足跡がたどれると考えていいのだと思います。半減期の長い強い核種は、地面に吹きだまったものが舞い上がって、吸い込んでしまう被ばくも怖いですが(一度地面に降下し、風で舞い上がった放射性物質を取り込んだ場合の内部被曝量は、大気から直接吸入するのに比べて約10倍:時事通信)空間線量が高い場所というのは、市民測定のおかげである程度は目星がつくので、近づかないという対策がとれます。なので、やはり毎日の食べ物経由の内部被曝が一番怖いし、流通させてしまっているから東日本に限った問題ではなく、被曝の危険性は全国に潜んでいます。基準値もその高い設定が問題ではあるのですが、それ以下は市場に出さないようにとわざわざ決めてんだから、まずはそのルールを守ってくれよ、と言いたい。

きのこなんかクレイジーなことになってますが・・・たまに半端なく高い値が出てまさに毒きのこ(マリオが 1機死にます)。食べ物で何に気をつけたらいいか、10秒で友人に伝えないといけない場合、最初にあげるのがおそらくきのこでしょう(続いてたけのこ、ベリー類と補食魚、摂取量の多い米かな・・・)。きのこは東北の露地栽培のものだけでなく、東北産の菌床(おがくず)を使って育てた徳島県のきのこから高い放射性物質が検出されたケースが最近あったし、関東各地でもこの収穫期になって続々と検出されています。腐葉土や瓦礫もそうですが、とにかく放射性物質を人の手で遠くまで移動させんのやめてもらいたい(怒)。

少し戻って、ストロンチウムの内部被曝対策について。アルギン酸を摂るとその体内残留量は 1/8 程度になるそうです。アルギン酸を摂取するベストな方法はもずく(うちの子の大好物ですが)と、知人情報。汚染されていない地域でもずくの名産地といえば沖縄。沖縄産もずくにはアルギン酸がたっぷりだとか。玄米のフィチン酸の成分もストロンチウムと結合して体内に吸収されることなく外に出してしまうとも聞きました(しかしフィチン酸の摂り過ぎによるミネラル欠乏症には要注意)。梅干しとともに食べると、そのクエン酸やアミグダリンという成分の働きも加わり、排泄を促してくれると(フィチン酸以降のくだり by「家庭でできる自然療法」東条百合子著)。体内の酸化ダメージを減らすという、"放射能につよい体をつくる" のに定番の効能があるようです。

最近食べ物の話題を何気なく知り合いと話す中で、気をつけていない人の多さに改めて驚きました。「内部被曝」ももう定着した言葉になってきたけれど、わたしはこれから「低線量内部被曝」と意識して呼ぼうかと。今一番気をつけねばならないこと・・・それはメディアが飛びつく局地的マイクロホットスポットの空間線量ではなく、毎日の食事に潜む「少しずつ」のリスクです(改めて)。

関連・参考リンク:
・【おすすめ】低線量内部被ばくから子どもを守るために PDF(Say Peace Project 発行、崎山比早子氏 監修のブックレット)
・【おすすめ】在日フランス人向け公報 IRSN「食品の汚染に注意」(フランス放射線防護原子力安全研究が発表した、東日本の食品汚染の状況や勧告)

ちなみに「なう」はもう古いんだってさ(と、20代の男子に指摘された)。

2011/10/12

女たちよ!

女たちよ!(って伊丹十三の本がありましたね)伊丹さんは残念ながら関係ないんですけど、女性のパワーについてのおはなしです。


この『3000万の署名、大国を揺るがす 〜第五福竜丸が伝えた核の恐怖』(数年前に放映されたもの)は、昭和29年に起きた第五福竜丸の被ばくをきっかけに、食材や子育てに不安を感じた日本の女性たちが立ち上がり、翌年(昭和30年)の第一回原水爆禁止世界大会での成果へという反核運動の軌跡についてのドキュメンタリーです。「原爆マグロ」という言葉が広がり、魚が売れなくなり、食卓の危機が・・・ 食の汚染に直面している現在と同じ状況です。

