自分はお世話になったことはないけれど、空港で "lost and found" を見かけるたびに、英語ってシンプルだなと頷いてしまう。「遺失物取扱所」と言われるよりなんだか lost and found だと、なくしちゃったけど見つかる感じもしませんか。

人間は忘却の生き物です。忘れないと新しいことを覚えられないという許容量の問題だけでなく、意図して忘れ去りたいことも多い。忘れたくない、忘れてはいけないこともたくさんある。ここは忘れっぽい自身の日々の「公共備忘録」です。また、立ち寄ってくれた方たちがここで何か発見をして、喜んだり怒ったり哀しんだり笑ったりしてもらえれば幸いです。

《 NOTICE 》ちなみに今はもっぱら脱原発ブログとして展開中であります

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2012/01/25

クレイジーな幕開けと豊富(のようなもの)

あけましておめでとうございます(遅)。もうお年玉付き年賀状の当選番号も発表されているというのに・・・。いつの間にか睦月もあと一週間だというのに・・・。この時間が過ぎていく奇怪なスピードは一体なんなのでしょう。地震の前兆で 24時間が早く過ぎているとしか思えません(クジラが海岸に打ち上げられたりするのと同じ)いや、これは笑えないんだけども。

旅からは2週間ほど前に帰国していました。そのことも書きたかったのに書けておらず。インドに行ってました。え?(わたし自身が「え?」と言いたい)インドです(注:高円寺ではない)。マジカルミステリーツアーな珍道中でした。4歳児連れて 4都市 16日間だかんね、どんなヒッピーファミリーなんでしょうか。

すんごく疲れたけれど、インド自体すべてがとても刺激的(スパイシー?)だったし、原発・放射能マインドやインターネットから(完全にではないけど)半月も離れたというのも、行く前と比べて構え方に変化をもたらしたかもしれません。今自分の暮らしの大半を占めてしまっている原発・放射能のイシューの追跡と、メールやツイッターのネットワーキングから離脱することは簡単なことでした。現実を無視することは楽な部分もあったけど、離れたからといってなにか現状が改善されるわけではない。戻ってくるホームベースが汚染されていたら、原発や六ヶ所再処理工場やもんじゅがまだ国内で動いていたら、心は晴れない。ハードな旅だっただけに帰国してホッとするも、心底安堵しきれないのが腹立たしく、成田に降り立った途端に Back to action スイッチ・オンという感じでした。別にそれを重荷とも感じないあたり、脱原発への関わりはもうライフワーク化しているのだと思います。

インドの公衆衛生や人権無視のようなひどい環境下の貧困層などを直に見ると、比べることではないのだけど、単純にわたしの目の前のリスク(放射能汚染)ってなんだろう、と考えてしまうところはありました。「インド軸」を持てたことはひとつ大きな収穫(「インド軸」で見ると、日本のすべてがブルジョアなんですが・・・*「戦中・戦後軸」でも代替可能)。まともに暖をとれる家があるありがたさ。毎日ごはんが食べられる、お風呂に入れるありがたさ。すべての「当たり前のインフラ」のありがたさ。しかし、自分は恵まれている、自分はまだいい方だ、ひとより大変な方だ、と他人を持ち出して比較の対象にして、自分の置かれた状況を確認したところで何が生まれるのか、うまく整理がつきません。だからなんなんだよ、というか。そういう「自分のいる環境レビュー」を時々することは必要なような気はするけれど。

人間の社会の中で大変なこと・理不尽なことは、内容やスケールは違えど、どこの国でもいつの時代でも生きている限り必ずあるわけです。今自分の目の前で進行する公害をつくった元凶がはっきりしている限りはその退治が先。「自分の苦境は "比較的" このくらいのレベルだ」というのは平和なときにゆっくり考えたいと思います。ただ、前にも述べたけれど、放射能汚染のリスクは世の中に数多あるリスクのひとつに過ぎないことは忘れないでおこうと改めて思いました。

ハードコアな旅の記録はそんなわけで(?)一旦置いて暖めておきます。いつになるやらですが、後日 Crazy India のまとめをできればと思っております。帰国してすぐの週末に横浜で脱原発国際会議があって両日行ったので、そのことについてや、年末にメディア・アクティビストのイルコモンズさんと素人の乱の松本哉さんのアクティビズムに関するトークを聞き、そこで気づいたことなど、そちらを優先して綴っていきたいと思います(なかなか書く時間がなくて悔しいっ!)。わたしも徐々に注意力が落ちてきていてよくないのですが、引き続き重要な食べ物の対策についてもまとめたいです。

日本の原発は今、54基中たったの4基しか動いていません。それでも難なく生活ができているというのに、まともな評価やプロセスなしに、止めた原発を再び動かそうという強引な再稼働の動きもあります。福島第一原発の事故の調査結果も待たずに、です。一方で、今年に入って自然エネルギーに関する法案なども具体的なことが決められ始めています。とにかく 2012年は脱原発のカギとなる年。今年で大きく転換できなければ後はない。ここでわたしたちが大きく主張をしなければ、沈黙は「原子力政策に yes 」と同義です。これまでがそうだったように。

できる限りのことを、自分の力が生かせる方法で、ムリせず継続的にやっていきます。でも今年はもうちょっと効率的に動けるといいんだけども。