今でこそウェブを介して同じ意見を持つ人々の繋がりは広がっていますが、当時はある女性の新聞の投書からネットワークが始まったといいます。
《「原爆の灰がいつ降ってくるかわからない世の中だもの。何が起きたって仕方がないよ」夫は新聞を読みながらそう言う。「原爆をつくることをやめれば」私がそう言うと、夫はあきれかえったように私を眺めていた。仕方がないといいながら何もしない夫の無力な諦めを、私は軽蔑した 》
《 私たちは貧しいなりに安心がほしい / お魚も食べられない、野菜も危険だ、うっかり水も飲めないというのでは、敗戦国とはいいながら、かわいそうすぎる / 雨が降っても魚を食べるのにもビクビクし、深呼吸さえ安心してできないのです / こんなことが度々繰り返されたのでは、私たち日本人は自然滅亡という道をたどるより仕方ないのではないか・・・》

立ち上がったごく普通の女性たちにより、原水爆禁止を求める署名運動が始まります。
「戦争が終わったとき、女に力がないことを後悔したが、今ならはっきりと声が出せる。再び後悔しないよう、正しい態度を取りたい」
・・・女性が参政権を得てから10年たらず、政治活動を行うことが初めての女性ばかりで始まった署名。「名前を書くのに何の意味があるのだ」と言われ、ある女性はこう答えました「黙っているよりははるかに効果があります。沈黙は賛成を意味するからです。」

特定の団体やリーダーが呼びかけたわけでなく、自然発生的に各地で広まっていった署名は、全国に繋がり、世界に広がっていきます。そして、1年後の原水爆禁止世界大会では、当時の日本人の成人人口の半数以上が署名したことになる 3150万筆(全世界では 6億筆)が集まり、核兵器開発競争に一定の制約がかけられることとなりました。(せっかちなアナタは 18:50 - 25:05(動画のタイムライン)の 6分だけでもいいから見てっ!)

ジェンダーを特定すると、一方が(この場合は男性が)排除されたように思うかもしれません。すねちゃったらごめん、男子。核問題を憂いている男性ももちろん多くおられると思います。しかし、このいまの問題に限って言えば、やはりこれまでの原発を推し進める中で男性より女性の不安の声が抑制されていたことや(だから電力会社の PR館は主に母子がターゲット)、原発国策が男性の舵取りだったことなどを思うと、人間として怒りを覚えると同時に女性としてもなにか矛盾を感じませんか。保安院や電力会社幹部に女の人いるんかなー とかね。 311 以前にそういった立場に置かれながらも、ポスト 311 で真っ先に各地で動き出したのが母親たちだったように思います。水爆実験のときのように、誰かが統率するでもなく全国各地で起こった、数多くの「こどもたちを放射能からまもる」目的の母親たちのグループ。振り回されながらも、このままおっさん主導ではいのちをまもれない!と声をあげる決断をした女性たち。この女性たちの動きが勢いづくか衰退していくかに脱原発のすべてがかかってきているような気すらします。男性はいつの間にやら長いものに巻かれてしまいがち。女性は男性よりも「根に持つ」傾向が強い(脳のつくりにそのような違いがあるとか)。こわいですよー。

「女性のあなた、女性の力を」と言われたとき、男性のそれとは異なる響きがします。現代でも社会の中で自らを過小評価しがちな女性たちに「あなたにもできる、あなたじゃないとできない」と奥底のパワーを引き出し、喚起して、それらを集結させる。それは現在の暗闇の中で見ることのできる、数少ない明るい希望のひかりのひとつだと、わたしは思います。

偶然にも、ここ一週間くらいで「女たち」のアクションが立て続けにラウンチされたので、最後にそのお知らせをさせてください。
 (キックオフ集会が 11/23 にあるようです。呼びかけ人が豪華!)
 (経産省前・座り込み決行!10/27 〜 29)
 (福島の女たちに連動して座り込み 10/30 〜 11/5 ...
  "経産省前女子会" はぶっ通し 10日間だそうです。行くかな。)
関西でも、おかんとおとんの座り込みがある模様。おか〜ん。
この秋、女たちの sit-in がアツイ!

関連リンク:
「制御されている私たち 原発推進の内なる空気」(作家 金原ひとみさん) "・・・多くの人が癌で死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。"

(おまけ写真:古文書。おそらく 70s のブックレット。念の込められたタイポグラフィーとキュビズム、誰もまねできないデザインに脱帽。)

2011/10/10

ニュークリア・レイシズム

自分自身への戒めも含めて言っていますが、人の無関心や沈黙が人を殺しているということについて(主に自分への備忘録です)。


今日「ニュークリア・レイシズム」(直訳:原子力によって生まれる差別)という言葉を初めて見ました。上記の記事にも書かれているように、ウランの採掘、核実験、さらに核廃棄物を捨てるところにも先住民の土地が選ばれ、世界各地で先住民族が差別的に被害を与えられているという話です。ウラン採掘による労働者の被ばくはよく知られたところですが、もしご存知のない方がおられたら、是非知ってほしいと思います。原発の燃料であるウランは、主にオーストラリアやカナダなどからの輸入で、遠く離れた外国で、わたしたちの使う電気のために採掘の段階で被ばくしている人々がいます。今回の事故で原発で働く作業員の方々の被ばくがやっと知られるようになりましたが、原発を動かすために、様々な場所で、様々な工程で、ヒバクシャが生まれています。事故が起きて、わたしたちも今被ばくしてしまっているけれど、事故が起きなくてもヒバクシャは生まれていた。この今でも生まれているし、わたしたちが原発を使う限り、ずっと増え続ける。ヒバクシャをつくりだしてきたユーザー(わたしたち)がヒバクシャになってしまったことは、因果応報なのかもしれません。

あまり知られていない繋がりでは、先のイラク戦争で大量に使われた劣化ウラン弾。原発の核燃料を生産する過程で多く劣化ウランが出て、それを用いてつくられます。そのウラン弾でイラクでは本当に凄惨な子どもや赤ちゃんの被害が出ました(本当は写真をリンクすべきなのだけど、自分が悲惨すぎて目を当てられない)。この事実は、わたしも恥ずかしながら最近になってドキュメンタリー映画監督の鎌仲ひとみさんが仰っていて知りました(参考:「ヒバクシャ - 世界の終わりに」)。これも日本の、わたしたちが電気を享受してきた原発の副産物です。

危険な原発を地方に押しつけ、都心が電力を消費する・・・これもニュークリア・レイシズムのひとつだと思います。誰かも言っていたけれど、たかが電気にこんな理不尽で悲惨な背景があって、いいわけないでしょうが!たかが電気。たかが水蒸気でタービン回すだけ。しかも効率悪い発電方法(発電効率 30%)。もういや。

2011/10/04

木を見て森を見ず・その2

前回書いた「ひとつのリスク回避が導いてしまう他のリスク」の続き。

放射能対策に有効だというふれこみで様々な情報があります。その数はどんどん増え(最近は下火になってきた感もありますが)あきらかに疑わしいものや詐欺まがいのものも含まれていることから、少し前に注意を喚起するサイトやツィートも頻繁に見かけました。ウェブ上だけでなく、雑誌や本などでも、今や「放射能対策」はよく見かけるキーワードです。両派(●●は効く、効かない)が対立して小競り合いが始まったりしていて、なんだかなぁという感じでイヤな気分になるのですが、情報リテラシーの問題でもあり、重要なので、記しておくことにします。

まず「●●は効く、効かない」ということが話されるとき、どちらの側にせよ断定的な物言いを見ると気になってしまいます(「放射能汚染は危険なレベルだ or それほどではない」の議論にも通じます)。これだけ複雑であらゆる可能性が明確でない問題の答えを、とくに学者が、断定して特定の方向へ誘導するような発言をされていると、どうなのだろうと。あまりに固執して柔軟でない場合、バックに誰かいんの?と勘ぐってしまいます。学者なら小難しいデータなりを知識のないひとにも読めるように噛み砕いて提示して、可能性の検証なりを教えてくれると嬉しいのですが、あまりに肯定・否定の決めつけ度がすぎると、それは学者の範疇ではないのではと思います。これでは「パニックになるから」と市民の判断能力を見下して、提供する情報を操作した政府と同じ。一般市民は間違った判断をしちゃうから、代わりに判断してやるという感じなのでしょうか。特定の学者の発言や説を妄信する人々も然りで「あなたは本当のことをわかっていない」的な態度になる人もいます。

「放射能に効く"エセ科学"(あるいは "トンデモ科学" や "ニセ科学")」と物議をかもしているものには、米のとぎ汁乳酸菌、EM菌、マクロビ、スピルリナ、ホメオパシー、特定の音楽の周波数(?)などなど。もっと他にもあるんだろうけど。とある生物学に詳しい方による「これらは非常にあやしい」との反論を以前にもリンクしました(参考:同筆者による「デマのできかたと不安につけ込む業者たち」)。それを読んだとき、情報をきちんと見極めるために様々な意見をきちんと見て精査していかないとなーと思ったわけですが、同時に、科学的論拠どうこうというのとは別のところで、なんとなく「決めつけられている感じ」が腑に落ちませんでした。試してみないとわからないよな(藁をもすがる気持ち?)という気持ちも。放射能防護に関しては、放射能のからだへの悪影響が時間が経たないとわからないのと同様に、防護の効果もすぐにはわからないと思うのです。自分のような科学のバックグラウンドまったくなしの人間がのたまうのもなんですが、いずれにせよこういった効く・効かない問題はみんな違う体質なんだから個人差もあるだろうなと。なので、モノにもよるけれど、わたしならエセと決めつける前に自分の体には効きにくかった or やり方が悪かったのかな、といつも思います。こう書くとやっぱりスピリチュアル系と思われるかもしれないけど、わたしはどうも物事すべてが科学で解析できるというのは人間のおごりのような気がするし、個々の人間の差というのを軽視しているように思えるんですよね。いつも効能のある何かを他人に勧めるときは「わたしには効いたけど」という言い方をすることにしています。

新しく出てきた民間療法的な放射能への対策法を「あやしい!無意味!」と激しく反対する方は、自分や家族がその代替医療のようなもので痛い目にあったのでしょうか。確かに極端に信仰してしまった場合、健康に悪影響が生じるケースもあるようです。そうなればまさに木を見て森を見ず・・・放射能に気をつけてたら別の害が生じちまったということに。しかし、被害を被った立場でもなく、実際試したこともない
(直接尋ねてはいませんが)ご様子の科学者さんだったり、一般の方たちだったりの声により、膨らみすぎている感のあるこの議論。この方たちは「この不安に乗じて人を騙す奴らが許せない!」というシンプルな正義感から反対意見をぶつけているのでしょうか。なぜだか素直にそうも思えないのです。 少し前に『エセ科学批判が、ネット上でのいじめにつながっていないかの検証が必要だ。なぜエセ科学の唱道者でなく「変わった」一般市民へのバッシングにつながりやすいのかの検証。ニセ科学サイドは、科学リテラシーの衣を着た警察気取りなのではないか?』というツィートを見かけて、ふむふむ、と思いました。人を騙す行為はわたしも怒りを覚えるし、パトロールする気概も賛同しますが、単にこのカルト的動きが鼻につくという方々のご意見もあるのかもしれません。

そう、この一連の動き(●●が効く/効かない問題 and 放射能は危険/そうでもない問題)の両極の一部がカルト化していることが確かに問題でもあります。「あっちの世界に行ってしまったから連れ戻せない」とか「こっちの世界に戻ってきてよかったね」とかいうコメントもどこかで見たな・・・。効く/効かない問題にいたっては、特定の食べ物の薬効が自分の体にぴったりきて効いている例も存在するわけで(たとえプラセボであったとしても)・・・その人たちには効いていんだからいいんじゃないかと思うのですが、本当にそのあたり宗教を取り巻くものに似ていて、宗教にアレルギーを持ちがちな日本人の間ではイシューの扱いが微妙です。


前出のホメオパシー(レメディ)は放射能云々の前からよく非難の的になっていて、賛否両論ある代替医療です。わたしも常用者ではありませんが、以前に少し使ったことがあります。感想としては「よくわからない」。確かにおまじない的なところはあるのだろうなと思うけれど、否定はしません。問題視するほどでもないと思うのだけど、問題があるとすれば医療忌避に結びつく(一般の近代的治療や薬の代わりとしたがる)場合があるということ。新薬と併用しても問題なく、やはり極端に走るとよくないということです。今回も放射能に効くレメディとやらが出てきたので非難が再燃したようです(わたしもこれはちょっとどうなの、と思うけど)
スピルリナも何かと思ったけれど、藻類からできた健康食品/サプリメントのようで(あやしいわけではない)普通に販売されています。イギリスのオーガニックショップでも Defence Boost として朝鮮人参+スピルリナ入りナッツバーが売られていたので食べてみたことがあります(別に腹も痛くならなかったけど、即元気100倍!にもならなかった)。免疫力アップにいいようなので、それで今回も放射能対策に駆り出されてきたものと思われます。
米のとぎ汁、これもうちでつくってみたけれど、これは「どの状態で成功とするのか」が判別しにくく、きちんとしたプロセスや環境で正確な知識のある人によってつくられれば効果的に利用できるものなのかもしれないけれど、臭覚と味覚を伴わないレクチャー(ウェブの文面のみ)からの見よう見まねだと、反対派の方が指摘されているような衛生問題からマイナスな結果が生まれてしまう可能性はあると感じました(ので、うちでは難しいな、と判断したのでやめました)(参考:「米のとぎ汁発酵物が放射能を除去するという説について」ウィキペディア)。関連して、ある種の微生物を用いることで土壌の放射能汚染の低減が期待されるとして、実用に向けて研究されているようなことも耳にしました。
マクロビだってただの玄米菜食なんだから、体に悪いことはないだろうし、免疫向上という意味では有効なのだと思います。ちょっとそんなに叩かんでも、という感じ(参考:「"玄米と味噌で放射性物質除去が可能"説とその反応」)。

「デマ」「エセ科学」と言っても、科学的に研究が進められている途上のものもあれば、だれかが金儲けのために適当にこねくり混ぜた薬もある、単に体にいいと昔から伝承されている食べ物もある。様々なレベルや効能の幅があるだろうに、可能性を潰して一束に否定するのはどうかと思うのです。で、その可能性を潰してしまうかどうかというのは、それらをバッシングしている人たちの声によるのではなく、庶民の科学リテラシーの高低でもなく、わたしたちの情報を判断するバランス感覚にすべてはかかっているのだと思います。

もちろん効能を発信する側の説明の仕方にも非はあると感じています。個人的な理解ですが、「放射能を無害化する」なんてのはすでに「無害化」てのがあやしいけれど、「放射能に負けない体づくり(免疫の強化)」というのは必要で、有効だと思うのです。今回放射能対策で話題にされたもの(特に食べ物)の中で、発酵食品類は腸内の環境を整えて免疫力をあげるのに効くということは確かだと思うし、傷つけられたDNA 修復のために大量のビタミンや抗酸性物質が消費されるので、抗酸化物質を取り入れよ、というのは、わたしは頷いているんだけどなぁ・・・ここまでだったらアリだけど、これ以上進んで「これが効く」はデモ吹聴?難しとこですな。発信する側も、受信する側もバランス バランスと言うことで・・・今日はこんなところです ©筑紫哲也。

関連リンク:
 (放射能対策にいそしんでいる人たちは「放射能に克つ近道」
 を探しているわけではないし、少しでも子どもの被曝量を減ら
 そうと必死な親だったりするのだけど、その反対派の意見の一
 部には「こういうのに騙されているのは無知な主婦」的な失礼
 なステレオタイプも見え隠れすることがあるようです)
 (が、おかしいぞ、というご意見)

【 追記 10/10 】
参考記事:「SNS」でお宝情報を手に入れる人、デマに踊らされる人(プレジデント・オンライン)